十一、地獄のエンドレス
◇登場人物◇
・藤谷 鷹太郎
15歳。高校生。
・紅亜
13歳。熊猫族の少女。魔術の扱いに長けている。
・吾煉
褐色の肌の少年。獅子族。
・水紋上 珍彦
巨体の青年。甲羅族。亀の甲羅を背負っている。
竜宮城、2階層目の廊下にて。
「……嘘だろ」
俺は目の前の光景に愕然としながら、呟いた。
できれば嘘と思いたい。嘘であってほしい。というか嘘だろ! 嘘って言ってくれよ!
「鷹太郎様。目をつむっても現実は何も変わりませんよ」
「うっせぇわかってるわ! でもこれはほんとないぞ! マジで!」
駄々っ子のように床を転げまわる俺を冷ややかな目で見つめながら、珍彦は非情極まりない言葉を放った。
……でも、これは。さすがにさ。
俺は瞼をぎゅっと閉じてから、ゆっくりと開く。
「……はぁ……」
そしてため息。そりゃ、何も変わるわけないさ。現実だもの。
と、そこで意気消沈している俺に紅亜は不思議そうに首を傾げ「なにしてんの?」と問うてきた。
「いや、なにしてんのって、この目前の光景を見て分かりませんかね、紅亜どの」
「目前……って、え? え?」
なおも疑問符を浮かべる少女を半眼で睨みつけながら、俺は顎で俺たちが今から越えるべき障害物たちを示した。
障害物。といっても、小学校の運動会のプログラムにある「障害物競争」に出てくるような生半可なものではない。
まずはじめに俺たちを待ちうける障害物は、廊下の隅から隅まで敷き詰められた針の園。それも、裁縫の際に使用するようなものなんかではなく、アイスピックをそのまま巨大化したようなものを所狭しと並べた、見事な針地獄である。閻魔大王もびっくりだ。
そのつぎに、よくわからんが毒沼。しかもかなり深そうだ。この時点ですでに「障害物」の概念を超えたような気がしなくもないが、あえてそこまつっこまないでおこう。
その向こうにかすむようにして見えるのが、雪山。……雪山。俺が何を言ってるかご理解いただけないかもしれないが、本当に雪山なのだ。
両側面の壁からとてつもない量の雪と突風が吹き出し。それによって出来上がった雪山が、「こんぐらいの山越えるのなんて楽勝でしょ?」と言わんばかりにそびえ立っている。
俺登山家じゃねぇし! と腹の底から叫びたい気分だ。
もう何度目かわからない深いため息をついてから、どうだと言わんばかりの目で紅亜に向き直ると、なおもそいつはケロリとした顔で、
「? あすれちっくでしょあれ?」
「お前の目は腐ってんのか!? どう見ても俺たちを抹殺するための障害物だよ! 俺たちがクマーク博士との修行の際に行ったあの公園に、こんな遊具ありましたか!?」
「あったけど」
「ねぇぇぇよ! 錆だらけのブランコと滑り台しか天月公園にはねぇよ!」
するとどうだろうか。紅亜は突如、今にも泣きだしそうな顔になり、
「鷹太郎……覚えて、ないの?」
「は? なにを?」
紅亜はなにやら大人びた動きで障害物たちを指さし、口元に思い出を懐かしむような淡い微笑みを浮かべる。どこか魔性の光を連想させる瞳が、涙で潤っている。
「一緒に……遊んだでしょ。あの針地獄で鬼ごっこしたり、あの毒沼で競争したり、あの雪山で遭難したり……」
「……ああ。そうだったな。俺としたことが、すっかり忘れちまってた」
そうだ。あの頃は、俺と紅亜、二人であの針地獄で鬼ごっこして……して……して?
「いやいやいやしてねぇよ! そんなアグレシッブな遊びそもそもやんねぇし! つか最後の遭難ってなんだよ! 俺ら死んでんじゃねぇか!」
「ちっ、正気に戻ったか」
「正気ってなんだよ!? お前いったい今俺に何しようとした!」
俺が身の危険を感じて大声を張り上げると、横でつまらなそうに傍観していたアレンが、欠伸をしながらご丁寧な説明を挟んできた。
「今のは《誘惑》の幻術だぜェ、鷹太郎。その幻術を使えば、相手が少なからず自分に好意を抱いている人物なら、大抵術にはめることができるンだ」
「《誘惑》? 《洗脳》の間違いじゃないのか?」
「なっ! ばかなこと言わないでよ鷹太郎! あたしが《洗脳》の術を使ったら、鷹太郎なんかパンツ一丁で町内全力疾走しちゃうんだから!」
「お前は俺を社会的に抹殺する気か!?」
たまたま町を散歩していた同じ高校の奴らに見られたらどうすんだ! 次の日には学校の掲示板に『怪奇! ブリーフ一枚で街中を駆け巡る変態!』なんて特集載せられちまうじゃねぇか!
