前編
林で挟まれた狭い道を、腰に二本の刀を刺した銀髪の男が駆けていた。
男は上半身を倒して姿勢を低くし、風の抵抗を減らす。短い雑草を生やした地面を力強く踏み込み、低く、かつ迅速な跳躍を繰り返す。低く跳ぶことで踏み込む間隔が短くなり、体力が尽きることを防いでいるのだ。
銀髪の男がアルムから出て数分も経っていない。そのため、彼のいる場所はバルバラ森までの道のりの半分にも至ってないのだ。
だから銀髪の男は一つのことを切に願う。
取り返しのつかない(本当に馬鹿な)ことたけはするなよ、と。
真剣な趣で、銀髪の男はバルバラ森に向かって駆け抜けていく。
「ありがとうね、ウルド」
メアリが腰を下ろし、片手をメイスから放してかすり傷だらけのウルドの頭を撫でた。
ウルドには救援に来てくれた人をここまで誘導する務めをしてもらう。移動中に決めたことだ。
それに。メアリの勘では、すぐではないにしてもカイルが到着するはずだ。
ウルドに触れた手を放し、向かわせる。
銀毛の小型犬が走り去る姿をヴァンジャスが一瞥したが、すぐにイグニスへと視線を注がれる。
「俺があのガキを始末する。だからお前らはあの女を倒せ」
長身の男と太った男が了解と短い返事をした刹那。長身の男が、消えた。と同時に、背後から伝わってくる、気配。
メアリは一歩前進し、振り返る。手を組んで振り下ろされた黒のシルクハットを深く被った男の一撃は、空を切る。
よく見るとエグ二ムの両手には、手首から爪の根元まである赤色のグローブを嵌めていた。殴った衝撃で間接が外れないようにしているのだろう。
先程の一撃で多少ながら体勢が崩れたところを、鉄でできた先端に六角柱とその上面に六角錐がついたメイスで横振りの攻撃を入れる。が、足の指先に力を込めて後方に跳躍して逃げられた。
体勢を立て直すと、自らの後方から重たい足音が近づいてくる音を聞く。振り向けくと、一メートルもない近距離に丸く太った男が立ち塞がっていた。
「――――!」
危機を感じ、長身の男もいない安全な、左側へ駆ける。そして大木を背にし、二人を視界に入れる。
気が付くと丸く太った男は、ある武器を手にしていた。太い木の棒の先端に直径二十センチの巨大な鉄の球がついており、そこから放射状に長さ五センチ程度の鈍い棘を生やした武器。メイスと似て非なるもの、モーニングスターである。
レイはそれを右手で持ち、先端を下に向けて、メアリに突進する。
対して少女は冷静になって攻撃を外した隙を突こう、と意図する。
巨体は徐々に近づき、攻撃の初動に入る。見る限り、左斜め下段からの振り上げだと推測する。
しかし近づく速度と比較して、攻撃のタイミングが明らかに遅い。運が良ければ背後の大木と衝突し、大きな隙を生んでくれるかもしれない。
そんなことに少々期待すると、レイの攻撃が来た。メアリの推測した通りの振り上げ。そして距離は狭く、このままいけば大木が邪魔になってくれる位置だった。
そのため、メアリは表に出さないが心の内で嬉々する。よし、これで一人は倒せた、と。
メアリはモーニングスターの柄も当たらないように一歩だけ右に移動し、薙ぎ払いの動作に入る。
と同時に。レイの一撃が大木に当たる、はずだった。
「……え?」
横目でそれを見ていたメアリは、一瞬で顔色が変わった。
モーニングスターと接触した大木は、衝撃音を響かせるわけでもなく、武器の通過箇所だけが消え去ったのだ。
その光景に呆然としてしまい、反応が遅れた。攻めようとしていた体勢をわざと崩し、倒れる。が、反応が遅れたせいでレイの一撃を完璧に避けることができず、左頬を掠った。
頬に赤い線ができ、そこから血が溢れてくる。が、そんなことなど気にしてはいられない。
モーニングスターを振り上げたレイが、追撃として叩き潰すように武器を振り下ろす。
メアリは避けようとメイスを抱えて、横に回って移動。そして立ち上がる。
その瞬間を狙っていたかのように、背後からの気配と僅かな落下音。
くっと声を漏らしつつも、横へ跳躍し、回避する。
攻撃ができない。奥歯を強く噛み、ただ攻撃を避けることに専念し、隙をうかがう。
しかしメアリが攻めれる瞬間を滅多に見せないまま、苦戦は続く。
男二人がメアリに向かう姿を見たイグニスは、しかし止めずに流した。オレにはオレがやらないといけないことがある。
右手で持つ刀の剣先を下に向け、ヴァンジャスを睨む。
「ニーナ、お前はずっと俺の痛みをあの男に与え続けろ」
ニーナは唇を噛んで、嫌々頷いた。
ヴァンジャスがこちら側に向き直り、嘲る口調で、
「さっさとかかって来いや、ガキ」
外道が、と小さく吐き、足に力を込める。
敵との距離は十数メートル。そこまで遠くはないが、すぐに近づけれるような距離ではない。
だが、そんなことは気にせず、迷わずに駆ける。
イグニスが動きだし、その直後にヴァンジャスが動いた。彼は両の靴を脱いで、投げ捨てて裸足になった。
すると、仁王立ちするヴァンジャスの手前からゴゴッゴゴゴゴッと重たい音が鳴り始めた。
イグニスは目を細め、足を止めた。不安もあり、今は様子見しようと判断する。
響く音は途切れ途切れであっても止む気配はなく、鳴り続ける。やがて轟音は地を震わせ始めた。
何が起きるんだ。イグニスは頬に傷をつけた男を注視する。
そこで、異変に気付いた。男の手前、つまりは地面から直径十五センチほどの茶色の球ができていた。
