Episode3.正しい【のど飴】の作り方。
穏やかな風が心地よい陽気。赤月の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々続く風格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のような、どことなく異彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
まあ、今回のお話にお店は関係ないのですけどね。
「わぁ……すごい……」
王都ミランドから数日の距離を馬車で南下してゆくと、そこには娯楽都市として賑わう、リンケージという都市が存在します。
わたしが珍しく気を利かせて、たまには息抜きも必要でしょうとレフィを誘ったところ、レフィは何か裏があるのではないのかと当日までふるえて過ごしていましたが、ここまできてやっと実感がわいたのでしょう、目を輝かせながら周囲に視線をいったりきたりさせています。
リンケージのイメージは、でこぼこの街といったところです。
その一つには文化様式が入り乱れている、というものが大きくあげられるでしょう。
連日多くの人が行きかうこの都市は、その関係上、明確化された文化というものが存在しません。
一部、都市西方の居住区だけは例外ですが、それ以外の区画は良くも悪くも雑多な文化が持ち寄られ、露店の見た目や売られている品物はもちろんのこと、建築物の外観ですらまちまちです。当然、行き交う人たちの格好もばらばら。冒険者風の格好の男性やふりふりのドレスを着た少女。眼帯に黒い手袋をしたうつむきがちな少年や果てにはスイカの着ぐるみを着た人なども存在します。
しかしスイカて。果物の着ぐるみってシュールすぎますね。
そんな中をきょろきょろ、きょろきょろ……とレフィは落ち着きなく目を輝かせています。
わたしの店で働き初めてから今日まで、遊びに出ることなんて今までありませんでしたからね、無理もないです。
ふと悪戯心が沸くというのも仕方ないものでしょう。
もしここでわたしがひとこと「さて商売でも始めましょうか」と言ったらさぞかしショックを受けるでしょうねこの娘。
涙目になるレフィの顔を見るためだけに言ってみたくなるものですが、今回ばかりは容赦しておいてあげましょう。
「あ! リリアちゃん、見て、あっちにおいしそうなクレープ売ってるよ! ――あっ、あっちもすごーい! きれいなアクセサリー!」
「子供ですかあなたは。あっちこっちうろうろして……仕方ないですね。はぐれると面倒ですから、手を繋いでいてください」
そう言ってわたしはレフィに手を差し出します。
金髪のふわふわしたこの娘は、仮にわたしがさっさと先に歩いていってしまってもしばらく気が付かないで騒いでいそうですし。
「え……」
しかし帰ってきたのは驚嘆の声と、ぽかんとしながらわたしを見る視線でした。
「どうしたのですか?」
問うとレフィはわたしが差し出した手をじっと見て、顔を赤らめながらおどおどとこう言いました。
「えっと…………あ、あの、いいの?」
……なにがいいのでしょう。
そんな初めて殿方と手を繋ぐような緊張した面持ちでこちらを見ないでください。恋する乙女ですかあなたは。わかっていますか? わたしとあなたは同性ですよ?
わたしはそっと差し出してくるレフィの手を乱暴にとりました。
「行きますよ」
「わ……」
そう言って手を引くと、レフィは顔を赤く染めていました。
だから何故顔を赤らめるのでしょうか。妙にうれしそうですし。変な薬でも飲んだのでしょうかね。
「今日のリリアちゃんはなんだかやさしいねっ」
「わたしはいつでもやさしいですが」
そう返すと、レフィは酷く微妙な顔をして、
「…………そうだねー」
間を開けてそう言いました。
「そうです。それに迷子になったら、放送して呼び出してもらえると思わないことです。放置して帰りますよ」
「ひぇ……」
そう言うと、レフィは握った手を強く握り返してきました。まったく、この娘は自分がどれだけ天然でどじなのか、自覚させる必要がありますね。
「で、でも珍しいよね。リリアちゃんがお店を開けてまでこんなところまでくるなんて」
「そうですか?」
「そうだよ?」
お店を臨時休業して閉めてきたのに、お店を開けてここまで来るとはいかに?
