第16話 ――彼氏できた?
夕飯のあと、部屋に戻ってベッドに転がる。
スマホを開くと、ひなたとのトーク画面が目に入った。
『今日の英語の宿題、3番の答え合ってますか?』
『合ってた。ありがとう先生』
『先生はやめてください……』
なんでもないやり取り。
なのに、口元が勝手にゆるむ。
……だめだ。にやけてる。自覚はある。
そのとき、ノックもなしにドアが開いた。
「お姉ちゃん」
妹の凛が、マグカップ片手に突っ立っている。
「……ノックして」
「した」
「してない」
「心の中でした」
いつものやり取り。
凛はそのまま部屋に入ってきて、ベッドの端に腰を下ろした。
追い出す気力は、もうない。
「なに」
「別に」
マグカップのココアを、ずずっとすする。
出ていく気配は、ない。
「……なんか用?」
「んー」
凛は、ココアから目を上げて、
じっとこちらを見た。
「最近さ」
「うん」
「機嫌いいよね、お姉ちゃん」
「……そう?」
「うん。ここ何日かずっと」
「気のせいでしょ」
「ごはん中に鼻歌うたってたけど」
……うたってた?
「あと、さっきからスマホ見てにやにやしてる」
スマホを裏返す。
遅い。完全に遅い。
凛は、ココアをもう一口すすってから、
さらっと言った。
「彼氏できた?」
時が、止まった。
彼氏。
彼氏じゃない。
じゃあ彼女?
いや、彼女……なのか?
そもそも付き合ってすらいない。
好きだとは言った。言われた。
でもそれは——
「お姉ちゃん、フリーズしてる」
「してない」
「めっちゃしてた。五秒くらい」
凛が、にやっと笑う。
2話の朝と、同じ顔。
この子は昔から、こういうところだけ鋭い。
「図星じゃん」
「違う、違うから」
「否定が早い。怪しい」
「だから——」
「じゃあ彼氏じゃないなら、なに?」
……なに。
それが分かったら苦労してない。
「……友達」
我ながら、苦しい答えだった。
凛は、半目でこちらを見た。
「友達にあの顔はしないでしょ」
「どの顔」
「さっきの。スマホ見てたときの」
「……見てたの」
「見えた。ドア開けた瞬間」
もう逃げ場がない。
みな子か凛か、どっちかには一生勝てない気がする。
「まあいいけどさ」
凛は、マグカップを両手で包みながら言った。
「お姉ちゃんが楽しそうなのは、いいことだと思う」
……不意打ちだった。
口が悪くて、ずけずけ来る妹が、
たまにこういうことを言う。
「前はさ」
凛は、ベッドの端で足をぶらぶらさせながら続ける。
「もうちょっと、難しい顔してたから」
難しい顔。
それは、この世界の私のことだ。
男だった頃の僕じゃなくて、
ここにいた「東雲透」の顔。
「……そうだったかな」
「うん。なんか、ずっと考え事してる感じ」
凛は、立ち上がった。
「まあ、詮索はしないよ。お姉ちゃんのことだし」
ドアに向かいながら、振り返る。
「でも、その人には会ってみたいかも」
「……は?」
「お姉ちゃんをそんな顔にさせる人」
それだけ言って、ドアが閉まった。
部屋に、ココアの匂いが少しだけ残っている。
……凛。
お前、たまにめちゃくちゃいいこと言うな。
裏返したスマホを、もう一度表にする。
ひなたのトーク画面は、さっきのまま。
『先生はやめてください……』
……もう一回、にやけてしまった。




