中編
イグニスたちはウルドを追って、アルムから出、ある場所へと続く一本道を駆けていた。
足首まで生えた草の道に、一メートルを超す林の壁。それは彼らが見たことのある光景だった。
バルバラ森、つまりはニーナと出会った場所へ続く道である。
あの森の奥でニーナちゃんが捕まっていたと考えると、自然と足が速くなった。
しかし先導しているのはウルドだ。足を速めても意味がない。
落ち着けと自己暗示させ、冷静を保つ。
かくして、彼らはバルバラ森へ突入した。
三方に別れたクロウは真っ先にカイルを探した。
確か調べたいことがあると言っていた気がする。そのため一人のクロウが 図書館へ向かう。
そして受付けに聞いたがすでに出ていったとのこと。
ならばとクロウは考え、他のクロウがカイルの家に向かう。
扉を叩いたが返事はない。ここも外れかと思いつつドアノブを回すと、扉が開いた。不用心で御座るな……。
中へ進んでいくと、ベッドで倒れている銀髪の男がいた。
気が付くと友人が自分を呼ぶ声によって起こされた。どうやら倒れた勢いで寝てしまったようだ。
「カイル君、早く起きるで御座るよ」
「……なんだよ、突然押しかけてきて」
重たい体を起こし、ベッドから立ち上がり、右手で後頭部を撫でながら大きな欠伸をする。
向かい合ったクロウは冷静な口調で、言葉を発した。
「単刀直入に話すで御座る。ニーナちゃんが連れ去られたで御座る」
「――――!!」
予想だにしていなかった。
アルムの中にいれば襲っては来ないと踏んでいたが、当てが外れた。
カイルはクソッと呟き、それから尋く。
「それで?」
「その時イグニス君たちが襲われたので御座るが、その二人とウルドが犯人たちを追いかけにいったで御座る」
「……はあ?」
思いっきり片目だけが歪んだ。あいつら馬鹿か? 考えなくても馬鹿だったな、ちくしょう。
後悔してる時間さえ勿体ない。急いで壁際に立てかけてある二本の愛刀を腰に差す。
それから直立し、肩に手を置いて腕を回す。屈伸や伸脚をし、準備体操を済ませる。
再び対立し、柔らかな表情でカイルが言った。
「お前が止めなかったところを見ると、あいつら、本気の目をしてたんだな」
一瞬、クロウが驚きの色を表にし、しかしすぐに元に戻った。
「そうで御座るよ。中途半端だったらどんな理由だろうと止めてたので御座ったが、あんな目をされたら止めたくても止めれないで御座るよ」
優しさが含まれた口調は、この場にいないイグニスとメアリを称賛していた。
それならいい、と銀髪の男は嬉しそうに呟く。
そして。
カイルの表情は一変し、真剣なものになる。
「伝えてくれたありがとうな」
それだけを言い残し、カイルは家を飛び出した。
家に取り残されたクロウは、カイルが出て行ったことを見て、同様に家を出た。
拙者もやるべきことをやらねば。
彼らを援護するための人集めを、赤いスカーフを纏った男は再開させた。
バルバラ森の深部を歩く三つの人影は、住み家に着く前に動きを止めた。
「エニグム、レイ、止まれ」
頬に二本の傷跡をつけた人物が二人に制止をかけた。
声の主より前を歩いていた二人は、一度立ち止まって、振り向く。
ニーナが入った布袋を肩で担いだ丸く太った人物が、わからないといった表情で聞いた。
「どうかしたんですか?」
「これは俺の考えだけどよう、今回ニーナが住み家から逃げ出してから一人が殺され、俺の計画から降りようとする者たちが出てきて、揚句には俺らに連れ去るなんて面倒なことまでさせられた」
だからよう、と獰猛な笑みを浮かべて言葉は続けられる。
「ニーナに罰を与えねえか」
傷跡をつけた人物の提案に、エグ二ムは、
「そいつはいいですね。では、何をしますか?」
「そうだな、エニグムはそこらへんから蔦を複数拾ってきてくれ」
「わかりました」
長身の男は白いフードを被った人物の指示された通りに動く。
その間に、丸く太った人物が肩から大きな布袋を降ろし、ニーナを袋から出す。身長が一メートル弱の少女は気絶しており、太い手によって抱えられている。
「それじゃあ、こいつはどうしますか」
「まあ、エニグムを待てって」
数秒経つと、長身の男が黄緑色の直径三センチ程度の太い蔦を四本手にして戻ってきた。それらは長さが様々で、五メートルを超すものもあれば一メートルにも満たないものまでもあった。
