7.三倍マシ
そんなとき、王太子の登場で華やいでいた会場の空気が一気に冷めたものになり、ざわめきに変わった。
怪訝に思ってルイーズが人々の視線を追うと、遅れてやって来た一人の少年がいた。王族という身分にありながら同伴者さえおらず、第二王子アルエはただ一人だ。
国王と王太子たちが大歓迎された後であったために、なおさら現れたアルエへの周囲の態度の差が目立つ。
男達は険しい表情を浮かべ、あからさまに嫌そうな顔をする。令嬢達は引きつった口もとを扇で隠して目を逸らし、少年が近くを通っただけで、後ずさりする者もいた。
明らかに存在が浮いていて、誰もアルエを歓迎していない。
アルエが国王や王太子と共にやってくればここまで冷遇もされなかっただろうが、彼は遅れてやって来た。父や兄達から煙たがられ、拒絶されたのかもしれない。そんな空気すら滲ませていた。
アルエは自分への不躾な視線に対して、何ら感情を示さなかった。
顔立ちは兄同様に整った美貌の主であるにも関わらず、無表情で周囲をじろりと見る不躾さや、肌の色も青白くておよそ不健康な印象が、陰鬱さを感じさせた。
アルエは遠くで令嬢達に囲まれている兄の王太子に冷笑すると、兄や父王から最も離れた窓の片隅に立った。
そんな少年を見ていたリュンクスは、顔をしかめるのをこらえた。
――ここまであからさまとはな。
王宮に出仕するようになって、アルエの悪評は耳に入っていた。父王や兄王太子からも冷遇されていると専らの噂だ。
母親は低い身分であり、既に他界していたため、立場は圧倒的に弱かった。将来を嘱望されているわけでもない。既に兄のレオンハルトが王太子となって、次期国王としての地位を確固たるものにしつつあるからだ。
王妃の座を狙う令嬢たちにしてみると、どうしてもレオンハルトへの媚びを優先する。
リュンクスはアルエが周囲から忌避される理由がそれだけではない事も知っていたが、それでも誰も彼も酷い態度だと義憤にも駆られている。
だが、自分は田舎から出て来たばかりであるし、今、伯爵家を背負っているのは姉である。
勝手な振る舞いはできないが、それでも姉に口添えをしても良いだろうか……。
そんな葛藤をしながら、リュンクスが改めて姉を見たとき、彼は呆気に取られた。
「あ、姉上……?」
「……リュン。わ、私は変かしら」
「は?」
「こんな格好をしているから、変わっていると思われても致し方ないだろうけど、それ以外は大丈夫かしら!」
真剣そのものの姉の顔が火照ったように赤くなっている。
いつもなら眼光鋭い漆黒の瞳が、不安もあるのか少し潤んでいた。実の姉でなければ即刻口説きたくなるほどの美しさだが、ルイーズらしからぬ動揺ぶりである。
「姉上はいつもより三倍増しでお美しいと思いますが……」
「三倍くらいは、マシなのね!?」
「いや……姉上?」
「あぁ、リュン。どうしよう。アルエ殿下に声をかけていいと思う? あの面倒……っごほん! 王太子殿下よりも先に話しかけるのは失礼よね。待ったほうがいいかな⁉」
今、間違いなく王太子を面倒くさいと言おうとしたな、とリュンクスは思いながら、驚きを隠せない。
「王太子殿下はご令嬢の応対にお忙しいようですし、かまわないと思いますが……アルエ殿下とお話がしたいのですか?」
「もちろん。私は、今日そのためだけに来たようなものよ!」
夜会への参加に乗り気だったのは、このためか、とリュンクスは納得する。
「よもや、姉上が以前見かけられたと言うのは、アルエ殿下のことでしたか」
「そうなのよ! もう……何というか、背中から光が見えたわ! 輝いていたわ!」
頬を染めて、バシバシとリュンクスの肩を叩くルイーズは、さながら恋する乙女である。
そして、痛い。
自分と一緒に師に鍛え抜かれた姉は、見かけ以上に力も強いのだ。
「あぁ……納得しました。失礼しました。おかしいと思ったんですよ、姉上の好みとは真逆の方でしたから」
「さっきから、一体何の話をしているの?」
「何でもありません。アルエ殿下は今お手すきのご様子ですし、参りましょう。声をかけていただけるといいですね」
「う、うん!」
手に汗握るように服の裾を握りしめる姉に、リュンクスは目を細めた。
アルエならば、彼も不穏な感情を抱かなかった。十も年下の少年は、姉の恋人にはならないからだ。
だから、リュンクスも心穏やかに、アルエの元に歩み寄った。