Episode0.魔法道具販売店リリアーヌへようこそ
はらはらと、はらはらと、穏やかに雪が降る雪花の月の下旬。
これまでにないほど意識がクリアなその日。
目を覚ました金髪碧眼の少女、レフィーナ=アーシアは自分の身体の変化に心の底から驚き、呆然とした表情でベッドの上に佇んでいた。
その時小さなノックが二つ、「入りますよ」と声をかけたにもかかわらず返事を待たずに入ってきた少女は、まるでショウケースから抜け出してきたかのような、お人形のように奇麗な銀髪の女の子だった。
「――おや、目を覚ましていましたか」
鈴を転がしたように響く銀髪の少女の声。
「どうですか、体調は」
ふわふわと、ふわふわと、まるで夢の中のように軽い身体。
まるで今までの病気が嘘のように、息を吸っても咳が出る気配なんて一切なく、病気そのものが無かったかのように寝込んでいたはずの身体は衰弱している様子もなく、むしろ健全そのものだ。
「ぁ……わた……その……」
レフィーナは不思議すぎる体調の変化に驚き、尋ねられた銀髪の少女に言葉にならない言葉を返した。
「落ち着いてください――どうぞ」
ベッドの隣に備え付けられた机の上の水をコップに注ぎ、銀髪の少女はレフィーナに水を手渡す。ふと触れた小さな手は、雪のように冷たくて久しく人の手の感触を忘れていたレフィーナは、触れた『人の感触』に、あることが脳裏に浮かぶ。
「あ、あの、その……」
どくん。心臓が大きく脈打った気がした。嫌な予感が警鐘を鳴らす。
銀髪の少女と目が合った。銀髪の少女……リリア=クレスメントは初対面のはずなのにどこか重い面持ちで、レフィーナを見ている。
……何故、そんな憂いを帯びた顏をしているの?
問うべきはそれではない。言葉は唇からこぼれない。
……何故、知らない少女がわたしと兄の家に?
問うべきはそれではない。疑問は心から去りえない。
では、何を?
――何故、兄はここにいないの?
当たり前の疑問。レフィにとって兄は自分の人生と同義だ。
だから問いかけてはいけない。問いかけてはいけない。問いかけてはいけない。
レフィーナの頭の中で誰かがそう繰り返す。
けれども疑問は、衝動は止められない。
「――兄は……?」
言葉は発せられたのではなく、ただただ唇から、心から、零れ落ちただけだった。
たった三つの言葉の疑問に、リリアは細く息を吐いて瞳を閉じる。
「あなたの兄、グレンヘイス=アーシアは――」
リリアの言葉を発する雰囲気で、レフィーナは悟る。
それでもリリアは、自らの責務を全うするかのように言葉を続ける。
「――もうこの世界には、いません」
その言葉に、レフィーナはくらりと目の前が真っ暗になった。
数時間後、再び目を覚ましたレフィーナはリリアの話を聞きながらずっと涙を流していた。
グレンヘイス=アーシアが自分の為にドラゴンを倒しに行って、そして見事ドラゴンを倒したけれども自分も死んでしまったこと。リリアがそのドラゴンの血からエリキシルと呼ばれる秘薬を作り出し自分の病気を治してくれたこと。治癒の反動から一週間、目を覚まさずに眠り続けていたこと。その間にグレンヘイス=アーシアがドラゴンを倒した伝説の英雄として王都ミランドで祭り上げられていたこと。
そして……。
「ヘイスは、言っていました。俺に何かあったら、妹をアンタの店で働かせてやってくれ、と」
それはヘイスがリリアに託した最後の依頼だ。
ヘイスは最後の最後まで妹のことを思い、妹の幸せを願っていた。
元気になったら世界を知ってほしいと思っていた。
本当ならば自分が妹に世界を見せてやりたかった。けれどもそれは叶わない願い。
自分が見てきた世界は、ちょっとばかし誇張も入っているし普通の女の子が自分で見に行けるほどやさしい世界ではない。だから妹にはやさしい場所で世界を知り、その先は……望むなら自分の足で世界を見て欲しい。そう、思ってリリアに妹を託したヘイスは、しかし直後にリリアが「わたしは厳しいので泣いて折れなければいいですが」と台無しなことを言ったことで少々不安になったものの、それでも彼女ならば安心して任せられると思った。
声を上げ、泣き腫らした目を何度もこすり、そのたびにまた涙がこぼれてを繰り返すレフィーナにはリリアの言葉は聞こえてはいたが、即座に反応する余裕など存在しなかった。
