Episode1.正しい【ポーション】の作り方。
雲一つ無い快晴。太陽の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々長く続く風格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のようなどことなく異彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
「邪魔するぞ」
からんころんっ! そう、お客さんの気性を判定するかのように扉に設置されたベルが大きな音を立てて鳴りました。
「いらっしゃいませー」
聞こえたベルの音に、この魔法道具販売店『リリアーヌ』の店主であるわたし、長いストレートの銀髪が特徴的でビスクドールのようにかわいらしい容姿を持つと評判の女の子リリア=クレスメントは習慣で挨拶をします。自画自賛しているみたいで少し気恥ずかしいですね。
しかしどんな時でもお客様に対する敬いの心を忘れず、必ず挨拶だけは欠かさぬよう心がける。なんて素晴らしい心がけでしょう。その反面、態度はカウンターの椅子に腰掛けたまま見向きもせずですが。接客態度としてはほぼ0点でしょうか。
まあ、それはそれとして。
「ふむ……」
一応、用心というものもありますし、わたしはちらりと本から視界をずらして男の風貌を確かめます。
中肉中背に、皮で造られた軽装が主体の装備に身を包んでおり、引っ張ってきている小さめのカートには大きな箱がいくつか積み重なっています。
恐らく、買取目当てでしょう。
冒険者というよりは探索家。戦士というよりは盗賊。そんな出で立ちですね。不機嫌そうな表情がさらにごろつきのような雰囲気を強調しています。
例を出すならば深夜遅くまで飲んだくれてよっぱらったジジイのような。見境無く誰にでもインネンをふっかけそうなそんな雰囲気です。明るさとかわいらしさをコンセプトに造られているわたしの店にどこまでも似合わない風貌です。
「……おい。リリアーヌって店は、本当にここで合ってんのか?」
そう言う男の声はとてもとても威圧的でした。声音に気圧されて当店唯一の店員であるレフィ……本名をレフィーナ=アーシアはおろおろと挙動不審な行動を繰り返していますし。長い金髪をゆらゆらと揺らし、ライトグリーンの瞳を右往左往させてわたしに何か言おうとしてはやめてを繰り返しています。どこか小動物を彷彿とさせる反応ですね。
「いらっしゃいませー」
男への質問に肯定の意味を込めて、わたしはもう一度、来店の挨拶をしてみます。
……さて。
これでもう、いいでしょう?
わたしはそっと手に持った本へと視線を戻しました。
「り、リリアちゃんっ!?」
レフィが悲鳴に似た声をあげていました。
けれどわたしはもう顔をあげません。あげるはずがありません。
わたしがいま読んでいるのは、外装がすでにぼろぼろになっていますが、蔵書数実に100万冊を超えるミランド唯一の王立図書館の中でも貸出禁止棚に陳列されている『野草学全書』というタイトルのきわめて珍しい古書です。
似たようなタイトルの本は数多く存在しますが、この『野草学全書』は一般に知られている野草の効能やいわく、花言葉なんかを記した書物とは違い、わたしたちのような魔法道具を作る魔法商人に有用な野草を中心に、他の野草との相性、組み合わせた際の性質の変化を事細かに調べて記された、れっきとした魔導書なのです。
そしてこれはわたしに頼まれたレフィが、毎日毎日何度も何度も司書に泣きついてはしょぼくれて帰ってくることを繰り返すことおおよそ3ヶ月。今朝方やっとのことで司書が折れて、特別に貸し出ししてもらった一冊です。
しかし特例の貸し出し期限は短く、明日にでも返さなければなりません。
……そんな本を読むわたしが接客などするはずもないのは火を見るよりも明らかでしょう?
常連なら、察してくれるのでしょうけどねぇ。
「……おい嬢ちゃん。リリアーヌってのは本当にここで合ってんのか?」
「は、はひ!?」
まあ。常連でないお客様にはそんなことを期待するのは野暮ですね。
埒があかないと判断したのでしょう。男はわたしではなくレフィに言葉を投げかけました。
だから、ここであっていると言っているでしょうに。
……言っていますよね?
