部長たちと手相占い
好きな人をいつも見ていないと不安になるのは、私にストーカーの気質があるからなのか。
湯船につかりながら考えた結果、よく分からない結論に達してしまった。
どうも1人でいると考え事が多くなってしまう。
1人暮らしをしていると会話をする相手がいないので自分と対話するしかないため仕方ない面はあるのだが、それではなかなか答えが出ないので、結局は同じことで悩むハメになってしまう。
宝物が入った金庫が目の前にあるのに、それを空ける鍵も持っていなければ暗証番号も知らないので、中に入っている物を取り出せないのと同じだ。
「お風呂の時くらい、なーんにも考えずにリラックスしたいなー」
誰に当てたわけでもない独り言が浴室によく響いた。
最近の私は入浴時に考え事ばかりしている。
その中心になっているのはいつも彼女のことだ。
こんなに人のことを好きになったのは初めてなのだから。
今まで人を見てカッコいいなとか良い旦那さんになるだろうなと思うことは何回かあった。
告白だってされたことはある。
それでも付き合ってみようとは思えなくて断ってきたし、告白してきた人のことが頭に残ってしまうことも無かった。
別に相手が悪かったわけではないことは確かなのに誰とも付き合わなかったのは、やはり有栖の存在が大きかったのだろう。
私が好意を持ったり持たれたりする人は全員、私の中での有栖という存在を越えられなかったわけだ。
実際に口にすると周りから引かれてしまうかもしれないけれど、もし同性婚が常識レベルで許される世界ならば、まず一番に有栖へ求婚すると思う。
それは彼女に対して性的に興味があるわけではもちろんなく、単に一緒にいて楽しくて、リラックスできる存在だからだ。
そこまで考えて、再び思考が暴走していることに気が付いて自重する。
「あんまり考えすぎるとのぼせちゃうから止めよ……」
こういうことは考えたって堂々巡りになるだけなのだ。
ならいっそのこと決断を迫られる時まで何も考えない方が良い。
今の私には答えを出す知恵も決断する勇気もないのだから。
「あ、ふぅちゃん」
放課後、今日は部活が無いので帰宅しようとしていると、背後から声をかけられた。
名前の呼ばれ方で私を呼んだのは誰か分かるのは、ふぅちゃんという呼び方は彼女しかいないからだ。
振り返って見ると予想通り、有栖と同じクラスの赤羽根さんだった。
「ねぇねぇ、暇してる? 数学で教えて欲しいところがあるんだけど」
「ちなみに何の単元?」
「微積の宿題なんだけどね。どうしても解けなくってさー。噂によると、ふぅちゃんはこの前のテストで98点だそうじゃない? ぜひとも教えてもらいたいなーって」
どこから聞いたのか、私のテストの点が流出してしまっている。
営業マンのように手を揉みながら、こちらを伺ってくる赤羽根さんは話術のスキルに秀でていて、言葉遣いがとても巧みだ。
「いいよー、部活無いし」
「ほんとっ!? よし、じゃあ早速教室に入ろ!!」
私が了承するやいなや、すぐに手を取って教室に案内される。
気が変わらない内に迅速に行動するところも、この前ドラマで見た敏腕営業マンそっくりだった。
教室には数人の生徒が残っているだけで、閑散としている。
私は、彼女が座った後ろの椅子を引く。
引きながら、こんな一瞬でも、有栖の席を探してしまうのが私の悪い癖である。
同じクラスで、いつも有栖の様子を見ることが出来る赤羽根さんが羨ましい。
「先生、お願いします。ここなんですけどー」
「あ、ここねー。私も間違えたことあるよー」
そんな流れで始まった簡易数学教室は10分ほど続いた。
そこまで長くならなかったのは、私の教える技術のおかげではなく、彼女の理解能力の早さのおかげだろう。