レフィの言い方には色々と引っかかるところがありますが、わたしだって遊びたい時くらいあります。……なんてことは実際二の次だったりもしますが。
「まあ隠しても仕方ないですし、本当のことを言いましょう。チケットが贈られてきたのですよ。わたし宛に」
レフィは「チケット?」と不思議そうな顔。
そう。ことの始まりはつい一週間ほど前のことです。
「リンケージで毎週演劇を行っている有名な劇団から、わざわざわたし宛に手紙とチケットが送られてきたのです。なんでも、演劇で歌う【歌姫】の声の調子が良くないとのことで、容態の確認と治療の魔法道具を作ってほしいと」
しかしそもそもの話として、治癒術で人を助けるヒーラーや、医者とは違い、魔法商人であるわたしの仕事は魔法道具を作り顧客から金を巻き上げることです。なので最初は断ろうと思っていたのですが、少し考えて、わたしの気は変わりました。依頼が終われば色々と見て回ることも出来るでしょう。半分は仕事で、半分は遊びにという気持ちでこうしてやってきたという訳です。
肩から掛けているポーチの中には、いくつかの素材と魔法道具が入っています。
「そっか、そうなんだぁ、お仕事だったんだね」
よかった。と続きそうなニュアンスで言って、レフィはなぜかほっとしたような息を吐きました。おや。その反応は予想外ですよ? 落ち込まないのですね。
「レフィはどんな失礼なことを考えていたのでしょうね」
なので、少し意地悪をすることにしました。
「べ、べつにリリアちゃんが考えてるようなことぜんぜん考えてないよ!?」
「わたしが考えているようなこと、とはどんなことですか?」
「え、えっと、それは、その……」
レフィは視線を右往左往させ困惑顔です。
ええ、その反応ですよ。求めていたのは。
そんな風にわたしがレフィをいじって楽しんでいると、なにやら周囲の人々が騒がしくなったような気がしました。心なしか黄色い声援も飛んでいるような。
「失礼いたします。あなたが魔法道具販売店リリアーヌの店主のリリア様でしょうか」
ふいに少し離れたところからわたしの名前を呼び、そのままこちらに歩いてくる金髪の男がそう言いました。
百八十はあるだろう背丈に、さわやかそうな印象の美形。先ほどの声援もこの人に向けられたものでしょう。となると、やはり、
「ふむ……あなたはもしや、幻想演劇団の者ですか?」
わたしは問いに問いで返しました。予想はつきますがまず自分の名を名乗らずに人の名前を聞く人間には注意しないといけません。商売人ともあればなおさら。相手を無条件で信じるお人よしでは、この業界やっていられません。わたしの信条は騙される前に騙せですし。
「ああ、これは失礼いたしました。はい。僕は幻想演劇団の団長をつとめさせていただいております、キャロル=フォーカスと申します。以後、お見知りおきください」
そう言って幻影演劇団の長、キャロルと名乗った男はわたしに手を差し出しました。
客観的に見て、身長差的に人買いに手を取られてつれられてゆく少女の図に見えないこともありません。
「わたしはリリス=クレスメントです。そしてこの娘はレフィーナ=アーシア。……わたしの助手みたいなものですね」
けれどもキャロルと名乗った男が美形なだけに、そういう印象は薄いもので。手をとって握手を交わしながら隣を見るとレフィは「わ、わたしが助手……」なんて喜んでいました。
はて。こういうのをなんていうのでしたかね。そう。調子に乗っている。
