悩める少女とオムライス
「有栖にあんな一面があったんだなー、全く知らなかった」
トイレの個室で思い出した彼女の姿は、私とデートをする彼女とは別人のようだった。
凛々しい態度で指導に当たる姿は彼女の新しい一面を垣間見たようで、何だか嬉しかった。
張り詰めた緊張感の中で冷静に分析しながらも、情熱を失わないその姿は大人数を率いる名門吹奏楽部長として相応しいと感じる。
噂には聞き及んでいたが、あんな風に厳しくやっているから鬼と呼ばれるのだろう。
そして、そんな鬼が甘えたところを見られるのが私だけということに優越感を覚える。
「やっぱり捧部長、カッコいいなぁ~」
「それ。クールだけど冷めてはないところが最高よねー」
休憩時間なので、吹奏楽部員が何人かトイレへ入って来た。
吹奏楽部自体にはあまり精通していないので、声だけでは何年生の部員かは分からない。
だが時折、先輩という呼び方がされているのが話の中に聞こえてきたので、全員が同級生というわけではないのだろう。
しかし、今はそんな推理はどうでも良かった。
捧部長というワードが出てきたからには放っておくわけにはいかない。
個室の中から、話をする吹奏楽部員たちの会話に耳を傾ける。
「頭脳明晰に容姿端麗。その上フルートも上手くて部長としてのカリスマ性もあるとか、本当に神様の不平等さを呪うよー」
「あぁ、捧部長なら何されても構わないです……」
「何言ってるの…………いや、ありか」
「もー、何を想像したのよ~」
楽しそうに彼女たちは笑うが、私としては面白くない。
吹奏楽部員たちもそんな妄想をするのだろうか。
薄々気付いていたけれど、有栖の人気は圧倒的だ。
女子校だと、カッコいいに分類される人間はどうしても人気が高くなる。
だから、私だけでなく有栖と親密な関係になりたい人はたくさんいるのだ。
現時点では、幼馴染で家に通う関係である私が一歩リードしているように見えるけれど、いつ追い抜かれるか分からない状況に置かれているのは間違いない。
本当にそれだけライバルが多いのだ。
「でも、羨ましいよね~霧崎さん。部長とペアだから個人レッスン受けられるし。私も受
けたいなー、個人レッスン」
「無理無理。第一アンタはフルートじゃないし」
「そーそ。それに部長が直々に選ぶくらいだもの、それ相応の技術が無いと」
いちいち部員たちの言葉に反応してしまう。
有栖が直々に選ぶ?
霧崎さんは有栖に指名されたってこと?
嫌な感情が心に渦巻くのが分かって、少し自分が怖くなった。
あくまで、それは部活の中で技術を認めただけであって、それ以外の意味は無いのだと必死に決めつける。
「あっ」
部員が短い声をあげたと同時に賑やかだった外の空気が変わる。
今まで談笑していた部員たちが急に静かになったのだ。
流石にドアの上から覗いてみることは出来ないので、耳をそばだてて様子を伺う。
「霧崎さん……」
察するに霧崎さんが入って来たらしい。
部員たちも有栖に近い存在の霧崎さんの前では下手なことが言えないからだろう、先程までのおしゃべりは鳴りを潜め、辺りは沈黙に包まれた。
「お疲れ様です」
そんな中で発せられた霧崎さんの声はやけに耳へ響いた。
たぶん沈黙が原因ではなく、彼女を意識し過ぎているところから来ているのだろう。
出来るだけ考えないようにしているのに、霧崎さんが有栖と仲良くしているところを想像してしまうから、頭をふるふると振ってかき消す。
「ねぇねぇ、霧崎さんって捧部長と休みの日に出かけたりするの?」
沈黙を打ち破るように、たむろしていた部員の1人が質問した。
その部員の興味だけで聞いたことなのだろうけれど、まるで私の思考が乗り移ったような質問だった。
霧崎さんの返事1つすら聞き逃さないように集中する。
「……いえ、そんなことは」
突然の問い掛けに驚いたのか、霧崎さんは慌てていた。
顔姿を見なくても霧崎さんが動揺しているのが分かる。
動揺の原因が、いきなり声をかけられたことと違うところにあると困るけれど。
「えー、チャンスなのに何で行かないの!?」