リリアがもう少し人の心に対して空気が読めてやさしい性格をしていれば、泣きやむのを待ってから提案することも出来ただろうが、この時リリアはまだ13歳で、さらに彼女はヘイスの人選が間違っているのではないだろうかと思われるくらいに商売以外で人付き合いというのがつくづく苦手なのだ。
「どうしますか」
再度の問いかけに対してレフィーナは、涙を流しながらなんとかリリアを見る。
リリアがレフィーナに語ったのは、客観的に見た事実だけであり、ヘイスがどう思っていたのかなどは本人にしかわからないことだ。
レフィーナからすれば、ヘイスはずっとずっと自分の為に冒険をして世界の話を聞かせてくれていたやさしい兄だが、自分が好きだからやっていることだからと言われてはいたもののやはり兄を縛り付けているのではないかという罪悪感も心の深いところにあった。
もし自分が居なかったら、兄はもっと世界を謳歌出来ていたんじゃないだろうか。
兄に聞いた物語はどれも幻想的で、わざわざこんな鳥かごの中の現実に戻ってくる必要もないくらいに輝かしいものに聞こえた。
もっと広い世界を見て、どこへでも行って、もしかしたら助けたという亡国の姫と一緒に幸せにだってなれたかもしれない。
それなのに最後は妹である自分を助ける為にドラゴンに挑んで命を落としたのだ。
そんなのって……それなのに……。
再び涙が溢れそうになるレフィーナに、リリアは伸ばした手の所在を求めて迷い、泣き出しそうな彼女を見て、とつとつと語り始める。
「――ヘイスは、言っていました」
「……え?」
それは、ことあるごとに何度も店にやってきては無駄話をして去って行った、レフィーナの知らないヘイスの一面。
「自分には病気の妹が居る。妹は外を歩くことも出来ないくらいに身体が弱いから、俺が代わりに外の世界を見て、聞いて、戻ってきて、そうして冒険話を聞かせると喜んでくれるかわいい妹が居ると、彼は言っていました」
リリアにとっては、ただの家族自慢で暇な時間にとはいえ延々とそんな話ばかり聞かされるなど、正直その時は拷問でしかないと思っていたくらいだが、それでもその家族の自慢話はヘイスにとって恥ずかしいからとレフィーナの前では絶対に言うことのなかった、彼女が知らない兄の一面の話で、
「他にも、本当はもっと世界を見てほしかった。自分ばかりが外の世界を見て、なんで妹は外の世界を見ることすら出来ないのだろうかと」
ふとした時にヘイスがリリアにこぼした、世界を呪う言葉。
レフィーナもそのフレーズは聞いたことがあった。その時ヘイスは別のことも言っていた。
「っ…………」
「もし、彼がここに居たらこう言っているでしょう」
レフィーナは、そう言って自分を見るリリアの後ろに、亡き兄の姿を見る。
『もしも病気が治ったら、世界を見に行こう』
「……っ……う……」
何度も何度も聞かされた、兄の願い。交わした約束。
しかしその兄はもう居ない。
世界を見に行くと約束した相手はもう居ないのだ。
レフィーナは零れ落ちる涙を止めることが出来ずに俯いた。
俯くレフィーナにリリアは言葉をかける。
「ヘイスはやさしい場所で世界のことをゆっくり知って欲しいと言ってわたしにアナタを雇うように依頼したのです。だから、わたしの店で世界を勉強してみるのはどうですか」
けれどもまだ交わした約束は、リリア=クレスメントに託されて続いている。
伸ばされる小さな手。
差し伸べられたその手を今度こそレフィーナは取る。
「……お願い、します」
掠れた声で小さく……けれどもはっきりと聞こえる声で、二人の約束に引かれるままにレフィーナ=アーシアはその日、新しい一歩を踏み出した。
それから三日が立ち、まだまだ寒い雪花の月の終日、レフィーナは引っ越しの準備を済ませて家の前で長らく外から見ることがなかった我が家を眺め見ていた。
病気が治り元気になった身体はまだ本当に自分のものなのだろうかと思う位に違和感があるが、それでも自らの足で立ち、歩くことが出来、激しく動いても大丈夫だと知った時、知れず涙が零れ落ちた。
兄の死を悼み枯れるほど流したと思っていた涙だったが、そんなことはなかったらしい。
「お待たせしました。おや、少ないですね。それだけですか?」
「……うん」
