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あの夜、守れなかったもの

 その村は、小さな谷に寄り添うように存在していた。名もなき集落。旅人すら滅多に通らない、山あいの静かな土地だった。


 ティセがその地を訪れたのは、依頼を受けた獣討伐の帰り道だった。日暮れが迫るころ、焦げたような匂いと、空の色を乱す黒煙に気づいた。


 何かが胸を締めつける。ほんのわずか前、谷の外れに差しかかったとき、不自然な足跡と、風に乗って漂う金属と革の混ざったような臭い。そういえば、盗賊団の気配に気づいた瞬間があった。


 だがティセは、それを振り切って、獣討伐を優先した。


 依頼の期限は迫っていたし、討伐対象の獣は、街道を荒らす危険な群れだ。判断としては、間違っていない、はずだった。


 それでも、目の前のこの光景が、ティセの心を焼く。燃料となっていたのは「自信を持っている、自らの予感を、積極的に無視した」という、言い訳できない事実だった。


 村はすでに半壊していた。木造の家々は根こそぎ破壊され、屋根は落ち、壁は刃物で裂かれていた。家畜小屋には火の手が回り、動物たちの姿は跡形もない。地面には乱れた足跡と、血の跡、そして踏みにじられた玩具が散らばっていた。


 それは魔獣の仕業ではない。整った連携、火のまわし方、手慣れた破壊の痕。明らかに訓練された盗賊団による襲撃だった。


「これが、人の仕業だっていうの?こんな酷いことが!」


 ティセは、剣を抜くまでもなかった。手慣れた襲撃者は、すでに逃げ去ったあとだった。


 焼け落ちた納屋の隙間から、炎で歪んだ(くわ)が転がり出ていた。地面には割れた食器、焦げた衣服、小さな靴。ここで暮らしていた人々の「生活」が無惨に散っていた。


 炎に包まれた家の前で、ふたりの子どもがぽつんと立ち尽くしていた。火の色が雲に反射している、そんな空の下。声を上げることも、泣くこともせず、ただ、誰かが迎えに来るのを待っているかのように。


 ラセルとミーナ、何が起こったのか、わからないのだろう。無言で瓦礫の前に立ち尽くしていた。


 ティセが二人に近づいたとき、ミーナはかすれた声で訊ねた。


「おねえちゃん、私のお父さんとお母さん、助けてくれるの?」


 ティセは何も言えなかった。焼け落ちた家屋の中は、まだ熱が残っていた。崩れた(はり)を手で払いながら、焦げた布の下から、かろうじて人の形を留めた、ティセとミーナの両親をみつけたとき、思わず膝が折れた。


「私の、せいだ」


 喉の奥から漏れたその言葉は、誰にも聞かれることはなかった。けれど、その夜、彼女の中で何かが静かに崩れていった。


 火の中からティセとミーナの両親の亡骸を引き出したのは、その夜遅くだった。


 彼女は剣士だ。力もある。判断も速い。だからこそ、自分が間に合わなかったことが、より深く胸に刺さった。盗賊の気配に気づきながら、討伐の任務を優先し、結果として守れなかった命がある。


 あのとき自分が少しでも早く村に入っていれば。あるいは、獣討伐を後回しにしてでも、あの違和感に向き合っていれば。少なくとも、ティセとミーナの両親だけでも救えたかもしれない。


 ミーナとラセルを抱きしめた夜、ティセは声を殺して泣いた。ふたりの震える背を抱きしめながら、涙が止まらなかった。


 そのとき彼女の脳裏に、十歳のあの日の記憶が甦っていた。


 あれも、冬の夜だった。物音ひとつない村の静寂を、怒号が突然破った。闇の中から響く大声と、焼けた木のパチパチいう音。剣を振るう音と、人の叫び声。屋根の上に火が舞い上がり、家が次々と襲われていった。


 ティセの両親は、彼女を納屋の裏へ逃がした。絶対に声を出すな、目を閉じて耳をふさいでいろ、幸せになれ、ありがとう、元気で暮らすんだぞ。最後に聞いたティセの両親の声は、震えていた。


 耳をふさいでも、聞こえてしまう。斬られる音、崩れる音、父の怒鳴り声、そして母の短い悲鳴。


 火の匂いと血の匂い、そして、何もかもが消えたあとの静けさ。これがティセが十歳だった、あの日の記憶である。


 守ってもらった命。その重さを、ティセはずっと背負っていた。


 だから今、目の前にいるミーナとラセルを、自分と同じように、ひとりにしたくなかった。


 ティセには、ミーナとラセルを、どこかの孤児院に預けるという選択肢が、初めからなかった。


 彼女自身、両親を失ったあと、国の孤児院で、数年を過ごしている。3回も転院もしたので、この国の孤児院がどういうものか、よくわかっている。


 この国の孤児院には、十分な食事も、温もりのある言葉もない。ただ、子どもを管理するだけの空間だ。名前を呼ばれることすら少なく、泣くことも笑うことも、誰の記憶にも残らない日々が続く。


 ティセの孤児院での暮らし。そこでは「生きている」というより「生かされている」という感覚しか得られなかった。


 だからこそ、ティセは思った。ミーナとラセルを、この国の孤児院に送るくらいなら、自分が育てる。たとえ食事が粗末でも、部屋が狭くても、愛を知って生きてくれるなら、それだけで十分だと。


 それが、剣士としての覚悟ではなく、ひとりの「生き残った子ども」としての、本当の決意だった。後にティセは、役場で、ミーナとラセルを、正式な兄弟姉妹として、戸籍登録をしている。


 この子たちの未来だけは、守り通す。


 そして翌朝、ティセは、ふたりの手を引いて村を出た。ティセの胸には「家族」という覚悟の言葉が生まれていた。しかし、それを、ミーナとラセルの前で口に出すのは、あまりにも早すぎると思った。


 ティセは、ミーナとラセルの親になろうとしたわけではない。ただ、自分の剣で誰かの命を守れなかった後悔が、まだ消えていないだけだった。


 ミーナとラセルが笑えば、どんな痛みでも和らいだ。


 だから今日も、剣を握る。

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