傷跡の人物はそれを見て、深いため息を漏らす。
「お前、もっといいのはなかったのかよ」
エニグムは笑って、シルクハットに片手を乗せて腰を曲げる。
「すみません。急いでたのでこれぐらいのものしか見つけられませんでした」
「……まあいい。これでやるか」
仕方ないといった顔でエニグムから四本の蔦を受け取る。そして、等間隔に生えている大木の一つを指さし、
「あれにするぞ。レイ、ニーナを連れてこい」
了解、と黒いフードを被った人物が呟き、指示に従う。
指さした大木に着き、再び傷跡の人物が指示を飛ばす。
「レイはこいつを樹に押さえつけろ。エニグムは俺の手伝いをしろ」
二人は了解と言い、指示通りに動く。ニーナはレイに直径二メートル近くある大木に抑えられる。
残った二人はニーナの右手首に一本、左手首に一本の計二本の蔦で縛り、余った部分を大木の後ろできつく結ぶ。腰には長い蔦が使われ、幾度もまかれてから大木と結び付けられる。最後に足を縛ると同時に、余った部分を同様に大木の後ろで結んだ。
両手を広げ、足を揃えている形である。長く黒い髪は背にあり、数本だけが前に垂れている。
「よし、これで完成っと。……って俺はいつまでフードを付けてるんだよ」
悪態をつき、傷跡の人物は頭にかかった白いフードを取り払う。
短く切られた黒髪に、鋭く、しかし濁った瞳をした男が顔を露わにする。
その男は首を曲げ、コキコキと音を鳴らしてからレイに顔を向ける。
「レイ、お前もいつまでフードしているつもりだ。さっさと取れ」
「了解」
丸く太った人物が指示に従い、頭につけた黒のフードを取り払った。
禿げ頭に、脂肪のせいで顔面まで丸くなった男と思われる人物が顔を露わにした。その人物はもはや太りすぎて性別さえわかりにくくなっているのだ。
そんなレイのことは気にせず、エグ二ムが傷跡をつけた男に話しかける。
「それで、ここからはどうしますか、ヴァンジャスさん」
「ここからは俺だけでやる。お前ら、絶対に邪魔するなよ」
「わかりました」「了解」
返事をし、エグ二ムとレイはその場から距離を置く。
ヴァンジャスと呼ばれた頬に二本の傷跡を持つ男は深く黒い目をして、しゃがんでニーナと顔の位置を合わせて呟いた。
「こんなドレスみたいな服とか着ちゃって、アルムではお姫様気分か」
憎悪が込められた台詞に、しかし気絶しているニーナは反応などできなかった。
ヴァンジャスは濁った瞳で縛られている少女を睨みつけ、そして、
「……起きろ」
声と共に、パンッとヴァンジャスが少女の左頬を平手ではたく音が辺りに響いた。ニーナの頬は薄い赤色を帯びるが、気絶から目を覚まさない。
だから。今度は少女の右頬に強い平手打ちを見舞いする。ニーナは両頬を淡いピンク色に染まらせ、熱を帯び、目を覚ました。
う、うーんと唸り、垂れ下がった首を起こす。彼女は目を細め、状況を把握しようとする。
そんなことを他所に、ヴァンジャスは、
「しっかりしろや」
ニーナの髪を鷲掴みした。
朦朧としていた意識は、痛みと恐怖によって現実へと叩き戻された。そこでようやく、自分の置かれた状況を認知する。
イグニスとメアリとウルドがこいつらに倒されたこと。
こいつらに恐怖して、袋に入れられた時に気絶したこと。
そして今、こいつらの好きなようにされていること。
「ようやく起きたか。じゃあ、罰を与えるとするか」
罰。この単語にニーナは思う。これはこいつらから逃げたから、罰。なんかではなく、目の前にいるこいつのやりたいことをしているだけだ、と。
「……いつもより目だけは反抗的だなあ、おい」
ヴァンジャスは口の端を上げて鷲掴みしていた手を放すと、数本の髪が抜け落ちた。
白いフードに右手を入れ、腰から一本の短刀を抜き取った。刀身は十センチ弱しかない、光を反射させて輝く、短刀。
ヴァンジャスは左手で広げられた両手の内の左手を掴み、言った。
「手を開け。それと、キャバシティは絶対に使うなよ。使ったら……この左腕を切り落とすからな」
脅迫に抗うことはできず、言われるがままに手を開く。
ヴァンジャスは、よしと呟き短刀を持つ右手をニーナの左手に近づける。
そして。
ゆっくりと手の平に縦の一線を入れた。皮だけが切り裂かれ、傷口から赤い肉が露出されると共に数滴の血が滴り落ちる。
ヴァンジャスはこれ以上上がらないと思うほど、口の端を吊り上げて笑う。濁った瞳を見てもわかるほど、彼は楽しんでいた。
