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9/13

寝不足と不意打ち

「午前中からどこか調子が悪そうだったんです。顔色もあまりよくありませんでしたし」


有栖は保健室のベッドに寝かされていた。

つい呼吸が乱れている様子を想像してしまったがそんなことはなく静かな寝息をたてている。

少し顔が赤いが、大事では無さそうだ。

倒れた、と聞いた時にはこちらが倒れそうになるかと思うくらいに心配したが、少し大げさだったようである。

消毒液の独特な臭いが漂う保健室には、保健の先生が机で何かを書いており、霧崎さんがベッドの横で丸椅子に座っていた。

心配そうな表情で有栖を見つめていたが、私が保健室に入って来たことに気が付くと、丁寧に一礼した。


「それで午後の楽器別練習になってからは少し元気そうになったのですが……2時間ほど練習したところで倒れられてしまって」


有栖が倒れた時の状況を霧崎さんから詳しく聞く。

どうやら朝から体調が優れないにもかかわらず、無理して練習を続けていたらしい。

従来の生真面目さと部長の責任感から強行して練習に参加していたのだろう。

彼女の性格からして、やりそうなことだった。

自分の体調より自分のやるべきことを優先する。



「ありがとう、霧崎さん。ここまで運んでくれたんでしょー?」

「はい。でも、幸い保健室に近い場所で練習をしていたので、そこまで大変ではなかったです」


少し恥ずかしそうに霧崎さんは視線を外した。

彼女には聞きたいことが沢山あるけれど、今は有栖のことが心配で質問する気になれない。

それは霧崎さんも同じで、上手く質問に答えられなさそうだ。

今までの疲れも出たのだろう、有栖は少し揺らしたくらいでは起きないぐらいの深い眠りに落ちていた。


「捧部長、少し熱があるみたいなんです」


霧崎さんがそう言った瞬間、丁度ピピピ、という電子音が聞こえた。

それに反応した保健の先生が有栖の元に来て、脇に挟んであった体温計を引き抜いた。

相変わらず有栖は起きなかった。


「37.9℃……風邪ね。これから夕方にかけて上がるかも」


体温計に表示された数字をカルテに書き込みながら、先生が言った。

現時点から上がるということは38℃台までになるのだろうか。


「今日は安静にしておいた方が良いわね。捧さんに伝えておいてくれる? 睡眠不足は健康と美容の大敵だって」


先生は寝ている有栖の頬をつついた。

有栖の睡眠不足は私も知っているし、普段から口をすっぱくして言っているつもりなのだが、全く聞く耳を持ってくれない。

しかし、今回のことで多少は注意してくれるだろう。

してくれないと困る。


「分かりました。霧崎さん、私が送って行くよー」

「私も付き添わなくて大丈夫ですか? 1人じゃ色々と大変そうですし……」


遠慮がちに霧崎さんは尋ねた。


「大丈夫だよー、家に帰ったら千幸ちゃんたちもいるんだしー」

「そのことなんですけど、どうも家に誰もいないみたいなんです」


霧崎さんは有栖の家へ電話した時のことを説明した。

音楽室に置いてある鞄に携帯を入れっぱなしにしていた霧崎さんは、有栖の携帯を使って、まず捧家に連絡をとった。

ところが、着信履歴の一番上にあった『自宅』の相手は留守だったのだ。

休日の昼間に誰も電話に出ないというのならば、家族でどこかに出掛けているのかもしれない。

だから、その下に記録されていた『小鳥遊楓花』へ連絡したのだろう。

有栖の携帯から電話があったのに、声の主が霧崎さんだったというのはそういった経緯があったようだ。

そういえば一昨日に有栖と電話したなと思い出す。

その時は何も思わなかった宿題についての電話だったが、後にこんな偶然を生むとはその時には考えもしなかった。


「そういえばー、今日は有栖以外のみんなはどこかに出掛けるって言ってたかもー」

「私も聞きました。確か夜遅くまで誰も帰って来ないって」