お招きいただいたのはわたしだけなので、あなたは助手ということにして同行を許可させようというはらですよ? レフィ。
「お二人とも、はるばる遠路、ご足労ありがとうございます。歓迎いたします」
そんなわたしの思惑など介せず、キャロルはさわやかな笑顔を浮かべてそう言います。
笑顔の作り方がやはり様になっていますね。劇団の長ともあればやはり処世術に長けているということでしょう。
「ええ、歓迎されてあげましょう」
対するこちらは謙遜という名の建前で取り繕った台詞だけで、特に笑顔を作ろうとはしません。作り笑顔は苦手なのです。作り笑顔でなくても苦手ですが。
そのまま立ち話も何なのでということで、わたしたちは揃って近くの洒落た飲食店に案内され、そこで詳しい事情を聞くことになりました。
「さて、話をお聞きしても良いでしょうか」
イスに座って注文をすませた後、わたしはさっそく本題を切り出します。
「はい。けれどもその前に、リリア様、レフィーナ様、ここまで来ていただいたこと、重ね重ねお礼を申し上げます」
おおう。真摯な態度、嫌いではないですよ。わたしは少し気分がいいです。出会いがしらにもかなり持ち上げられていましたしね。
「わっ、リリアちゃん、様! レフィーナ様だって!」
そしてわたし以上に超うれしそうですね、この娘。
あまり調子に乗るなと釘を刺そうかとも思いましたが……まあいいでしょう。今日はやめておいてあげます。気分が良いので。
「気になさらず結構ですよ。半分は観光がてらでもありますので」
「そうですか……けれども本当にありがとうございます。しばらくの休演は決まっているとはいえ、モニカの落ち込みようは見るに耐えませんから……」
キャロルの言うモニカというのが歌姫なのでしょう。一応来る前に幻想演劇団に関係する記事を流し読みしてきたのでその名前は知っていました。
様々な魔法を演出に使い、幻想的な光の舞台を作り上げ、歌姫の歌に合わせて進行する演劇は見る者を魅了するといいます。さらにモニカという女性は見た目も美しいらしく、リンケージではかなりの有名人だとか。
「……あの、まず一つだけ、質問を良いですか?」
そんな考えを頭の片隅で転がしていると、珍しいことが起こりました。
レフィが初対面の男性に質問をするという珍事。いったい何事でしょう。助手だと紹介されて無駄にやる気でもだしたのでしょうか。
「はい、どうぞ」
「キャロルさんは、その……モニカさんとつきあっているんですか!?」
けれどもレフィが放った質問に、さしものわたしも意表をつかれ、あっけにとられてしまいました。ノリの良い人ならば思わずずっこけるくらいの話の脱線っぷり。いきなりなにを聞き出すのでしょう、この娘。どういう話のぶったぎり方ですか。
「あの、それは……」
困ったようにキャロルはわたしを見ました。それはそうでしょう。依頼とはまったく関係なさそうに思えるプライベートな質問をいきなりされたのですから。
しかし、依頼を頼んだ魔法商人の助手、という肩書きがあれば、もしかしたら何か関係があるのではないだろうかと思い悩んでしまうのもしかたないでしょう。
「はふぅ……レフィ。その質問は、今回の依頼と何の関係があるのですか」
わたしがため息を一つ吐いてやれやれな気分でそう聞くと、レフィは、
「関係大ありだよ! だって、有名な幻影演劇団の噂の中でも、トップシークレットなんだよ?」
目を輝かせて、そう言いやがりましたよ。言い切りやがりました。単なるミーハー根性でした。この娘、もう置いて行っていいでしょうか?
