四、お取り込み中すいませんが・・・
登場人物紹介
・藤谷 鷹太郎
明楼高校1年。15歳。
・紅亜
正式名は大熊猫の紅亜。13歳。
熊猫族、神拳兄妹の次女。魔術を得意とする。
・吾煉
獅子族の少年。年齢は不明。
格闘を得意とする。
・水紋上 珍彦
謎の多い甲羅族の大男。
婚約者を取り戻すため、鷹太郎達に協力を要請した。
春の夜風を切り、町中を駆け抜ける動物たち。
……これは、決して比喩表現などではない。事実、俺もその動物の上に乗って、目的地へと急いでいるのだから。
「っていうかこれ、まずくないか?」
「この世の食材に不味いものなんてないっ」
「いやそうじゃなくてだな……」
俺の言葉を変な方向に受け取ったのは、俺の右隣に並走する大熊猫、紅亜だ。
「俺が言いたいのは……その、一般常識的なことで」
「はッ、常識なんてもンいちいち気にしてたら、胃に穴があくぜェ」
そう笑い飛ばすのは、俺の左隣に並走する獅子、アレン。
「んなこと言ったって……考えてみろよ、この状況。パンダとライオンと大男と、極めつけに幻獣に跨る少年だぞ。そんな奴らがこんな町中を走ってるのを見られたら、目撃者は卒倒するに違いない」
「ンなこと知らねェよ。つか、移動手段としちゃあこの姿が一番便利なンだよ。亀の男も『時間がない』って言ッてたろうが。……それに、オレ様のエマルノスに乗れンだから、少しは喜ンだらどうだ」
そう、俺の乗っている動物というのは、上半身が鷹で、下半身が獅子という、いわゆる世間体でグリフォンと呼ばれる生き物なのだ。名をエマルノスという。
……有り得んだろ、これ。
そんな風にげんなりしている俺に、前方から声がかかる。
「失敬失敬、言うのを忘れておりました。今現在、私が《千歳式移動用結界術》を使用しているので、他人には私たちの姿も見えませんし、声も届きません。安心してください」
大きな体を丸め、背中の甲羅で高速回転しながら道路を滑る大男、珍彦が、今更なことを教えてくる。というかなんだその移動手段! 面白すぎんだろ!
「って言うの遅ぇよ! 家出発してからどんだけ時間経ったと思ってんだ!」
「はは、失敬失敬、失敬失敬」
そう詫びながら回る男。……なんでこうも、俺の周りには変態が溢れているのか。謎である。
「ねぇ鷹太郎、お腹すいたー」
そう言ってこちらを見上げてくる紅亜。でも確か、大熊猫の状態でなにかを食べても、お腹いっぱいにはならないって言ってたよな。出会ったあたりの頃。
それなら、人間の姿に戻ってからだ。
「目的地に着いたら、食べさせてやるから」
なんとか紅亜を宥めたところで、ふと疑問が頭に湧いてきた。
至極当然な疑問。
「……なぁ、珍彦」
「はい?なんでしょう?」
「俺ら……どこに向かってんの?」
俺の言葉に、紅亜とアレンが同時に「あっ」と声をあげる。どうやらこの二人も今気づいたようだ。
「失敬失敬、言うのを忘れておりました」
またかよ。
「鷹太郎様のご自宅でお話ししたとおり、私たちは術を超遠距離から使用することで、竜宮城に侵入します。そして、術というものは、対象が近ければ近いほど、成功率があがるものなのです。つまり、私たちの目的地は、竜宮城になるべく近く、作戦を決行するのに適した場所……海浜です」
◇ ◇ ◇
俺達の家から海までは、決して近いと言える距離ではない。
だが珍彦曰く、「鷹太郎様を選んだのは、竜宮城や甲羅族の本拠地から家が近かったから」という理由もあったらしい。成程、いろんな悪条件が重なったおかげで、俺は今、砂浜に立っているのか。
とりあえず、早く早くと急かす変化を解いた紅亜に、夕方あたりに念の為にたくさん焼いたホットケーキをリュックサックから取り出し、分け与えた。
それなのに、
「もぉ鷹太郎! メープルシロップ忘れるなんてありえないよ! どばどばがいいの! どばどば!」
こんな風に叱咤されてしまった。すいませんでした。
アレンは海になにか思い入れがあるのか、エマルノスの頭を撫でながら無言で水平線を見つめていた。
そして珍彦は、砂浜に描かれた幾何学的な模様が踊る円の上で、ぶつぶつとなにやら呪文を唱えている。竜宮城に侵入するための魔方陣に、最終工程を施している、などと言っていた。
紅亜は食事、アレンは無言、珍彦は準備、俺は暇。
しばしの空き時間を、俺もアレンのように広大な海を眺めながら、海浜を歩く。しゃり、しゃり、と歩くたびに季節外れな感触が足に伝わってきて、少し楽しい。
