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【アップ】男山教会2023年4月23日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782


【カクヨム】

https://kakuyomu.jp/my/works


【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=GUc92UKLQPc&feature=youtu.be


【ブログ】

こちらで聖書と讃美歌の歌詞を閲覧できます。

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12800484836.html



前奏

招詞

ローマの信徒への手紙 6章8~11節

頌 栄

たたえよ、主の民[こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問32

「イエスさまのとりなし」

こどもさんびか

キリストのへいわ [改34]

牧会 祈祷

讃 美 歌 355番(1,2)

聖書

ヘブライ人への手紙11章8~16節(新約P415)

創世記12章1~9節(旧約P15)

説 教

「信仰のもとで~アブラハムの望んだ天の都」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 355番(3,4)

みことばの交読文

ヨハネ黙示録21章1〜4節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 541番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌355番(歌詞付)54年版「主をあおぎみれば」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=3TA-CK23XSE


1

主を仰ぎ見れば 古きわれは

現世うつしよと共に 速く去りゆき

われならぬわれの あらわれきて

見ずや天地ぞ あらたまれる

2

うつくしの都 エルサレムは

今こそくだりて われに来つれ

主ともにいませば つきぬさちは

きよき河のごと 湧きてながる

3

うるわし慕わし とこ世の国

うららに恵みの 日かげ照れば

生命の木の実は みのり繁く

もはや死の影も なやみもなし

4

つゆだに功の あらぬ身をも

潔めてみくにの 世嗣(よつぎ)となし

黄金のみとのに 住ませたもう

わが主の愛こそ かぎりなけれ


頌栄集 讃美歌539・540・541・542・543・544番 メドレー

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=6lHQPiZILD0


【金田知郎先生のメッセージ】

https://www.rcj.gr.jp/utsunomiya/sermon/detail.php?id=216


2023年4月23日 礼拝説教 中心聖句


 実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。

ヘブライ人への手紙11章16節



 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」

創世記12章1節

         

はじめに

主の恵みの約束の実現と証明を、この地における神との会合に確信する。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになっている土地に出て行くように召し出されると、」とは、神が「示す(見る、現す)地」(創世記12章1節)にただ「信仰の召命」によってのみ行動を起こしたことを表す。「これに服従し、行き先も知らずに出発した」。実にアブラハム[アブラム]は、「主の言葉に従って旅立った」(同12章4節)。時に「七十五歳」(同12章4節)。「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました」とその従順が、証明される。この「イサク、ヤコブと一緒に」とは、神の恵みによる契約の歴史において、一つの住まいを共にしたことを証しする言葉。「幕屋」とは地上においては仮住まいでありながら、神がそのすべての日に共におられたこと(臨在)を示す。実に、「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台をもつ都を待望していた」。神自ら、始め、建て上げられる。「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(12章2節)と同じ。この「堅固な土台」は、イエス・キリスト。その都は、キリストがおられる天の都(フィリピ3章20節、コロサイ3章1節)。

「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました」とは、アブラハム[アブラム]とサラ[サライ]が、約束の子であるイサク(彼は笑う)を産む力を与えられたことを証明する。「わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする」(創世記17章19節)との約束は、アブラハムとその家の男子皆に施された割礼によってしるされた(創世記17章23節)。イサク誕生は、「神が約束された時期(会合の時)であった」(創世記21章2節)。「それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれた」。神の約束は、アブラハム[アブラム]から「生まれる者が跡を継ぐ」(創世記15章4節)ことによって果たされた。かつて、アブラハム[アブラム]を「外に連れ出して言われた」主は、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」と命じ「あなたの子孫はこのようになる」と約束された(創世記15章5節)。

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」とは、アベル、エノク、ノア、アブラハムたちとその地上の生涯を指している。神の約束されたものを手に入れなくても、「はるかにそれ見て喜びの声をあげ」たとは、信仰の本質が、神のキリストにあることを物語る。「自分たちが地上ではよそ者」「仮住まいの者」「故郷を探し求めていること」は、「実際」(否、今この時=しかし、信仰の実質においては)「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた」。「神は彼ら神と呼ばれることを恥と」せず、「彼らのために都を準備されていた」(2章10,11,16)。



おわりに

召天者記念礼拝に備える「今日」、わたしたちの信仰(その実質)は、ただ、十字架と復活の主イエス・キリストにある。神の恵みによる救いの約束の実現を、わたしたちの内に見る時、真に、天の都は、すでにここにある。「主は近い」。



(Mynote)