「もうあなたは黙っていてください。出来れば依頼が終わるまでずっと」
「そ、そんなっ!?」
冷たい視線を送るとレフィはさも意外そうに驚きました。この娘はいじめられたくてわざとやっているんじゃないのでしょうか。それともそう思うくらい空気読めないのですかね。
「あはは、面白い人たちだね……。うん。けど実際のところさっきの質問の答えはNOです。僕とモニカは付き合っていない。……そうなりたいとは思ってはいるんですが、ね」
わたしとレフィの会話を聞いていたキャロルはそのやりとりが面白かったのか、さわやかに笑って律儀にも答えてくれました。
落ち込みかけていたレフィもその言葉ですっかり回復して目を輝かせていますし、もうなんというか、わたしに仕事をさせてくださいと切実に思いました。
「さて、もういいでしょう? 話を本題に戻しましょう」
まだ何か聞きたげなレフィの鼻先を制して、わたしはキャロルに向きなおります。
「その歌姫、モニカという女性の声の調子がおかしくなったのはいつぐらいからですか?」
「モニカの声の調子がおかしくなったのは、ちょうど先月のことです」
「調子が悪いというのは、具体的にどのようなものですか」
「声がかすれてしまっていて……普通の会話ですら聞き取りにくくなってしまっている感じ、とでも言えば良いでしょうか……」
「声がおかしくなったことについて、何か理由などに心当たりはありますか」
「……いえ、僕には見当も付きません。モニカに聞いてもふさぎ込んでしまっていて答えてくれませんし、様々な治療法や、ヒーラーに治癒を依頼したりもしましたがどれも効果はありませんでした……」
キャロルは顔をしかめて答えます。
ヒーラーを呼び寄せるなど、結構お金がかかるでしょうに。それだけモニカという歌姫は幻想演劇団にとって大切な存在なのでしょう。
声を封じる魔法を使う魔物も存在しますが、その効果の大半がほんの一時的なもので、一月もかかりっぱなしになるということはまずあり得ません。それに声を封じる魔法の場合は先ほどキャロルから聞いたような症状とは違い、まったく声が出せなくなるものです。
唯一、呪いという可能性もありますが、呪いならばヒーラーが原因を特定できていなければおかしいので除外。となると、
「ふむ……とにかく見てみないことには何もわからなさそうですね。案内をお願いできますか」
何をするにもやはり本人を見て詳しく聞いて見ないことには検討のしようもありません。
わたしがそう言うと、キャロルは「わかりました」と頷いて、揃って店を出ました。
そして再び歩くこと十数分。
露店通りを抜けて進んでゆくと、段々雑貨店や道具店が少なくなってゆき、まばらな間隔で飲食店や宿泊施設、食材店が増えてゆきます。
なんとなく宿泊施設のどれかだと当りをつけていましたが、そんな様子もなく先に進むキャロルを見て、わたしはおや? と小首をかしげます。
「幻想演劇団は、居住区に住まいを構えているのですか?」
「ええ。昔は街を転々としながらの公演だったのですけど、一昨年になってやっと軌道が安定してきて、なんとか拠点を持つことができました。といっても、借りているだけですけどね」
「なるほど」
そういってキャロルは謙遜しますが、わたしとしては十分すごいことだと理解しています。娯楽都市リンケージに住まいを構えるなど、いったいいくらの維持費がかかるのか、想像に難くありません。
「それにしても……」
そう前置いて、キャロルは続けます。
「二人は本当に仲が良さそうだね。まるで姉妹みたいだ」
「そ、そうですか!? ふふ、リリアちゃん、わたしとリリアちゃん姉妹みたいだって!」
さわやかな笑顔を浮かべながらのキャロルの発言に悪意はないのでしょう。けれどもまたレフィが調子に乗り始めたことに、思わずため息が漏れます。
確かに見た目は姉妹に見えないこともないかもしれませんね。手を繋いでいますし、銀髪と金髪の見目麗しい姿は姉妹と間違えても仕方ないでしょう。客観的に分析してわたしはそう思う反面、隣できらきら目を輝かせるレフィを見ると、これと姉妹に見られるとは……と残念でしかありません。
