トリプルアクセルと新作クレープ
「この公園に来るのも久しぶりだね。変わってないな」
「そうだねー。1年ぶりくらいじゃないかなー」
私達は学校から少し離れた場所にある公園に来ていた。
混んでいるバスではなく、徒歩での移動だ。
商店街と反対側に位置するこの公園は歩いて10分くらいの距離にある。
運動部の私ならこのくらいの距離は楽勝だが、文化部の有栖はもしかすると辛いかなと考え、バスを使うならともかく徒歩でここまで来ることは遠慮していた。
しかし有栖は、
「吹奏楽部で肺活量を鍛えるためにランニングをしているから大丈夫。文化部舐めないでよね、体力ないように思われるけどトレーニングしてるんだから」
と自信満々だった。
流石、鬼の吹奏楽部長なだけある。
その言葉通り有栖の体力は凄く、私とほぼ同じペースで公園まで歩いて来た。
彼女のことだから、部活動以外でも自主的にランニングをすることもあるのだろう。
文化部舐めないでよね、ではなく捧有栖を舐めないでよねの間違いではなかろうか。
着いた公園は本格的な物ではなく、ただベンチと砂場とブランコとシーソーがあるだけの小さなものだ。
シーソー……朝の変な夢を思い出してしまった。
もうこの年になって乗ることは無いだろう。
少し考えてみても、別に乗りたくなかった。
今は人がいないので、私と有栖の2人だけの小さな公園は余計に寂しく見える。
でも、有栖と私の貸し切りということに胸が躍ってしまう。
別に、何かいかがわしいことをするわけではないのだが。
「よく遊んだなぁ、この公園。あの時は何にも考えないで全力疾走してたね、明日のこととか考えずにさ」
「そうだねー、服が汚れるのも気にしなかったでしょ?」
「あ、そうか。楓花はあんまり参加してなかったね」
小学生の有栖はとても活発で、クラスの男子と混じって泥々になるまで遊んでいた。
対する私は内向的な性格だったので男子と混ざって遊ぶことはなく、座って有栖が遊んでいる様子をただただ眺めていた。
今考えると遊んでいる輪の中に参加していく方が絶対に楽しいのに、自分が体を動かさなくても楽しかったのは何故だろう。
有栖が楽しそうだったからだろうか。
笑顔で走り回る彼女を見ていると、こちらまで楽しくなってくる。
孫を見守るおばあちゃんの様な感想で少し年を取った気分になるし、同級生をどんな視線で見ているのかと困ってしまうが。
幼少時期の記憶を思い出したのか、有栖はバレリーナの様にぐるぐると踊り始めた。
特に小学生の頃、バレリーナごっこをしていたわけではないし、彼女がバレエを習っていたわけでもない。
懐かしさから気分が開放的になっているからだろう。
「こうやって、はしゃいで。悩みなんて何もなかったし」
童心に帰った彼女は子どもの様にぐるぐると回る。
右足を軸に2回転ほどした後、その場で少し飛んで、再び回る。
「ねえ、トリプルアクセル出来るかな?」
「えー無理でしょー。あれはプロがやる技だってー」
普通の地面だと氷ほど勢いもつかないだろうし、そもそも女性で3回転半ジャンプを跳べるのはプロのフィギュアスケーターでも一握りだった気がする。
普段ならば有栖の方が、無理でしょとツッコミを入れる立場なのに、懐かしさから来るテンションアップと解放感は恐ろしい。
「1回やってみる。見ててね」
「はいはい。怪我しないようにねー」
孫を見守るおばあちゃんの気持ちで有栖の挑戦を見守る。
少し助走をとって、強く地面を蹴り上げた。
宙を舞う肢体は、1回転して着地する。
とても、3回転半には届かなかった。
「あはは……やっぱ、無理だね」
バツの悪そうに笑う有栖。
しかし、私は成功したか、していないかには気を取られていなかった。
スピードを付けて、しかもジャンプしながら回るものだから、その勢いでスカートがふわっと浮き上がった一部始終を見ていたからだ。
ひらひらと舞うチェック柄のスカート。
膝上10センチの短いスカートが浮き上がると何が起こるか。
そのことを有栖は予想できていなかった。
「……白かー」
「へ…………っ!?」
最初は何のことについて言われたのか理解していない様子だったが、少しだけ時間が流れると、白という色が何を指しているのか分かったようだ。
バッと、急いでスカートを押さえる有栖。
なんだろう、この可愛い生き物は。
「み、みた?」
「えー見てないよー」
