後編
昼下がり、視界いっぱいに広がる芝生の広場で、彼らから見て右から順にイグニス、ニーナ、メアリがベンチに座っていた。ウルドは地面に座り込んでいる。
辺りは見通しがよく、若干の人々が歩き去っている。
三人と一匹はそこで、昼食にしたパシェルを食べていた。これを選んだのはニーナが、これを食べたいと言ったからだ。そしてこの場所も、ニーナが見通しのいい場所がいいと言ったため、ここになったのだ。
三人はベンチに座りつつ、雑談をする。
「思ったんが、メアリってずっとメイスを背負ってたけど重くないのか?」
「私、常にこれを背負ったり手で持ったりしてるから、力は付いたのよ。それにもう慣れちゃったし」
「慣れたって……どんだけ持ってるんだよ」
「寝る時と入浴する時と読書する時以外」
メアリの返答にイグニスが、うわ、すげえと声を漏らした。
「慣れといて損はないからね。まあ、攻撃の仕方とかはさっぱりなんだけど」
「その点はオレの方が勝ってるってわけだな」
言うと、少女は怪訝な顔で、
「……わかってると思うけど、てきとうにその刀を振り回すのが攻撃じゃないからね」
「知ってるわ!」
普段通りの会話。しかし違和感を感じさせるものがあった。
ニーナだ。彼女は二人に挟まれて、両手で持つパシェルを口に運んではかじっている。虚ろな表情で。
ニーナがこちらの会話を聞いて笑顔になることは滅多にない。だからといって、まるで魂が抜けたような顔は今までに一度も見たことがなかった。
何か嫌なことでもあったのだろうか。気になることでもあるのだろうか。
どうしてもイグニスは心配せずにはいられなかった。
「ニーナちゃん、どうかしたの? 顔色、暗いけど」
すると、彼女の瞳に色が戻り、俯いたまま答えた。
「……ううん、なにもない、なにもないよ」
今度はそれを察していたのか、メアリが尋く。
「気になることがあったら私に言ってね」
「おい、オレを入れ忘れんなよ」
「大丈夫、意図的に入れてないだけだから」
「ひ、ひでえ」
「……うん、わかった」
「わかっちゃったの!? 少しはオレも頼りにしてくれよ」
冗談だよね、と困惑を抱きつつも、何かあったら言ってくれる安心を感じる。
食べていたパシェルの最後の一切れを口に含み、イグニスは立ち上がった。両手を組み、頭上より上げて伸びをする。
「そんじゃ、ニーナちゃんが食べ終わったら買い物を再開するか」
メアリも食べ終え、同じように立ち上がる。
「そうしますか。ならウルドはそれまでに食べ終えてなかったら置いてくから」
「ギャウ!?」
メアリの冷酷な台詞に、ウルドは急いで残ったパシェルを口に詰め込む。と同時に、ニーナも最後の一切れを口に運んだ。
「それじゃ、行くか」
ニーナが立ち上がろうと両手をベンチにつけ、そして硬直した。
どうしたんだろうと思うと、眼は大きく見開かれ小さな体は震え始めた。更には唇も震わせ、うそだ、いやだ、と繰り返し呟いている。
だから心配の声をかける前に、イグニスはニーナが見ている場所に体を向けた。彼女の視線の先、十数メートル離れた所には三つの人影があった。
一つは横に広い、まさに丸の体系をして黒のフードを被った人物。
一つは獣に引っ掻かれた傷跡が頬に二つついた、白のフードを目が隠れるまで被った人物。
そしてもう一つは。
「あいつ……」
先程ぶつかってきたシルクハットを深く被った長身の男だ。
メアリが嫌悪を含んだ声を上げ、ベンチの横に立てかけていたメイスを背負う。
「私、ちょっと話をしてくる」
仏頂面で三人の元へ歩くメアリ。
「おいおい、待てよ」
イグニスが左手を伸ばし、メアリを止めようとする。が、手が届く前に彼の体が固まった。
なぜなら白いフードの人物とシルクハットを被った男だけが、消えたからだ。
どこに行ったと思った刹那、その答えが現れた。
メアリの背後。長身の男が組んだ手を高く上げた姿が出現した。
しかしメアリは二人が消えたことに驚き、目を見開いている。
「あぶねえ!」
思わず出た叫びの直後、イグニスの後頭部に重い衝撃が襲った。
ガッ、と痛みから漏れた声と共に、体は前に傾き、膝から崩れ落ちる。
そしてすぐに、近くから鈍い音とメアリの体が倒れる音が聞こえた。
地面に倒れた状態で、しかも意識が朦朧とする中で、ようやく自分に起きたことを把握した。
消えたのが二人なら、オレの後ろにも一人現れていたんだ、と。
視界が歪み、思考さえし難い状況で、一つの声が聞こえた。
「周りの雑魚は片付けたから、さっさと回収していくぞ」
それは今のイグニスでもはっきりとわかることだった。回収、つまりはニーナを連れて行くこと。
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。
頭の中でどれだけ念じても声にさえならず、阻止しようと思っても指さえ思うように動かせずに。意志とは別に視界は徐々に暗くなっていき、そのまま意識が途絶えた。
頬に傷跡がある人物は懐から荒く折りたたまれた布袋を、右手で長身の男に渡す。
「エニグム、これにニーナを入れろ」
エグ二ムと呼ばれた長身の男は、了解と言って布袋を受け取る。そして彼女に近づいていき、しかしそれを妨害するものがあった。
「ギャウッ、ギャウッ」
ウルドだ。
小型犬は少女を守るように前に立ち、男に向かって何度も吠える。
対してエグ二ムは、無言のままウルドを蹴り飛ばした。小さな体は宙に浮き、すぐに地面を転がり、銀色を茶色く染め、動かなくなった。
守るものは消えた。男が近づき、ニーナは恐怖しか感じない。
だから、立ち上がり逃げようと右に向かって走る。が、肉の壁にぶつかった。
「ふふふ、こっちには逃げれないよ」
黒いフードを被った脂肪で覆われた人物に、行く道を塞がれた。
ならば、と額に汗を滲ませ、焦った顔色で振り返る。しかし今度は長身の男にぶつかった。
焦りは高まっていき、右を向くが頬に傷跡がある人物が立っていた。
囲まれた。
逃げれない事実に足は震えだし、脳内は恐怖の黒に塗りつぶされる。
悲鳴をあげるという発想も出ないまま、ニーナは布袋に包まれた。
数分後、三つの人影が大きな布袋を背負い、アルムから出ていった。