「そうそう、付き合える可能性だって十分なのに!」
どんどん話が変な方向へ向かっている。
こちらとしてはそうやって霧崎さんをけしかけるのは止めて欲しかった。
諦めた方が良いよと諭して欲しいところだ。
そこまで考えて、他力本願過ぎる自分の思考が恥ずかしくなる。
「チャンス……? 付き合う……? 何を言って──」
「とにかく! ちょっと来なさい、作戦会議よ。みんな、霧崎さんを捕まえて」
「え、私はトイレに……」
外では騒がしさが戻って来て、霧崎さんがどこかに拉致されそうになっている。
腕を両側から掴まれて引っ張られている霧崎さんの姿が目に浮かんだ。
「いいからいいからー」
「そんなの後! アンタはどれだけ幸せなのか知るべきなのよ!」
「え、なんで? その、幸せってどういう……。あっ、は、はなして……」
弱々しい霧崎さんの声と共に、彼女たちはトイレから出て行った。
トイレに来た人間を強制的に連れ去るという、一歩間違えればいじられている風にも映るやり取りが繰り広げられていたが、有栖が長の吹奏楽部ではそれもないと考える。
有栖はいじめとか仲間外れに人一倍嫌悪感を抱いており、また敏感だからだ。
もし、吹奏楽部の中でいじめがあれば関わった人間を全員退部にする位の勢いかもしれない。
ドアをそろっと開けて、外に誰もいないかを確認すると、騒がしかったトイレは誰もいない本来の落ち着きを取り戻していた。
「ふぅ……今のうちに逃げよっと」
いつ、彼女たちが戻ってくるか分からないので迅速に行動する。
音楽室は校舎の最上階の端にあるので、その近くにあるトイレも自然と利用する生徒が決まってくる。
わざわざこんな遠いところまで足を伸ばしてトイレを利用する生徒なんて、音楽室にようがある時以外にはいない。
だから、音楽室と縁もゆかりもない私が、このトイレで吹奏楽部の知り合いに鉢合わせてしまうと言い訳が面倒なのだ。
特に、有栖なんかと出会ってしまうと、相当面倒なことになってしまうだろう。
急いで階段を駆け下りて、それでも行く当てもないので教室に戻ると、自分のカバンを取って下校することにした。
既に教室は誰もいなくて、夕焼けが教室の中をオレンジ色に染めているだけだった。
普段の私ならばそれをきれいだなと感じて、心が安らぐのだろうけど、何となく心がもやもやしてせっかくの夕焼けに雲がかかってしまう。
何となく教室の中をうろうろしてみるけれど、晴れることがない心と答えの出ないもどかしさに苛まれることになるのだった。
土曜日の午後、午前中で終わった部活の練習の帰り道。
顧問の先生と打ち合わせが長引いてしまい、携帯で時刻を確認すると時計の針は既に1時を回ったところだった。
どうりでお腹が空いているわけだな、と笑いながら家を目指す。
外食をしても良かったのだけれど他の部員が既に帰ってしまっているので、止めることにして、商店街にあるお惣菜屋さんで何か購入することにした。
何となく1人で外食することが好きになれない。
家にいる時に1人で食べるのは平気なのだけれど、周りが複数人で食事をとっている状況で1人なのが、孤独感が際立って嫌なのだろうと勝手に分析する。
「あれ、ふぅちゃん? ふぅちゃんだよね?」
この前読んだ雑誌に載っていた姿勢を良くする歩き方を実践しながら歩を進めていると、後ろから知った声が聞こえてきた。
振り向くと、予想通り赤羽根さんが手を振っていた。
「こんにちはー、赤羽根さん。どこかへお出かけー?」
「うん、ちょっと、本屋にね」
そういって持ち上げた右手には、私も参考書や雑誌を買い求める時に足を運ぶ本屋さんの名前がプリントされたビニール袋が握られている。
「ふぅちゃんは部活帰り?」
「うん、練習は午前で終わりだったんだけど、先生と打ち合わせしていたらすっかり遅くなっちゃって」
「ふーん、お互い大変だねー部長は」
Tシャツにジーンズという姿の赤羽根さんは、今日は部活が無いらしい。
男性的な服装をしている赤羽根さんだが、Tシャツの丈が少し短いためにチラチラと見えるお腹のせいで、道行く男性の注目を集めていた。