「嘘っ、白って言ったじゃない」
白とは反対の沸騰するように赤くなった顔でこちらへと詰め寄ってくる。
両肩に手を置かれて、ぐわんぐわんと揺らされた。
そこまで勢い良く動かされているわけではないが、このまま続けられると、流石に気持ち悪くなってしまうので言葉で制止する。
「まーまー、大したことじゃないよー。今まで何回か見たことあるから」
「もうっ、楓花ったら!」
逆効果だった。
より事態が悪化してしまう。
体育の授業で一緒に着替えることがあるので、偶然目に入ったことくらいある。
別に同性だから普通だと思うし、私は有栖の事が好きだけれど欲情したりはしない。
…………まぁ、嫌な物を見たわけではないので、一応忘れないでおくけれど。
「有栖、落ち着いてー」
「え!?」
こうなったら最終手段だ。
肩を掴む手を剥がして、彼女をあやすように抱き付いて頭を撫でる。
顔をじろじろ見ながら続けると、恥ずかしさと嬉しさが混ざったような表情でこちらを見つめてきた。
私の方が、背が高いので自然と上目遣いで見られる形になる。
トータルして全てがどうにも可愛くてたまらないので、永遠に続けたくなる。
「ふ、うかぁ……」
「なーに?」
「や、やめ……」
「聞こえないなぁ」
恥ずかしくて死にそうなのか、物凄く弱い力で私の抱擁を解こうとする。
それに気が付いているけれど、有栖の身体や髪の感触が気持ち良すぎて、止める気にはならない。
もちろん、この間も撫で続けている。
本当に嫌ならば、もっと力を入れて抵抗するだろう。
特別、私の拘束は強くないし、有栖にもこれくらいならば逃げるだけの力はあるはずだ。
「それはそうと、苦しくない?」
「………………」
美容師が、痒い所はありませんかと尋ねる様に柔らかい口調で聞いてみると、言葉も無しに首を縦に振る有栖。
公園の真ん中で私に抱かれる彼女はとても幸せそうだった。
こんな姿を吹奏楽部の後輩が見たらどう思うだろう。
特に霧崎さんとかが。
そんなことを考えていると、心の中に黒い感情が流れ込んできた。
その正体は、嫉妬だろうか。
「あ、霧崎さんだ」
「え」
今まで幸せそうにしていた彼女の顔色が変わる。
赤から青へ。
アルカリ性を示すリトマス試験紙に似ていた。
「こんにちはー霧崎さん。さっきぶりだね」
「!? 楓花はなしてっ」
「ん? あぁ、霧崎さんもよく知ってる人だよ」
「ふーかっ!!」
明らかに抵抗の色を見せる有栖。
そこまで大声を出されると、流石に解放しなくてはならない。
私から自由になった有栖は周りを物凄いスピードで見渡した。
「ど、どこ? ってあれ、誰もいない……?」
「えへへ、冗談だよー」
「は?」
真っ青だった顔が、途端に無表情になった。
どうやら、今の状況が飲み込めていないらしい。
「ごめんねー、有栖が可愛いからつい意地悪しちゃった」
「き、霧崎は?」
「いないよー。霧崎さんどころか誰も」
「良かったぁ…………はああぁぁ……もう楓花!」
100%安堵の気持ちを込めた溜め息と私に対する怒りが溢れて来るのが分かった。
ポカポカと私に弱いパンチを繰り出してくる。
「何でそんな意地悪するのよ! 本気で焦ったんだからね、もう楓花のバカバカ!!」
「ごめんったらー」
それを手のひらで受け止めながら、こんなに表情豊かな有栖が見られるのであれば、たまにはこうやってからかってみるのも楽しいなと思ってしまう悪い私だった。
「ほらー私が悪かったからー。謝るからー、この通り」
「ふん、楓花のばか」
あれから、すっかりヘソを曲げてしまった有栖のご機嫌を取ることに苦労していた。
とりつく島もないといった感じで、いくら話を振っても乗ってくれない。
それだけ肝を冷やしたのだろう。
確かに、いつも厳しく指導している後輩の前でデレデレしている姿は見せたくない。
実際に見たことはないが、有栖が吹奏楽部員から、“鬼”と呼ばれるまでの振る舞いを取っているならば尚更だ。
「クレープおごるからー」
「いーや許さない!」
好物を登場させても機嫌を取るのに失敗する。
腕を組んで、目すら合わせてくれない。
よっぽど怒っているのだろう。
こんな時、押すだけでは問題は解決しない。
同じアプローチを何回続けていても、意味がないことは往々にして有り得ることだ。
時には角度を変えてみることも必要になる。
では、このシチュエーションではどうするべきか。