矛先を向けられたレフィはまさか自分にお鉢が回ってくると思ってもいなかったのでしょう。びくりと跳ねて、肯定とも疑問ともとれる声をあげて猫に追いつめられたネズミのように身を震わせ絶望に打ちひしがれます。ふふふ、かわいいですね。
「その反応はねぇだろ……」
男は地味に傷ついたのか、渋い顔をしていました。
その言葉には激しく同意ですが、人見知りのレフィにとってあなたみたいなガラの悪そうなお客様は荷が重い相手なのですよ。
「仕方ないですね……」
そう言って、わたしは本当に仕方なく、本をたたみます。
途中でこうなることはわかっていましたし。
「――はい。リリアーヌはここであっていますよ。どのようなご用でしょうか」
しかし『野草学全書』の返却まで後6時間しかないというのになんたる事態。わたしは名残惜しげに『野草学全書』を見ながら事務的にお客様に問います。
ああもう、わたしは誰を呪えばいいのでしょうかね。目の前のお客様ですか?
「本当にここで合ってんのかよ……こいつあ、クレイルのジジイに化かされたか」
頭をかきながら、男は悪態をつきます。
はぁ? なるほど。わたしが呪うべき人物は決まりのようです。大通りにある酒場の店主クレイルさんでしたか。こんな厄介そうな男をわたしのかわいらしいお店に呼び込んだのは。
今度、呪詛の言葉をプレゼントしに行きましょうね。
「…………え?」
いやな予感を察知したのかレフィが曖昧な笑みをわたしに向けます。見事に目が合いました。
ええ、そうですよ? クレイルさんに呪詛を届けに行くのはあなたの役目ですよ、レフィ。
そう意味を込めてわたしもレフィに笑みで返します。
意図を察したのか本能的に予感を覚えたのかは知りませんが、レフィは今にも泣きそうな苦笑いを浮かべました。最近レフィは苦笑いがとても上手になりましたね。これも店員教育の賜物でしょう。
「それで、なんのご用でしょう」
とっとと用件を済ませて帰って欲しい。そんな感情が如実に含まれた声音を抑えることが出来ませんでした。声音に含まれるニュアンスを男は感じ取ったのか、深く眉をしかめます。
まあ無理もありません。お客様の気持ちもわかりますよ。年下の女の子にこんなぞんざいな接客をされればそういう顔にもなるでしょう。
「……俺はクレイルの紹介で来ただけだ。こいつの……」
けれども男はめげずにそう言って、引いてきたカートから大きな箱を二つ、まとめて持ち上げてカウンターへと乱暴に置きました。
がちゃんがちゃん。と中から小瓶がぶつかる音が聞こえました。
もう少し丁寧に置かないと、中身が壊れたらどうするのでしょう。
「……査定を、してもらいにな」
そして不機嫌そうなこの声ですよ。売りたいのならばもう少しこう、土下座しながら「こいつを買ってもらいてぇんです!」くらいは言えないでしょうかね。
そりゃわたしたち商売人からすればお売りいただけるのはありがたいことです。しかし相手にとってもギブアンドテイク。見合う代金を支払っているのですからそれ相応の頼み方があるでしょう。ねぇ?
「拝見いたしましょう」
まあ、そんなことは思っても口には出しませんがね。これでも一応客商売ですし。
素材の買取は魔法道具販売店にとって生命線ともいえますしね。
もちろん自分で取りにいくという手段もあるにはありますが、その間店をレフィ一人にまかせっきりになるというのは不安しかありません。 最悪一時閉店しておくしかないでしょうが、特に変わったことがない限りは店を休みにしたくないところです。
それに今回持ち込まれたのは音的に瓶でした。ということは既製品の可能性もあります。安く買い叩ければ加工も必要なく高く販売できて非常に楽でしょう。
わたしは立ち上がり、箱のふたを持ち上げて覗き込もうとして……背丈が足りず、椅子に膝立ちになり中を覗き込みました。
……もう少し低いカウンターにしましょうかね。
そうして覗き込んだ箱の中には、綺麗に整列した、細かな装飾が施されているガルシア様式の小瓶が整列していました。
数十年前に没落した、この国家様式を見るのは、わたしは初めてではありません。ここ、王都ミランドにも職人の末裔が移り住み、技術を伝統として受け継いでいるからです。様々な貴族御用達の花瓶や食器、家具なんかも作っており、わたしも一度その造形を見学に行きました。