そんなことを考えているとリリアがやってきて、レフィーナは彼女に連れられてやってきた運搬の仕事をしているであろう筋骨隆々とした男たちに荷物を渡した。
「家具とかも運んでもらえますが、良いのですか」
「……うん、いいの」
そう言うレフィーナの胸中には色々複雑な思いが渦巻いているのだろう、感傷を振り切るように少しだけ頭を振って目を伏せる。
運搬の男達は大き目のカバンが一つだけで、他に持っていく荷物はないというので少々拍子抜けしたようで手持ち無沙汰そうだった。
「では、こっちはゆっくり向かいましょうか」
「う、うん」
頷いてレフィーナは先を歩くリリアの少し後に付いて緩やかに進むスロープを下ってゆく。
一つ角を曲がればもうそれはレフィーナの知らない世界だ。
すれ違う人々はみな知らない顔ばかりで、向こうも見たことのない顏のレフィーナを不思議そうに見ているが、レフィーナはそれどころではない。
歩くたびに流れてゆく景色。肌寒い風が、頬を、髪を撫でて緩く吹いてゆく。
等間隔で並ぶ街灯が、小さな荷台を引いて歩く老人が、どこからか聞こえてくる喧噪が、全てが何もかも初めての経験で、外を歩くことがこんなに新鮮なことなのだとレフィーナは驚く。
「どうしましたか?」
「あ……う、ううん、すぐ行きます」
いくつかの角を曲がって居住区を過ぎると、俄かに街が活気を増す。どこからか客を呼ぶ声が聞こえてくるようになり、ちらほらと露店商人などが目に付き始める。
見たことのないアクセサリーの類や、いくつもの箱にまとめられて並べられた果物。武器の類を売っている店もあれば、ガラクタにしか見えない何に使うかわからないものを売っている者もいる。
兄からの話にだけ聞いていた世界が今レフィーナの前に広がっていて、色が無かったレフィーナの世界に急速に色が溢れてゆく。
王都の話なんて嫌というほど聞いた。どこに何があり、どういう店があり、どういう果物があるか。
「あっ」
ふとレフィーナの目に、串焼きの屋台が映る。
病弱だったレフィーナは、本当に身体の調子が良い時以外、病人食しかまともに食べたことがなかった為、ついふらふらと誘われるままにそちらに歩いてゆきそうになるところでリリアが気付き手を取って止めた。
「どこ行こうとしているのですか?」
「あ、あの……えっと……」
ちらちらと、串焼きの屋台を見ながら口ごもるレフィーナを見て、リリアはなるほどと合点がいったのか、はふぅ……と溜息を吐いて手を取ったまま串焼きに似た食べ物の屋台までゆく。
「2本欲しいのですが、いくらですか」
「あいよ、2本で4イェンだよ」
「はい」
「まいどー!」
流れるような動作で取引を済ませたリリアは、ぽかんとするレフィーナに向かって1本の串焼きを差し出す。
「何をぽかんとしているのですか。要らないのですか?」
「あ、お、お金……!」
「要りませんよ。たいした金額じゃないですし、どうぞ」
急いでポケットから財布を取り出そうとするレフィーナを制止し、リリアは強引に串焼きを手に持たせる。
柔らかそうなお肉にタレが塗られて焼けた匂いは暴力的なほどに鼻腔を擽り、レフィーナは隣で小さく串焼きをかじるリリアを見て、自分も同じように串焼きをかじる。
途端、口の中で肉汁が弾ける。
うまみが口全体に広がり、思わず手に持っていた串焼きを落としそうになり、慌ててしっかりと握りなおす。
「何をしているのですか……」
呆れた顔で見られても、レフィーナに答える余裕はない。
一口、また一口と串焼きをかじり、一気に全てを食べ終わった後、
「……おいしかったよぅ……」
そのあまりの美味しさにレフィーナは万感の思いで呟いた。
リリアにしてみればただの買い食いで何度となく食べたことのある味ではあるが、レフィーナにとってはそうではない。
身体が弱かったころ、レフィーナは普通の料理を食べることが出来なかった。
特にお肉などもってのほかだ。薄味でならば食べられるには食べられるが、その後必ず体調を崩して辛い日々を送ることになる。
それだけにこうしてしっかりと味付けされた焼き立てのお肉というのは、レフィーナにとってはほとんど初体験だったのだ。
見れば串焼きの屋台の店主すらも呆然と見ており、リリアも少し驚いた顔をしている。
「お、おう、うれしいこと言ってくれるねお嬢ちゃん! よし、ほらもう一本おまけだ!」
