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ミカ伯爵と三つのキャビネット

作者: 瓶八
掲載日:2026/04/08


 第一話 ミカ伯爵の領地(りょうち)()





 ミカ伯爵は、変わり者で有名でした。



 女であるのに、いつもくるんとした口髭(くちひげ)を生やし、それが地毛なのか付け髭なのかわかりません。



 長い黒髪は()わずに下ろし、夏も冬も、黒いシルクハットに黒い靴、黒いマントで全身をすっぽり(おお)い、そこから手も足も出しません。



 マントから足を出さずにどのように歩くかというと、とても小さい歩幅で小刻みに歩きます。



 初めてミカ伯爵を見る人は、その珍妙な歩き方を、ウゴウゴしているとか、縦揺れしているとか、何かに取り()かれている、と評します。




 さて、ミカ伯爵は変わり者ですが、古い家柄の貴族(シュラフタ)でした。



 その家格(かかく)は高く、昔は重要な要塞都市(フォルテツィア)をいくつも任されていましたが、いろいろありまして、今では、たったひとつだけ、しかし立派な城壁都市(ミャスト)「夜明けが丘」を治めています。



 ところが、青天(せいてん)霹靂(へきれき)



 このたび突然、領地替えが発表されました。



 ミカ伯爵は、生まれ育った「夜明けが丘」市を出ていかなくてはならなくなったのです。



 ミカ伯爵は長旅用のロバにちょこんとまたがり、改修中の城門を出ました。

 そしてふりかえって、お城の尖塔(イグリツィア)が朝日を受けて紫に染まるのを見ました。



「さらばじゃ、夜明けが丘(ウズグジェ・ゾジ)よ」



 ミカ伯爵とミカ伯爵の家来たちは、まだ眠っている仕立て屋通りを、衛士(えじ)たちに見送られて出発しました。



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挿絵(By みてみん)

 ミカ伯爵は夜明けが丘市に生まれ育ち、爵位を継いでからも、街の発展に活躍していました。

 西門から北西に、長く伸びる仕立て屋通りは、夜明けが丘の新しい活力となっています。

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 第二話 沼の中のお城





 ミカ伯爵一行は、陰気な沼地に到着しました。



 空はどんよりと曇り、ねじれた(ドンプ)の古木の枝に、からす(クルク)たちがとまっています。



 沼地のまんなかにうずくまる、石造りの苔むしたお城。それがミカ伯爵の新しい居城(レジデンツィア)です。



 「なんと辺鄙(へんぴ)なところでしょう」

 家来(けらい)の一人が言いました。


 「おいたわしや、ミカ伯爵」

 家来の誰かが言いました。




 ミカ伯爵を乗せたロバは、沼にかけられた木道(もくどう)を、カポッ、カポッ、と歩いてゆきました。



 木道を進むたび、休憩中の(ジャバ)たちが、「おっと、変わり者が来たぞ」とばかりに、パシャン、ポシャン、と沼の中へ。



 ミカ伯爵はそれを見送り、「歓迎ごくろう、(かえる)どの」と、優しく声をかけました。




 ミカ伯爵一行は、沼地の木道を渡りきり、苔むした市門(ブラマ・レ)を見上げました。



 石壁をくりぬいたような馬蹄(ポドコヴァ)型のアーチ(ウク)

 高いところには、シワだらけの悪霊(ニェジヴェジ)の彫刻が、右と左に一体ずつ。頬杖(ほおづえ)をついて、ミカ伯爵たちを見下ろしていました。



 「今日から世話になる。

 ミカ・ポニョールと申す」



 ミカ伯爵がシルクハットの(ふち)に手を当てて会釈(えしゃく)すると、石の悪霊たちは、あまりの珍妙な新主人の姿に、困惑して固まっているようでした。




 二体の彫刻の間には、(おごそ)かな飾り文字(シュババハ)で何かが(めい)じてありました。



 「災い(リホ)は眠らない……」



 門に刻まれたその一文を読み上げて、ミカ伯爵は満足げに頷きました。



 「それは感心。当家(とうけ)も夜()かしは得意ゆえ、気が合いそうじゃの」



 その時です。こほん、とひとつ咳がして、ロバの耳とミカ伯爵の口髭が同時にぴこんと揺れました。



 見下ろすと、いつからいたのでしょう。



 ひとりの小さな老人が、ミカ伯爵の前にかしこまっていました。



 「お待ちしておりました、ミカ伯爵。

 ようこそ、フェンソウル市へ」




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挿絵(By みてみん)