いわゆる勉強が出来る人のグループに赤羽根さんは属していると思う。
授業を聞いているだけで、テスト勉強無しに点が取れそうだね、と指摘すると彼女は、勉強嫌いだし、と苦笑いをしていた。
「高校生は勉強以外にやるべきことがあると思うよ」
やれば出来るけれど、やる気が無い人らしい。
悪く聞こえるかもしれないが、宝の持ち腐れと言ったところか。
「ありがとう、ふぅちゃん。よく分かったよ。流石学年トップだね」
「てへへ、褒めても何も出ないよぉー」
「どーも数学は苦手なんだよねー。算数まではスラスラだったんだけど。何をアルファベット出してんだバカ野郎って感じだよ」
「そうそう。あと、2次関数とかでグラフが曲線になったりー」
「算数まではかろうじて実生活に役立ちそうだったけど、三角関数なんて役立つこと皆無だし。私って役立たないことをするのってあんまり好きじゃないのよねー」
先生には聞かせられない数学への文句に花を咲かせたところで、赤羽根さんはジュースを飲みに行こうと私を誘った。
断る理由も特に無いので、付いて行くことにする。
玄関とは反対側の昇降口から出た場所にすぐある自動販売機の一画には誰もいなかった。
彼女は財布から何枚か小銭を入れると、奢るよ、と言ってジュースを選ばせてくれる。
缶のミルクティーのボタンを押すと、ガラガラという音と共に冷たい缶が出てきた。
彼女はカフェオレのボタンを押す。
私たちはさっきの教室に戻ることにした。
「こうやってふうちゃんと歩くのって初めてだね」
道すがら、彼女はそう言った。
考えてみれば、私の放課後といえばラクロス部に直行するか、有栖と遊んでいるかの2択である。
我ながら偏った高校生活を送っているなと改めて思った。
「そうだねー、お互いに部活で忙しいからー」
何となく、有栖の名前を出すことに躊躇して部活のせいにしておく。
横を歩く彼女はテニス部所属で、確か部長だった気がする。
一回、体育の授業でテニスをしている姿を見たことがあるが、とてもカッコ良かった。
「そういえば、ラクロス部。この前の大会で上位だったらしいじゃない? 何でも天才少女が入部したとか」
羨ましそうな彼女の言葉で思い付くのは1人しかいない。
ラクロス部で天才、しかも新入部員と聞けば思い浮かぶのは1人だ。
「月野さんのこと?」
「そう、その月野さん! スゴいんだって? 成績優秀スポーツ万能で可愛くて性格も良いってウワサの」
「うん、スゴいねー。あんなに何でも出来る人間はドラマか漫画の中だけだと思ってたよー」
赤羽根さんはそこでボソボソと何かを呟いたが、よく聞こえなかった。
「赤羽根さん?」
「いや、我がテニス部にも天才少女が現れないかなーって」
「ラクロス部の私が言うと嫌味っぽく聞こえるかもだけど、なかなか無いよーそんなことは」
「まぁね。ウチの新入部員たちも頑張ってくれてるから、部長の私が愚痴っちゃうとバチが当たる」
テニス部にも良い新入部員が入ったのだろう、その口調はどこか満足気だった。
吹奏楽部目当てで白百合に入学してくる生徒が多いので、その他の部活動は良い人材を入部させるのに必死だ。
だが、ラクロス部は運良く月野さん以外も優秀な人材が入部してくれた。
その結果が秋季大会での良い成績につながったのだと思う。
部長同士で部活トークを続けていると、先程まで数学教室が開かれていた教室に帰ってきた。
相変わらず部屋には人数が少ない。
元の席に座ると、赤羽根さんは手に持った缶をこちらに向けて来た。
その様子からして、乾杯をするらしい。
「ラクロス部とテニス部の今後の発展を祈って、乾杯!」
「かんぱーい」
有栖以外と過ごす放課後も意外に悪くないと思った。
赤羽根さんは話が面白くて、特に楽しい。
「あ、そうだ。お礼に手相見てあげるよ」
「お礼、もらったよ?」
