後編
ウルドに誘導され、カイルが森を駆けぬけていた時のこと。
早くイグニスたちと合流したい気持ちが身体に伝わり、思わずウルドを抜かしてしまうことが幾度もあった。しかし追い抜いても行先がわからなければ意味がないため、その度に自制をかけた。
森に入ってから数分が経ち、カイルがもうそろそろ着いてもいいはずと思った時、視線の先にある光景を捉え目を見開いた。
十数メートル先に傷だらけのイグニスが地面に倒れ、敵と思われる人物が鈍器でイグニスを潰そうとしていたからだ。
……あれは流石にマズイな。思い、できる限り足に力を入れ、跳ねる。
カイルの速度は一気に上がり、瞬時にウルドを追い抜く。着地し、距離を見定めて再び跳躍する。
巨体からニメートル程離れた位置に着地し、細かく脚を動かして距離を調整しつつ上半身を傾けて。斜め上に真っ直ぐ放たれた側頭蹴りに、巨躯は地面から浮き、そのまま勢いよく転がって遠くの木にぶつかった。
とりあえずイグニスは殺されずに済んだ。安堵の息を漏らし、口を開く。
「なんとか間に合ったみたいだな」
しかしこれで全てが終わったわけではない。見る限り相手の人数は蹴り飛ばした人物も入れて三人。
どれくらいの実力で、どのようなキャバシティを使うのかはさっぱりだが、一人で片づけられる人数ではない。いや、カイルなら可能かもしれないが最善の手を打ちたかった。
ただ先程から淀んだ瞳で不快そうに睨んでくる男に、敵意をもって睨み返す。と同時に、大木に縛り付けられたニーナが視線に入った。
ニーナもとりあえずは大丈夫みたいだな。目元が赤くなっていたのが気になったが今はいいだろう。
それよりも背後で倒れている二人の方が気になった。
イグニスは体中傷だらけで浅い呼吸をし、時折小さく跳ねている。
メアリは目を閉じ荒い呼吸をして、それ以外は一切動かさないでいる。
重傷ではないが軽傷でもない。そのため、万が一のことも考えつつもカイルは二人に言葉を投げかける。
「クロウから聞いたぜ、ここに来たのはお前らの強い意志だってな。けど結果はこんなんだ。悔しくねえのか」
カイルは喋りながらも顔に笑みを浮かべ、語り続ける。
全身から痛みが響き視界が黒に染められた中、イグニスは声を聞いた。
聞き覚えのある声。カイル先生の声だ。
彼に投げられた台詞に、心の中で応える。悔しいにきまってんだろ。
声にならないが、それでも精一杯思う。
『やられっぱなしでいいのかよ。ニーナを助けたくないのかよ』
助けたいにきまってんだろうが。でも身体が。
立とうと身体に力を入れるが、思うように身体は動かず、立たせてくれない。
イグニスは何度も起き上がろうと試しているが、少し動くだけで終わってしまい、その度に歯を食いしばる。
そんな時、カイルがふと話の方向を変えた。
『……イグニス、メアリ、お前らは俺のチームに入っている。それでチーム名は覚えているよな』
リベルタ。それは一瞬たりとも忘れたことなどない。
『それで、その意味も知ってるよな』
自由。バカなオレでも覚えている。
『なら、自由なことばかりしていたやつはどうなる? そんなのお前らが一番知ってるよな』
…………。そんなの身に染みてわかってるよ。それをオレは経験したんだからよ。
思い、カイルの台詞に答えた。
自由なことばかりすれば、その人間は堕落する。何もかもできるから、やるべきことがあってもできる方に逃げる。それを何度も繰り返して、気がつけば人間の底が目前に迫っていて、けれども自由なことはできるから上がろうとは思えず。だからこそ、堕落。
答えに、カイルは知っていたかのように語り続ける。
『今回はお前らが初めて強い意志で決めて、行動したことだ。それなら諦めるなんて勝手なことはしねえで、最後まで自分が成し遂げたいって思ったことを一生懸命叶えてみろ』
……、ああそうだ。ニーナを助けたい気持ちで、オレはここまで来たんだった。
それならオレが自由に、全力で、それを叶えてやる。