押して駄目なら引いてみるのが定石だろう。
そして、私の知る限りでは、その定石は有栖に通用するはずだ。
「なら、クレープいらない?」
「………………え」
そう“与える”のではなくて、“取り上げてみる”のだ。
明らかに心が揺れ動くのが分かった。
音なんてするわけ無いけれど、ぐらりという効果音が耳に届いてくるようだ。
本当に怒っていたら私を置いて家に帰っているだろう。
それをしないということは、それが本当の怒りではない裏付けとなる。
つまり、近い未来に許してくれるということだ。
それが分かれば話は簡単。
これでも、小学生の頃からの付き合いだ。
こんな時の対策は いくつか考え付く。
有栖の心は十分に揺れている。
このチャンスを逃さないために次の1手を放つ。
「確か、近くのクレープ屋さんの新作が今週からだったような」
デート用に調べておいたクレープ情報が役に立った。
本来今日はあまり長く遊べなかったので、公園でクレープというプランを立てていたのだ。有栖の家事用に体力を使わない計画になっている。
有栖は腕を組み直したり足を何回か鳴らしたりした。
何かを考えている時に、彼女がする癖である。
「………………いる」
「じゃー買いに行こうかー」
これで仲直り成功だ。
有栖は腕組みを止めて、まだ恥ずかしいのか私の横には並ばずに、少し前を歩いた。
それを無理に追い付くのではなく、一歩引いたところで追いかける。
いつもの様にベッタリするのではなく、たまにはこの距離感の方が新鮮で楽しかった。
近所の店でクレープを購入した私達は、再び小さな公園へと戻って来ていた。
相変わらず誰もいない公園の木製ベンチに座る。
秋といえども、まだまだ暑い太陽に照らされているのでベンチはそれなりの温度だった。
「じゃ、いただきます」
「どうぞー」
先程の悪ふざけに対する謝罪の念も込めて、クレープは私の奢りだ。
右手に持った3種のベリーミックスクレープを、グラスで乾杯するように軽く持ち上げた有栖が笑った。
私も抹茶と小倉クリームのクレープを一口。
「おいしい~おいしい~」
有栖はおいしい~と呟く機械と化していた。
出会った頃から、有栖はクレープが大好物で、特にベリー系には目がない。
捧有栖を攻略したければ、クレープについて学べ。
私が勝手に作った格言である。
最も、有栖とクレープを繋ぐ関係について知る者は少ない。
それは彼女が意図的に隠しているからで、本人曰くイメージ的に合わないかららしい。
そこまで肩に力を入れる必要はないと思うのだが、有栖自身はそういったイメージに気を使っている。
威厳というものはそこまで大事だろうか。
私にだけ見せてくれる一面があるのは嬉しいが、誰に対してでも、もう少しリラックスして欲しい気持ちもある。
普段から忙しくしているのだから、気持ちまで張りつめているといつか倒れてしまうのではないかと心配してしまう。
「有栖はクレープ食べてる時が一番幸せそうだねー」
「え、そうかな?」
一心不乱にクレープを頬張っていた有栖は私の一言に首をかしげた。
「それは流石に言い過ぎだと思うけれど。他にも楽しいこととか、幸せな瞬間はあるし」
「えー言い過ぎじゃないよー。いつも、おいしい~って何回も言いながら食べてるよ?」
「マジですか……」
有栖の顔にポッと朱がさした。
その反応を見るに、おいしい~と連呼していたのは無意識だったのだろう。
「今度から気を付けよ……」
「そんなに落ち込まなくても良いんじゃないかなー」
急にちびちびとクレープをかじり始めた有栖に、つい苦笑いをしてしまう。
視線が下を向いて、居心地悪そうに咀嚼を続ける。
「だって恥ずかしいし」
「私は嬉しそうに食べる有栖が好きだよー」
「そ、そうかな?」
有栖は食べるのを止めてしまった。
クレープと私の顔を交互に見つめては、顔を赤くしたり、うーとかあーとか唸り声をあげたりする。
それが少しの間続いた後、ふん切りがついたのか、元の食べ方に戻った。
一口クレープを頬張り、
「おいしい~」
と笑う有栖。
私からすると、この有栖の方が好きだ。
好きな人には笑っていて欲しい。
「ふふふ……」
つい、こちらまで笑顔になってしまう。
この公園で走り回る有栖を見て笑っていた子どもの時と変わらず、今もクレープを頬張る彼女を見て笑っている。
シーソーの夢は、このことを暗示していたのだろうか。