朝から商店街で色々なところを買い物した帰りのようで、本屋のビニール袋以外にも他の店の袋がいくつか提げられている。
スーパーの袋は今夜の夕食のための材料だろうか。
お肉、玉ねぎ、人参……今日はカレーなのかもしれない。
彼女が実家暮らしなのか1人暮らしなのか、私は知らなかった。
100円ショップの袋は透明ではないので何が入っているかは分かり得ない。
「あ、そうだ。もしかして、昼まだ? それなら一緒に食べない?」
赤羽根さんについて観察をしていると、右手の人差し指を立てて彼女は提案した。
お惣菜を買って家で寂しく食事よりかは、誰かと外食した方が良いだろう。
「丁度、行きたかった洋食屋さんがあるのよね。そこで良いかな?」
「うん、私は美味しいお店とかよく知らないから、赤羽根さんにお任せするよー」
それから私たちは5分ほど歩いて、商店街の小さな道を曲がったところにある、これまた小さな洋食屋に到着した。
普通の一軒家より少し小さいほどの建物だったが、店の前に用意された3つの椅子には私の母親くらい年齢の女性が3人座っていた。
少し昼食の時間としては遅いくらいの1時過ぎにもかかわらず、待っている客がいるということは、有名なお店なのだろうか。
「ありゃ、ちょっと待つかも。時間とか大丈夫?」
「うん、大丈夫だよー」
椅子の横に並んで立って、席が空くのを待つ。
座っている3人組の女性たちは、屋外であることや横に私たちがいることに気も留めず、自分の夫に関する文句や子どもの塾の月謝について大きな声で話している。
対する私たちは、なんとなく話題が見つからなくて黙っていた。
その沈黙は苦しいものではなくて、逆に心を落ち着かせる良い沈黙だった。
女性たちの声を聞き流しながら、ふと思いついた疑問について少し考えてみることにする。
もし、今この瞬間有栖が歩いて来て、洋食屋の前で並んで立っている赤羽根さんと私を見たら、どんな反応をするだろうか。
嫉妬するだろうか、怒るだろうか、何か文句でも言ってくるだろうか、それとも赤羽根さんと喧嘩でも始めるだろうか。
有栖は赤羽根さんとは馬が合わないようで、よく話しているところは見るけれど、仲が良いと形容するには違っていた。
2人の間柄は対等ではなく、赤羽根さんが有栖をからかっている場面が多く見られる。
赤羽根さんは口が上手いので、真面目で頭の固い有栖だと舌戦で勝つことが出来ないのかもしれない。
言い負かされると分かっていて、それでも話しているのは、有栖の負けず嫌いな部分が赤羽根さんに挑発されて抑えられなくなるからに違いない。
『楓花、どうして未来なんかと……』
悔しそうな表情で呟く有栖を想像してみる。
有栖がそんな反応をしてくれたら、赤羽根さんとは偶然出会っただけで一番は有栖に決まってるよ、と言って彼女を照れさせたくなってしまう。
嫉妬は醜い感情だと一般的に言われることが多いけれど、嫉妬されることは私自身嫌いではなかった。
そんなことを考えていると、前の3人組が店員に呼ばれ私たちは椅子に座ることになった。
「ここはオムライスが美味しいんだよね。とろとろ卵のやつ」
「おーいいねー、とろとろー」
私も何度かオムライスには挑戦したことはあるが、いつも卵が固まってしまいとろとろにはならなかった。
結局、あれは技術より調理器具の問題なのだろうと言い訳して、しばらくは作っていない。
美味しいと噂の洋食屋で食べるオムライスはさぞかし凄いだろうと期待してしまう。
案内された店内は予想通り広くなく、シンプルなテーブルと椅子が6セットあるだけで、各テーブルには白いテーブルクロスがかけられていた。
私たちは一番奥の窓際の席に案内され、座るとすぐにウェイトレスが水とメニュー表を持ってきた。
メニューの数はそこまで多くなく、オムライスやナポリタン、ハンバーグ定食などのオーソドックスな料理が並んでいる。
「私はオムライスにしようかな。ふぅちゃんはどうする?」
「私もオムライスでー」