痛みが何だ。そんなもん請け負ってやるよ。
だから、だから。
身体に力を入れ、立ち上がる。全身から激痛の叫びが脳に響くが、気にするもんか。
重たい瞼を開け、顔を上げるとヴァンジャスが驚愕と憎悪を混ぜた表情をしていた。
と同時に隣から、私だってニーナちゃんを助けるのよと声を漏らしながらメアリが立ち上がった。
そうだ、助けるんだ。いや、オレにはニーナを助けれるんだ。
オレにもできることがあって、叶えれると思うと自然と口から笑い声が漏れた。
「ふ、ふっ、ふふふふっ」
それはイグニスの癖である、不気味な笑い方。知っている者ならば単なる笑い声で済まされるが、ヴァンジャスたちには違った。
さっきまで立つことさえ困難だった人間が立ち上がり、不気味に笑えば狂っているとしか思えず、それでいて自分たちを倒そうと考えている。彼らにとって狂人にしか見えないイグニスは、畏怖の存在に思えた。
それに対して一番早く行動したのは、長身のエグ二ムだった。彼は得体のしれないものを見ているかのように手を僅かに震わせ、震えを止めようと下唇を軽く噛んで。
あの男を殺すなら今しかないと。突然入ってきた男は相当な実力だろうが、そんなことよりも先にこいつを倒さなければいけないと。
本能がエグ二ムに叫び、生唾を飲み込んで、瞬間移動ぶ。
その瞬間、カイルは目を細めたがそれだけで、特に攻撃する動きはしなかった。
エグ二ムの出現場所は、イグニスの背後。手を組んで力いっぱい振り下ろそうとしたところで、横から迫ってきた銀の六角柱が目に映り、後方へ跳躍した。
メイスを振った少女は息を荒げながら、はっきりと言った。
「あんたの相手は、私よ」
メアリはメイスを杖のようにして身体を支えながら、しかし長身の男を睨みつける。
それを見てカイルが顔に笑みを浮かばせながら首を回し、歩き出す。
「そんじゃ俺は残り物の駆除でもしに行くか」
カイルは丸く太った男の元へと歩を進める。
イグニスは全身から痛みを感じながら刀を握りしめ、ヴァンジャスに向かってゆっくりと進みだした。
メアリはエグ二ムと睨み合いつつも脳内で策戦を練る。
先程よりはマシになったが視界の所々がぼやけて映り、あまりいい状態ではなかった。
しかし我儘は言ってられない。だから相手がある行動をする瞬間を狙う。
待ちきれなくなったのか、長身の男は脇を締めて構え、真っ直ぐに突進してきた。
メアリは苦い表情をしながらメイスの先端を下に向けて、両手で長く持って間の部分で受ける。だがそれだけでは防ぎきれないため、左右や後方に移動して逃げる。
攻撃はできない。もし攻撃が外れた場合、そこを突かれて倒される可能性があるからだ。今のメアリに一撃でも入ってしまえばやられてしまうほど危ない状態なのだ。
そのため、防ぐか避けるしかなかった。
対してエグ二ムは攻めると同時に焦りを感じていた。冷静になれば、メアリを倒すことは簡単なのだが、そんなことはできなかった。
さっき不気味に笑った狂人のことが脳裏から離れない。一撃で倒せたらよかったのだが、それを目の前の女に邪魔をされたせいでできず、あの男が生きていること自体が恐怖と化している。
早く倒さないと、早く殺さないと、そうしないとこっちが殺される。全身から嫌な汗が溢れ、恐れが思考を染め、焦りが手を狂わせる。
拳を突き出して攻撃するがどれも相手が躱してケリがつかない。時間が経つ度、エグ二ムの焦りは徐々に増していく。
そんな時、一つの単語がエグ二ムの脳裏を通った。
キャバシティ。
恐怖と焦燥に追い込まれた彼にとってそれは、邪魔な女を今すぐ消すことができる雄一の手段であり、救いだった。そのため口の端を僅かに上げ、迷うことなくエグ二ムはキャバシティを使った。
エグ二ムが目前から消えた瞬間、メアリは内心で笑った。それは彼女が望んだ場面であったからだ。
メイスの先端を下から背後に向け、そして。
体勢のことなど気にもせず、全力で後方に跳んだ。
その刹那。メアリの後方に出現したエグ二ムが捲き込まれた。