職人技というのは洗練されていて参考になりました。主に経費に見合わぬ報酬という点で。
そんな小瓶の中にはゆらゆらと透明色の液体が詰まっており、これはどう見ても――
「ポーションですね」
ポーション。回復薬。
薬草などの患部に塗り込む殺菌効果と治癒力の僅かな上昇効果を持つハーブとは違い、一本飲むだけでみるみるうちに傷が塞がり体力が戻る、優れものの冒険必需品です。
字面だけ見ると果てしなく怪しいクスリにしか見えませんね、これ。
本来ならば鑑定するとなるともう少し詳しく見なければなりませんが、けれども今回に限ってはそれも不要です。小さなラベルが貼られてそこにポーションと書かれているので鑑定もなにもありません。
「これは、どこで?」
「こいつは西の廃墟で見つけた」
男はそう言って、小瓶を1本手に取ります。ああもう査定中だというのに、むやみやたらに触れないで欲しいですね。気が散ります。
「西の廃墟といいますと、ガルシア王国跡地でしょうか」
気を逸らそうと男に問います。
男は頷きました。やはり。なるほど。
旧王の悪政により没落したガルシア王国は、備蓄を食い潰した民衆がやがて難民となって王都や諸国に散り散りになって数年の後にヴァンパイアの根城となり、現在では冒険者以外誰も近づかない廃墟の街と成り果てています。西方の守りの要である城砦都市アルトからかなり離れた南方に位置しているガルシア王国跡地は、元々深い森と湖畔を背にしており、そこにヴァンパイアが住み着いたとなれば、それはそれは如何にもな雰囲気をはらんでいます。
他の国々との交易がほとんど断絶していたのも、もろに魔物の根城になることを許してしまった原因でしょう。
わたしは大量のポーションを持ち込んできた男を眺めます。
ヴァンパイアは魔物の中でも高い知能を持ち、狡猾でプライドの高い種族です。
人を見下し己が上位だと思い込んでいるのもそうですが、その実力は折り紙付きです。王都の周辺に生息している魔物なんて目じゃないほどの強敵。上位の固体となれば、熟練の魔法使いにも匹敵する、いえ、下手をすればそれ以上の高位の魔法だって使ってきます。
しかし……どう見ても、この男はヴァンパイアを相手に出来るように見えませんよね?
「失礼ですが、とてもヴァンパイアを相手できるようには見えませんね」
本当に失礼な、いっそ清々しいまでの暴言でした。わたしは笑顔で言いました。
様子を見ているレフィの表情が戦慄に歪みました。
「てめぇ……ッ!」
ガンッ! 男がカウンターを激しく叩きました。
箱の中のポーション瓶が、がちゃん! と大きな音を立てました。
「リリアちゃん!」
「大丈夫ですよ。レフィ」
男が激昂したのは実力を低く見られたことと、盗品ではないかと疑われたことによる二つの泣き所を同時に突かれたからでしょう。
「これは査定のうちの一つですよ。ガルシア王国跡地にはわたしも一度足を運んだことがありますからね」
「なに適当なことを言ってんだ、テメェみたいなガキが、ヴァンパイア共の相手を出来るわけがねぇだろうがッ!」
男はなおも怒り心頭で、わたしに食って掛かるようにしてそう言います。
「はふぅ……。口が悪いですね。あまり言いたくはないですが、この界隈で魔法商人を敵に回すとどうなるか、アナタはご存知では無いですか?」
少しカチンときたので、言ってやりましたよ。
わたしのその言葉に、男が苦々しく呻き、唾を飲み込んだ音が聞こえました。
それもそうでしょう。
わたしたち魔法道具を扱う魔法商人は、王都並びに周辺諸国では重宝され、絶大な権力を得ています。
都市を繁栄させる冒険者や傭兵の必需品である薬や道具を販売しているのだから当たり前と言えばそうでしょうが、王都から直々に魔法道具の作成を頼まれたり、名の知れた魔法商人ともなれば周辺諸国から直々に出向いてくる顧客が居るくらいです。
つまり魔法商人という職業は、元々他の調合師などとは違い、非常に希少価値が高い職業なのです。レア職業ですよ。
空気中の『魔法元素』に干渉して事象を創造する魔法使いとは異なった才能を必要とする魔法商人は、いわば国家の守護を受けた繁栄の象徴とも呼ばれる存在なのです。
