第7話 ――クローゼットの中の、もう一人
風呂から上がると、部屋は静かだった。
家族の気配は、廊下の向こう。
自分の部屋に戻ると、机もベッドも、昨日のままそこにある。
当たり前の光景。
それが、少しだけ安心する。
パジャマのまま、椅子に腰を下ろして、深く息を吐いた。
まだ、身体の内側に、湯の熱が残っている。
……眠るには、早い。
そう思って、何気なく視線を巡らせたとき、
クローゼットの扉が目に入った。
この部屋の、
このクローゼット。
開けたことは、あるはずだ。
でも、なぜか、今日まで意識に引っかからなかった。
取っ手に手をかける。
一瞬、ためらってから、扉を引いた。
中には、制服の替えや、私服が並んでいる。
スカート。
カーディガン。
Tシャツ。
……その奥。
ハンガーの列の、端のほうに。
見慣れない色があった。
手を伸ばして、引き寄せる。
シャツ。
それも、明らかに男物の。
肩幅。
袖の長さ。
布の張り。
間違いようがない。
「……え」
声が、思ったよりも小さく漏れた。
一枚じゃない。
その奥にも、ジャケット。
その横にウィッグネット。
どれも、サイズが合っている。
この世界の“私”が、着ていたとは思えない。
でも、
誰かの借り物、という感じもしなかった。
手に取ると、
生地の感触に、覚えがあった。
……知っている。
頭より先に、指が理解している。
元の世界の記憶が、静かに浮かび上がる。
クローゼットの奥。
人目につかない場所。
こっそりと仕舞っていた服。
誰にも見せるつもりのなかったもの。
「……そっか」
思わず、そう呟いた。
この世界の透も、
同じだったんだ。
男物の服を、
わざわざ隠すように、でも捨てずに持っている。
理由は、分からない。
好きだったのか。
落ち着いたのか。
ただ、着てみたかっただけなのか。
でも。
少なくとも、
“何もなかった”わけじゃない。
私は、事故で女になった。
それは、確かだ。
でも、
その前の“僕”も、
この世界の“私”も。
服を、そっと戻す。
扉を閉める。
胸の奥が、ざわついている。
でも、それは不快な感じじゃない。
むしろ――
逃げ場がなくなったような、妙な静けさ。
自分に言い訳ができなくなった。
「仕方なく、こうなった」
「事故のせいだ」
そう言い切るには、
私は、前から境界線の近くに立っていた。
ベッドに腰を下ろす。
天井を見上げる。
ひなたの顔が、また浮かんだ。
もし、
私がこのまま、
女として生きることを選んだら。
それは、
“嘘”になるんだろうか。
それとも――
ずっと、そうだった私を、
やっと認めるだけなんだろうか。
答えは、まだ出ない。
でも、一つだけ、はっきりした。
私は、
何かを奪われたわけじゃない。
ただ、
隠していたものを、
逃げられない形で、差し出された。
それだけだ。
部屋の灯りを消す。
暗闇の中で、
私は目を閉じた。
クローゼットの中の服は、
まだ、そこにある。
それは、
今すぐ着るものじゃない。
でも――
もう、無かったことには、できないだろうなぁ。