気前の良い串焼きの屋台の店主がそう言って、レフィにもう一本串焼きを渡してくれる。
「あ、ありがとうございます!」
レフィはこれまでで一番目を輝かせてお礼を言い、串焼きを受け取りおいしそうに頬張って幸せそうな声を漏らす。
食欲というのは実に偉大だった。
リリアなど、この娘餌付けしたら楽に話せるんじゃないかと考え始めている顏をしている。
「はふぅ……そろそろ行きましょうか」
しかし今日はそうゆっくりしている暇はない。運搬の男達が店の前で待っているはずだ。
名残惜しそうにするレフィーナにリリアは「これからいっぱい食べられますから」と伝えると、レフィーナは期待に満ちた表情を浮かべていた。実にちょろかった。
そしてまた歩くこと数十分。
レフィーナがあちらこちらに目移りするせいで時間がかかってしまったにもかかわらず、運搬の男達は店の前でしっかり待っていた。
「おまたせしました、今開けます」
男達に囲まれると、リリアの小ささが際立つが、リリアはそんなこと知っちゃことではないと隣をすり抜けcloseの札がかけられた取っ手の鍵穴に鍵を差し込み開ける。
からんころん……。
扉に備え付けられたベルが鳴り、入口が開かれる。
開店していないので店内は薄暗いままだが、リリアは運搬の男達を招き入れて二階の部屋の一つに荷物を運んでもらう。
レフィーナも促されるままに店の中に入り薄暗い店の中に並ぶ薬品らしき小瓶をもの珍しそうに眺め見ている。
実際、レフィーナはこれまで魔法道具など見たこともなかったので珍しいのだろう。
「さて、あなたの部屋はこっちですよ」
「あ、うん」
リリアの言葉に反応して、招かれるままにレフィーナは二階へと向かいあてがわれた部屋を見る。
「わ……」
「一応片付けはしましたが、少し埃っぽいのはご愛嬌です」
広めの室内はリリアが言うほど埃をかぶっている様子はなく、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。部屋の側面に本棚でも置いていたのか僅かに床に跡が残っているが、大した問題でもない。
「ここはわたしのお爺さんの部屋で長い間使っていませんでしたし、本はわたしの部屋に移したので後は自由に使って良いですよ」
そう言ってリリアはさっさと下に降りて行ってしまう。恐らく、運搬の男に給金でも渡しているのだろう。
少しの間部屋の前で中を見てぼーっとしていたレフィーナだったが、はっと我に返って部屋の中に入るとベッドの傍にカバンを置き直して所在無さげにうろうろとして、結局リリアを追って一階に下りる。
「降りてきましたか」
一階に下りると、そこにはもう運搬の男の姿も無く、カウンターにある椅子に座っているリリアがレフィーナに気が付き肩越しに言った。
「えっと……」
なし崩し的な感じに住み込みで働くことが決まったが、レフィーナは仕事などしとがないので何をどうすればいいのかもわからない上に、ずっと家の中にいたから圧倒的に知識が足りないのだ。色々なものを勉強していかなければならない。
「何をすれば……いいのかな」
言葉使いもそのうちの一つだろう。リリアは自分に対しては特に敬語などを使えと言うつもりはないが、それでも接客業なのだからお客様にまで同じ対応は困る。
少しは敬語が使えそうではあるが、前途多難なことには変わりは無く。
「そうですね……とりあえず」
リリアは椅子から立ち上がり、レフィーナの隣を抜けてカウンターの前に立つ。
リリアの立つカウンター前からは店の中が見渡せて、棚から少し離れているためちょっとしたスペースがある。ちょいちょいと手でリリアに促され、レフィーナは横に一歩ずれてリリアの正面に立つ。
「ようこそ、魔法道具販売店『リリアーヌ』へ。店員を雇うなんて初めてですが、よろしくお願いします」
リリアはそう言って一礼してレフィーナを見る。
「こ、こちらこそよろしくお願いしますっ!」
そうして彼女は魔法道具販売店『リリアーヌ』の店員となったのだった。
やってきた最初は内向的だったレフィーナも、外の世界への興味から貪欲に知識を吸収してゆき、数カ月経つ頃には表面上はすっかり明るくなった。
けれども、それでも兄を失ったという事実が無くなるわけでもなく、自分が世界を見てどんどん記憶に色がついてゆくのをうれしく思う反面、悲しくなってしまうのは仕方がないというものだろう。
