黄海海戦
数日後、呉海軍工廠で戦艦大和の検証作業、そして曳航への準備が進められた。
その様子を見た大和の乗組員である水兵は驚愕する。
なんと大和の腹部にハリネズミの様に搭載されていた対空機関銃群が無くなっていたのだ。
偶然通りかかった副艦長である能村大佐は驚いている水兵に笑いながら声を掛ける
「どうだ? 大和も見違えるだろう?」
「いやいや副艦長! 高角砲と機銃を艦から降ろすとは、一体どういうおつもりですか! 敵航空機への対策は!?」
「航空機…?はてさてなんの事かね…」
「あ…」
この時代は1904年、ライト兄弟が初飛行を行った約半年後の世界である。
そのような世界に、大和の対空装備などは必要無かった
25ミリ機銃、13ミリ機銃は対空戦闘では射程・威力ともに力不足であったが、旅順攻囲戦のような陸戦ならば恐るべき力を発揮するだろう。12.7センチ高角砲はその高初速による射程と弾頭重量により当時としては最強の砲であり、当時としては速射砲並みの口径である25mm機銃は敵トーチカや基地をいとも簡単に破壊するだろう。
会議室では、柴山長官を中心に再び議論が行われた。
戦艦大和の改修部長へ任命された平賀譲が報告書を手に説明した。
「戦艦大和の基準排水量は約65,000トンですが、曳航の負担を軽減するため、25ミリ機関銃や必要無い装備が撤去され現在63,000トンとなっています」
柴山長官が腕を組みながら話す
山本少佐が手を上げる
「今もっとも考えなければならない事は、曳航するためのルートだ。佐世保への曳航なら、瀬戸内海を通るルートで比較的安全だ。装甲巡洋艦「浅間」や「磐手」を護衛に付ければ、ロシアの哨戒艦にも対抗できる。問題は旅順近海だ。黄海は現在聯合艦隊が封鎖中なもののロシアの黄海艦隊の活動が確認されている。 その上、ウラジオストク巡洋艦隊も健在であり、曳航中の襲撃リスクが高い。」
伊藤中将は安心した顔で話す
「それなら問題は無さそうだな 黄海艦隊は八月、旅順攻囲戦より前に脱出を試みるが聯合艦隊に戦闘力を奪われる」
それを聞いた大和乗組員以外の士官は目を丸くし驚く
伊藤の耳元で能村大佐がヒソヒソ声で話した
(今は1904年の6月ですよ! 彼らが黄海海戦を知るわけありません!)
柴山長官は驚いたまま話しかける
「いや…その話が本当なら聯合艦隊に伝えるが… 本当なのでしょうか?」
伊藤がはぐらかす間も無く、能村副艦長が話す
「ええ、確かに確認した事です この発言の責任は最高責任者である伊藤中将が持ちます!」
彼の横っ腹が肘で思いっ切り叩かれた…
1904年 8月10日 黄海
ロシア黄海艦隊司令官ヴィトゲフトは、戦艦「ツェサレーヴェチ」に乗りながら思案する。
(今がこの黄海艦隊が包囲を破る最後のチャンスだ… しかし数日前から聯合艦隊の動きが読めん 何か…何かが引っかかる)
「前方10000mに黒煙! 聯合艦隊の可能性です!」
ヴィトゲフトは驚いて立ち上がるも、冷静さを取り戻し艦隊へ命令する。
「「全艦隊!単縦陣を維持しこのまま前方へ迎え撃て!」」
ヴィトゲフトは動きを読まれた事を内心不思議がりながら呟く
「黄海艦隊を構成する戦艦は6隻、対して敵聯合艦隊の戦艦は4隻だ… 十分勝算はある!」
しかしヴィトゲフトの目に飛び込んだのは驚くべき光景であった
聯合艦隊はセオリーである単縦陣の戦いでは無く、本来弱いとされる横腹を見せながら前方を横切る様に来たのだ。