「ちなみに、どちらが姉でしょうか」
「えぇー! わたし、わたしが姉だよね?」
わたしの質問に反応したのは問いを振られたキャロルではなく、レフィでした。
「レフィ、聞き分けのないことを言うのはやめてください」
たしなめるわたしは完全にお姉さんモードでした。
「で、でもわたしの方が年上だし!」
「すいませんね、キャロル。レフィがはしゃぎすぎてしまって」
「いえ、気にしてないですよ」
「あ、あれ!? 話を聞いてすらくれてない!? あ……でもリリアちゃんがお姉ちゃんっていうのもいいかも。……リリアお姉ちゃん? はぅ……」
後ろの方でもだえながら、レフィがなにやら怪しくぶつぶつとつぶやいていますが、わたしはもう無視する事に決めました。なんか背筋が凍るような独り言ですし。
これはひょっとして一ヶ月ほど前に飲んだ薬の影響だったりするのでしょうかね。いえ、レフィがちょっとアレなのはいつものことですね。……忘れましょう。
「レフィ、おいていきますよ」
しかし本当にはぐれられるとやっかいなので、わたしはまだ後ろで自分の世界に入ってしまっているレフィに声をかけます。
「いやんリリアちゃんそんなこと……っ、はっ、ま、まってー、リリアちゃんー!」
そういって走って寄ってくるレフィを見ながら、わたしは小さなため息を一つ、こぼしました。
「ここがうちの楽団が借りている建物です」
辿り着いた先は勾配がなだらかな斜面をUの字に囲うように建つ立派な洋館でした。
「わぁ……素敵な洋館ですね」
ともすればお城とも言えなくもない風格ある洋館に、レフィが素直に感嘆します。
「はしゃぐ気持ちもわかりますが、ここからはあまり口出ししないでください。レフィが話に加わると話が進まない恐れがあるので」
「う……はい……ごめんなさい」
少しきつめの口調で言うと、レフィはわかりやすくしょんぼりと肩を落としました。
本当にこの娘は喜怒哀楽がわかりやすくていいです。それでこそ弄りがいがあるというものですしね。
「中にモニカが居るのですね?」
そう言ってわたしはキャロルに視線を送ります。
「……はい」
キャロルは重く頷き、扉を開きます。
立派な洋館に反して中は薄暗く、人の気配があまりしない洋館はどこか薄気味が悪い気がします。どこかからの依頼で屋敷に住まう亡霊、例えば泣き女などを討伐してきてほしいと言われてきたかのように。いえ。さすがにそれはいいすぎでした。
ぱちん、キャロルがスイッチを入れると、屋敷に光が灯り、そんな空気は即座に霧散してゆきました。光量によって人が受け取る感覚というのは面白いものですね。
「そういえば、他の団員はどこにいるのですか?」
「ああ、他の皆はそれぞれ出稼ぎに行っているんですよ。……お恥ずかしい話ですが、ここ一か月ほど演劇の収入が無いもので」
そう言って苦笑するキャロルと共に洋館にはもはや定番と言ってもいいほどの赤い絨毯の上を歩き、二階へと進み、奥の扉の前でわたしたちは立ち止まります。
「ここが、モニカの部屋です」
「では、失礼します」
間髪入れず、わたしは扉に手をかけノブを捻り勢い良く扉を開け放とうとして――ガッ! と鍵に阻まれ「ちっ」と舌打ちをしました。
「ちっ、って! リリアちゃん今、ちっ、って舌打ちした!?」
何故かレフィが大声を上げてツッコミを入れました。
おかしいですね。わたしは何もおかしなことはしてないはずですが。
キャロルの方を見ると、意外や意外、彼もレフィと同じように驚いた顔をしていました。
「ダ……ダレ……デスカ……」
しかし次の瞬間、一番驚いたのは恐らくわたしだったでしょう。不覚にも、扉の奥から聞こえた声にドキリとしてしまいました。
まるで人が発したと思えないほど、掠れて不気味に聞こえる声でした。
「リリアちゃんの驚き顔……」
ぼそりと呟いたレフィのボディにわたしはこぶしを叩き込みます。なんというか、条件反射でした。
「はうっ!?」
