三、朱色の娘と恐怖の妹
主な登場人物
・藤谷 鷹太郎
・パンダの女の子
・藤谷 美虎
巨大なパンダの口から発せられた、驚くべき内容。
「……じゃあ、証拠でもあるのか?」
半ば信じていない俺の表情を大熊猫は読み取り、
「さっき、巻き込まれていい、って言ったし……うん。今から見せてあげる」
自信満々の笑みをこちらに向けた。
すると目の前であぐらをかいていたパンダはおもむろに立ち上がり、ピンと背伸びをするように姿勢を正す。そして、黒くてモサモサしている両手を空に向けて伸ばし、呼吸を整え、こう叫んだ。
「変化、解除!」
その瞬間。大熊猫が真っ黒な煙に包まれ、姿が見えなくなる。
「うっ……ごほっ、ごほっ……煙たい……」
煙の中から女の子の咳き込む声。解除した本人がダメージ受けてどうすんだ。
「大丈夫かー?」
ちょっと心配になったので声をかけてみる。すると、パンダの時より鮮明な女の子の声が返ってきた。
「うん、らくしょーらくしょー。では、とくとご覧あれ!」
その張り切った言葉と同時に、突風に吹かれたように黒い煙が飛び去っていき、あとには小柄な女の子のシルエットだけが残った。
……目の前にいるのは、紛れも無く人間だ。黒い煙が噴出している間に、この女の子とパンダが入れ替わったというイリュージョン説も無くは無いが、だとしたらあの煙は何処から出てきた、という話になる。
にしても、可愛いな、こいつ。大きくて少しツンとしている目に、整った鼻。そして桃色に潤った唇。その驚くまでに整った顔立ちを優しくつつむ艶やかな黒髪は、肩の辺りまで伸ばしていた。そして、鮮やかな朱色の着物を羽織っているその様は、言葉にするならアイドル日本人形、といった感じだ。
「そ、そこまでジロジロと見られると……。そんなに美しかった?」
「美しいっていうか、可愛い。で、それがお前の本当の姿なのか?」
パンダに変化していた女の子は頬も着物と同じ朱色に染めあげ、恥ずかしそうに顔をこちらから背ける。
うわ、照れた仕草もかわいいですなぁ!……だんだんオッサンに変化してきてるな、俺。
「そ、そうだよ。これがパンダの本当の姿。さっきのが……」
と、まだ顔の赤い女の子が説明しようとしたそのとき。
耳をすませば、聞こえてくるね。何かが風を切り、全速力で近づいてくる音が。足音。足音。
……妹さまのご帰還だ。
俺は慌てて家の中に飛び込もうとし、はっ、とする。この女の子はどうする?
こんなところに放っておいたら、妹の餌食だ。一応部屋に匿っておこう。
すばやく女の子の腕を掴み、家の中へ突入。障害物はなし。このまま2階の俺の部屋へ逃げ込む!
振り向くと、まだ妹は玄関まで辿り着いていない。大丈夫、このまま駆け抜ける!
「これがかっこいいシーンだったら、ご満悦だったのになぁ……」
今のこの状況は、ただ女の子の手を無理やり引っ張って、自分の部屋へと誘おうとしているだけだからな。一歩間違えれば変態だ。捕まったらどうしよう。だれに?妹とポリスマンに。
ようやく階段を上まで駆け上がり、自分の部屋が見えてくる。それと同時に、玄関の扉が開く音。
「ただいまぁ。兄さぁん、いますかぁ?兄さぁん」
下の階から響いてくる、のったりとした口調の妹の声。
「ねぇ、お兄さんって君の事でしょ?だれか呼んでるみたいだよ?」
喋るんじゃねぇよパンダー!この緊迫した状況が分からんのか!
今の声の大きさだと、確実に妹に聞かれただろう。その予想を確定付けるように、下から廊下を走る音が聞こえてくる。
俺は急いで自分の部屋に入ると、南京錠やらなにやらまでたくさんの鍵を部屋の扉に掛け、しばらくその場に直立する。
隣の女の子は心配そうにこちらを見上げてくる。そんな顔するなよ。こっちだって心配になるだろ。
主に自分の命が。
妹の床を踏みしめ走る音がどんどんこちらに近づいてくるごとに、俺の心臓の鼓動も早くなっていく。先に言っておくが、俺は毎日こんな生活を送っているんだ。
俺の妹の名は藤谷 美虎。美しい虎と書いて、みこ、と読む。中学3年生だ。
その名のとおり、妹は美しい。兄貴が言うのもどうかと思うが、そんじょそこらの女の子とはワケが違う。ああ……ワケが、違うんだ……。
さっきパンダの女の子を「かわいい」と表現したが、美虎の場合は「美しい」という表現がお似合いだろう。どこか日本人離れした端正な顔立ちに、少々ブロンドに近い茶色の髪。どうみても俺に似ていない。しかも、決してハーフではないのだ。俺の両親はどちらも生粋の日本人だし。
性格も他人や友人から見れば、完璧だろうな。勉強も運動も成績がよく、まさに文武両道。人当たりも良く、自分の美貌を嫌味ったらしく自慢したりもしない。
だが、完璧にみえる我が妹にも、欠点、欠陥、というものがあるんだ。
それは、異常なまでのブラコン。
小さいころはまだふつうに思えたが、成長するにつれ、その異様さに拍車がかかったように、俺にまとわりついてくる様になった。
風呂は一緒に入る、飯は隣で食べる、休日は一緒にデートしようなどと毎日うるさい。極めつけは、これだ。いつも帰ってきてすぐ、俺にボディプレスをかましてくる。どんな愛情表現だよ。
美人の妹に好かれる、というシュチュレーションを望む男子もいるだろうが、それは今限りでやめた方がいいと思う。最初の頃は嬉しいだろうけど、時間がたつにつれ、ただうざく感じるようになっていくぞ。
そんな忠告をした後、部屋の扉がコンコン、とノックされる。
「兄さぁん、さっき、女の子の声が聞こえたんですけどぉ、どーしたんですかぁ?」
続いてノブをガチャガチャと捻る音。絶対開くはずが無い、と分かっていても、心配せざるを得ない。
「あけてくださぁい。いるんでしょぉ?最近やってないボディプレスやってあげますからぁ。それがいやならぁ、ダブルアームスープレックスにしてあげますからぁ」
妹よ。そなたは俺を殺す気か!つか、何気にプロレス技の精度あげてんじゃねぇよ!
パンダの女の子もやっと状況を理解したらしく、俺の顔を心配そうに見上げるだけで、何も言って来ない。大丈夫だ。もうそろそろ……
「じゃぁ、無理矢理はいっちゃいますねぇ~」
そののったりとした口調から想像できないことが、今始まりますから。はは……。
俺はあらかじめ扉の前から女の子と一緒に非難しておいて、アイコンタクトで「驚くなよ」と伝えた。するとあちらも分かったらしく、頷いてくれた。
その2秒後、けたたましい音と共に俺の部屋の扉がぶっ飛び、美虎が入ってきた。
「兄さぁん、ただいまぁ~」
そしてその更に2秒後には、俺は妹の必殺技を喰らって、床に倒れていたのだった。
遠のく意識の中。最後に記憶にあるのは、パンダの女の子の驚愕した表情だった。
大丈夫。まだ死なない。
あと5分ぐらいは……動いてくれんだろ……心臓。