二〇二三年四月二三日(日曜日)、今日も礼拝を守れる環境が与えられて居る事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『子供と親のカテキズム 問三二』

「祭司としてのイエス様のお働きは何ですか?」

「イエス様は、祭司として、私達の罪の償いの為にご自分の命を十字架で捧げて下さいました。今も、天にあって私達の為に執り成して居て下さいます。ですから、私達は、キリストの名によって心を込めてお祈りします。」

イエス様が十字架に掛かられた時のエピソード。イエス様は最後の最後まで、自分を十字架に付けた人々の為に天の父、神様にお祈りを捧げられた。「彼らをお許し下さい。彼らは自分でして居る事が解って居ないのです」と。そして十字架に掛かられた事で全ての人々の罪を贖い、全ての人々が罪の悔い改めをし、救われる事の約束をして下さった。

(公同礼拝)

『ヘブライの人への手紙』(第一一章八〜一六節)

『創世記』(第一二章一〜九節)

「揺るがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んで居たのである」(『ヘブライ人への手紙』第一一章一〇節)人が皆望む、永遠の平安の地、天国の事か。「その都を目論み、また建てたのは、神である」(同章同節)。「信仰に依って、サラもまた、年老いて居たが、種を宿す力を与えられた。約束をなさった方は真実であると、信じて居たからである」。奇跡を普通に、必要な時に神様に依り起こされる事。だからこそ全ての人には救いが在り、平安が在り、その永遠の平安の都、天の国(天国)を信じる事が出来、命にとって最大の恵みが与えられる。全ての人がその常識の内で「不可能」と片付ける物事を、神様は可能にされ、その上で命を救われるのだ。

信仰とは、見えない事実を確認する事である。見える事を確認するのなら、それは信仰が無くても誰でも出来る事である。事実確認とは、別に信仰がなくても、普通に世間で全ての人がよくして居る事である。大事は、信仰に於いて事実を確認する事、その信じて居る事を「真実・事実」として確認する事、それが出来るか?と言う事である。

「私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福のもといと成るであろう」(『創世記』第一二章二節)

アブラハムは神様の御力に依り祝福され、その祝福(信仰)の基とされた。

「あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪うものを私は呪う。他の全ての輩は、あなたに依って祝福される」(『創世記』第一二章三節)

詰り神様がアブラハム(人)の味方に付いて下さり、その信仰に生かされる事で全話的に祝福される事。この事はアブラハムだけでなく、アブラハムを祝福の基とされる上、現代の全ての人々にも同じく言える事?

アブラハム(アブラムの時)は神様から「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい」(『創世記』第一二章一節)と言われた。アブラハムはこれに従い、何の当ても無くそのまま旅立った。詰り、神様の言う通りにした。神様が、アブラハムのする事全ての証人に成られた形。全ては、神様に全身全霊を委ねて従った事に義が在り、大事が在る。この時アブラハムは行き先を知らなかった様に、目的の物を見ないで従った。理由は「神様がそう言われたから」だけ。自分の目的でなく、人間的な「目に見える理由・目的」が在った訳ではない。信仰に於いて、この行動の力が先ず必要である。ただ神様の言われた事・示された事に、全力を以て従う事。この大事をクリスチャンでも普通に見落とす。それに不安や恐怖を覚え、また更にそれまで身を取り巻かれ信じて来た「人間の常識と理解」が行動原理に成り、それで結局、神様に示されたその事を何もしない。ただ自分の欲望と理想に従う姿勢だけで独歩してしまう(この独歩に於いても神様がその人を生かして下さって居る為、その奔放を見守られて居る形と成る)。

「アブラム(アブラハム)はハランを出た時、七十五歳であった」(『創世記』第一二章四節)。七十五歳と言えばもう老人である。詰り歳に関係無く(老いに関係無く)、神様の教えはその人を生かすのである。

見ないで知る信仰。神様が示された物事・目的を、知る程に信じるその信仰が、全ての人々(兄弟姉妹)にとって必要と成る。人には「無理」と思われる事でも、神様に無理な事は何も無い。全ては神様が御計画された様に成り、人はそれを知る程に信じなければ成らない。それが真実ほんとうだからだ。神様自らが備えた約束の実現を示す。これを全ての人々は見て知って居る。聖書に見て知って居り、それを信じる事で神様に救われる。このアブラハムに起きた奇跡(神様に依る人への約束)は、聖書時代にイエス様を十字架に掛けた全ての人々(特にユダヤ人達)も旧約聖書に依り知り信じて居た。