何だあれは。その疑問に答えるように。球に新たな形が生まれる。
球が地に触れている部分から太い円柱が生え、続いて分厚い板のようなものが出現した。板は細長く、縦に百五十センチ近くもあった。形は上辺の方が下辺より長い台形となっている。
そして握り拳程度の球が横に二つ連なって出現は止まった。
……何が起きるんだ。イグニスにとって現れたものはどんなものかさえも理解できなかった。
その時、大きな変化が表れた。出現したものに、細い線がところどころに入ったのだ。
結果、土から生まれたものはイグニスにとってよく知っているものに形作られた。
人間だ。四肢があり、頭部があり、二本で立っている。目や口などの細かい部分は作られてなかったが、それを人間と呼ぶには十分なものだった。
それが完成させたヴァンジャスは、小声で、確かに笑んだ。勝利が確定したと思ったように。
人型のそれのせいでむやみに手出しができなくなっているイグニスに向かって、ヴァンジャスが口を開いた。
「こいつは俺のキャバシティでな。肢端が素の状態で土に触れることで発動する。土でできてるから普通の人間よりは固い。まあ、頑張って倒して俺のところまで来てみろや」
言い切った直後、今度はヴァンジャスの方から動いてきた。正確には土人間が。
ズシンズシンと重たい足音を鳴らして、しかし走って迫る土人間にイグニスは遅れて動き出す。
土でできているのなら、容易に刀を突き刺すことはできない。土は集まり、圧縮されることで石にもなる。鉄でできた刀といえど、刃こぼれせずに土の塊に刺せることは簡単ではないのだ。
どうするべきかと考え、まずは回避重視に動こうと判断する。土人間は走った勢いを殺さぬまま、拳を作って殴りかかる。無駄な動きが多く、避けることは簡単であった。体の軸をずらし、軌道から体をそらす。
そこで気が付いた。相手は土でできている。ならば拳は石並みに固いわけで。
先程まであったイグニスの頭部の場所に、土人間の拳が通り、爆風にも似た風切り音が辺りを震わせた。
「――――なっ」
今は避けれたからよかったものの、もし当たっていれば頭部は粉々になっていただろう。想像するだけでゾッとする。
もっと慎重に、そして的確によけなければ。
体勢を立て直し、隙を窺いつつ後退して相手の攻撃を避ける。相手が拳を振るう度に起きる轟音は、イグニスの脳に恐怖を植え付けた。
だが、反撃をしなければきりがない。
意を決し、相手の土人間の右拳が振るわれるのに合わせ、その下を潜りって土人間の右方を取った。
よしと心の中で喜び、刀を両手持ちにして高く振り上げ、腕を切り落とすべく肩に狙いを付け、刀を振り下ろした。
イグニスの鍛えられた腕力と少々の剣技によって、刀を握る手が固さを感じたものの土人間の右肩に刀を通した。
その刹那。
「がああああああああああ」
イグニスの右肩の付け根を切断されたような痛みが襲い掛かった。左手を刀から放し、肩口を擦るが斬れた痕跡はなく、むしろ傷跡一つもなかった。
その様子を見ていたヴァンジャスは両手を腹に抱え、小さく震えていた。
視界の隅にそれが映り、首だけ回し、そいつを睨みつける。
すると、ついには堪えきれなくなって大笑いをした。
「何が言いたいんだ、てめえ」
「はははははっ。ひっひっ。あー、ひひっ、予想以上に盛大な絶叫をあげたなあ、ひひっ」
痛みに耐えつつもイグニスは睨みをやめない。
対してヴァンジャスは笑声が納まり、目の端に涙を浮かばせていた。そして、イグニスを嘲るように言葉を発する。
「俺のキャバシティは厄介でよお、そいつが受けた痛みは俺に返って来ちまうんだよ。だがな、こっちにニーナがいる限り、その痛みはてめえが受けるって訳なんだよ。わかっただろ、てめえが俺のキャバシティを倒そうとすれば攻撃した方が傷ついていくんだ」
ヴァンジャスは禍々しい笑みをし、イグニスを下視する。
「こいつがある限り俺は最強だ。誰にも負けねえ。誰だろうと俺には勝てねえ!」
途端に、地響き。
まさか、と思い視線をヴァンジャスの手前の地面に向ける。そこには新たな球が生まれていた。
一体でも面倒だってのに。
土人間と距離をとるために後ろに跳躍する。気が付けば、先程切り落としたはずの右腕は、元通りに治っていた。
肩口からの痛みは消えている。ならば勝つためにはどうすればいいのか。
土人間を無視してヴァンジャスに攻撃することも考えたが、どれくらいの実力なのかが測れない。最悪の場合、土人間と挟まれてしまうこともあり得る。
ならば、ならばと思考しているうちに二体目の土人間が完成される。
直後、イグニスに二体の土人間が襲い掛かってきた。
アルムから繋がるバルバラ森の入口付近で、銀髪の男は額に少量の汗を浮かばせ、息を弾ませて辺りを見渡した。
誰かが手がかりでも残してないかを探す。無闇に探したところで出会える可能性は非常に低く、もし見つけたとしても争いごとが終わっているかもしれないからだ。
大木の表面や地面を入念に見つめる。だが、そんなものは見当たらなかった。
どうすればいいと腰に手を当てて悩んでいると、よく知った声が聞こえた。
声がする方を向くと、そこには銀毛の小型犬が座ってこちらを見ていた。
銀髪の男は薄く笑んで、
「お前が迎えに来てくれるとは思ってなかったぜ、ウルド」
「バウッ」
ウルドは嬉しそうに答え、森の深部へと走り出す。
銀髪の男はウルドを追い駆け、森の奥へ消えていった。




