2.令嬢の美意識
衝撃的な王都入りを果たした姉弟が、伯爵家の屋敷に暮らし始めて一カ月が経った。
伯爵家の当主は、弟のリュンクスが成人するまで、ルイーズが代理を務めることになった。期間限定ではあるが、やるべきことはいくらでもある。
ただ、ルイーズをもっとも悩ませたのは、リュンクスの姉と知った瞬間から始まった親戚一同の苦言である。
彼らの言っていることは、時々田舎に顔を見せにきていた父親の小言と大差はなかったが、人数が増えて、うっとうしさに拍車がかかった。
「あの人たちは、他に言うことがないのかな」
ルイーズは執務室にやってきたリュンクスへ、盛大にぼやいた。部屋には二人だけとあって、彼女も気楽に弟へ話ができる。
「またですか」
「そう。髪を伸ばして着飾って、剣の代わりに扇を持って優雅に微笑め、だって。いまさら無理に決まってる」
ウンザリ顔のルイーズは、今も田舎にいた頃と同じく男装のままだ。
リュンクスは、くすくすと笑った。
「屋敷の侍女たちには非常に評判がいいようですがね」
ルイーズの淑女もしくは可憐な令嬢化に必死の親戚一同の手前、使用人たちは表立って態度には出さないが、女性たちは彼女に見惚れる者が多かった。
生母が病で亡くなってしまったあと、ルイーズは自分が弟を護らなければと必死になり、多くの者たちにも助けられて生きてきた。その自覚があるだけに、どんな立場の者であっても礼儀正しく接するので、たちどころに使用人たちの心を掌握してしまっている。
しかし、ルイーズ本人は当たり前のことをしているだけという意識が強く、弟の褒め言葉もまるで響かない。
「そうでしょう。侍女の子たちもあんな重くて、かさ張るものの洗濯をしなくてすむものね」
「……まぁ、それもあると思いますが」
「私は一時的な代理なんだし、貴方が成人したらただの人になるんだから、男装していても誰にも迷惑をかけないと思うんだけど……そう言ったら、貴女は嫁にいく気がないのか、だって」
辟易としたルイーズに、リュンクスはすっと目を細めた。
「その気になりましたか?」
「ないよ。ただでさえ伯爵家のゴタゴタに巻き込まれているのに、結婚相手まで決められてたまりますか」
「私のことばかり条件を付けているからですよ」
突然迎えを寄越した親戚の者たちに、姉弟は猛反発した。当主一家を失ったからと、急に伯爵家を継げなどと言われても困るし、厄介事の匂いしかしなかったからだ。
それでも何度も使者を送りつけてきて、必死で説得してくる彼らにリュンクスが根負けしてしまったので、ルイーズも渋々折れた。
だが、弟の人生が彼らの言うなりになるのをよしとしなかったルイーズは、リュンクスが自由に行動できるように様々な条件を付けた。
弟の同意なしに縁談を強引に進めない、というのもその一つだ。
父親はたまにしか田舎の家に顔を出さなかったので、亡き母が寂しがっていたことを知っていたから、なおさらだった。弟には心から愛した女性を妻に迎えてほしいとも思っていた。
親族の者たちはリュンクスに縁談を持ち込みたいと口では言いながらも、今のところは約束を守っている。
ルイーズの最大の失敗は、自分のことは何も条件をつけなかったことだ。
「私に縁談を進めてくるなんて、普通は思わないよ」
ルイーズは顔をしかめ、盛大なため息を吐いた。
憂鬱そうな姉の横顔を見て、リュンクスは苦笑するしかない。
ルイーズに縁談を持ち込んでくる身勝手な親戚たちには彼も辟易としているが、張り切りたくなる気持ちも分からないでもなかった。
今でこそ、ルイーズは後ろでお情け程度に縛れるくらいの短い髪だが、それでも少し動けばさらりと流れる艶やかさだ。幼い頃はとても美しく長い黒髪で、雪のような白い肌によく映えた。
自分とともに鍛錬を重ね、しょっちゅう太陽の下にいたというのに、あまり日焼けをしない質らしく、相変わらず色白だ。意志の強い眼差しを彩る漆黒の大きな瞳は、実直な姉にふさわしい。赤い唇は、黒と白に彩を加え、女性らしい艶やかさを感じさせる。
鍛え抜かれた肢体はしなやかで、無駄な贅肉もない。子どもの頃からコルセットで無理に締めつけたり、姿勢を矯正したりしてこなかったからか、立ち姿は自然で美しかった。
たちどころに屋敷の侍女たちを虜にしたが、いかんせん、ルイーズの美意識は大幅にズレている。それというのも、彼女の美の基準が、いささか変わっているからだ。
ルイーズはため息を吐きつつ、リュンクスを見返して真顔で言った。
「まぁ、貴方なら嫁の貰い手に困らないだろうけれど」
「姉上。私は男ですよ」
「それは分かっているんだけど……ほら、貴方はとっても美人さんだし――」
ルイーズは惚れ惚れとした顔で、弟のリュンクスを見つめる。
自分の髪色は父譲りの地味な黒でぱっとしないが、母親似のリュンクスは銀色の髪だった。光を浴びるとキラキラと輝く、少し長めの短髪だ。優し気な面差しに、切れ長の瞳。鼻筋は真っすぐで、弟を形作るものの一つ一つが何もかも美しい。背もルイーズよりも少し低かった。
ここ最近になって、背がどんどんと伸びてきたから大分差が縮まってきている。昔はもっと差が大きく、華奢で小柄だったので、女の子に間違えられるときも度々あった。
当時からルイーズはリュンクスを見つめ、うっとりとした顔で、こう言うのだ。
「――可愛いもの!」
「……相変わらずですね」
ルイーズもリュンクスも、どちらもかなりの長身だ。そのうえ、他を圧倒するような美貌を持つから目立つのだが、ルイーズ自身はこの身長をまったく歓迎していない。
男装し、男顔負けの立ち振る舞いをする彼女は、『小柄で可愛いもの』が大好きだからだ。
もちろん、長身の男性は論外である。