「そうです。暴言でも既に問題ですが、もし仮に魔法商人に暴行を働いたなどとなれば、それはもう重犯罪人として指名手配され地の果てまでも追いかけられて捕まえられ民衆の前でつるし上げられ誹謗中傷の声を延々浴びさせられたあげくむごたらしく処刑されることでしょう」
「ぐ……ッ」
もちろんこれには多少の誇張と願望が含まれていますが、重い処罰は免れないでしょう。
それを重々承知なのか、男は忌々しげに唸り、怒りを押し殺して続けます。
「……確かに、だ! ……俺にヴァンパイア共を相手する力量はねぇ! 悪いか! こいつは、昼間に散策して取ってきたもんだ!」
ああ、やはりそうですか。
わたしは銀髪を指先で弄りながら思います。
ヴァンパイアは様々な書籍に書いてある通り、太陽の光が苦手です。
その隙をついて火事場泥棒としゃれこんだわけですね。実にこそどろらしい選択です。
「けれども既製品ならば、うちではなくて表通りの雑貨屋や露天商にでも買い取ってもらえばよかったのでは?」
雑貨屋や露天商がわたしのところに直接作成の依頼を頼みにくることはないですが、ポーションなんて適当に置いておけばほいほい売れる一品です。買い手がつかないことなんてないでしょう。むしろわたしたち魔法商人の場合は材料から作った方がローコストなので、既製品を買い取る場合は他より格安になるのが相場です。
「んなこたぁわかってる……。俺だって馬鹿じゃない。持っていったんだよ。……だが雑貨屋の店主も露店商のおっさんにも揃って買い取りを拒否された」
「理由は?」
「俺が知るか。……いや、年度がどうこうとか……」
一度吐き捨てるように言った後、何か思い出したようにぶつくさと呟く男が吐いた言葉の中の一つの単語にぴんとくるところがありました。
わたしは箱の中のポーション瓶を一つ取り出して、ゆっくり回しながら眺めてみます。
「――ああ、やはりですか」
瓶の底の付近に、製造年度が掘られていました。
製造された年は、星歴1989年、太陰の月27日でした。
今が星歴2014年なので、ざっと25年物です。
これがもし仮にお酒だったとしたならば結構な品質の物になるのでしょうけどねぇ……。
「なに一人で納得してやがるんだよ」
「ええ、買い取ってもらえなかった理由はこれですよ」
わたしは製造年度を指して男に言います。
「星歴1989年……? 確かに古いもんだが、何の関係があんだ」
あぁ……そうですか。気分が暗鬱としてきます。
この目の前の男はいかにも物漁りで生計を立てているような外見をしつつも……いやだからでしょうかね。魔法道具に対する知識は無いのは。
「はぁ……仕方がないですね」
そう前置きをおいて、わたしはしぶしぶ教師を始めることにしました。
無知な人が居ると教えたくなるほどではありませんが、魔法道具の知識がない人間が多いのも困りものです。理由を伝えないと納得も出来ないでしょうし。
「そもそも魔法道具について……そういえばアナタ、お名前はなんと申すのでしょう?」
「……ジャックだ」
「なるほど。ではジャック。アナタは魔法道具についてどれだけ知っていますか」
――お客様は、親しみを込めて呼び捨てにするものだ。
わたしは昔、祖父にそう教わりました。確かにその通りでしょう。ここで仮にジャック様などと他人行儀で呼んでみるとしましょう。固有名詞に付ける様という敬称、つまり敬意というのは他人と自分を分別するための、言わば差別ですよ。お客様を差別するなんて、失礼にも程があるでしょう。そんなことはわたしにはできませんね。
……ま、祖父の店はぜんぜん儲かっていませんでしたけどね。
当のジャックも「呼び捨てかよ……」なんてほら、まんざらでもない様子です。額に手を当てて、こめかみを引きつらせて、うなだれるのを必死に支えるような大満足のポーズ。
「……俺は、基本的に魔法道具なんて値が張るものは使わねぇ。体力の回復なら、薬草で十分だからな。だから良くはしらねぇが……なんらかの魔法の力が込められた道具……なんだろ」
けれどもジャックはすぐに気を取り直して、わたしの質問に答えました。
「つまり何も知らないのですね」
言葉を選んで答えているようで、まったくのはずれでした。浅学がにじみ出ていました。
「わ、悪いか!」
ジャックは分かりやすく憤慨しました。