そして、最前方の戦艦である三笠から砲弾が発射されると共に、他の艦艇達も単縦陣の最前方に位置する「ツェサレーヴェチ」に攻撃を仕掛けてきた
「「劣等人種の風変わりな戦術など恐るるに足らん! 単縦陣を維持せよ!」」
とヴィトゲフトは命令する
しかしその直後__
「ツェサレーヴィチ」の司令塔に砲弾が直撃し、ヴィトゲフトと操舵手が戦死、またイワノフ艦長などが昏倒。操舵手が舵輪を左に巻き込んで倒れた上、舵機に故障を起こしたために「ツェサレーヴィチ」が左に急旋回して後続艦の進路を塞ぐ事態となり旅順艦隊の戦列が崩れ、更にそれを聯合艦隊が蓋をするような形になった
その隙に聯合艦隊は後続艦へ一斉射撃を開始する…
決着は数時間で付く。 結果は日本海軍聯合艦隊の圧勝であった
「黄海艦隊の動きを知る自称''未来''の戦艦ねぇ… どう思います? 東郷平八郎長官」
「私は彼らをよく知らないが… 悍ましい事に変わりはないだろう 秋山くん」
戦いによりボロボロになった旗艦「三笠」の上で、二人の男は思案をしていた
1904年8月11日 呉
先日の勝戦の喜びに湧く呉軍港に、曳航の準備が完了した大和が出発しつつあった。
8月5日に呉軍港では、8隻の石炭駆動タグボートと、装甲巡洋艦「浅間」「磐手」を含む補助艦が曳航任務に動員され、柴山長官の指示のもと、大和は佐世保への移動を行うのであった。
瀬戸内海 深夜
大和の甲板で、神妙な面持ちの伊藤中将が思案に耽る
(我々が過去へ及ぼす影響は…この船以上に大きそうだ…もしかしたら…我々はあの悲惨な戦争を止めることが…)
佐世保に到着した大和は、海軍工廠のドックに収容された。佐世保の技術者たちは、呉から引き続き派遣された平賀譲の指導のもと、大和の主砲と射撃管制装置の最終点検を行う。
海軍艦政本部長 有馬真一は佐世保で新たな会議を招集し、旅順攻囲戦への具体的な運用計画を議論した。
「黄海海戦でロシアの第一太平洋艦隊は崩壊し、ウラジオストクの巡洋艦隊もウルサン沖海戦(8月14日)で大打撃を受けた。現在の黄海は、日本海軍が制海権を握っている。適切な護衛艦隊を編成すれば、曳航は簡単である。」
東京から遥々やって来た陸軍参謀本部長 山縣有朋が付け加える
「陸軍第三軍の第一次攻撃の報告では、旅順の203高地や東鶴山のロシア要塞は、現在の28センチ榴弾砲(射程7,800メートル)では攻略が難しい。大和の46センチ砲なら、30キロメートル以上離れた海域から要塞を破壊できる。これで攻囲戦の突破口が開ける。」
伊藤中将は海図を広げ、旅順港の地形を指差した。「旅順港は半径5~10キロメートルの要塞群に守られている。大和を港から15キロメートル沖に配置すれば、ロシアの28センチ砲(射程約10キロメートル)の射程外から攻撃可能だ。護衛艦として、装甲巡洋艦「出雲」「吾妻」、駆逐艦数隻を随伴させ、ウラジオストク艦隊の奇襲に備える。」
8月下旬、戦艦大和の旅順への曳航計画が最終決定された。佐世保から旅順までの約800キロメートルの航路は、対馬海峡を経て黄海に至るルートで、途中の中継地点として釜山港を利用する。
曳航部隊は10隻
護衛艦は装甲巡洋艦「出雲」「吾妻」、6隻。ロシアの水雷艇や巡洋艦の襲撃に備える。
大和の乗組員は、最低限の人員に絞られ、砲術科と機関科の精鋭が主砲と副砲の運用を担当。
撤去した25ミリ機関銃等と、それを操る人員は、陸軍第三軍に輸送され、旅順の塹壕戦で使用されることになった。