最近どんどんこの娘は打たれ強くなってきている気がします。そろそろわたしも本気を出さなければいけないようですね。
膝をつくレフィに、そこでおとなしくしていてください。と蔑んだ視線を送り、わたしは扉に向き直ります。
「失礼。わたしはリリア=クレスメントです。王都ミランドで魔法道具販売店を営んでいる者です」
「…………」
わたしがそういうと、少しの沈黙の後、かちゃりと鍵の開く音がしました。
「ありがとうございます。ああ」
言って入ろうとしたわたしは、扉を開けてまたいだところで立ち止まり振り返ります。
「どうしたんですか?」
心配そうな顔をするキャロルと、いまだうずくまるレフィに、わたしは言い放ちます。
「あなたたちは下で待っていてください。ここからはわたしの領分です。それに薬を調合するとなると邪魔にもなりますので」
その言葉にキャロルは少しだけ考える素振りを見せて「……はい、わかりました」と頷き、「うぅ……わ、わたしは一緒に……」と未練がましく追いすがるレフィの目の前で、わたしは扉を閉めて鍵を閉めました。
足音が去ってゆくのを見送って、暗い部屋の中、わたしは灯りのスイッチを入れます。
光に照らされて映し出されたのは、赤。
歌姫モニカの、燃えるような赤い髪でした。
日に焼けていない真っ白な肌に、赤く長い髪。勝気そうな釣り目がちな瞳は伏せられていて、美しいと呼べるであろう均整な表情を悲哀に歪ませています。
「――さて、単刀直入に聞きましょう」
テーブルに備え置かれた椅子に座るモニカの正面に立って、わたしはひとさし指を立てて続けます。
「何故あなたは、声が出せないふりをしているのでしょうか?」
しん……と静まった空気の中。
「……ドウ……シテ」
蚊の鳴くような小さな掠れ声で沈黙を破ったのはモニカの方でした。
「単なる消去法です」
最初からおかしいとは思ってはいました。
「医者やヒーラーに見せて原因が特定できないというのはまず有り得ることではありません。外傷や呪いなどの外的要因が絡んでいないなら、答えは内的要因。恐らく招かれたヒーラーもそういう判断をしたでしょう。心を蝕む侵蝕が次第に身体にも進み変調をきたすという病。本人の内側から発生する心因性の病の可能性を考えたはずです」
「…………」
モニカは視線で先を促します。
「しかし、それも『魔法元素』の流れを見ることのできるヒーラーや魔法使い、魔法商人が見たらわかるものです。もちろん、わたしが知らない呪いや未だ世に出ていない不治の病の可能性も考えましたが、もしそうであればそうで対処法を持ってきましたので」
そう言ってわたしは、ポーチの中から、豪奢に彩られた一本の小瓶を取り出します。
黄金の液体がたゆたうその魔法道具の名は、
「――エリクシルです」
「っ……!?」
モニカの瞳が驚愕に見開かれました。
エリクシルは、どんな傷でも癒し、どんな病でも治し、時間が経過し過ぎていない限り死者ですら甦らせることが出来ると呼ばれている神秘の霊薬です。
モニカが驚いたのは無理もないでしょう。
「っ……アナタハ……」
「ドラゴンを屠ったのはわたしではないです」
竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の名誉を与えられるべきは、その素材を取ってきた者にのみ贈られるべきです。もっとも、
「素材を取ってきた人は、もう墓の中ですけどね」
世界最強の存在と呼ばれるドラゴン。それを屠ることが出来るほどの冒険者など、歴史をひもといても一名しか存在しません。
「この魔法道具には命を懸けた人の、誰かを救いたいという想いが詰まっているのです」
「…………」
「素材を取ってくるために、愛する人の為に死を覚悟でドラゴンに挑んだ英雄。永久の命を求め、命を賭して果の炎に焼かれた愚者。深淵に潜り狂人となってまで希望に縋った賢者。――わたしはこの魔法道具を作る為に死んでいったそれらの人の名前を忘れることはないでしょう」
ふいに、レフィの顏が脳裏に浮かびましたが、わたしはすぐにモニカに視線を向けて問います。
