星空のディスタンス
闇の中にバイクの排気音が鳴り響いていた。東京湾が見渡せる埠頭。夜の22時。
二十台くらいのバイクが星空の下に集まり、ある者はしゃがみ込んでタバコを吹かし、また、ある者はバイクに寄りかかり笑い合い、ある男女は頬を寄せ合っていた。
ここに集まっているのは、年齢はみんな十代、それも高校生くらいだ。女は髪を金髪にしてベッタリとした化粧、男は腕や体にドクロや死神の派手なタトゥーを入れていた。
埠頭の一角に『スターダスト』という名のスナックがあった。暗闇の中に赤いネオンサインが瞬いている。そこは彼らの心を癒す溜り場のようになっていた。
スターダストに集まる男たちの前に、一台の二人乗りバイクが走り寄ってきた。バイクは全員の前で停まり、運転していた男がヘルメットを外した。
「遅かったじゃねえか、拓」
仲間の一人が、運転していた男に言った。
「こいつが来るのが遅いからさ」
拓と呼ばれた男は、後ろに乗っていた女を顎でしゃくって言った。言われた女はバイクから降りてヘルメットを取った。外したヘルメットの下から現れたのは、まだ幼い顔をした少女だった。
「ナナミ、みんなに自己紹介しろよ」拓が言った。
少女は、相川七海と名前だけ言い、ヨロシク、と一言だけ付け足した。七海がグループの仲間になったのはこの日からだった。
少年たちは、毎日のようにスターダストに集まり、店内でアルコールやタバコを吹かして騒いでいた。マジメに働く者などいなかった。少年たちの乗るバイクも、ほとんどが盗品のようなものだった。
七海は、最初は店の雰囲気に慣馴染めず、ギクシャクしていたが、一週間とたたないうちに店の空気に慣れ、仲間たちのリズムに慣れ、タバコとアルコールに慣れていった。七海の体にこの「生活」が染みこむのにも、それほど時間はかからなかった。そして、いつしかここスターダストの空気に、居心地の良さを感じるようになっていた。
「おいナナミ、またアイツ来てるぜ」
カウンターに座っていた七海に、仲間の一人が言った。七海は、ウイスキーのグラスをテーブルに置いて店の入り口を見た。
七海は、チッと舌打ちし、彼を無視したままコークハイのグラスを口に運んだ。スナックの入口に立っていたのは、見るからに真面目そうな少年だった。彼は七海の高校のクラスメイトの土屋駿介だった。
「ほっといていいのかよ」隣の男が七海に言った。
「いいのよ。だってアタシ、関係ないもん」と七海。
土屋駿介はそのままゆっくりと店の中に入り、七海のすぐ脇まで歩いてきた。
「いいかげんにしてよッ! 仲間から変な目で見られるじゃないッ!」
七海は声を荒げて言い、椅子から立ち上がり駿介の前に立った。
「何を言われても、アタシは帰らないって言ってるでしょッ!」
「学校は休学ということになってるみたいだから、いつでも戻ってこられるよ、七海。部活のみんなも心配してるよ」
「誰が戻るもんですか、あんなクソ面白くもない学校なんて。ここの方がいいよ。みんな仲間だし、バイク飛ばしてる毎日が楽しいわ」
七海が吐き捨てるように言った。彼女は、学校では教師や一部の優等生から『問題児』扱いされ、つまはじきにされていたのだ。
「これが仲間かよッ! タバコ吸って酒飲んで、バイク盗んで、普通じゃないよ」
「そうだわ、普通じゃないかもね」七海が俯いた「でも、駿介の言う普通ってなに? どんな毎日を普通って言うの? 教えてよ」
駿介は、七海の問いに、答えられなかった。
「とにかく昔に戻ろうよ。部活やって、友達と笑い合う昔に」
「無理よ。もうアタシ、駿介の言う昔には戻れない。こんなになって戻れっこないよ」
七海は言いながら金髪にした髪をパサッと触り、コークハイのグラスを呷るように飲み干した。
「戻れるさっ! ぜったい戻れるって。これ、サッカー部のみんなからのメッセージだよ」
駿介は、ポケットからスマートフォンを取り出して七海に見せた。画像には、女子サッカー部のメンバーが全員で写っている。
「フォワードがいなくなって、点が取れなくて困ってるぜ」駿介が言った。
七海はスマフォの画面を黙って見つめた。七海も半年前までは、このチームのメンバーの一人だったのだ。七海の脳裏に、メンバーたちとグラウンドでボールを追いかけた日々が蘇ってくる。それを思い浮かべると、自分はなんてことをしたんだろうという、後悔みたいの気持ちも心を横切る。
その時だった。そんなモヤモヤとした気持ちを打ち砕く言葉が、ナナミの後ろから投げ込まれた。
「やめろよ、ナナミは戻りたくねえって言ってるだろ」
駿介と七海の間に、タバコをくわえた拓が割って入ったのだ。
「お前、引っ込んでろよッ!」
駿介が拓に怒鳴った。
「なにッ! テメエッ!」
拓が駿介の胸ぐらを掴んだ。駿介も負けじと拓の服を掴み、二人はお互いに喧嘩腰だ。
「やめなよッ!」
七海は、たまらずに二人の間に割って入った。駿介と拓がケンカするところなんて見たくはない。心配して迎えに来てくれた駿介。自分を仲間として迎え入れてくれた拓。どちらも七海にとっては大事な存在に思えた。
その時だった。裏口から仲間に一人が慌てて顔を出して叫んだ。
「ポリの手入れだッ! みんな逃げろッ!」
「ポリって‥‥」
駿介はわけが分からずに、ポカンとしている。