手にぶつかった感触が伝わり、よしと呟く。メアリの勘が当たったのだ。
彼女が見ていた限りでは、この男は相手の後方にしか出現させなかった。いや、正確にはキャバシティで後方にしか移動できなかったのだろう。
それを見越してのメアリの反撃だった。
メアリに巻き込まれたエグ二ムの身体は勢いに負けて、後ろに体勢が崩れる。そのまま地に倒れ、エグ二ムの身体は地面とメイスによって挟まれた。
「――――ガッ」
メアリの全体重とメイスの重さが、メイスが触れている胸元にのしかかる。バキバキバキと骨が折れる音と共に、エグ二ムは仰け反って口元から血を吐き出す。
彼の腹部に尻餅をついたメアリは立ち上がり、確認する。エグ二ムは白目をむいて気絶していた。
それを見て少女は気が抜け、その場に座り込んだ。そして内心で大きなガッツポーズをした。
カイルは顔から笑みを消すことなく、大木に背を預けて座り込んでいるレイと対面した。
レイはゆっくりと近づくカイルを見、表情を怒りで染めた。先程蹴り飛ばされたことを根に持っていたらしい。
丸く太った男はすぐに立ち上がり、鈍器であるモーニングスターを構える。
「キサマ、キサマ、キサマァ!」
激昂と共にレイは武器を振り上げ、前進して距離をつめ、力強く振り下ろす。
対してカイルは横に軽く跳ぶ。それだけで重い一撃を軽々と避けた。
振り下ろされた一撃は地面に鈍器と同じだけの穴を開けると同時に、周囲を震わす振動を生んだ。
だが攻撃が当たってないことに怒りを増すレイは、力任せにモーニングスターを振り回す。
しかしカイルは恐れず、むしろ楽しんでいるかのようにそれを避け続ける。
カイルは繰り出される攻撃をわざと極限のところで避ける。そのためレイの怒りは増していく一方だった。
十数回と攻撃が繰り返された後、カイルは距離をとるべく後方へ大きく跳躍した。
レイはそれを、ただ見ているだけで追えなかった。連続で、しかも力任せに出した攻撃を何度も行えば、それ相応の疲労は溜まる。そのため、丸い巨体は息を荒げて立ち止まっていた。
着地したカイルは愉快そうに、先程から一切笑みを消さない表情で言った。
「普段の俺ならこんな脂肪に塗れた醜い塊となんて相手もしないんだが、お前は運がいい」
「これは脂肪じゃなくて筋肉だああああ」
疲れた身体を無理に動かし、カイルに向かって横の一撃を振るう。
しかしカイルはいとも簡単に避け、再び距離をとる。
「今の俺はすっごく気分がいいんだ。あいつらが命を掛けてでも成し遂げたいって思うことができたんだからな」
だからよ、と銀髪の男は口の端を吊り上げつつ言う。
「お前のやられ方を選ばせてやるよ。一瞬で終わらせるか、じっくりやって終わらせるか、でよ」
「ふざ、ふざっ、ふざけんなあ」
カイルの台詞にレイの怒りは頂点にまで達し、突進と共に鈍器を振り上げる。レイはカイルの上半身を抉り取るように、武器を右から左下へと振り下ろす。
それをカイルは腰と膝を折り曲げ、僅かな移動で回避する。だがそれだけでは終わらなかった。
頭上を通過したモーニングスターを加速させるように蹴り押したのだ。不意に増した勢いに、疲労しているレイには対処ができず、モーニングスターはレイの手から放れ、遠くへ転がっていった。
しまった、とレイが転がっていった武器に目を向け思った刹那、銀髪の男から殺気を感じ、向き直る。
カイルは腰に差してある二本の刀にそれぞれ手をやり、刃を仕舞っていた。
仕舞う。
その行動のおかしさに疑問を感じたが、答えがすぐに現れた。
額、首元、腹部にかすり傷程度の横に入った赤い一線から、心臓の位置に表面だけ刺突したような傷から痛みと共に血が湧き出てきたからだ。
急所に、致命傷にもならない傷跡。しかしそれは圧倒的な実力差を見せつけるものとなる。
武器もないレイにとって、二本の刀を持つ銀髪の男を倒すことはどんなことがあっても不可能だろう。
「さて、これからどうしようかな」
刀に手をかけ、刃を見せるてにやけるカイル。