無知の羞恥で顔を赤らめる辺りに可愛げがあるようなないような。
しかし先ほどのような示威的態度はなりを潜め、怒りつつも聞く姿勢はあるようです。
その証拠に遠巻きに見ていたレフィが、いつの間にかわたしの隣にまで来ていますしね。
まったく、この娘は。
「レフィ、あなたは今日の晩ご飯のおかず抜きです」
「そ、そんな!?」
ぼそっとレフィにだけ聞こえるように言うと、レフィは涙目になりました。
「あなたはもう少しその人見知りをどうにかしましょう。せっかくこの本を借りにいくのに三ヶ月も見知らぬ司書と会話させたというのに、進歩があまり見られませんよ」
三ヶ月も毎日通って断られ続ければ、最初の一週間もかからずに、余裕で顔見知りになってしまっているでしょうけどね。
レフィはそんな意図があったんだ……という顔をしていました。
まあ、9割くらいはこの『野草学全書』が読みたかったというのが本音ですが、せっかくのいい話なので口には出さないでおきましょう。
「で、でも、リリアちゃん……」
はぁ、本当に根強い人見知りですね。この娘は本当にわたしより年上なのでしょうかね。
「レフィ?」
なおも自信無さげに俯くレフィに、わたしはちらりと店の一角へと視線を向けて見せます。
――その一角は、ファンシーな内装から明らかに浮いた雰囲気をかもし出していました。
様々な魔法道具のコーナーから外れた、ほんの僅かなスペース。
店内は清掃が行き届いているはずなのに、そこだけはどこか埃っぽくて。
淡い色が基調になった色とりどりの四角いタイルが隙間なく敷かれたフローリング。
けれどもその部分。空白のスペース、約50センチ四方。
そのスペースだけは闇を切り取ったような真っ黒のタイルが敷かれていました。
まるで店内とその部分を区切るようにその床には白いテープで切り取られています。
そう――ちょうど人が一人、立っていられそうなスペースです。
「え……?」
レフィが信じられないものを見るような目でそのスペースへと視線を向けました。
そして直後、
「や、やぁ……っ! やだ……わ、わたしちゃんと働きます、働きますからっ! もうあのスペースだけはだめっ。だめだめだめっ! やめてぇええええっ!」
ああ……トラウマがフラッシュバックしたのでしょう。
ふふふ、かわいそうに。
「まあレフィはこれでいいとして」
「いやよくねぇだろ……」
尋常じゃない脅え方に、事情を知らないはずのジャックですら若干引いていました。
「先の回答、今回ばかりはジャックの無知は悪いことと言わざるを得ませんね」
わたしはそう前置いて、むっとするジャックに講義を始めます。
「――いいですか? 魔法道具というのは、わたしたち魔法商人が、素材に内包されている『魔法元素』を抜き出し増幅することで作られる道具の総称を指します」
「……ああ」
ジャックが話をちゃんと聞いているのを確認してわたしは続けます。
「たとえば基本的な回復薬として知られているこのポーションの材料となっているのは、鎮痛効果のある『ラクリッツァの葉』滋養強壮の『紅人参の根っこ』止血作用のある『トゥアーリ草』などです。そういった様々な効果のある素材から特性を抽出し、増幅して液体に浸透させた物がポーションとなり、魔法道具となるわけです。わかりますか」
「……なんとか」
ジャックは勉学が苦手なのでしょうね。見た目通りです。
この程度で何とかといわれては、先が思いやられますね。
「この特性の増幅抽出に関しては特殊な器具やわたしたち魔法商人のセンスが絡んでいて、それこそがわたしたち魔法商人が魔法商人と呼ばれるゆえんなのですが……こちらの話は省きましょうかね」
理解できるか怪しいところですし、今回の話で重要なのはそこではないので。
ざっくりと割愛させていただきましましょう。
「さて、今回のポーションの件での問題は、加工の段階で抽出して他の素材へと浸透させた特性が、時間とともに劣化、沈殿してしまうことにあるのです。浸透させたとしても元々は別の素材なので、溶かされた性質が還元しようとする特性が働くのです。もちろんそれに対しての魔法処理も行いますが、あまりに長い年月が経ったものは劣化防止の魔法処理が施されていても、性質が霧散してしまいます」
ジャックはだいたい察したのか、苦い顔をして次を促しました。