いや俺ブリーフじゃねぇけど!
一人心中でノリツッコミをしている俺をしり目に、紅亜はつまらなそうに、同時に呆れたようにくちをとがらせ、文句を垂れる。
「だって鷹太郎、さっきから全く進もうとしないじゃん。そーいう鷹太郎、つまんないよ」
「うぐ……。だ、だから、洗の……《誘惑》して、さっさと俺をこの先に進ませようとしたのか」
紅亜が無言で頷く。そうか、今の俺、つまんないのか。そりゃ幻術使っても仕方ないよな。
俺と同様に、この小さな女の子も、暇っていうもんがとんでもなく嫌いなんだ。
いつまで経っても前向きに障害物に挑もうとしない俺は、さぞかしこいつにとって『暇』で、つまらない存在なんだろう。
……それは、嫌だな。
「よし、行くぞ!」
「えぇっ、なにいきなりっ!?」
急に見事な笑顔で立ち上がった俺に、紅亜がやや引き気味な様子で驚いた。
「ズンズン進んでやろうじゃねぇか! 針地獄がなんだ! 毒沼がなんだ! ブリザードがなんだ! パンツ一丁がなんだ! そんなの俺にとっちゃあ何の障害にもならないぞ!」
なんか最後に変な事を言った気がするが、気のせいだろう。
「きゃあああ鷹太郎が壊れたー!」
「おいおい、キャラ変わッてんじゃねェかこいつ……」
「本当に鷹太郎様は面白い方ですね。見てて飽きません」
ポジティブになった俺に三者三様の反応が返ってくる。
それでもみんなは、今の俺を『つまらない』とは思ってないだろう。
それならいい。
「よっしゃ! ガンガン進むぜ!」
◇ ◇ ◇
「寒みぃぃいいぃい!」
数分後、俺は全身に雪をかぶった状態で、床にひれ伏していた。
よくよく考えた話、今の俺は『最強の武装』とやらのおかげて体がとても軽く、かなりの脚力が備わっているため、針地獄、毒沼といった『陸の障害物』は、全く持って障害にはならなかった。
だが、問題は最後に残った雪山だった。
俺たちがいるこの第2階層の廊下は、第1階層のように煌びやかで幅が広い廊下とは正反対で、質素で無骨なレンガを壁に敷き詰めた幅の狭い廊下だ。そのくせ、天井の高さだけは大したものだ。おそらく、侵入者を撃退しやすいようにこういった構造にしたのだろう。そのせいで、壁面からのブリザードがそのままの威力で体に叩きつけられることになる。
しかもこのジャージ、もとい『最強の武装』は、なぜか粉雪が体に付着するのと比例するように、急激な勢いで体が重くなってくるのだ。
体中に園児がぶら下がっているような重さに耐えながら、どうにかこうにか雪山を越えたはいいが、それから体が全く動かず、この有様だ。
「つか今思えば、普通にお前らの魔術でこんな仕掛け切り抜けられたんじゃ……?」
「いーや無理だねェ。このブリザード地帯、魔術無効化の結界が張られていやがる。その証拠に、ホレ、こんなザマだ」
言葉からは全くダメージを感じさせないが、アレンの見てくれは、確かに俺と同等かそれ以上に、雪にまみれて寒々しい状態だった。
自慢の褐色の肌も、強烈な雪風に体温を奪われたせいで、どこか青白く見える。
「オレァ南の育ちだからな。さみィのは苦手だぜ」
そう言って体をぶるぶるっと震えさせるアレンは、こいつには失礼だが、いつもの『俺様アレン』と違い、新鮮な感じで少し微笑ましかった。
「うぅぅ、せっかくの着物が……」
その横では、紅亜が真っ白になった着物の裾を、涙目になりながパタパタと振って雪を落としていた。
「魔術無効化なんて卑怯だよ……。術さえ使えれば、鷹太郎だけ雪だるまにして、あたしたちだけ結界張って無事に通り抜けることできたのに……」
「おおぉい! さらっとなに自分の計画を暴露してんだよ! そういうのはせめて秘密にしといてくれよ! 傷つくから!」
というかヒドイなこいつ! そりゃ俺だけ雪だるまになるつもりが、自分も雪だるまになったら文句の一つでも言いたくなるだろうけど!
……にしても俺……いつのまに弄られ役になったんだろうな……はは。紅亜にまで弄られるとか、これはもう末期だぞ。
「……で、なんでお前だけ無事なんだ、珍彦」
俺は横で整然として立ち尽くす巨木の如き男を見上げた。
俺、アレン、紅亜はこんな風にブリザードの被害を受けているというのに、何故こいつだけ被害を受けていないのか。
珍彦はどこか無機質で、それでいて恐ろしい顔面を俺に向けると、背中の甲羅を指さした。
「これのおかげです」
「甲羅? それ飾りじゃなかったのか?」
って、そういや砂浜に来るとき、こいつ甲羅で回転しながら道路滑ってたっけ。ほんとどういった用途のものなのか。
甚だ疑問ではあったのだが、聞く機会をなかなかみつけられずにいたから、いい機会だ。
「何を言っているのですか。これは私の体の一部ですよ」
「……は?」
珍彦の口から出たのは、恐ろしい一言。
私の体の一部ですよ?