先程まであった怒りはすっかりと消え、むしろ恐怖心に染まっていた。
「ひ、ひ、ひいいいい」
レイは振り返り、慌てて逃げ出す。無様に、醜態を晒しながら。
そんな姿をカイルはただ見ていた。しかし見えにくくなってから、動き出した。
静かに、男に気付かれないように、カイルは追いかける。
二つの影は、森の奥へと消えていった。
イグニスはニーナを助けるべく、身体をふらつかせながらもヴァンジャスに向かって歩み寄っていた。
助けたい。その気持ちがイグニスの原動力となり、支えとなる。
その姿を見たヴァンジャスは、驚愕しかなかった。操った土人間で手加減などした覚えなどなく、肋骨が何本かは折れたはずだ。
それなのに立ち上がり、しかも笑った。おかしいとしか思えない。だが現実として男は立って近づいて来る。
ヴァンジャスは唇を震わせながら、土人間を生んだ。二体同時に。
彼の目前に二つの球が生まれ、続いて身体が出来上がる。その間、約十秒。
安堵とともにヴァンジャスは二つの土人間を脳で動かす。イグニスを殺すために。
イグニスが細く開けられた瞳に、二つの土人間が横に並んで襲ってくる姿が映る。そのため足を止め、近づいてくるのを待つ。
二つの土人間は距離が一メートルほどになると同時に、攻撃を仕掛けてきた。
まずは右方が右拳を横に振るう。が、それの外側に移動して簡単に避ける。
続いて左方にいた土人間が胸部に目がけて拳を下から突き上げてきた。それはさすがに移動だけでは避けれないと判断し、後方に跳躍する。
そして着地と同時に刀を両手で構え、近くにいた左方の土人間へと再び跳躍。
柄を下にし、刃を土人間の右肩に向ける。両手に力を入れ、衝突する。
しかしそれだけでは土人間を斬ることはできず、結果はぶつかっただけだった。その場で手に力を入れてみるが、それでも斬れることはなかった。
だがイグニスは後退などはせず、それに凭れかかった。いや、正確にはぶつかった衝撃が全身に響き後退できなかったのだ。
好機と感じたヴァンジャスは、刀が触れている土人間を手で刀を押さえさせた。それから右方にいた土人間がイグニスの後方に移動し、拳を振り上げ。
次の瞬間、イグニスの刀が触れていた土人間を斜めに切り裂いた。
刹那、目前にいた二体の土人間が崩れ落ちる。
「がああああああああ!」
直後に絶叫が辺りに響き渡る。ただしヴァンジャスの叫びだけが。
彼は両の指先を、土人間が斬られた部分に当て、仰け反っていた。
土人間が斬れたのには理由がある。もし土人間が純粋な砂を押し固めたものならば、斬れることはなかっただろう。しかし土の中には僅かであるが確かに含まれているものがある。
砂鉄だ。これが含まれていたおかげでイグニスのキャバシティである『自分の刀に触れた鉄を断ち切る』が発動され、本来の固さを維持できずに斬られたのである。
しかしイグニスでさえもどうして斬れたのかも理解できず、まあいいやと思い歩みを再開する。
対してヴァンジャスはそのことを不思議に思うより先に、怒りをぶちまけるかのように叫んだ。
「ニーナァアアアア、てめえ、裏切りやがったな!!」
名を叫ばれた少女は大木に縛られたままヴァンジャスを見、目の端に涙を溜めながらも囁いた。
「…………やよ」
「ああ?」
うまく聞き取れなかったのか、ヴァンジャスが顔を歪ませて声をあげる。
ニーナは恐怖の対象でしかない男に、目を強く閉じながら、はっきりと言った。
「嫌、よ。私、カイルやウルド、イグニスやメアリに、助けられたんだもん。だから私も、助けられたいって。我儘だけど、思ったんだもん」
だから、と少女は息を飲んで、答えた。
「私はあなたを怖がって、言いなりになってちゃいけないんだって。彼らみたいに勇気を出して、協力しなくちゃいけないんだって思ったんだもん」
「ニーナァアアアアアアアアアアアア」
怒りが頂点に達したヴァンジャスは、腰の後ろから短刀を抜き取り叫ぶ。
だが、そんな男の左方から声がした。
