八、骨折れつァ~
登場人物紹介
・藤谷 鷹太郎
15歳。
暇を嫌う高校生。
・吾煉
獅子族の少年。
ライオンに変化することができる。
・双蓮の白琶
竜宮城の守り人、双蓮兄妹の妹。
突如怒りによって人格が変わったが……
状況をうまく飲み込むことができなかった。
それどころか、あまりのショックに今なにがあったのかさえ忘れてしまうところだった。
そっと記憶をたどってみる。確か、いきなり俺を囲むように溝ができて、周りのガラクタたちが一斉に消え失せたのだ。
――――なぜ、そんなことがおきた?
俺は、胸の前でこちらを上目使いで見上げている少女に視線を送る。
「……白琶」
情けなく震える声で、その少女の名を呼ぶ。
「なんですの? さっさと殺してしまいたいのですが」
白琶はそう言って、俺の胸にそっと右手を添える。
「……なにを、する気だ」
「なにを……とは、この動作のことで?」
「そうだ。それに……この、溝も。なにをしたんだ」
視線を白琶の頭からずらし、足元にやる。
そこには、何の前触れもなく出来上がった深さ30センチほどのドーナツ型の溝。ちょうど、俺と白琶の足場だけ残して、まわりを綺麗にくり抜いた形になっている。
「わたくしの一族の、そうですね、特殊能力とでもいいましょうかしら」
「特殊能力……?」
「一族には大抵、ほかの一族と一線を成す特殊能力が備わっていますわ。そしてこれが、わたくし達、海豚族の特殊能力」
そう言って、白琶も俺の視線を追うように足元に目をやる。
「名を《輪波》。その名の通り、円型の衝撃波を手の平から打ち出す能力ですわ。これで、この動作が意味することをご理解いただけたかと」
つまりこの足元の溝は、そしてガラクタをいっしょくたに消し去ったのは、その《輪波》という特殊能力によるものらしい。
そして、この胸に添えられている手は――――
――――俺を《輪波》で殺そうとしている、っつーことか!
そう結論づいたが先、俺は恐怖やら緊張やらで強張るからだに必死に鞭をいれ、少女からグダグダなステップで距離をとる。
その動きに白琶も素早く反応し、右腕をこちらに向けて構える。
そしてそのまま距離をおいて、停滞。
「……動けましたのね?」
「……?」
「先程は緊張して動くこともままならなかったというのに……今のわたくしには、先程のわたくしよりあなたは緊張していないみたいなんですもの。少々、驚きましたわ」
俺は苦笑しながらため息をひとつつく。
「今でもかなり緊張してるけど。声も足も、震えてるし。でも、人ってなんでも慣れるもんだろ」
「……それが、恐怖でも?」
何かを恐れるように、白琶が問う。
少し考えてから、
「きっと、恐怖でも、だろ。おんなじ恐怖なら、慣れるんじゃないか?」
やや饒舌になった俺に、白琶は「そんなこと」と自嘲気味に呟く。
「少なくともわたしは慣れることができませんわ。あの時、あの男によって与えられた恐怖には……」
あの男……?
先の白琶の豹変ぶりから察するに、珍彦のことだと思うが……。
「あの男っていうのは……その、着物の男のことか?」
俺がそう確かめるように聞くと、白琶は表情を一変し、憎しみのこもった声色でこちらをキッと睨みつけながら、
「ええそうですわ、あの男……!! あの男のせいで、わたくしの人生が狂ったのですわ!!」
そこで少女は再び平静を取り戻し、俺に向けている右手の平に力を込める。
どうやら、我慢の限界らしい。
「……話が長くなりましたわ。あなたはあの男の手先。なら、生かしておく理由は皆無ですわね」
「……まぁ、そうかな?」
どうにか言い訳を考えようとしたが、やはりまだ脳内はごちゃごちゃとしていて、どうにもうまく頭がまわらなかった。
そして素直にでた一言。救いようのない馬鹿だった。……自分で言ってて泣きそう。
と、そこで頭に一つの疑問が浮かぶ。
――――なぜそこまで、白琶が珍彦を憎むのか。
純粋な疑問だった。そしてその答えを、絶対に聞かなければいけないような気がした。
……だがそれを聞くには、もう遅いようだ。
「両者可決……と。では……死んでくださいませッ!!」
目をカッと開き、白琶は右腕を俺に向けて押し出す。
それを間一髪、というより白琶が言葉を言い終える前に横へ転げ、回避する。
するとデジャビュ、俺の後ろにあった巨大なオブジェに、全長2メートルほどのドーナツ型の溝が完成。ビューティフル!