 フェンソウル市の地図。

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 第三話 三つのキャビネット





 「なんと小さな都市(ミャスト)だろう」

 家来の一人が囁きました。


 「王室は何をお考えか」

 家来の誰かが囁きました。



 市門(ブラマ・レ)をくぐったミカ伯爵一行は、三つの建物を通りすぎて中央広場(リネク)に出ました。

 そして広場の終わりを左へ折れて、小さな建物を六つ通りすぎ、城門(ブラマ・ザ)をくぐりました。




 ささやかな晩餐会(ばんさんかい)がありました。



 そのあと、ちょっとした騒動がありました。



 フェンソウル城で過ごす初めての夜、ミカ伯爵は主寝室に案内されなかったのです。



 あまりに急なお達しだったので、修繕が終わっていないのです、と執事は説明しました。



 「なんと無礼な」

 家来の一人が剣を抜きました。


 「まてまて、仕方ないではないか」

 家来の一人は慌ててたしなめました。




 ミカ伯爵は、主寝室の代わりに、小さな客室に通されました。



 客室には、ベッドがひとつ。窓が一枚。机と椅子が一脚(いっきゃく)ずつ。そして一つのキャビネットがありました。



 キャビネットの上には、色々なものが置いてありました。

 ミカ伯爵は、マントの(すそ)を揺らして、ひとつひとつを眺めてゆきました。



 原生代(げんせいだい)紅藻(こうそう)の化石。リンネの『植物誌』。ゴッホの「アイリス」。ウォーターハウスの「エコーとナルキッソス」。ラビンドラナート・タゴールの『金色(こんじき)の花』。



 机の引き出しには、さまざまな草花のスケッチをしたためたノートが一冊ありました。

 ミカ伯爵はそこへ、今日沼地で見た、名前も知らない花のスケッチを描き足しました。



 ミカ伯爵は、紅藻の化石を手に持ってみて、その冷たさと重さを楽しんだあと、ベッドの上で『植物誌』をパラパラとめくりました。そして、ラビンドラナートの詩集を読みながら眠りに落ちました。



