第8話 ――あなたの知らないところで
放課後の教室は、思ったよりも静かだった。
机の上に置いたカバンを見つめながら、
ひなたは、ため息をひとつ飲み込む。
……今日も、結局。
透先輩とは、ちゃんと話せなかった。
「時間をください」
そう言われたときの声は、
優しかった。
でも、どこか遠かった。
昨日までとは、違う。
違う、けれど――
冷たくなったわけじゃない。
それが、余計に分からなかった。
廊下を歩く。
窓から差し込む夕方の光が、床に長く伸びている。
透先輩は、変わった。
それは、はっきりしている。
昨日までの先輩は、
いつも少し距離を取っていた。
話すときも、
目を合わせる時間も、
必要以上に近づかないようにしているみたいで。
それが、近頃の先輩は。
近い。
言葉じゃなくて、雰囲気が。
声のトーン。
視線の置き方。
立つ位置。
全部が、少しだけ、近い。
「……ずるい」
ひなたは、誰にも聞こえない声で呟いた。
そんなふうにされたら、
期待してしまう。
靴を履き替えて、昇降口を出る。
外の空気は、少し冷たかった。
家に帰っても、
スマホを見ても、
連絡は来ない。
当たり前だ。
待ってほしいと言ったのは、先輩のほう。
でも。
胸の奥が、そわそわして落ち着かない。
布団に入って、天井を見る。
目を閉じても、眠れない。
今日の透先輩の横顔が、浮かぶ。
あのとき。
廊下を並んで歩いていたとき。
「今は、近い気がします」
そう言った瞬間、
先輩の肩が、ほんの少し揺れた。
……気のせいじゃない。
驚いた顔。
戸惑ったみたいな沈黙。
それでも、
突き放さなかった。
それが、ひなたには、嬉しかった。
先輩は、何を悩んでいるんだろう。
告白したのは、自分なのに。
待たされているのも、自分なのに。
なのに、
苦しそうなのは、先輩のほうに見える。
「……透先輩」
名前を呼んでみる。
返事は、もちろんない。
それでも、
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
先輩は、
自分を拒絶していない。
ただ、
何かと戦っている。
それだけは、分かる。
だから。
ひなたは、決めていた。
もう一度、
ちゃんと向き合おう。
答えが、
どんな形でも。
"あの先輩"でも。
変わってしまった先輩でも。
ひなたが好きになったのは、
「東雲透」だ。
それだけは、
昨日も、今日も、変わらない。
スマホを胸に抱いて、
ひなたは、目を閉じた。
待つ時間は、
不安で、長くて、怖い。
それでも。
先輩が立ち止まっているなら、
自分も、ここで立ち止まる。
それが、覚悟だと思ったから。
直後、手の中のスマホが震え、通知を伝える。
駅前の喫茶店の公式アカウントからだった。
ああ。
期待しちゃってるんだろうか。