「警察よッ! 逃げるのよッ!」
七海は駿介の腕をつかみ、スターダストの外へ連れ出した。仲間たちも一斉に外へ飛び出しバイクに飛び乗り、エンジンをかけて夜の街へと走り出して言った。警察はずっと前から、不良たちの溜り場であるこのスターダストに眼をつけていたのだ。
拓はバイクに跨りエンジンをかけた。
「おいっ、なにしてる、早く乗れよッ!」
拓が駿介に自分の後ろに乗れと怒鳴った。
「アタシが連れてくよッ!」
七海が拓に言い、自分もバイクに飛び乗った。
「アタシの後ろに乗ってッ! 早くッ!」
七海が駿介に叫んだ。七海が250ccのバイクのエンジンをかけた。駿介は七海の背中にしがみつくようにしてバイクに跨った。
「大丈夫かよ、それ250だろ」
拓が笑うと、七海は、まかせといてッ、という感じで親指を立てる。
拓の400ccのバイクと、七海と駿介の乗ったバイクが真夜中の倉庫街を爆走した。
二台のバイクを三台のパトカーのサイレンが後を追う。
拓と七海、駿介の乗ったバイクは夜の産業道路を爆走し、必死に逃げた。警察のパトカーも獲物を狩るジャッカルのようにしぶとく荷台のバイクを追いかける。直線ではバイクとパトカーの間隔が詰まり、サイレンの音が近づいたが、コーナーの立ち上がりでは、再び間隔が広がり、サイレンが遠のいた。
七海がバイクのスピードメーターを見ると針は155を指している。長い直線になると、パトカーのサイレンがすぐ背中で聞こえた。
逃げきれない。七海は咄嗟に思った。
250ccのバイクに二人乗りでは重すぎてこれ以上スピードが出ない。
その時、先を走っていた拓のバイクが二人の横に並んだ。そして、拓が爆音の中で叫んだ。自分がパトカーを引き連れて逃げるから、次の二股の道路で分かれろと。
「落ち合うのは、どこ?」
七海が走りながら爆音の中で叫ぶ。
「晴海の第三埠頭だッ!」
拓も走りながら叫んだ。するとやがて目の前には、左右に分かれた道路が現れた。
七海と駿介の二人乗り250ccバイクは、大きく車体を倒して右に曲がり、拓もバイクを寝かすようにして左に曲がり、二台は二股の道を分かれて行った。
思ったとおり二台のパトカーは拓の乗ったバイクを追跡し、後をついて言った。しかし、一台は七海と駿介のバイクを追跡していった。
七海と駿介は、夜中の環状八号線に入り、信号など無視してバイクを走らせた。幸い夜中の環状八号は車の数も減り、突っ走りやすかった。
「お前、いつもこんなことやってるのか?」
駿介が七海の耳元で言った。
「まあね、スリルがあってけっこう楽しいでしょ」
七海は走りながら叫び、笑った。
「学校より楽しいかもなッ!」と駿介。
「今ごろ分かったッ!」
「パトカーとのカーチェイスって、初めてだよッ!」
「まだ終わってないわッ!」
七海はそう言いながら赤信号を突っ走っていった。
どれくらい走っただろうか、気が付くと二人を追うパトカーの姿は消えていた。警察も無理な追跡は危険と判断して諦めたらしかった。
七海と駿介は、拓が言っていた落ち合い場所へとバイクを走らせた。東京晴海第三埠頭。時刻はすでに午前三時を過ぎていた。
第三埠頭へ行くと、仲間たちが二人を待っていた。思ったとおり仲間のうち何人かは警察に暴走行為で逮捕されていた。
「遅かったな、七海」
拓が笑顔で言った。
「拓もケガは無い?」
七海がバイクを降りて拓に言った。警察に追われた時には、いつも拓に助けられた。今回もまた救われた。拓の優しさとリーダーシップに惚れ惚れした。
しかし、次の瞬間、その拓の口から出た言葉に、七海は愕然とした。
「ナナミ、お前は今日で俺たちのメンバーから脱退だ」
脱退ッ! 七海は唖然とした。
「どして?」
七海は気持ちを落ち着けて一言だけ言った。
「お前ら二人が帰ってくるまでに、仲間たちでちょっと話し合ったんだ」拓が真剣な眼差しで言う「俺たちの仲間でいるには、お前は条件違反だ」
条件違反‥‥
七海はハッとして、横にいる駿介を見た。そして納得した。
そうだ自分は条件に違反した。七海は深く溜息をついた。
この仲間に入るための条件、それは心配してくれる親や兄弟、友人が誰もいないことだったのだ。
拓がニコリと笑顔で言う。
「もう元の相川七海に戻れよ。ちゃんと学校にも行って、まともになれよ。お前は俺たちとは違って、いい友達がいるじゃねえか」
拓は後ろにいる駿介をチラリと見た。
七海が、たまには遊びに来てもいいかと目に涙を浮かべながら言うと、拓は、いつでも来いと言った。仲間たちも、バイクの乗り方を忘れるなよッ!などどいい、七海との別れを残念がった。
「これからどうするの?」と七海が言った。
拓は、これから川崎の埠頭まで走り、茨城の走り屋チームと集会だと言った。
「楽しそうだね、なんだかアタシも行きたいな、その集会」
七海が寂しそうにつぶやいた。
「お前が行くのは集会じゃなくて、未来だろ」
拓が笑いながら言った。
やがて全員がバイクで産業道路を走り出したが、七海と駿介の乗ったバイクだけは、途中、第三京浜を南に下り、横浜方面へと走って行った。
二人の乗ったバイクの頭上には、いつしか星空は消え、かわりに東の空から昇ってきた朝陽が、まるでスポットライトのように二人を照らしていた。
THE END