料理を待っている間、外にいた3人組の声が聞こえてきた。
相変わらず大きな声で話しているので、イケメン俳優について盛り上がっているのが嫌でも耳に入ってくる。
運ばれてきたオムライスは見ただけで卵がとろとろなのが分かって、上にはデミグラスソースがかかっていた。
「うーん、とろとろー。赤羽根さんの言う通り、美味しいんだねー」
「そうでしょ。こんなのが自分で作れたら良いと思うよね」
オムライスを満足そうに口へと運びながら、赤羽根さんは目を細めた。
お互いに半分ほど食べ終えたところで、赤羽根さんが笑いながら質問してきた。
「店の前で待っている時、何を考えてたの?」
「へ?」
特に意識していなかったことなので、急な質問に思わずスプーンを持つ手が止まってしまう。
「どうして? もしかして、何か言ってたかな?」
「んーん。何も言ってなかったよ。別に思っていることが口に出てたわけじゃない。でも、表情がコロコロ変わってたから。悩んでいるのかなーと思ったら、嬉しそうにニヤニヤして。横目で見ていてちょっと面白かったから」
心の声が実際に出ていないことには安心したが、表情に出てしまっていたことは少し恥ずかしかった。
「赤羽根さんは何考えてたのー?」
「わたし?」
ささやかな反撃のつもりで聞いてみる。
すると、予想外の答えが返ってきた。
「私はオムライスに何でケチャップをかけるのかについて考えてたかな。普通にみんなかけてるけどケチャップたっぷりのチキンライスを卵でくるんだだけなのにケチャップ再びかけるっておかしくない? いや、おかしいよね!?」
何故だかヒートアップする赤羽根さんに困惑しながら、ここのオムライスはデミグラスソースで良かったね、と返しておく。
相変わらず、面白い人だなと思った。
「まぁ、そんなことはどうでも良くてさ。どうです、また相談にのりましょうか、先生。私は名前の通り未来が見える女ですぜ」
「えー、なんかすごく怪しいよー。壺とか数珠とか売りつけられそうな感じの」
笑ってみせると、赤羽根さんは苦笑いをした。
本人からしても失敗だと思っているのかもしれない。
「でも、また相談にのってもらおうかなー。お願いします、先生」
「ふむ、言ってみなさい」
コロコロとキャラを変えながら赤羽根さんは水を飲んだ。
前に話した時は手相も見てもらったなと思い出したが、今回は手を見ようともしなかった。
「この前話した従妹のことなんだけどね。部活動をしている好きな人をこっそり見に行ったんだって。そしたら、ライバルの子だけじゃなくて、色んな人が狙ってるって」
「ふむ、その相手は相当な人気者なのですな。白百合で言うところのありやんみたいな」
急に有栖の名前が出てきて動揺しそうになるが必死に抑えて、たぶんそんな感じ、と慌
てないようにする。
「従妹としてはどうしてもその人の1番になりたいみたいでさ。面倒臭いと思われるかもしれないけれど、好きな人が他の人と仲良くしているのが気に入らないみたいで。それで、今の恋人か友達か分からない関係じゃなくて、正式なお付き合いをするために告白するべきですか、って相談されちゃったんだよ」
前と同じように架空の従妹をおとりにして、相談する。
赤羽根さんはオムライスを食べながら黙って考えていた。
そして、全て食べ終えた後にスプーンを静かに置いて口をハンカチで拭った後、口を開
いた。
「私の個人的意見だけどね、悩みを打ち明けたり、相談したりする人って、大体それについての答えが出ている人だと思うのよ」
「そうかなー?」
少なくとも私は答えが出ていないのだけれど。
彼女の言うことがにわかに信じられなくて、水を一口含んだ。
「答えが出ていないから相談するんじゃないの?」
「いいや、それは違うねー。悩みの相談っていうのは背中を押してもらいたい人がするも のよ」
「そんなものかなー」
確かにそんな側面もあるにはあるだろうけれど、それが全てには思えない。
少なくとも私の場合には。
「今の言い方には語弊があったかな。ふぅちゃんの従妹みたいに~した方が良いですか?
