第11話 ――普通じゃない
心臓が、うるさい。
振り返ると、ひなたが立っていた。
夕暮れの光の中で、少し息を切らして。
「……どうして、分かったの」
声に出した途端、自分でも驚くほど掠れていた。
「分かりますよ」
ひなたは、当たり前みたいに言う。
「岡沢先輩がめっちゃノリノリで報告してきましたもん」
アイツ岡沢って名前だったか。
逃げ場がない。
彼女は隣に来て、手すりに寄りかかった。
肩が触れそうで、触れない距離。
近い。
近すぎる。
「今日、ここに来たのは」
ひなたは、街のほうを見たまま言った。
「返事を聞きたかったから、じゃありません」
……同じこと、何度も言わせてる。
「ただ」
「先輩が、ちゃんと考えてくれてるって分かれば、それで」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
考えてる。
考えてるんだよ。
でも、その中心にあるものだけは、
どうしても言葉にできなかった。
沈黙が落ちる。
夕焼けの色が、少しずつ薄れていく。
このまま、何も言わなければ。
優しい先輩でいれば。
きっと、傷つけずに済む。
でも――
それは、逃げだ。
「……ひなた」
名前を呼ぶと、彼女は静かにこちらを見た。
まっすぐな目。
逃がしてくれない目。
私は、一つ息を吸った。
「私ね」
喉が、ひどく乾いている。
「普通じゃない」
言ってしまった。
もう、戻れない。
ひなたは、何も言わない。
ただ、聞いている。
「自分が誰なのかも、
何者なのかも、
時々、分からなくなる」
嘘じゃない。
でも、全部でもない。
「だから」
「きっと、ひなたが思ってる“先輩”とも、違う」
一瞬、間が空いた。
拒絶される準備を、してしまう。
でも。
「……それだけ、ですか?」
ひなたは、そう言った。
拍子抜けするくらい、静かな声で。
「普通じゃないって」
「それ、理由になります?」
言葉に詰まる。
「私は」
ひなたは、少しだけこちらに向き直った。
「先輩が、分からないことで悩んでる人だってこと、
もう知ってます」
「それでも」
一歩、近づく。
「好きなんです」
その一言が、胸を打ち抜く。
逃げ場は、もうない。
みな子の声が、頭の奥で響く。
――ちゃんと、向き合ってきな。
私は、ぎゅっと手を握った。
怖い。
全部壊れるかもしれない。
それでも。
「……私も」
声が、震える。
「ひなたが、好き」
言ってしまった。
「男とか、女とか」
「普通とか、普通じゃないとか」
言葉が、追いつかない。
「正直、自分でも、よく分からない」
それでも。
「ひなたを好きだって気持ちだけは、
嘘じゃない」
沈黙。
夕焼けが、完全に夜に溶けていく。
ひなたは、少しだけ目を見開いてから――
ゆっくり、笑った。