対してニーナは奥歯を噛み締めて我慢するが、それに意味はないと悟る。なぜならこれはまだ序の口で、これからもっと酷いことをされるはずだからだ。
しかしだからといってされるがままにされるわけにはいかない。
ニーナは敵意を込めて、ヴァンジャスを睨みつける。それに気が付いた短髪の男は、むしろ愉快そうに嘲笑う。
「くっくっく。いいねえその表情。すっげえそそるわ。これこそいじめがいがあるってもんだな」
じゃあ、と言葉を区切り、刀身を手の平の傷口に当てる。
「これでも耐えることはできるか」
焦らすほどゆっくりとした速さで、刀身が手の平に侵入してきた。肉を抉り、血を噴出させ、脳に激痛をもたらす。
「あ。ぐっ。が……っ!」
じわじわと伝わってくる左手からの熱と痛みに、声を漏らさずにはいられなかった。
刀身が入り込んでいく度に痛みは増していく。ついには刀身は途中で止まった。
骨が邪魔をして短刀の侵入を防いでいるのだ。
「なんだ、もうここまでついたのかよ」
ヴァンジャスが笑顔のまま呟いた。が、短刀を抜く気配は一切ない。
男はニーナの手に刺した短刀を左手で支え、空いた右手で握り拳を作る。
「そんじゃ、一気に突き刺すとするかな」
言い、短剣の柄の底を殴ろうとしたその時だった。
「ヴァンジャスさん、ちょっと待って下さい」
エグ二ムが止めにかかった。
邪魔をするなと言ったのに邪魔をされたヴァンジャスは憤慨の色を持って、聞く。
「どうした。何もなかったらぶっ殺すぞ」
仲間であるはずのエグ二ムさえ畏怖するほどの殺意に、小さな悲鳴を押し殺しつつ答える。
「その、足音が聞こえたので誰かが近くにいると思いましたので、止めさせて頂きました」
変な丁寧語にはなっていたがヴァンジャスは内容を理解し、チッと舌打ちをする。
今ニーナの左手の骨を砕いて叫ばれて、誰かに気付かれたら面倒だ。
その場で静止し、耳を澄ませる。
聞こえる足音は計三つ。大きい足音が二つと小さい足音が一つだ。急いでいるのか一つ一つの音が力強く、かつ間隔が短い。
早くどっかに行け、という思考とは別にその足音は徐々に大きくなっていく。
ヴァンジャスは眉間にしわを寄せ、エグ二ムとレイは樹の影に身を寄せて気付かれないようにする。
ニーナは左手の痛みに震え、堪えて、必死に瞳を開けて見た。自分を助けにきてくれた二人と一匹を。
ニーナを見つけ、第一声を上げたのはイグニスだった。
「追いついた!」
彼らは肩を上下に揺らして荒い呼吸をする。それに加えてメアリはニーナが傷つけられた現状に、敵意をもって睨みつける。
対してしゃがんでいたヴァンジャスは、ニーナの左手に刺していた短刀を抜き取り、立ち上がって短刀を縦に一振りした。こうして刀身にべっとりとついたニーナの血を払い落す。
ヴァンジャスは目を細め、呆れた口調で、
「なんだよ。誰かと思ったらさっき俺らにやられた雑魚共じゃねえか」
「「…………」」
返事はできず、二人は呼吸を整えるだけ。
ヴァンジャスは深いため息を吐き、何で来たんだよと悪態をつく。その直後、ヴァンジャスの脳裏に一つの考えが浮かび上がった。
頬に二本の傷跡をつけた男は両手を広げ、口の端をこれ以上上がらないと思うほど上げてから、言った。
「なあお前等。どうして俺たちがニーナを奪ったのか、わかってるか?」
荒い呼吸をしている二人は、まずは呼吸を整えたく、相手の話に乗ることにする。ただし聞きはするが、返事はしない。
ヴァンジャスは返事がないことに、しかし話を聞いていることに満足し、続けることにした。
「その様子じゃあわかってないようだな。まあ、俺らだってこいつを探すのには相当な手間がかかった」
なんせ、と区切り、くっくっくと笑って楽しそうに、
「ニーナ自身がそれについて隠しているもんなあ」
聞いているイグニスからすると、彼の話はただ自己満足として語っているだけ。こちらには全く得のない話である。
ずっと走っていたせいか未だに呼吸は荒いままで、納まる気配はない。
ヴァンジャスはこちらの状況を見て、
「おおっとすまねえ。話がそれちまったな」
心にもない謝辞をし、ここからが本番といった雰囲気を出して、言い放つ。
「ニーナはな、俺らにとっては大事な大事な道具」
そして、
「お前等にとっては化け物同様だからな」