って聞く人が背中を押してもらい人だね。何をしたら良いですか? って聞く人は本当
に答えが欲しい人。つまり、イエスノーで答えられる質問だったら背中を押して欲しい
だけってことかな」
「なるほど……」
こうやって話してみると、彼女は本当に大人っぽいなぁと思う。
同級生にもかかわらず、既に5歳くらい、高校生と社会人くらいに歳の差を感じるのだ。
それは長く伸ばした髪の毛だとか顔立ちから来るものではなく、話し方とか考え方とか1つ1つの姿がそう思わせるのだろう。
だんだんと彼女の理論が当たっているような気がしてきた。
となると、私は────。
喫茶店から出た私たちは住んでいる家の方向が違うので、すぐに別れることになった。
「また勉強と従妹ちゃんのこと教えてね、先生」
「うん。また相談お願いします、先生」
そうやって笑いながら私たちはそれぞれの帰路につく。
だが、少なくとも私の心は笑ってはいなかった。
それは決して負の感情を抱いているのではなく、これから有栖に電話して真剣な話をしたいがための緊張と決意に溢れているのだ。
この熱が冷めてしまわない内に告白してしまおう。
もちろん、拒絶される怖さはあるが、今のまま止まっていることに私自身が満足できていないのだからやるしかない。
あまり騒がしくない場所に移動して画面に有栖の番号を表示させる。
だが、幾度となくかけた番号なのに、今回は“発信”のボタンが押せない。
「落ち着いて、落ち着いてー私」
何度も自分に言い聞かせながら、ラジオ体操の最後のように深呼吸を何セットかする。
4セットほどした後、私は再び画面と向き合った。
その時、急に着信が入った。
「わっ」
完全な不意打ちだったので、思わず電話を地面に落としそうになる。
確認してみると、それは有栖の携帯からだった。
「き、来た……!?」
こちらから電話をしようかどうか迷っている間に、有栖の方から電話がかかって来るなんて予想していなかった。
それまでの決意とか、やんわりと考えていた話の計画とかが全て吹き飛んでしまう。
しかし着信を、有栖からの着信を無視するわけにはいかないので、とりあえず電話に出ることにする。
「もしもし、有栖?」
「すみません、小鳥遊先輩ですか!?」
私の言葉を遮るように発せられた言葉の持ち主は、有栖ではなく私の知らない相手だった。
いや、その声を私は聞いたことがある。
「…………あの、どちら様ですか? 有栖の携帯なのに……」
「す、すみません! 吹奏楽部1年の霧崎です!!」
その名前を聞いてただでさえドキドキしていた心臓が更に跳ねた。
最近は有栖だけではなく、別の意味で彼女のことも意識していたからだ。
どうして有栖の携帯から彼女の声が?
どうして霧崎さんが私に電話を?
そこに有栖はいるの、一緒なの?
様々な疑問が私の頭に浮かんで、埋め尽くしてしまいそうだった。
しかし、霧崎さんの次の一言でそれらは全て一蹴されてしまう。
「大変なんです、捧部長が練習中に倒れてしまって!」
「え……」
言葉を失ってしまう。
有栖が倒れた?
電話を落としてしまわないように、何とか手に意識を保ちながら霧崎さんの言葉を待つ。
「今、保健室です。お忙しくなければ来ていただけませんか?」
「分かった、保健室だね」
電話を切ると、自分の体が震えていることに気が付いた。
落ち着いてと脳で必死に命令しても、それは止まってくれない。
「有栖……」
今、私に出来ることは何か。
それは彼女の元に1秒でも早く駆けつけることだ。
その結論が出た時、体の震えがスッと引いてくれた。
「ラクロス部の本気、出さなきゃ」
最後に色々な感情をコントロールするために、もう1回だけ深呼吸をして私は学校へ走り出した。