さっさと立ち上がり、俺たひたすら施設の中を駆け回る。はたから見ればなかなか滑稽な姿だったろう。その俺を追うように、次々と削られていく床やガラクタ。
あんなもの直に体に当たってみろ。間違いなくお陀仏だ。それかスクラップ。
そんな風に逃げ回ることしかできずにいた俺を、とうとう神は見放したのか。
直方体のガラクタに足をひっかけ、俺は素晴らしい勢いで転んでしまった。
すぐに立ち上がろうとするが、なぜかそこで体が痺れたように動かなくなる。
「なかなか逃げ上手ですのね、あなた……」
乱れた呼吸音と、白琶の足音が近づいてくる。これは……もしや。
「《奉駕式》の固定術ですわ。《輪波》は、そういった用途もあるのでしてよ」
知らなかった。いや知らなくて当然なのだが、とにかくこの状況はだいぶまずい。
手を床につき、ちょうど今から「土下座しますよー」的なかっこうのまま、指一本も動かすことが出来ない。
着実にこちらに近づいてくる殺気。溢れてくる脂汗。下手すれば失禁してしまいそうなくらい、緊迫した状況。
――――まずいまずいまずいっ! まずいって! こんな態勢のままあの世に逝くとか俺やだよー!
今までにないほどの焦りを見せる俺に、意地悪な神は満足したのか、突如、ぴたっと白琶の気配がその場に留まる。
そして、自身の体も自由に動く。
いったい何事かと視線を上にやると、白琶が初めて見る驚愕の表情で、不自然な態勢のまま固まっていた。
そして気が付けば、あたりには沈黙が栄えている。
―――おかしい。
ふと、違和感に気づいた。
たったの今まで、BGMのように施設内に響いていた音が、ぱったりと止んでいたのだ。
―――そう、アレンと儚の、戦闘で交わる音が、だ。
それが意味するのは、ずばり―――
「にぃ……さん…………?」
涙をたたえた瞳で、ぽつりと、白琶が呟いた。
すでに白琶は、その事実に気づいていた。もしかしたら、俺も気づいていたのかもしれない。
ゆっくりと視線を施設全体にやると、『台座』の付近にぽつりと、漆黒のボディアーマーに包まれた少年の華奢な体が目に映った。天を仰ぎ、荒い息を吐き出している。
そしてその足元に、ガラクタに覆いかぶさるようにして倒れている、長髪の青年。黒髪がだらしなく、地面に向かって垂れていた。息は―――している。
そう、アレンは儚に勝ったのだ。長い戦いの末、見事に。
だが、今は仲間の勝利に喜んでいる場合ではない。
再び、白琶の纏う空気が変わったのだ。
たとえて言うなら、更にもう一段階、白琶の狂気に拍車がかかったような……
そんな考えも、あながち間違いではなかったようだ。
白琶は脱力したように地面に体を沈ませたかと思うと、刹那、ものすごい脚力でアレンとの距離を縮め―――
って、
「アレンっ!!」
叫んだ時には、もう遅かった。
白琶はアレンの首筋を掴んだかと思うと、その体を強引に『台座』に押し付け、殴り始める。
「兄さんをッ! 兄さんをッ! 兄さんをッ!」
狂ったように言葉を発し、憎しみに体を委ね、一心にアレンを殴り続ける白琶。
アレンは儚との戦いですでに満身創痍だったのか、首根っこをつかまれたまま、抗おうともせず痛みを受け入れていた。
「くそっ」
このまま放っておくのは得策ではない。
俺は一直線に『台座』に向かって走っていく。
アレンはすでに血だらけ痣だらけで、みるもひどい姿だった。手や足は下にぶらんと垂れさがり、まるで死体のようにも見える。
が……その眼はまだ、しっかりと開いていた。
そして、翡翠色の双眼が、俺に意志を伝えてくる。
――――首を狙え。
「っ、お前……」
そこでやっと気が付いた。
アレンは、白琶の隙を作るために、わざと自分が標的になったのだ。
頭を抱えたい衝動を抑え、白琶に気づかれぬよう、首元に軽い衝撃を与える。
「――――ぅ」
小さな悲鳴を吐き出して、白琶の体から一瞬にして力が抜ける。
俺はその体をそっと支え、ガラクタの上にねかせた。
……え、終わり?
あまりにもあっけない終わり方に、俺は苦笑するしかなかった。
「おいおいィ……なァに笑ッてンだよ。オレぁこンなになッてッンのによォ。あー骨折れつァ~」
『台座』に寄りかかり、アレンも冗談混じりに乾いた笑い声をあげながら言う。
「なんだ、以外と平気そうだな」
「ンなこたねェよボケナス太郎。あの儚ッつーのの剣避けながら戦うの、なかなかタイヘンだッたんだぜェ? しかもやっとこさソイツを倒した後にコイツだよ」
アレンは気を失っている白琶を忌々しげに一瞥する。
「あいにく俺は立ってるだけで精一杯だったんだよ。悪かったな」
逃げたりもしたけど。
「……まァいいさ。なにはともあれ、オレらはやるべきことをやり遂げたンだ。これで結界も解除できたろうし、もうじきアイツらもここに来ンだろ。それまで、オレはひと眠りさせてもらうぜェ」
そう告げると、アレンは身軽な動きでずんぐりとしたガラクタの上に乗っかり、それからまもなく豪快ないびきをかきはじめた。
……こんな場所で眠れるとは、こいつはなかなかの大物のようだ。
って、そうか。そういや、今は深夜だったな。あれからどんだけ時間が過ぎたのかは分からないけど……。
……朝までに間に合うかね?
一抹の不安を抱きながら、俺は『台座』を見上げ、ため息をつくのであった。