「覚悟はできてるよな」
振り向けば、イグニスが立っていた。
彼を見た直後、ヴァンジャスの瞳が鋭くなり、怒りの矛先が変わった。
右手に構えた十センチ程度の短刀を、走って近づき、イグニスの心臓目がけて突き出す。
対してイグニスは刀でそれを横から弾くように受ける。
刀と短刀が交差し、甲高い衝突音が鳴り響く。
「てめえさえいなけば、俺の計画に狂いなんて出なかったんだ。てめえさえ現れなきゃ、俺は計画を遂行できたんだ」
ヴァンジャスの手に力が籠り、短刀が震える。ギギッと刃が擦れ合う音と共に、短刀が心臓へと近づいてくる。
傷を負っているイグニスにとって、短刀が心臓に突き刺さるまでは時間の問題だ。押し返すほどの力など残ってはいない。
だが、彼にはキャバシティがある。
次の刹那で短刀の刃は簡単に断ち切られ、柄だけの物へと変えた。
一瞬ヴァンジャスが眉間にしわを寄せる。が、すぐに新しい短刀を取り出そうと右手を背中へ回す。
その隙で、イグニスが動いた。彼は即座に構え直し、刀を縦に振るう。
ヴァンジャスが短刀を抜き取ると同時に、彼の短刀が右腕ごと切り落とされたのだ。右肩から先が消え、ぼとりと音を立てて右腕が地に落ちる。
「がああああああああ」
ヴァンジャスの肩口から溢れるように、赤黒い液体が飛び散る。辺りに鉄の臭いを染み込ませながら、痛みに耐えきれず尻餅をつく。
激痛のせいで額から大粒の脂汗を滲み出し、息を荒げている。
そこへ、イグニスが近づく。刀を逆手に持ち替え剣先を顔に向け、覆いかぶさるようにヴァンジャスを足で挟んで。
武器を手にできないヴァンジャスはされるがままに後ろに倒れる。
イグニスは男の脇腹あたりを両足で挟むように立ち、刀を顔面に向ける。
「これでお終いだ」
イグニスも多少ではあるが息を荒げながらも告げた。
するとヴァンジャスは見るからに青ざめていき、首を横に傾け声を張り上げた。
「ニーナ、助けてくれ。今までしてきたことについては謝る。それに、もうお前を傷つけない。絶対に、絶対に、絶対にだ。だから、だからだからだからだからだからだから」
ヴァンジャスの濁った瞳の焦点は泳ぎ、全身から汗を拭きだし必死に命乞いする。、
ニーナは二言だけ口にした。
「……イグニス、お願い」
「おうよ」
イグニスは両手を高く上げ、刀を振り上げる。
それに気が付いたヴァンジャスは刀へ視線を注ぎ、歯ぎしりする。
「てめえらはいつもそうだ。ムカついた奴らを悪者にして偽善を振り回すんだ。だから俺たちが殺されたって何も感じてねえんだ。そんなやつらがいるから、俺たちは見下されるん」
「黙れ」
ヴァンジャスの叫びを、イグニスが一声でかき消した。
イグニスは両手に力を入れ、憎しみを含んだ声で言う。
「てめえらはニーナを弄んで、それで傷つけたんだ。だったらそれを、自分自身で償いやがれ」
その言葉を最後に。イグニスは膝を曲げ、高く振り上げた刀を振り下ろす。
直後、ザクリと音を立てて刀は突きたてられた。
と同時にヴァンジャスの体は一度だけ大きく跳ねる。そしてそれ以降動かなくなり、気絶した。
そう、気絶。イグニスはヴァンジャスを殺さなかったのである。
彼はヴァンジャスの顔から数センチだけ右にずれた位置に刀を振り下ろしたのだ。力強く振り下ろしたため、刀が地面に深まで突き刺さったのが先程起きた音の正体である。
イグニスは地面から刀を抜くと、ふらついた足取りでニーナのところに歩み寄った。そしてニーナを縛り付けていた蔦を刀で斬り落とす。
少女は身体の自由を取り戻したと同時に、イグニスへ抱きついた。
「……ありがとう」
ニーナは顔を胸に埋めているために表情はわからない。しかし喜んでくれているだろう。
思うと安堵が訪れ、そのまま近くの大木に背を預け、座り込んだ。なのにニーナは顔を隠したいのか、少々強引についてきた。
その姿になんだか笑えて、笑顔がこぼれる。
ニーナを助けれた。そのことに身を以って実感し、幸福な時間を噛み締めた。