ミルクティーの缶を振って見せたけれどそれを無視して、最近凝ってるんだよねー、と言いながら彼女は私の左手を取った。
手のひらを見せると、できたしわをじっくりと観察し始める。
「きれいな手をしていますね、お客さん」
「そう? うれしいなー」
本当の手相占い師のように営業トークを挟みながら彼女は観察を続けた。
1分ほど手のひらを見たり、しわを指でなぞったりする。
少しの沈黙、そして一言。
「悩みがありますな、ふぅちゃん」
「え!?」
赤羽根さんは私の目を覗きこんだ。
急なことで驚いてしまう。
彼女は突拍子もないことを言って、人を驚かせることに楽しさを感じている節があった。
「どうして分かるのー?」
「手相、手相」
手相はそこまで万能ではないはずだが。
しかし、人の手相は何日か周期でどんどん変わっていくと聞いたことがあるので、あながち間違ってないのかもしれない。
「当たってる?」
「半分当たりでー、半分外れかなー」
「と言うと?」
「悩んでいるのは私じゃなくて、私の従妹だから」
当然だが、従妹なんて嘘だ。
何となく気恥ずかしくて、架空の従妹をでっち上げておとりにする。
「まぁ、それでもいいや。聞かせてよ」
彼女は座り直して、私の目をジッと見た。
「そんな、改まって話すことじゃないよー」
私は適当に誤魔化そうとしたけれど、妙に真剣になっている彼女の前では無駄なことだった。
観念した私は架空の従妹を盾に、自らの悩みについて所々フィクションを交えながら相談し始めることにした。
「私──の従妹の話なんだけれど、その子は同じ学年の子が好きみたいなんだけどね。相手はすごく人気者みたいで」
「ふむふむ、イケメンなんでしょうな」
赤羽根さんは悩みの相談相手というよりは、事件について情報を得る探偵のような反応をしてくる。
私の嘘を見破ろうとしているのではないかと感じられて、少し話しにくい。
「私は実際に会ったわけじゃないんだけどね、とにかく人気らしくって。従妹はその子とは親しい仲みたいで」
「おー、ナイスアドバンテージ。おいしい立場じゃない」
「何回か、家に遊びに行ったこともあるみたい」
「それってもう彼女じゃん。やるねー、ふぅちゃん従妹」
やはりそうなるのだろうかと一瞬だけ流されそうになるが、あくまでそれは男女関係だからそうなるだけで女同士ならごく普通であることを思い出す。
「でも最近、その子に可愛い後輩が出来たみたいでねー。従妹と仲が良いその子はクラスが違うから、後輩の方が長い時間会ってることが気になるんだってー」
「恋のライバルが登場したわけですな」
目を閉じた状態で何回か頷いた赤羽根さんは、話の内容を咀嚼して味わうように理解していく。
意外と詰まらずに嘘が並べられたことにホッとした。
探偵さんはおでこに人指し指を当て、考える仕草を見せる。
少しの沈黙の時間が流れた後、もう1度椅子に座り直した彼女は今までとうってかわって真剣な表情だった。
「そういう場合はねライバルのことを知るべきだと思うのよ」
「ふんふん」
「もしかして従妹ちゃんの勘違いかもしれないし、予想通りかもしれない。それを知らずにあれこれ考えるのは非効率なのよね」
「相手を知ることが大切と」
そう考えてみれば、確かに霧崎棗が有栖のことを好いていると確定したわけではない。
白百合学園は女子校だが、そうそう同性同士でカップルが出来ることなんてないと思う。
そうなると、ここ数日間私が頭を悩ませていたのは全くの無駄ということになる。
「なるほどー。確かにそうだよねー」
「だから、従妹ちゃんには、まずは相手を観察するのだ、って伝えといて」
「うん、伝えとくよ。手相占いありがとうございましたー」
「報告待ってるねん」
そう言い残して、彼女は手を振りながら部屋から出て行った。