つまり、看病するための用意や食べ物があるかどうか確認して、無ければ買い出しに行かなければならないようだ。

それを1人でやるのは大変そうだし、2人でやった方が良いだろう。


「それなら霧崎さんに甘えちゃおうかなー。一緒に看病してくれる?」

「もちろんです、小鳥遊先輩。本来ならこちらから願い出るところです」


その言葉は直接指導を受けている後輩としての責任からか、それとも純粋な好意からなのか。

と、思考が攻撃的になってしまう。

今の私は全く冷静ではない。


「なら私が送ろうかな。捧さんも小鳥遊さんもバス通学だったのね。知らずに送り出すところだったわ。車出すから捧さんを昇降口まで連れて来てくれる?」


学園の生徒の名簿を見ていた先生が言った。

先生はこういう場合のフットワークが軽い。


「ありがとうございます。霧崎さんは有栖を運ぶの手伝ってー」

「分かりました。捧部長、少しの間だけ起きてもらえますか?」


何回か霧崎さんが肩を揺らすと、流石に有栖は目を覚ます。


「んっ、なに……?」


有栖は、ふにゃっ、と間抜けた声を出すと、薄目を開けて霧崎さんをぼーっと見つめる。

寝起きということもあって、目の前にいるのが誰か分かっていない様子だ。


「先生が家へ送ってくれるそうです。立てますか?」

「霧崎……楓花も…………あれ、私どうして?」

「有栖ったら練習中に倒れちゃったんだよー。ダメだよ無理しちゃー」

「練習中に? そうだったんだ…………ごめん、迷惑かけた」

「そんなことないです。捧部長にはいつもお世話になっていますから。部長が困った時くらい助けさせて下さい」

「霧崎…………ありがとう」


そうやって手を握り合っている2人を見ていると、胸の奥がモヤモヤした。

きっと、嫉妬しているのだろう。

やっぱり私は有栖のことが好きで、他の誰にも渡したくないと思っている。

本当ならば、どんなに大変だろうと看病だって私1人でしたいところだ。

しかし、霧崎さんがいなければ、そもそもここまで有栖を運べていなかったし、看病も買い物や他の仕事のことを考えれば1人より2人の方が良いに決まっている。

そう思うことで、自分の気持ちを抑えた。


「小鳥遊先輩、捧部長をお願いできますか? 私は荷物を持って行くので」


一瞬、自分の嫉妬まみれの思考が口に出ていて、伝わってしまったのかと驚いたが、霧崎さんが首を傾げていたのでそれもないと安心する。

彼女は有栖の鞄とフルートが入ったケースを持つと先に廊下へ出た。

先生は既に車へと向かっている。


「有栖、掴まって」

「ありがと……楓花」


右手を取り弱々しい右肩を支えながら、できるだけ彼女が楽になるような姿勢で運ぶことを考えた。

しかし、有栖は少しふらふらしながらも立ち上がって歩き始める。


「大丈夫?」

「うん。歩けるのは普通に歩けるから」


ならば体を支えていると逆にバランスが取れないかもしれない。

私は手を離そうとしたが、有栖はそれを許してくれなかった。

指と指を絡め、彼女の白く綺麗な手は離してくれそうにない。


「あ、有栖?」


急なことでどきまぎしていると、先生と霧崎さんが既に保健室にいないことを確認すると、私の耳元で、


「手は……繋ぎたいかな」


と蚊の鳴くような声で囁いた。

風邪のせいか、それとも別の理由なのか有栖の顔は真っ赤に染まっていた。

それが私にはどうにも可愛すぎて、顔がにやけないように少し早めに呼吸をする。


「あ、でも、うつっちゃうかもしれない。やっぱり、楓花離れて」

「いいよ、有栖からの風邪なら別に貰っても」

「えっ?」

「…………なんでもないよー」


2人で廊下へ出て、霧崎さんが先生からあずかっていた保健室の鍵で施錠をして。

そこから昇降口まで歩いて、車に乗るまで有栖は何も喋らなかったし、私も同じだった。

少し失言だったかなと思ったけれど、相変わらず手は握りしめられたままだったので、ドキドキしてしまってそんなことはどうでも良かった。