「……つまり」
「賞味期限もとい消費期限が切れています」
「なん……だと……」
驚いていますが、せいぜいもって10年。25年ものなんて論外です。知っている人なら知っているごくごく当たり前のことでしょう。ましてや商売のプロである雑貨屋や露天商に買い取ってもらえるはずはありません。
……まあ魔法商人ならば別の可能性もあるのですがね。
「そもそもダンジョンや廃墟で手に入れたポーションを飲んだり売ったりしようとする心理がわたしにはわかりませんね。馬鹿なのですか? 今回はたまたま製造年度が書いてあったからいいものを、普通ならおなかを壊すか、知らずに買い取った人の証言で街での信用をなくすかどちらかですよ。なんですか。冒険者というのは無知無謀な野郎が多いのですか?」
膝からくずおれているジャックに、わたしは容赦ない追撃をかけます。
「ぐぅ……」
痛いところを突かれたジャックはまさにぐうの音しかでません。
解説の間に立ち直ったレフィも、隣で複雑そうな苦笑いを浮かべています。彼女にもリリアーヌのフロアで働き始める前に、一通り魔法道具の知識を叩き込んでありますからね。
「今回のこれは一応防腐処理が施されているみたいなので……そうですね。わかりやすく試してみましょうか?」
「……はぁ? 試す?」
言って、わたしは膝立ちの椅子から降り、フロアに膝を突いたままのジャックの前に立ちました。ジャックはいきなり何をする気なんだ、という疑惑の表情でわたしを見ています。
「てい」
やる気なさそうなかけ声とともに、わたしは渾身の速度と絶妙なスナップとわずかばかりの恨みを込めて平手を振り抜きました。
「がっ!?」
バチィン! と大きな破裂音が鳴り、ジャックは身体ごと綺麗に清掃されている店内の床に倒れ伏しました。見事なまでにクリーンヒット。見える頬が真っ赤に晴れ上がっています。あれは痛そうです。「ひぃっ!?」と後ろでレフィの声にならない悲鳴が聞こえました。
「て、てめぇ! なにしやがんだ!?」
「そう騒がないでください。ひっぱたかれたあなたの頬も痛いかもしれませんが、叩いたわたしの手も痛いのです」
「だからどうした!?」
頬を真っ赤にはらしたジャックは激昂します。
「リリアちゃんむちゃくちゃだよ!?」
さすがにレフィもやりすぎだと思ったのか、珍しく抗議してきます。
「まあまあ、検証ですよ。一度身を持って体感した方がわかりやすいものです」
けれどもわたしはそう言って、ジャックが持ってきたポーションを彼に渡します。
まだ怒りが収まりきらないようでしたが、ジャックは差し出されたポーションを手にとって、
「……………………大丈夫なんだろうな、これ」
長い沈黙の後、あろうことかそう呟きました。
「そう思うものをあなたは売ろうとしていたわけですがね」
ジャックはばつが悪そうに目を逸らしました。
「ええ、まあ大丈夫ですよ。先ほど言ったように防腐処理まで施されています。よほど優良な魔法商人だったのでしょうね」
「てめぇとは大違いだ」
呪詛のようにジャックはわたしに暴言を吐きます。
「失礼な。わたしも十分優良な魔法商人です。ほら、とっとと飲んでください」
「どこが優良だ……」などとぶつぶつと呟きながらも、ジャックは腹を決めたのかガラスのふたをはずし、一気にあおりました。
「…………」
「…………」
「…………」
「どうですか」
数秒の沈黙の後、わかりきっていましたがあえて聞いてみました。
「……ぜんぜん痛みが引かねぇ」
「でしょうね」
通常なら増幅されているはずの『魔法元素』の残滓がほとんど感じられなかったのです。
飲んでもほとんど回復作用がないのは当たり前でしょう。
わたしは棚へと歩いてゆき、きれいに陳列されたポーションの段から一つ、自前のポーションを取ってきてジャックに見せます。
「こちらがわたしの作った、当店自慢のポーションです」
「…………」
ジャックが無言で目の前にあるわたしが持つポーションに手を伸ばしてきたので、わたしはすっと手を引きました。ジャックの手が、むなしく空を切りました。
ジャックはとても不思議そうな顔をしています。
「おい」
「200イェンになります」
わたしは言いました。
「金取んのかよッ!」