気が付けば、教室にいるのは私だけになっている。
「ライバルのことを知るべき……か」
彼女の助言のおかげで、なぜか今なら何でも行動できる気がした。
私は時計を見て、まだ部活動が半ばであることを確認すると、音楽室を目指すのであった。
私は前々から持っていた興味と、有栖を知りたい気持ちにどうしても抗えなくなり、加えて赤羽根さんの言葉を免罪符にして音楽室をこっそりと覗いてみることにした。
有栖にこのことは伝えていない。
私に見られているからといって彼女は指導方法や練習態度を変える人間ではないけれど、いつもそこにいないはずの人間に見られている状況は誰だって緊張するものなので、迷惑にならないように隠れて観察させてもらうのだ。
音楽室は授業以外では使用しないので、学校生活2年半を迎えた私でも新鮮味がある。
私がドアの隙間から部屋の様子を見始めた時、吹奏楽部は先のコンクールの課題曲を全体で合わせているところだ。
レギュラー全員が集まっているのだろうか、見た限りだけでもかなりの人数が部屋にいる。
これでは有栖のことを探すのも一苦労だと最初は感じたが、10秒も経たない内に見つけることができた。
部長である彼女は楽器を持った部員の集団にはおらず、指揮者の横で全体に指示を飛ばしていたからである。
楽器のことには詳しくない私であるが、大体楽器の種類ごと、金管なら金管、木管なら木管で固まってくれていたので、霧崎棗の姿も発見できた。
彼女の場合、輪の中にいても目立つような美貌によるものなのかもしれないけれど。
「じゃあ、1回合わせてみようか」
パンパンと手を叩いて、有栖はレギュラー全員をコントロールすると、自分も持ち場であるフルートパートに移動する。
課題曲は私でも聴いたことがあるクラシックの曲だった。
確か、何かのCMに使われていた気がする。
だから、聴いたことがあるといっても曲名は知らなかった。
レギュラー1人1人が真剣な眼差しで、自分の楽器の力を最大限に引き出そうと演奏している。
CMで聴いた時と遜色ない旋律が音楽室で奏でられていた。
演奏はだんだんと盛り上がっている。
どうやら曲が終盤に近付いているようだった。
演奏は最大の盛り上がりから、指揮者の合図で音楽室は静寂に包まれた。
すぐに有栖が手にフルートを持ったまま、部員の前へスタスタと歩き出る。
技術的なことはよく分からないが、隠れていることも忘れて拍手を送りそうになるほど見事な演奏だった。
これならコンクールでも良い成績を残せるのではないだろうか。
「全然ダメ、0点」
しかし、それはあくまで素人意見だった。
有栖は短くそう告げると、息を少し吸い込んで長々と話を始めた。
全体の調和が取れていないという指摘から始まり、それから技術面に続き、最終的には各楽器パートのダメ出しになった。
自分も輪の中に入って演奏をしているにも関わらず、よくそこまで指摘できるなと思ったが、レギュラー全員が真剣にそのアドバイスを聞いている(メモを取っている部員もたくさんいた)ので、当てずっぽうで文句を言っているわけではなさそうだ。
つまり、自分の演奏をしながら全体を聴いて分析していたのである。
「とにかく、このままだと辞退した方がマシだから。各自、次の合同練習までに努力するように。この後、各楽器のリーダーは準備室に集まって」
そう言い放つと彼女はレギュラーたちには一目もくれず、準備室へ歩いて行った。
有栖が部屋から出て行くとすぐに残された部員たちの空気が、一気に弛緩することがわかる。
休憩時間になったのだろう、私が覗いているドアに部員たちが近づいて来る。
このままでは覗き見していたことがばれてしまう。
私はドアから慌てて離れると、近くにあるトイレの個室に隠れるのだった。