有栖に一生触れられないという意味ではなくて、触れなくてもこちらが笑顔になるという意味だったと考えれば気分も明るくなる。
きっと、私は有栖を見ているだけで幸せなのだろう。
それ以上は深層心理の中で望んでいないのかもしれない。
「楓花」
「ん、なに────」
考え事をしていて不意をつかれたのか、何の気なしに有栖の方を向くと気が付いた時には有栖の顔が目の前にあった。
そして、いつの間にか2人の体が密着していたと思えば、 温かくて少しざらざらしているものが私の唇のすぐ横をなぞった。
「ひぇ?」
一瞬何が起こったのか分からなくなる。
意識は覚醒しているはずなのに、寝起きで何かされた時の様に有栖の行動が認識できなかった。
「クリーム、付いてるよ」
「あ、うん」
有栖の笑顔に対して、素っ気ない言葉しか出ない。
クリームってなんだっけ、と意味のわからない場所で止まった思考が動かない。
そんな感じで混乱していると、有栖に溜息を吐かれてしまった。
「楓花……せっかく私がさっきまで辱しめられてきた仕返しをしたのに、スルーって酷くない? 私だって多少は恥ずかしいんだよ」
その言葉がスイッチになったのか、はたまた有栖の恥ずかしさの混じった怒り顔がトリガーなのか。
正確な部分は分からないけれど、取り敢えず私の心臓がドクンとペースが変わったことだけは、はっきり認識した。
「あ、やば……」
どうしよう。
今起こったこと全てを理解してしまった。
嬉しさとか恥ずかしさとかドキドキとか、色々な気持ちが雪崩の様に押し寄せてきた感覚だ。
その場に立っていられない、目眩の様な症状。
手に持った抹茶クレープを思わず落としそうになる。
有栖と体が密着した部分と、彼女が私の顔についたクリームを舐め取った部分が焼かれる様に熱い。
自分を保てるか自信が無い。
有栖の仕返しは効果絶大だった。
私が今まで彼女の優位に立つために色々な手段で稼いできたポイントを、一撃で楽々逆転された。
「楓花、大丈夫? 顔赤いよ」
赤くしたのは誰だと言い返す余裕すら無い。
覗き込んでくる有栖の顔さえまともに見られない。
今すぐ立ち上がって、公園中を走り回りたい気持ちを必死で抑える。
「へ、平気だよー」
全く平気ではない声色で返事をする。
多少、変に思われるのは仕方がない。
何度も言うようだが、有栖が可愛い過ぎることが原因なのだ。
この後、公園を出てから有栖が夕飯の為の買い物をするスーパーの前で別れるまで、私は彼女の顔を直視できなかったし、声が耳に届いてくる度に心臓の鼓動が強くなったのだった。
捧有栖、恐そるべし……。
体にかけ湯をして、湯を張ったバスタブへと爪先からゆっくりと浸かる。
肩まで浸かると、ほうっと息が漏れてしまった。
今日は有栖と長い間一緒にいたので、1人の家に帰るといつもより寂しい。
しかしお風呂というのは、そんな寂しさを紛らせてくれる存在だ。
「今日は楽しかったなぁ……」
有栖と出掛けることは、何時でも楽しいが今日は特別だった。
唇の横を人指し指でなぞる。
何も付いていない場所のはずなのに、触れるだけで胸がドキドキした。
「やっぱり……そういう意味で好きなんだろうなー」
さっきまでは触れなくても満足だと思っていたが、やはりそれ以上を私は求めてしまっている。
クリームを舐め取られた時、驚いたし照れたけれど、それ以上に嬉しかった。
唇のすぐ横だったが、マウストゥーマウスでキスをしてみたいとも考えてしまった。
有栖はどうなのだろう。
抱き着かれても嫌がらなかったり、クリームを直接舐め取ってくれたりする辺り、ある程度の好意を抱いてくれているのだろう。
その場の勢いでキスくらいなら出来るかもしれない。
しかし、果たして私が思っている好きと有栖の好きの水準は同じだろうか。
「…………有栖」
1人だけの浴室で呟くと、どこか寂しい感じがした。
でも、それ以上に何だか嬉しい。
それだけ、私は彼女のことを愛してしまっているのだろう。
だから、霧崎さんに嫉妬するし、有栖に触れられればドキドキする。
思いを伝える、伝えないは別として1日でも長く一緒にいられたら良いなと思った。
「なにしてるかな……」
きっと、弟妹達の世話だろうなと笑いながら、湯船から出た。
次回の投稿は少し間が空くかもしれません
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