体の……一部?
どういうこと?
「ですから、体の一部です。手足と同様に、目鼻と同様に、私の体の一部なのです」
「……そりゃすげぇな。どういう構造―――」
「まぁ嘘ですけど」
「ああ、嘘だけどな、って嘘かよ!?」
「おお、見事なノリツッコミ! さすが鷹太郎様!」
「ふざけんなよお前! こんな疲れて死にそうな時に変な冗談つくなよ! 余計疲れるだろ!」
「疲れて死にそうとは、それは大変! いますぐ病院へ搬送……」
「しなくていいよ! つかここじゃできねぇだろ!」
あぁ、ほんとに面倒だこいつ! どんだけお前らは俺をおちょくれば気が済むんだ!
「はは、失敬失敬。鷹太郎様を見てると、ついつい、からかいたくなってしまうのですよ。これは一種の恋なのかもしれませんね」
「気色悪いこと言うなよ! って紅亜、なんでそこで頬を染めてこっちを見る!?」
「いやぁ、なんかお似合いだなって」
「うわぁああぁ! 一番言われたくない奴に言われたぁああぁ!」
っていうか俺、いつからこんなつっこみ三昧な男になってしまったんだろう?
……え、最初から?
「冗談ですよ鷹太郎様。私が愛しているのは、この世で啼草、ただ一人です」
「うん、いやそれ当然だからね? ここで新しい恋芽生えても困るだけだから」
いろんな意味で。
「……で、結局その甲羅はなんなんだよ」
「はい。これは『鏡界装』と言って、鷹太郎様のそれと同様、『最強の武装』のひとつです」
なんかひどくかっこいいもん身に着けてた! ただの甲羅じゃなかったんだ!
っつか、『最強の武装』って一つだけじゃなかったんだ。
ということはこのジャージにも、ちゃんとした名前があるんだろうか。
「『鏡界装』の基本的な能力は、『相殺』。無効化、とも言えますが、それにより、迫りくる強風、豪雪を『鏡界装』により『相殺』したのですよ」
「え、じゃあそれって、魔術関連の類じゃないのか?」
「ええ、その通りです。この『鏡界装』も、一応は魔術による代物です。ですが、この『武装』に練りこまれている魔力は、そこらへんの魔術のそれとは全く別次元の魔力です。故に、雪風はもちろんのこと、無効化の結界すらも『相殺』したのでしょう」
いつものように説明口調の珍彦の言葉に、関心を示すようにアレンが頷く。
はぁ、それはまた便利なシロモノだな。それに引き替え、俺の『最強の武装』はいまいちパッとしない能力だし……。それに、今のところ『最強』の実感が全く湧かないし。
「……さて、話が長くなりましたが」
と、ここで仕切りなおすように凛とした声を発する珍彦。
そういえば、毎回場を仕切りなおすのはこいつだよな。そういう才能でもあるのかね。
「ひとまず侵入者への罠は切り抜けたことですし、先を急ぎましょう。わざわざこちらへ赴く物好きな敵はいないでしょうけどね」
だろうな。そもそも、この場所に俺らを追い込んだのもあいつらだし。
俺は後ろを振り返って、その先に仁王立ちしているであろう敵達を思う。
ちなみにあいつら、というのは無尽像たちのことである。
1階層目で懲りもせず、またうじゃうじゃと湧いてきたのを、相手にするのも面倒なので逃げてきたのだ。そしたらこの危険地帯。
ところが、俺たちがこの危険地帯に追い込まれた瞬間、動きを止め、「ほら、さっさといけ」とでも言うようにその場に仁王立ちして退路を防ぐことに徹した。初めから、この場所に誘導するつもりだったのだろうな。
……まぁ、過ぎたことはもういいさ。
この障害物たちを視認したときはマジで人生の淵に立たされた気分になったけど、それをもう俺たちは越えたんだ。
後は、突き進むだけ。
そうやって新たに覚悟を決め、前方を見据えた瞬間。
「…………えー…………」
失せた。
なにもかも。やる気も、根気も、勇気も。
すべて失せました。
…………だってさ。
「……いやァ、おめェがそう思うのも無理はねェがよォ……」
アレンが苦笑いしながら、呆然と目を見開く俺の肩を励ますように叩いた。
前もこんなことあったなぁ…………。
……なんで。
「なんで、また針地獄も毒沼も雪山もあるんだよおおおぉぉぉ!!」
エンドレス地獄。
まさに、このことだった。