六、もう一人の守り人
登場人物紹介
・藤谷 鷹太郎
15歳。特に大した特徴もない、一般的な高校生。
・吾煉
獅子族の少年。年齢は不明。
ライオンに変化することができる。
・双蓮の儚
竜宮城の守り人。
結界により、外敵から竜宮城を守っている。
突如、どこからともなく現れたその少女は、薄暗闇の中、中央で奇怪な色の変化を見せる水槽の光を頼りに、こちらへと近づいてくる。
それに気圧されるように、俺は本能的にその少女から距離をとるよう、後ずさる。
「もぅ、逃げなくてもいいのに。いきなり襲ったりしないから」
少女は笑顔でそう言うが、俺の体はそれに反して、どんどん後ろへと下がっていく。
それもそのはず。
――――この少女から、儚のそれとは比べ物にならないくらいの『プレッシャー』を感じ取ったからだ。
別に体格がどうこうというわけではない。むしろ少女の背丈は、俺より頭一つ分くらい小さく……望月が好みそうな外見だ。
武器も、儚のように身の丈ほどの巨大な大剣を背中に担いでいるわけでもなく、それどころか、これといった武器も見受けられない。
そう、このプレッシャーは、少女の内から感じるのだ。
フレンドリーな笑顔からは察することはできないが、少女がこちらに近づいてくるにつれ、『恐怖』というものが体を蝕んでいく感触が確かめられる。
俺たち『侵入者』に向けての、殺意、殺気。それが、彼女の内側からにじみ出ているのがわかった。
頬を伝う汗を震える手で拭い、俺は後ろへ下がる動きを止めた。これ以上後退してしまうと、アレンたちの烈戦に巻き込まれてしまう恐れがあるからだ。
動きを封じられた俺が立ち尽くしている間に、少女は小柄な体躯で床に転がる正体不明のガラクタを飛び越えながら、とうとう俺の元まで来てしまった。
自身の体が思うように動かず、その場で少女の視線に射抜かれるようにして、固まる。まさに蛇に睨まれた蛙状態。どうしようもない恐怖に、勝手に足が震えてしまう。相手は俺より小さく、しかも少女だというのに。
どうにかこの状況を打開しなければ……とこんな状況にも関わらず熟考しようとしていた俺を、少女は興味深そうにいろんな角度から眺めた後、口を開いた。
「そんな緊張しなくたっていいでしょ? いくらあたしがかあいーからって」
…………。
……は?
「か、かわいい?」
「そう、かあいーでしょ、あたし」
こちらの顔を見上げるようにして、少女はそう俺に同意を求めてきた。
いきなり……何を言い出すんだ、この小娘は。
思わず顔をしかめる俺だったが、今おかれている状況を思い出し、すぐにさわやか笑顔をつくる。いや、実際さわやかでもなんでもないんだが。
俺はあたりさわりのないように、
「まぁ、ふつ……最高」
とだけ答えておいた。
思わず素直な感想を言ってしまうところだったが、さすが俺。そこは耐えた。
すると少女は嬉しそうに体をくねらせながら、「まぁね~」と答えて見せた。
……思ったより、扱いやすいのかもしれない。
「キミ、名前なんてーの?」
少女は褒められたことに機嫌を良くしたのか、ニコニコしながら、俺にそう問いかけてきた。
「鷹太郎」
姓まで教える必要はないと判断し、短く下の名だけ述べる。するとなぜか、少女はあからさまにしかめっつらになり、「それだけ~?」と文句を垂れてきた。
それだけ、と言われましてもね。
「もっと面白い言い方ってあるでしょーさ」
なんだ面白い言い方って。あだ名でも言えってか。
「名前だけ聞かれたんだから……名前だけ答えるのが、妥当だろ」
俺が屁理屈じみたことを言うと、少女はつまらなそうに息を吐いた後、
「それもそうかなぁ」
と諦めたように呟き、続けるようにして自分の名も名乗った。
「双蓮の白琶。キミの後ろでおっきい剣振り回している人の妹だよ」