「誰かを助ける為に死んだ命に目を逸らしてまで、あなたにはこの薬を飲み干すことが出来ますか?」
「…………」
モニカはうつむきがちにじっとエリクシルを見つめ、ゆっくりとその手がのばされたかと思うと途中で力なく腕が落ち、
「……ごめんなさい」
透き通るような声で、そう言いました。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何度も何度も、涙を流しながらモニカは謝り続けます。
それは恐らく、わたしに対してだけではなく、もっと違う何かに対しての謝罪でもあったのでしょう。
「理由をお聞きしても、良いですか?」
酷な話かと思いましたが、わたしはモニカに促します。
「…………はい」
涙を拭きながら、モニカはそう言ってぽつぽつと語り始めました。
幻想演劇団は始め、数人の劇団と呼ぶにもおぼつかない小さな集団でした。
その中で創意工夫を凝らして何とか注目を集めてゆくうちにメンバーも増えて劇団と呼ばれることが出来、やがてこうして他都市にも知られる有名な劇団へと成長することが出来たらしいです。
けれども、彼女はふとした拍子に怖くなってしまったのです。
幻想演劇団の主軸となっているのが、自分であるということに。
自分だけの為に歌っているのならば、辛いことがあっても自分だけの問題で立ち上がれる。強くあればいい。練習すればいい。歌い続ければいい。それだけの話だと。
けれどもモニカは、自分が背負っているものが、自分自身だけではなく幻想演劇団の全員の人生だということに気が付いてしまった。
その恐怖がモニカから、最初の声を奪ってしまったのです。
調子が悪くて歌えないことで演劇団がここ数か月も演劇を休止しているというのも、相当なプレッシャーになったのでしょう。
彼女が居なければ演劇団は回らない。けれども引き際なんて初めから存在しない。
いまさらどう言い出せばいいのか。
嘘を抱えたまま過ごす自責の日々は、さらにモニカ自身を追い込んでしまったのです。
「いまさら……わたしがどうすればいいのかなんて……」
そう嘆くモニカの瞳に、再び涙が溜まります。
「はふぅ……本当に、わたしの周りには……」
こういう世話のかかる人が多いのでしょうかね。年齢的にはわたしが一番年下のはずなのですが。このモニカという女性も、どう見ても二十代前半でしょうし。
「それで結局、あなたはどうしたいのですか?」
「……わたしがいまさらどうしたいかなんて選べるはずが……」
「そういう自責とか周囲の視線とか気にせず、打算的な夢物語をお願いします」
理想を語れなくなったら、人は終わりだと思いますしね。
わたしがそういうと、モニカは沈痛な面持ちのまま暫しの間考えて、
「わたしは…………」
消え入りそうな声で、けれども確かに、
「…………歌いたい」
涙交じりの声で、はっきりそう言いました。
「――そうですか。では」
わたしはエリクシルをポーチになおし、代わりに琥珀色の飴玉を一つ、取り出しました。
「……それは?」
「このドロップは、踏み出すことが出来ないあなたの声を取り戻す為の『魔法道具』です」
そう言って、わたしはポーチの中から液体の入った試験管を取り出し液体をカップへと注ぎ、その中にドロップを落とします。
「人は誰しも些細なことで不安になるものです」
飴玉はカップの底に到達すると、ぱきりと割れて砕け、液体へと浸透してゆきます。
「けれどもあなたが再び歌おうとする意志はあなたのものです。打ち明ければ真剣に悩んでくれる人も居るでしょう。例えばキャロルとか」
そう言うとモニカはわからないといった表情で少しだけ首をかしげました。
ふむ。報われませんね、キャロル。
くるりくるりと、置いてあったティースプーンで液体をかきまぜた後、わたしは琥珀色の液体から視線をはずしてモニカへ笑顔を向け、
「それでもまた怖くなったなら、その時は魔法道具販売店リリアーヌまでどうぞ。とっておきの『魔法道具』を用意して、お待ちしておりますので」
そう言いました。