「あなたの子孫を星の数ほど増やす」この言葉の意味は、歴史を見れば分かるだろうか。歴史に埋もれ、現代を以て数え尽せない程の人が、これ迄から現代を紡ぐその時の間に生まれて居た事だろう。アブラハムから、祝福された人々、即ち信仰に救われる人々が生まれる事になった。信仰に依り救われるとはその人の心の中の事に在り、神様とその人の間の事に成り、他人にその事の成就を測る事は出来ない。詰り無数の人々が、そのアブラハムが祝福された事に依り、救われた事が思われる。

「とわに死の影も なやみもなし。我が主の愛こそ 限りなけれ」(讃美歌「三五五」の歌詞より)。

(御言葉の交読文)

「私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」

「更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが夫の為に着飾って花嫁のように用意を整えて、神の元を離れ、天から降ってくるのを見た。」

「その時、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。」

「上は自ら人と共に居て、その神となり、彼らの目の涙を悉く拭い取って下さる。」

「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』。」


【金田知郎先生のメッセージ】

https://www.rcj.gr.jp/utsunomiya/sermon/detail.php?id=216


『私が命のパンである』

『ヨハネによる福音書』(第六章三四〜四〇節)

イエス様は当時の人々を惹き付けてやまなかった。人々は神様からの救いを求め、先ずイエス様の元へ集まって来た。

でも人々は、既にマナによりその奇跡しるしを見せられて居るのに拘らず、更に「しるしを見せて下さい(そうすれば私達は救われます)」と言った。とにかく印を「もっと・お代わり」の姿勢かたちで欲しがるのである。既に与えられて居る神様からのめぐみに気付かず、盲目的に「恵みと信じられる印・奇跡」を欲しがる。これは一体どう言う事か?これが信仰の道なのか?これが神様に創られ、その恵みに応えようとする人間の姿か?

人々は自分達が何処から来たのかも知らない儘に、ただ「とにかくどうしても救われたい」「俺達・私達をもっとその恵みにより救ってみろ!」と大喝して居る様であり、それは普段、神様が見えない事・そこに居ない事・実際(現実的)に救われた(恵まれた)と知らないからそんな事を多言し、とにかく「自分達は単独で生まれて来た。神様の教えを守る事は窮屈でしんどい、大変だ。もっと生きる上での快楽を謳歌したい!その為には本能・欲望の儘に生きる事、それを叶える為の金やステータスを得る事だ」と冷静に考え片付けて仕舞い、それで良しとする姿勢で落ち着いて居る。これが現代人の現状ではなかろうか(この「現代人」とはその時代々に生かされて居る人の事を指す)。

先ず、自分が何処から生まれたのか?それを問え。自分で目的を以てこの地上に生まれた者は無い。もし在ればそれは妄想と欲望から来て居る。これを信じられるかどうかだ。詰り信仰の問題となる。正しい信仰、これをどう求めるか?その正しい信仰が神様からその人に直接与えられて居るかどうか?これが問題になる。そしてこの正しい信仰は、生まれながらに既に人に与えれられて居る。その命が与えられ、地上に誕生した時点で与えられて居る。

「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだのである」(『ヨハネによる福音書』第一五章一六〜一七節)

神様がその人の命・存在を選び、その時点からその人が地上に創られたのだ。その人が無から存在したのである。「この事実を先ず知らねば成らない」信仰に依る時、先ずこの事から始まるのである。イエス様が十字架に付けられた時、隣に同じく犯罪者として十字架に付けられた人が居て、その人は「この人(イエス様)は何も罪を犯して居ないのに…。…主よ、御国に着いたときには、どうか私を思い出して下さい」と言い、その罪人に対しイエス様は「言っておくが、あなたは今日、私と共にパラダイスに居る」と言われその人を救われた。

世の終わりの時に、全ての人はイエス様の復活に依り、その事を信じる信仰に依り、神様の救いに与れる。クリスチャンとは、その信仰キャリアにより地位など決まらない。瞬間でも、どれだけ本気で信仰に向かい、全身全霊を以て神様に近付こうとしたか。この姿勢がどれだけその人の正直に成って居るか、だ。イエス様も神様も、人がその信仰に依り救われる事をずっと願われて居る。



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=q0lc_w0zV-I&list=PL8KCKaKra_aYWbpUw2b-jccg2eIg696Vx&index=1


FACING SUFFERING 苦悩と向き合う(アーサー・ホーランド)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Ukqco-k5vCw


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


イエス・キリストの生涯をたどる旅・2

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tzfLoBiw_zA


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)









少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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