この前の公園クレープデートでは自分から手を繋ぎにいったけれど、今日は有栖からの手を繋ぎに来た。

行為としては同じなのに、スタートが違うだけでこんなにも嬉しさが違うのか。

このまま永遠に手を繋いでいたいと思ってしまう私なのだった。



家の中は誰もいないからなのか、それとも秋の気候が原因なのかどこかひんやりとしていた。

この家に来るのも久しぶりだなと思いながら、取り敢えず有栖を部屋に連れて行く。

霧崎さんに有栖を任せて、私は1階の冷蔵庫やインスタント食品が置いてある棚を物色してみる。

しかし、風邪を引いている有栖が食べられそうな物は無かった。

やはり、買い出しに行かなければならないようである。

そのことを霧崎さんに伝えると、私が行ってきますと彼女は言った。


「私はこの家のどこに何があるか分かりませんから。果物とか色々買ってきますね」


やっぱり、霧崎さんがいてくれて良かった。

買い出しに行ってもらっている間に、色々出来る。

既に有栖はベッドの上で眠っている。

制服のままで眠ってしまっているところを見ると、相当疲れていたのかもしれない。

だが、このままだと制服がしわになってしまうし、風邪が悪化してしまうかもしれない。

タンスの中からパジャマを取り出す。

そう言えば、この前有栖がジャージで帰って来たことを思い出した。

あの時、千幸ちゃんが下着を選んだと言ったけれど、本当は嘘で、私が選んだことを思い出して笑みがこぼれてしまう。

それから洗面所で洗面器にお湯を溜めて、体を拭くための濡れタオルを作る。


「有栖、起きてー」

「ん……」


寝ぼけている有栖をなんとか起こして、ベッドに座ってもらう。

よほど疲れているのだろう、私の指示が伝わっているかも分からない。


「体を拭くから制服脱いで」

「うん」


制服をかけるためにハンガーを取ると、ブレザーを貰ってクローゼットの中にしまう。

半目を開けた有栖がカッターシャツのボタンを1つ、2つ――――


「って、何で服を!?」

「何でーって、タオルで体拭くためだよー」

「あ、あー、そ、そういう……」


有栖は完全に手を止めて、逆に外していたボタンを2つとも留めてしまった。


「えっと、楓花さん。自分で体くらい拭けるから、ちょっとだけ部屋から出て欲しいんだけど……」

「そんなー遠慮しなくても良いんだよ? 私が拭いてあげるよー」

「いやその……何か恥ずかしいし……同性だけど」


見ると顔だけではなくて、首すじまで赤く染まっている。

このまま無理に部屋に居座っても、カッターシャツがこちらの手に渡ることは無さそうだし、まして私に拭かせてもらえそうにもない。

本当に残念だが、いつまでも有栖を起こしておいて風邪が悪化してもいけないので、ここは素直にさがることにする。


「んー、じゃあ出てるから。何か食べたいものとかある?」

「今は何もいらないかな。とにかくパジャマに着替えて寝たいかも」

「もー、有栖ったら昨日何時に寝たの?」

「えーっと、部活の反省と英語の課題をやってたら、ちょっとだけ遅くなったかなーって」

「…………2時」


有栖は苦笑いをして、視線を逸らした。

この反応から推理するに、3時くらいまで起きていたのかもしれない。


「保健の先生も言ってたけど、睡眠不足は健康と美容の大敵だよー。これからは最低でも6時間は寝ないとー」

「う、うん……善処します……」


今まで話を聞かなかった有栖だけれど、今回は霧崎さんや私に迷惑をかけたと考えているのか、本気で反省しているようだった。

この反省が行動に反映されればよいのだけれど。

しばらく部屋から出ていて、有栖が着替え終わったところで再び部屋に入ると、彼女は既に布団へ潜っていた。

布団から出ている顔は疲れの色が濃く、どうしてこうなるまで放っておいたのか疑問に思うほどである。

他愛もない話をしていると、有栖は勝手に寝てしまった。

保健室でそうであったように、ちょっと揺らしたくらいでは起きそうにない。


「もう、本当に自分の体のことを考えないんだから……」

 