「当たり前です。商品ですよ? これでも赤字覚悟の値段でまけているのですよ」
「リリアちゃん……」悪魔だ。そう続けて聞こえてきそうな声音でレフィがどん引きしていました。けれども本来ならば500イェンの商品です。かなりお得だと言わざるを得ないでしょう。
「なんで俺が……」
「不法押し売り疑惑に、魔法商人への暴行未遂」
渋るジャックの背中を、わたしはやさしくソフトタッチ。押してあげます。
「……払やいいんだろ! 払やよ!」
やけ気味にジャックは言いました。小銭入れを取り出して叩きつけるようにカウンターの上にお金を置きました。
「まいどありがとうございます」
ポーションをジャックに手渡してお礼を告げます。ふふふ、お金はいいですね。
レフィが何かもの言いたげなのはいつものことなので無視しておきましょう。
「さて、では飲んでみてください」
「わかってるっつの……」
持ち込みされたガルシア様式の瓶とは違い、至ってシンプルなポーション瓶のふたを開け、ジャックは一気に液体をのどに流し込みました。
するとその瞬間、
「うぉっ!?」
暖かな光が、ジャックの身体を包み込みました。
全身を淡い光が覆い、真っ赤になっている頬も次第にもとの肌色へと戻ってゆきます。
「その光は、ポーションに溶かされた、増幅された『魔法元素』の粒子です。服用することでも効果を十分に発揮することができますが、深い傷などを負った場合は患部に直接かけた方が効果は高いですね。より一点に効果が集中しますので」
わたしが解説をしている間も効果は続き、やがてジャックの身体を包み込んでいた光は段々小さな粒になって、空気に溶けるように消えてゆきました。
「さあ、どうですか」
「…………痛くねぇ…………それに、身体がやけに軽く感じる…………」
ジャックは頬をさすりながら信じられないようにそう言って、立ち上がって腕を一回二回と回し、初めて驚愕の目でわたしを見ます。当然、頬に刻まれたもみじマークもすっかりなくなっています。
「うちのポーションにはハーブも使っていますから、整体作用もありますからね。疲れがたまっていたのでしょう。それがポーションの正しい効果なのですよ」
放心するジャックにわたしはそう言って、カウンターの中へと戻ります。
「さて、どうしましょうか、これは」
そしてカウンターの上に置かれた、ジャックの持ってきたポーションを指して、わたしは言います。ジャックは先ほどの効果を比べてみてやっと腑に落ちたのでしょう。箱を見下ろしてどこまでも苦い顔を浮かべています。
「はふぅ……無料で良ければ、うちで引き取ってもかまいませんけどもね」
「……良いのか」
「ええ。そちらが良ければ、ですけども」
「……ああ、かまわねぇよ。ははっ、こんなもんいくらあっても仕方ねぇしな」
言ってジャックは初めてアルカイックに笑い、盛大に肩をすくめました。まあ取ってくるのに苦労したのでしょうね。身体的にではなく精神的に疲労がたまっているように見えました。
「わかりました。では、後はレフィにお任せします」
「え、えっ? は、はいっ。ではこちらの……えっと……」
いそいそとカウンターへと入ってきて、レフィはたどたどしい手つきで取引承諾書を取り出して、ジャックに要項を伝えていました。
……ふぅ。これでお役は終わりですね。
わたしは置いていた『野草学全書』へと再び手を伸ばします。
――そしてややあって、
「あ、ありがとうございましたー」
間延びしたレフィの声が聞こえ、視界の端でカウンター向こうのジャックが立ち去る気配がしました。お客様には一応礼儀は尽くすものです。ベルの音とともに退店の挨拶をしようと意識を読んでいる『野草学全書』から少しだけ浮かび上がらせ…………て、いましたが、いつまで経ってもベルが聞こえてないので不思議に思ったわたしが顔をあげると、ちょうどジャックが少し恥ずかしそうな表情を浮かべながらも、カウンター前に戻ってきていました。
「どうしましたか」
「……こいつをひとつ、くれ」
ジャックがカウンターの上に置いたのは……ポーションでした。
彼の態度の変わりようと、どうやらうちの商品がお気に召したことがおかしくて――
「――はい。お買い上げありがとうございます」
わたしは新しい顧客に、格別の笑みをひとつ、お返ししました。