薄氷の剣士、ティセリア=アークロンド
ティセリア=アークロンドが「薄氷」の二つ名で呼ばれるようになったのは、今から一年ほど前のことだった。
その名は、彼女自身の美しさ、剣の冴え、そして「壊れやすい何か」を、三つ同時に宿していることに由来する。
戦場に立つ彼女は、まるで氷の上をスケートで滑るように軽やかで、早い。そして、冷気を帯びた刃が敵を貫くさまは、見る者を魅了する。味方は、鼓舞され、敵は、萎縮する。
だがその眼差しには、常に、凍てついた「何か」が潜んでいた。強いのに、どこか悲しげ。無傷なのに、何かが欠けている。そう評されることも少なくなかった。
剣技だけでなく、彼女には特異な能力、ユニーク・スキルがある。スキル名は『瞬きの氷』という。
発動中、ティセの剣刃は、氷をまとう。そうして、氷属性の魔力を刃先に集中させ、斬りつけた対象の動きを極端に鈍らせる効果を持つ。
対象との力量差が大きい場合、対象は凍りついて動けなくなる。さらに、攻撃と同時に発動する氷結の余波が、敵の足場をも氷結させ、敵が転びやすい環境を作る。
また、振った剣の刃先からは、氷の縁が細かいナイフのように飛んでいく。だから、剣を受けたつもりでも、細かい氷の縁が飛んでくるので、ダメージは避けられない。
ティセのユニーク・スキル『瞬きの氷』は、非常に、強力で、敵にとっては厄介なものとして知られている。もちろん、氷属性に耐性のある敵には効果が小さくなる。
だが、この能力は非常に消耗が激しく、持続時間が短い。だから、実戦では、連続して何度も使うことになる。そして、使いすぎると、気絶する。使い所が、難しいのだ。
人の視線はティセの剣に向けられる。その技は、冷たく美しく、誰よりも鋭い。しかし彼女が守ろうとしているのは、名声でも勝利でもない。
ラセルとミーナ。
小さな食卓と、慎ましい寝床と、笑い声が満ちる夜の時間。
守るべき大切なものを持っていること。それが「薄氷」の本当の弱点だった。
彼女は戦える。けれど、家で待つラセルとミーナの顔が脳裏によぎった瞬間、剣の切っ先がわずかに迷ってしまうのだ。強敵の場合、その隙を見逃してはくれまい。
「強く、美しく、壊れやすい」
だからこそ彼女は「薄氷」と呼ばれるようになったのだった。
この二つ名が広がったのは、ある山岳地帯での襲撃事件のあとだった。
街道を襲撃していた30名程度、中規模の盗賊団を、たったひとりで殲滅したという報告。それ自体が信じがたい出来事だった。
現場に残されたのは、凍りついたように動かなくなった十数体の遺体。その身体に刻まれていたのは、鋭く、細かい、多数の斬撃の痕だった。
「凍らされて、動かずに殺されている」「小さな無数のナイフで切り刻まれたようだ」「足場も全部、まだ、凍っている」
事実、あのときティセは『瞬きの雪』を限界まで使った。敵の前衛に踏み込み、氷を纏った剣で一閃。すぐに、細かい氷のナイフが無数に飛んでくる。
次の瞬間には、盗賊たちの足場は凍結し、逃げる間もなく次の斬撃に襲われていた。その繰り返し。たった一人で、30名の盗賊団を壊滅させていた。
スキルの終わりには、ティセ自身も膝をついていた。気絶する、寸前だった。視界は揺れ、吐き気に似た感覚が襲う。それでも彼女は、ひとり立ち上がり、村へと歩き出した。
ラセルとミーナが、待ってる。