 翌朝起きたミカ伯爵は、執事に尋ねました。


 「この部屋の名はなんというのか」


 「人喰い花の間でございます」




 その日、ミカ伯爵は沼地を散策しました。

 思った通り、あのノートに描かれた草花は、この沼地のもののようでした。

 何度も何度も繰り返し描かれていた、特別な(ドンプ)の木も見つけました。

 ミカ伯爵とロバはその木の下で昼食を取りました。


 「花びらをむしり取っても、その花の美しさを集めることはできない…」


 ミカ伯爵は、昨日覚えた詩の一節を、ロバにそらんじて見せました。




 その日の夜もミカ伯爵は、客室に案内されました。

 その部屋は昨日とは違う部屋でした。



 客室には、ベッドがひとつ。窓が一枚。机と椅子が一脚ずつ。そして一つのキャビネットがありました。



 キャビネットの上には色々なものが置かれていました。

 ミカ伯爵は、マントの裾を揺らして、ひとつひとつを眺めてゆきました。



 ヘヴェリウスの星座図絵(せいざずえ)。メシエカタログ。アストライアーの天秤(てんびん)。宇宙条約。月の土地の権利書。



 机の引き出しには、天体観測の記録をつけたノートが一冊入っていました。


 ミカ伯爵はカーテンを開けて、月の光を部屋に招き入れました。

 そして、その明るさを頼りとして、観測記録を書き足しました。


 天秤に小石をいくつか乗せては、数式を解き、権利書を調べては、月面に目を()らしました。


 月の光をベッドにさしまねき、その中で眠りました。



 翌日、昼になってからようやく目覚めたミカ伯爵は、やってきた執事に尋ねました。



 「この部屋の名はなんというのか」


 「量子増幅の間でございます」




 その日の夜もミカ伯爵は客室に案内されました。

 その部屋は、昨日の部屋とも一昨日の部屋とも違いました。



 客室には、ベッドがひとつ。窓が一枚。机が一脚と椅子が二脚。そして一つのキャビネット。



 キャビネットの上には色々なものが置いてありました。

 ミカ伯爵は、マントの裾を揺らして、ひとつひとつを眺めてゆきました。



 マヤの凱旋図(がいせんず)。ボグロジツァの楽譜。戦神アレスの胸像(きょうぞう)。アントワーヌ・ジョミニの『戦争概論(がいろん)』。ルイス島のチェス駒。



 机の引き出しには、チェスの勝敗記録と棋譜(きふ)を記録したノートが一冊入っていました。


 ミカ伯爵は、マヤの戦士の足さばきをマントの下で真似してみました。それから、ルイス島のチェス駒を使って、ノートの棋譜をいくつか並べて見ました。そのあと『戦争概論』を開いて、うーん、うーん、と唸りながら眠りに落ちました。



 翌朝ミカ伯爵は、執事に尋ねました。



 「この部屋の名はなんというのか」


 「兵士演習の間でございます」




 その日、ミカ伯爵は執事とチェスを()しました。


 奇策に次ぐ奇策を繰り出すミカ伯爵の猛攻を、執事は手堅く守り切り、執事が勝ちました。

 ミカ伯爵はその記録をノートに書き足しました。



 「ふむ、ここで理性が足りなかったか」


 「……お見事でございました、伯爵」


 「手段は変われど、原則は永遠である……。

 なるほど、ジョミニの言うとおりだ。

 この城も、私の髭も、案外そういうものかもしれぬな」





 

 第四話 主人の間





 「お部屋の用意が、整いましてございます」



 ミカ伯爵がフェンソウル城にやってきて、四日目の夜。ミカ伯爵はついに、主寝室に案内されました。



 広い部屋の中央に、天蓋(てんがい)つきのベッドがありました。窓はふたつありました。

 シルクハットを置くのにちょうどよい帽子置き。

 つけ髭を置くのにちょうどよい真鍮(しんちゅう)の小皿。

 マントをかけるのにちょうどよい衣紋掛(えもんか)け。

 大きな四角い姿見の鏡と、その前に置かれた木製の長椅子(カルティニベンチ)

 (ニェジヴェジ)の毛皮の敷物と、暖炉、鉄製の薪置き(かご)もありました。



 「この城はとても古く、その石組みは堅牢、奇怪。たったひとつの小窓を新しく切るのにも大変な苦労を要します。

 夜明けが丘からお越しの伯爵のために、朝日と東雲(しののめ)を楽しめる窓を是非この部屋に。それが、この城の前の(あるじ)の、最後の願いにございました。

 今日までご不便をおかけし、まことに失礼いたしました」


 執事は右手を左胸に当てて、おじぎをしました。



 翌朝、ミカ伯爵は、新しく切られた小窓から夜明けを眺めていました。

 その日は信じられないような、薄桃色の美しい光が、たなびく雲を染め上げていました。



 その朝、ミカ伯爵は執事に尋ねました。


 「この城の前の持ち主の名前はなんとおっしゃるのか」


 「はい。

 この城の前の(あるじ)にして、わたくしの前の主人。

 そのお名前は、アルフレッド様。

 アルフレッド・ロナーティー様でございます」


 ミカ伯爵はこのお城が好きになりました。

 この執事が好きになりました。

 このお城の前の主人が好きになりました。

 いいえ。

 ほんとはもっと前から好きだったのです。


 この話をきいたミカ伯爵の家来たちもこのお城が好きになりました。



 めでたし、めでたし。




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挿絵(By みてみん)

 「沼の心臓(フェンソウル)」市。

 沼地の中島に(たたず)む石造りの小さな城壁都市(ミャスト)

 心臓のような、かたつむりの殻のような城郭(じょうかく)を、ミカ伯爵は気に入っています。

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