12.父娘
夜会から数日後の昼下がり。
伯爵家の中庭で、剣の音が響き渡る。
長年伯爵家の屋敷に仕えていた家人の多くは、眼前で繰り広げられる光景に真っ白になって、魂まで抜けてしまっている。
特に侍女たちは悲鳴をあげそうになるのを必死で呑みこみ、蒼白になってガタガタと震えている始末である。
武に心得のある者は、絶句したのち感心しているが、それはごく少数だ。
貴族の庭園はよく手入れされているものだったが、今や完全に鍛錬場である。あっという間に無粋な物へと豹変させたのが、姉弟の師であるソロだ。
四十代半ばの壮年の男であったが、鍛え抜かれた体格と日焼けした若々しい身体に機敏な動きが、年齢よりも遥かに若く見せていた。刈り込んだ黒の短髪で、紅色の目は鷹のように鋭い。
その上、ソロはルイーズとリュンクス二人の剣を同時に受け止めていた。
「どうした。貴様ら、王都に来て鍛錬を怠けていた訳では無いだろうな!」
伯爵代理と次期伯爵に向かって、容赦ない怒号が浴びせられる。
気骨のある家人が勇気を振り絞ってソロを諫めたが、一睨みされただけで気が遠くなる始末で徒労に終わった。
一方、この光景を平然と見ている集団もいる。
ソロが田舎の屋敷から連れて来た使用人たちだ。
ほとんどが男であり、全員が剣を穿き所作に無駄がない。平服だが、全員が腰から下げている長剣は使いこまれていた。ソロが姉弟の指南役になった時に彼と共にやって来て以来、行動を共にしているため、この過激な鍛錬も日常茶飯事だった。
「遅い!」
「あ!」
ルイーズの剣がソロに弾き飛ばされ、その勢い余って彼女が地面にしたたか身体を打つが、ソロは容赦なく剣を振るう。これに血相を変えたのがリュンクスである。
「姉上!」
リュンクスは殺気立って、ソロに斬りかかった。完璧な間であったにも関わらず、ソロの凄まじい剣速がそれを凌駕する。
「貴様もだ!」
容赦なくリュンクスの剣も跳ね飛ばし、更にその腹部に強烈な足蹴を叩きこむ。倒れるリュンクスに、彼に密かに焦がれる屋敷の侍女たちから悲痛な声が洩れた。「顔だけはやめて」などという発言もまじっている。
痛みに呻く姉弟に、剣を収めたソロは目を怒らせた。
「甘い。実に腑抜けだ。特にルイーズ!」
何とか身体を起こしたルイーズは名指しされて、ぎくりと身を強張らせる。
「は、はい!」
「夜会に行って浮かれていたのが、目に見えて分かるぞ!」
「何故お分かりに!」
「当たり前だ。お前好みの貴族令嬢など、王都には腐る程いるからな」
「く……っさすが先生! 申し訳ありませんっ」
唇を噛むルイーズに、腹を擦りつつやって来たリュンクスが、手を差し出して姉を立たせつつ、ソロを軽く睨んだ。
「姉上、そこは感心する所ではありません。誰でも分かる事です」
冷ややかなリュンクスに、ソロは鼻で笑った。
「そういうお前は姉が気がかりで、上の空か」
「得意気に言う事でもないでしょう。私はかまいませんが、姉上にはもう少し加減をして下さい。妙齢の女性なんですよ」
「小僧が言うようになったじゃないか」
にやにやとするソロにリュンクスは苦い顔をしつつも、その手は姉の服の汚れを払うのに忙しい。一方、家人たちはこの男の迫力に呑まれて、誰も抗議すらできない。
そんななか、唯一、彼らに歩み寄った女性がいた。
お仕着せを着たほっそりとした美女で、艶やかな栗色の髪が印象的だ。大きな瞳は庇護欲をそそり、少し下がった目尻は、彼女の印象をとても優しく見せる。男ばかりの集団の中で、その美女は大変目立った。
大勢の厳つい男達に囲まれて可哀想に、と彼女を知らない者たちは思ったほどだ。
そんな美女が、タオルを片手に歩み寄り。
「いい加減にして!」
と言うや否や、ソロの尻を思いっきり足蹴にした。しかも強烈だったらしく、二人の鍛錬をしても姿勢を一切崩さなかったソロがよろめいた。
「ロ、ローナ?」
「いくら自分の力があり余っているからって、いつまでやる気よ。相変わらずの戦馬鹿だわ!」
毒を吐くローナに、ソロが情けない顔をした。
「実の父親に向かって言うことか」
家人一同、絶句である。こんな厳つい武人の娘が、優しい顔立ちをした美女である。
だが、言葉を発すれば迫力があり、しかも容赦ない蹴りは武の心得がある事を裏づけている。まるで詐欺だ。
「だったら気をつけて」
ローナはそう言いながら、リュンクスへ汗を拭くようにタオルを渡し、ルイーズに至っては自ら拭いてあげる程のかいがいしさだ。
「ありがとう、ローナ。私は大丈夫だよ。先生がおっしゃる通り身体が少し訛ってしまっていたみたいだ」
ルイーズは、可愛い侍女に微笑みかけた。
彼女は父親と共にやって来て以来、ずっとルイーズの身の回りの世話をしてくれていた最も信頼の置ける女性だ。年は三つほど上で、ルイーズ同様に嫁に行く年齢は超えていたが、とうぶん結婚する気はないといって数多の求婚を断り続けている。
先代の伯爵の急死で慌ただしく姉弟は王都に呼ばれたため、田舎の館はそのままになっていた。ルイーズはソロに管理を一任しておいたが、伯爵家を継ぐことになり、王都に定住せざるをえなくなったから彼らを呼び寄せたのだ。
ソロは田舎暮らしが性に合うと再三渋ったが、ルイーズの傍仕えを続けたいと言うローナの熱意に負けた。
田舎の館の管理を任せ、苦楽を共にしてきた数多の使用人達を伴って、今朝方屋敷に着いたのだ。長旅であったにも関わらず、ソロは出迎えた姉弟の顔を見るなり鍛錬をすると言い出して、現在に至る。
「父様と付き合っていたら日が暮れますわ。夜会に行かれたのだって、別に咎められる事ではありません」
「そ、そうだよね!」
「えぇ、貴族として必要な事ですもの。可愛い子はいらっしゃいました?」
笑顔で尋ねられ、ルイーズも釣られて顔を明るくした。
「いた、いた! みんな可愛い子ばかり!」
「あら」
「故郷の女の子たちも素朴で素直で可愛いけれど、王都の女の子達は華やかに着飾っていて、素晴らしい!」
「まぁ」
うっとりとするルイーズに、伯爵家の使用人たちは頭痛を覚えた。
ルイーズ自身が、王都の貴族令嬢たちから軒並み嫉妬されたり、見惚れられたりする麗人である。
髪を伸ばし、ドレスを着ればさぞ映えるであろうことは明らかなのに、今日も変わらず男装をして、鍛錬である。この人が男であれば、令嬢たちの求愛が後を絶たないに違いない。
型破りなルイーズは今日も朗らかに女性談義に華を咲かせたが、ローナを見返した彼女は焦り出した。
「も、もちろん、ローナが一番可愛いよ!」
「ありがとうございます」
にっこりと笑うローナの目が、まったく笑っていない。
親類達の諫める声や苦言もどこ吹く風のルイーズにも苦手な人がいたのだと、使用人達は密かに感心したものだった。