白琶は、俺の向こう側にいる儚を指さす。
「……当然、お前も儚の仲間なんだよな?」
少し震えた声で俺がそう確かめるように問うと、白琶は首を縦に振りながら、「そうっ!」と答えてきた。
そりゃそうか。おんなじ鎧を着用してるのはもちろん、妹だしな。
……それに、この殺気も誤魔化しようのない、事実だ。
愚問だったな。
なら……やるべきことは、ひとつだ。
恐怖で震えるからだに鞭を入れ、俺は攻撃をしかける。
拳に力を込め、腰の回転を生かして右腕を思いっきり少女の腹めがけて、加速させる。この際、男も女も関係ない。
――――が、やはり、
儚と同様、鎧をまとっているとは思えない軽やかな動きで、俺の一撃をかわす白琶。
そしてその勢いで、白琶は重力を無視したような跳躍で俺から距離をとり、冷蔵庫のようなオブジェの上に着地する。
「なんだ、よかった。鷹太郎くん、もしかしたら戦う気ないのかなぁって心配してたんだけど」
そう言って安堵するように鎧で守られた胸をなでおろす白琶。
俺も、心の中で安堵の息を漏らす。
どうにか、あいつと距離をとることができた。できれば、今の一撃をくらってくれれば一番よかったのだが……いや、手ごわそうな相手に、そんな贅沢も言ってられないか。
ひとまず態勢は立て直すことができたから、無難に相手の攻撃をかわしながら、隙をついて一撃を叩き込んでいこう。どうやらあいつの腹部は布で隠されているだけだから、その部分を徹底的に狙っていれば、拳の自殺行為はしなくて済むはずだ。鎧なんか本気で殴ったら、確実に拳がいかれてしまうだろうからな。
と、そこで、
「キミ、わかりやすいねー」
白琶がこちらを見つめてにやにやしながら、そう言った。
「あたしのお腹は鎧に守られていないようだから、そこを狙っていこう、とか思ってたんでしょ?」
ものすごくピンポイントでその通りな推測に、思わず肩がびくっと跳ねる。
そ……そんなに顔に出やすいのか? 俺。
「だいじょーぶだよ。わざわざお腹なんか狙わなくても、この鎧、個人の力だけですぐ砕けちゃうから」
「……個人の力だけで?」
「そー」
それってつまり、素手でも砕けちゃうってこと? それじゃ鎧ろして意味ないんじゃ……?
……あれ? もしかして俺、からかわれてる?
するとまた俺の思考を読み取ったらしく、白琶が笑いながら、
「ほんとうだって。ほら、あれ見てよ、あれ」
そうやって俺の後ろを指さす。
俺は白琶を警戒しながら、首を少しひねり、横目で白琶の示す方向に目をやる。
その先には、床から天井へとのびる円柱型の水槽があった。最初、儚が浮かんでいた水槽だ。
「アレ、なんだと思う?」
……なにって、そりゃあ。
「水槽……にしか見えないけど」
「せいかーい」
えぇ!? まさかの正解かよ! なんのひねりもねぇの!?
「まぁ、正しく説明するとしたら、ちょいとばかし違うくなるけど」
……どっちだよ。ぬか喜びさせんなよ。
「キミが水槽って言ったアレ、あたし達は『台座』って呼んでるけど、あの中に入ると、体にものすごい魔力が流れ込んできてね~。すごいんだよ~」
胸をそらしながら自慢げに話す白琶だが、いまいち使い道がわからない分、そんなことを話されてもすごいのかわからないので、曖昧に頷くことしかできない。
「あの『台座』の、水槽でいうガラスにあたる部分は、結界の……なんていうか、『膜』でできてるんだよ。結界の『聖域』としての力は弱いけど、何度壊れても自動的に回復するの。すごいよね~」
「……つまり、お前の鎧も、その結界の『膜』とやらでできてるってことか?」
「結果的には、そういうことになるかな。『台座』の中で対外敵用の結界を形成しているうちに、いつのまにか身にまとっていた鎧に『膜』と同じ能力が付属したんだよ。ふしぎだよね~」
――――え?