……そして時間は流れて、季節は再び雪が降る季節。
二度目の雪花の月がやってきた頃、レフィーナはしんしんと降る雪を見ながらため息を吐いていた。
「……レフィ。辛気臭いですよ」
「う……うん、うぅ……」
相も変わらず辛辣なリリアの言葉に、レフィーナは呻くように頷くしかない。
それに対してリリアが追撃しないのはレフィーナが何を考えていたのかわかった為だ。
グレンヘイス=アーシア、レフィーナの兄が死んでから、もうすぐ一年が経つ。
この一年間、レフィーナは多くのことを学び、広い世界を知り、ヘイスが言っていた風景もいくつか見ることが出来た。
美しく雄大な大地を見て、満天に広がる星空を見て、人が行きかう娯楽都市を見て、冒険者ではないから戦闘能力的に見に行くことが出来ない場所も多いが、それでもレフィーナはこの一年世界を見てきた。
だからこそ、レフィーナは何度となく思うのだ。
見た風景を兄と語り合いたいと。
兄が死んでいるからといって、そう思ってしまうのは止められないのだ。
生き返って欲しいと願う訳ではない。ましてや実は生きているということを祈っているわけではない。ふとした時に思うのは、それはもしもの話だ。
祈りでも願いでもない、ただの妄想。
リリアから聖剣の話を聞いた時に、分相応の願いや祈りは呪いと変わらないのだと知った。
兄からもらった命に呪いを宿して不幸になるなんて、それこそ馬鹿げている。
レフィーナは兄が死んだのだとちゃんと理解しているが、それでもたまに妄想に身をゆだねて悲しみを散らしているのだろう。
「そういえば、もう一年ですか」
リリアが窓の外を見やりながら思い出したように声をかける。
そしてそのまま、じっとレフィーナの方を見て何やら思案顔をする。
いきなり凝視されてレフィーナはどきりとする。
「リリアちゃん?」
どうしたのかと声をかけても、リリアはまったく反応を見せない。
「一年間、長いようで短かったですね」
ふと振り返り、これまでの一年間はずいぶん長く感じたような気もするが一瞬の閃光だった気もする。
「……うん、そうだね」
これまでの出来事を思い出し、レフィーナは少し懐かしく思ってしまう。
隣に置いてある業務日誌を見ながら、本当に色々なことがあったと、ここで出会った人達の顔を思い出す。
ぱらぱらと読み起こす中にはポーションを売りに来たジャックのことや、毒薬を買いに来たクロのこと、のど飴を渡しにいったモニカのことや、惚れ薬を作ってほしいと頼んできたイーシャのこと。その他にも大勢の人が店をやってきて、或いは別の街に出向き出会って来た。
「色々なことがありました。何度命を落とすと思ったかわからない壮大な冒険の日々でしたね」
「あれ、リリアちゃんわたしと同じ想像してなさそう!?」
「冗談です。レフィも……少しは立派になりましたし」
目を逸らしながら言うリリアの頬は、少しだけ赤くなっているように見えた。
褒められて、レフィーナは「えへへ」と頬を緩める。
4カ月前にちょっとしたことがあってから、リリアはたまに慣れないながらもレフィを労うようになった。デレ期が来た! なんて喜んでいたレフィーナは、少しはしゃぎ過ぎたせいでいつもより酷い折檻を受けて心に深い傷を残すことになったのはまた別の話として。
「レフィ」
「は、はい?」
先ほどの懐かしむような口調とは違い、どこか真剣味を帯びた放たれた名前に、レフィーナは業務日誌を閉じてリリアを見る。
「ヘイスに……兄にまた会いたいですか」
外にはしんしんと、雪が降っている。
レフィーナはその言葉を静かに咀嚼し、目を伏せて答える。
「……うん、会えるなら、また会いたいけど、でも……兄さんはもう居ないって知っているから……だから、わたしは大丈夫だよ」
そう言うレフィーナの瞳は本当にそう思っているのだろう、どこか力強さを見せていた。
「――そうですか」
だからリリアはそう言うしかなかった。
「うん、だからこれからもよろしくね、リリアちゃん」
伸ばされたレフィーナの手を見て、いつかの逆だと思いながらリリアはその手を取る。
「……はい、よろしくお願いします」
声音に含まれた少しの陰りに、レフィーナはとうとう気が付くことはなかった。