つい文句が口をついて出てしまう。

そんな風に文句を言いながらも有栖の寝顔を見ていると、保健室での光景が甦ってきた。

有栖と霧崎さんが手を握り合っている。

そこには頼れる先輩とそれを敬愛する後輩の姿があり、それを思い出すと、心がざわめく。

私は先輩と後輩の親密な関係すら許せなくなっているのかもしれない。

もし、もし霧崎さんと有栖が付き合うことになったらどうなるだろうか。

付き合う、を経験したことのない私が色々と想像してしまう。

例えば、デートに行ったりするのだろうか。

商店街で買い物をして、クレープを食べて。

つまり、自分のポジションがそのまま霧崎さんに代わるということだろうか。

そう考えると何だかとても寂しいような気がする。

部活をしている有栖を待っていても、校舎から出て来るのは仲良く手を繋いだ有栖と霧崎さん。

それをずっと見る心の強さは私には無い。

きっと、背を向けて走って帰ってしまうだろう。

何だか得体の知れない恐怖が私の体を包み込んだ。


「んっ…………っ」


気が付けば、有栖の唇に自らの唇を重ねていた。

寝ている彼女にキスをするという、とても卑怯な形なことをしてしまった。

だが、こうしないと誰かに有栖を取られてしまうことを恐れてしまう病的な思考はおさまってくれなかっただろう。

初めて交わしたキスの相手が眠っているのは残念だが、仕方がなかった。

有栖の唇は柔らかくも弾力があって、今まで感じたことのない感触だった。

閉じていた目を開けながら唇を離すと、大きく目を見開いた彼女と視線がぶつかる。


「ふ、ふうか……?」

「あ、ありす……」


その言葉は、気が動転した私の聞き間違いだと一瞬勘違いした。

いや、勘違いであって欲しかった、という表現が正しいかもしれない。

かなりの至近距離にある有栖の目はパッチリと開いていて、先ほど口づけをした唇からは音にならない言葉が漏れていた。

そして、それは私も同じ状態で。

金縛りにあったように指の1本も動かせない。

お互いに固まっていると、玄関のドアが開く音がして、続いて階段を登ってくる足音が聞こえた。

霧崎さんが買い物から帰ってきたのだ。

今すぐこの場を離れたいという考えは頭の中にあったのだが、体が思うように動いてくれない。

有栖とのキスで全ての記憶を無くしてしまって、歩き方を忘れてしまっているようだった。


「ただいま帰りました。捧部長、お身体の調子はどうですか?」


なんとか霧崎さんが部屋に入ってくるまでに適切な距離を取ることは出来た。

しかし、本当にそれだけしか出来なくて、有栖は放心状態だったし私も心ここにあらずだった。

霧崎さんは首を傾げていたけれど、有栖は寝ます、と棒読みで一言発すると布団を被り、私も霧崎さんが買ってきた果物やら冷却シートを整理するためにそそくさと1階へ降りるしかなかった。



この後に起こったことは何も覚えていない。

気が付いたら、自分が借りている部屋に制服のまま座っていた。

お腹は空いているので、有栖の家では何も食べなかったことと、無事に帰宅できたことだけは確かであった。

何か夢を見ていて、目が覚めて現実に戻されたような気がする。

今日あったことが全て夢であればどんなに良かっただろう。

全く、こんな状態でよく交通事故に遭わなかったのが不思議だ。

それから私はシャワーを浴びて、滅多に食べないけれど非常時用に買っていたカップ麺を作って食べた。

久しぶりに食べたその味は新鮮だったが、美味しいとは感じなかった。

容器をゴミ箱に捨てたところで、強烈な眠気が襲ってきた。

明日は日曜日だから今日中に学校の課題を終わらせる必要はない。

すぐに折り畳み式のベッドを用意して、布団の中に潜り込んだ。

何かが水道の蛇口を軽く捻ったように静かに、それでいて確実に流れ込んで来た。

様々な感情が心にじわりと広がっていく。

考えないようにしてきたが限界だった。


「うわぁぁぁーーーーっ」


顔を両手で覆い、ベッドの上でくねくねと体をよじってしまう。

何とか落ち着こうと思って、枕に顔を埋めて、足をクロールのばた足をするように動かす。

しかし、落ち着くことは無理だった。

胸がドキドキして呼吸が荒くなってしまう。

ファーストキスの相手が有栖だったのは嬉しいけれど、向こうは風邪を引いて弱っているし不意打ちしたようですっきりしない。

そもそも有栖の了承を得てないにも関わらず、キスしてしまったことも罪悪感を高める原因になっていた。


「有栖も私も女の子なのにな……」


嬉しさ、恥ずかしさ、後悔、罪悪感、そして有栖に嫌われたらどうしようという恐怖……色々なものが心を渦巻いた。

月曜日、どんな顔で有栖と会えば良いのか。

今日はもう寝てしまおう。

目を閉じるけれど、なかなか寝られそうになかった。


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