「夏は望月とか笠井や、他の奴らも誘って、海に遊びに行くか……」
少し遠いけどな、と付け足して、苦笑する。
こうやって砂を踏みしめながら思いに耽っていると、自分が今、非常識な状況に立たされているのが嘘のように思える。現に、数週間前まではそんなものに縁もゆかりもなかったのだから。
思えば、こんな波乱万丈な日々を連れてきたのは、紅亜だった。
あいつが来たことで、美虎との関係がこじれたり、ライオンに襲われたり、変な奴が家に訪問してきたり……などなど、大変なことがたくさんあったのだ。いい迷惑である。
だけど……それを不幸だとは、思っていなかったのだ。
「前より楽しいもんな、今……」
そう呟いてみる。すると驚くことに、俺の横から女の子の声がかけられた。
「そうなの?」
出会った時と同じ、朱色の着物に身を包んだ紅亜だった。
紅亜はその顔に少しの驚きを浮かべながら、聞いてきた。
「鷹太郎、あたしと会う前よりも……今の方が、楽しいの?」
「ん、まぁな……将来の目標もなく、ただ学校へ行って、ただ部活を頑張って、ただ家で寝っ転がって……って、そういうことが、この世で一番の幸せなんだろうなーって思ってたけど……」
「けど、なに?」
「……けど、やっぱ『つまらなかった』んだよな、そういうの。当たり前のことが、一番の幸せっていうのも一理ある。むしろ、そっちの方が正論かもしんないけど……俺は、どんなことでも、つまらないよりはマシだと思うんだ。前にも言ったけどさ」
紅亜は少し首を傾げる。
「つまらないよりはマシ……って言ってる割に、鷹太郎、トラブルには巻き込まれたくない、とも言ってるよね?」
「トラブルに巻き込まれたくないのは人の道理だろ。俺の『どんなことも』にはトラブルは入んないんだよ」
「なにそれ、変なの。日本語の意味無視してるよ」
そう行ってくすくすと上品に笑う紅亜。その横顔を見てると、なぜだか凄く心が安らいだ。
だが紅亜は、すぐはっとした顔になり、俯いてしまった。
「どうした?」
「……もしかして、あたしもその、トラブルだったりする?」
ちらと横目で俺の表情を窺う紅亜の瞳には、捨てられる事を悟った子猫のような『怯え』が浮かんでいた。
「あ、そうか。お前もトラブルだったな」
思わず口を滑らせ、紅亜が更にしゅんとする。なんからしくない、とも思うが、実はこれがホントウの紅亜の素顔なのかもしれない。多重人格者とか関係なく、女の子としての素顔。
「……」
押し黙る紅亜に、耐え切れなくなった俺は、一つ決意をする。
「……そうだな、だったら、俺の『どんなことも』の中に、トラブルも追加してやる」
俺の言葉に、さっと紅亜が顔を上げてこちらを見つめてくる。
そうだ、最初からそうすればよかったんだ。
日本語を覆すんじゃなくて、自分を覆せばいい。
「……意味わかんない」
「だから、俺の『どんなことも』にトラブルも入れてやるってことだよ。そうすりゃ、これから起きること、全部がつまらないよりマシになるんだ。面白いだろ?」
この非日常の発端はこの紅亜。その紅亜もトラブル。ならトラブルを受け入れれば、紅亜も含め全てが楽しいってことになる。俺って頭いい!
「さっきと言ってること違うもん。それに鷹太郎、トラブル嫌だって……」
沈んだ紅亜の顔。その顔が、見たくないからかもしれない。
だから、こんなことを言ってるのかな。
「トラブルも全部受け入れる。つか、受け入れているからこそ、俺は今ここにいるんだろ。だから、そんな暗い顔すんな」
そして、紅亜が最も気にしていたであろうことを、言ってやる。
「お前が来てから、楽しいことばっかだっての」
「お取り込み中すいませんが……」
「おわぁっ!!」
俺と紅亜の悲鳴が重なった。それもそのはず、いつのまにか目の前に珍彦が立っていたからだ。その後ろに、ニヤニヤしているアレン。い、いつから!?
「ア~、あついあつい、焼け獅子になッちまうぜェ。こンなとこを姐さンが見たら、どう思うかねェ?」
「う、うっさいわ!」
「鷹太郎様もすみに置けませんな」
「いやお前ほんとうぜぇ!」
そんな風にからかわれた後、珍彦が場の空気をとり直すように、ごほんと一つ咳をする。
「竜宮城へ侵入するための最終準備が整いました。後は、私と紅亜様の術で、お二人を転送するだけです」
ついに、実行。まだ肌寒い春風にも関わらず、手に緊張の汗が滲む。
「―――では、こちらへ」