……結界を、形成しているうちに、って言ったよな。今。
「結界は、あの大剣の……儚が、形成してるんじゃないのか?」
「ん? 兄さんも形成してるよ? 『台座』の力を借りても、兄さんだけじゃさすがに、こんな強力な結界を長時間形成するのは大変だからねー。だから、あたしと交代しながら、この城を守るための結界を形成してるの。で、その交代の時間だったからここに来たのに、兄さんったら茶色いお兄さんと楽しそうに戦ってて……それにしても、よく兄さん『台座』の力を借りずにこんな長時間結界を形成できるな~……って、そうそう、この前兄さんね――――」
……だんだん俺に関係のない話になってきたな。
まぁでも、今の話で自分がなにをすべきなのか、ちゃんと検討がついた。
――――やはり、この二人を倒すだけである。
人数が増えただけだ。しかもその一人は、アレンが倒してくれるだろう。
俺が倒すのは、目の前の一人だけ。そう思うことで、少しプレッシャーから解放された気分になった。
と、ようやくそこで白琶が自分の世界から戻ってくる。
「……っと、話がそれた。そう、結局あたしの言いたいことは、この鎧はどこを殴っても容易く壊れるから、どこでもどーぞ、ってこと。まぁ、すぐ自動的に回復するけどね~」
それなら、わざわざそんな重荷になるだけの鎧なんか着用しなくてもいいんじゃないかな、とか思ってしまったが、今は伏せておこう。もしかしたらこの竜宮城の掟かなにかで、この鎧を着用しなければいけないことになっているのかもしれないし。
他人のところの掟に関わると、厄介になるのは目に見えている。
ともかく、俺はそこで白琶の説明が一段落ついたと考え、再び戦闘態勢に入る。
が、白琶はそんな俺を見ても、依然として直立不動のままだった。
不思議に思っていると、しばし何かを考えるかのように黙りこくっていた白琶が、静かに口を開いた。
「……ね、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
そう俺に問う白琶の顔は、今までの朗らかな雰囲気とはうってかわって、真面目なものだった。
断る理由もないので、首を縦に振る。
「なんでここに来たの?」
「なんで、って?」
「ここに来た理由だよ。どうやって結界をすり抜けたのかは聞かないけど、相当な理由がない限り、こんなトコに侵入しようとは思わないでしょ? しかも深夜に」
その問いに、少し言葉を詰まらせる。
……でも、今更か。すでにうっかり儚には言ってしまったから、もう隠す必要もないだろう、と。
――――そう、それが、間違いだった。
「啼草って人を、連れ戻しにきた。それだけだ」
そう言った瞬間、明らかに、この場に流れていた空気が変わったのを、肌で感じた。
恐る恐るオブジェの上に立つ白琶を見ると、怒りや驚き、それに対する納得などが入り混じったような表情で、こちらを睨みつけていた。
――――そう、目に見える度合は違えど、儚の時と同じように。
「啼草姫……啼草姫を……」
手を強く握りしめ、怒りに震えながら、白琶はぶつぶつと啼草という名を呟く。
「――――もうひとつ、いいかしら」
突如、白琶の口調が変わる。
「あなた……竜胆色の着物を纏った男を、ご存じかしら」
「え、あ……いや、知ってるも何も」
その男は――――
「そいつに頼まれて、俺たちはここにいるんだよ」
刹那、
耳をつんざくような音とともに、
俺のまわりのガラクタ達が、一斉に吹き飛んだ。
「な……ッ!?」
――――絶句。
……なにが、起きた?
呆然と立ち尽くす俺に、鎧の少女は、そこはかとない殺気を放出しながら、歩み寄ってくる。
「――――残念ですわ、鷹太郎さん」
白琶は、手に何も持っていない。
それなのに、ずっと首元に剣先を突きつけられているような、そんな緊張感があった。
「せっかく……楽しい、楽しい、殺し合いが、できると思っておりましたのに」
俺から三歩ほど距離をおいたところで白琶は立ち止まり、俺の顔を見上げてきた。それに応えるようにして、俺も白琶の顔を、見下ろす。
その顔には、先程まであった『温かさ』などは微塵も見当たらなく、ただ、そこにあったのは――――
「ほんとうに……残念ですわ、鷹太郎さん」
裏表のない、内外のない、恐怖、殺意、憎悪だった。