第9話 黒き竜の治める地
カノン……アドノス島の南西に位置する山岳地帯。フォルデノ王国にとって自然の要塞となっている場所である。
その山はラファン自治区のそれとは、全く異なる切り立った崖の様な岩肌だらけの様相である。
フォルデノ王国が反乱を起こす前は、寧ろ王国に対して睨みを効かせていた場所であったのだが、今ではすっかり王国を守備する場所と成り果てた。
マーダはこの山に神竜……神の遣わし黒い竜を降臨させたく用意したらしい。
だが当時のマーダにはそこまで強きドラゴンを用意する所まで、なかなか力が及ばなかった。
然し意外な形でドラゴンが登場する。あのリイナが信ずる女神エディウス。
彼女は不可全な扉を持って150年程前にこの地に現れた。その錬成術で白鳥の如き白い竜を錬成し、騎馬ならぬ騎竜とした。
加えてもう一人、今やマーダすらその力を頼る暗黒神ヴァイロ。
彼もエディウスと同じ錬成術に彼なりのひと手間を加え、黒き竜を召喚した。黒き竜……ノヴァンと命名されたそれは、エディウスの白い竜……シグノの力を凌駕する。
このノヴァンこそマーダが欲していたドラゴンをそのものを体現していた。
黒き竜に単騎で劣勢のエディウスは、何と白い竜を量産しこれに対抗したといわれる。
こうして後世に語られる神竜戦争が勃発する。
大戦というのは悲しきかな、いつの世でも人間を発達させる。この戦の最中で不完全な扉の力に目覚めた者が数人現れ、その儚き命を散らしていった。
エディウスはその者達を取り込み、さらなる強大な力を手に入れたと後世に伝えられている。
この二人の争いをマーダは巧みに利用し、暗黒神ヴァイロの乗っ取りを計画し見事に成功した。
この戦争の勝利者となったエディウスは、ロッギオネ神殿に祀られ、アドノスで初めての神となる事を許された。
暗黒神ヴァイロを取り込んだマーダは、暗黒神マーダと自らを改め、黒き竜もそのまま彼の者となった。しかし此処で一度、彼は歴史の表舞台から姿を消す。
彼はこのアドノスが誰か一人の強大な手に落ちようとした際、こうして現れては、治めを繰り返して暗躍したと伝えられている。
だが本来の目的は既出した通り、不完全な扉使いを一人でも多く取り込んで自分の力とするためであった。
ただこの島の創造主として護ろうとする意識もあったらしい。所詮は周囲を海に囲まれた島国だ。島の平和が乱れている際に他の大陸から攻め込まれては一溜りもない。
この辺りからフォルデノ王国と6つの自治区による他を侵略しない歴史へと移行するのだが、この歴史にもひっそりと関わって天秤のような役割をしていた。
かつてガロウが語った通り、乗っ取った相手の姿形で。
話がカノンの事から外れてしまったが、その黒いドラゴンが今、カノンを守護しているヴァロウズ9番目の竜『ノヴァン』である。
暗黒神ヴァイロから神の遣いと言っても過言ではない能力と、人語を容易に解すドラゴンであるが、マーダにとっては何故か9番目なのである。
勿論ノヴァンとて面白くはないが、彼にとって人間の考えることなぞ児戯に等しい……正直どうでもいい。
そこに援軍として現れた3番目の剣士と5番目の女戦士にも興味は皆無。それはトレノとティンにとっても同様である。
主人の命を受けない限り、基本単独で好きに戦うのがヴァロウズの戦士達なのだが、トレノとティンはずっとコンビで行動している。
……と、言うよりティンが勝手に付いていってる感じであった。
「しかし納得いかないねえ……」
「何がだ?」
カノンの急斜面に立った砦でノヴァンの黒い巨体を眺めつつティンは舌打ちする。
隣のトレノは顔を向けずに抜いた愛刀の刃を眺めながら不愛想に応じる。
「だってそうだろ? これから例の剣士達が攻めてくるんだ、どうせなら最終決戦で全力の奴等と戦いたい。そうは思わないかい?」
ティンにしてみればこんな辺境でなく、敵の本拠地或いは自分達の居城であるフォルデノ王国で戦いたい。
これではまるで厄介払いで飛ばされたようなものだと言いたいらしい。
「何を言うかと思えば……奴等を此処で、しかも我等だけで迎え撃って倒してくれと言われたのではないか。誉れではないか」
呆れ顔で「我等だけ……」と言い放つトレノは、そこのドラゴンを数にすら入れていない。とんでもない豪胆さである。
「そっ、そうかも知れんが、じゃあマーダは自分の守りすら要らんって言うのかい? まさか、あの4番目の情婦にやらせる気か?」
両腕を組んで頬を膨らませるティン、まあ彼女の言うことも一理ある。ヴァロウズの数は残り僅か。
彼女の知る限り、残るは4番目の魔導士と得体の知れない1番目。それに雑兵だけの筈。
マーダをして「我の元で大いに励め……」と言って欲しかった所だ。
「……お前、まさか知らんのか? マーダ様をフォルデノ城で常に守るヴァロウズのナンバー1、『ノーウェン』の事を……」
「あっ? そりゃあ名前位は知ってるさ……そいつそんなにやべぇのかよ」
先程まで全く興味のなかったトレノの声量が急に上がる。対するティンの方が如何にも面白くないと唾を吐く。
「俺は一度だけ姿を見た事がある。他のヴァロウズが束になってかかっても、歯牙にもかからない程の実力者らしい」
「いやいや……お前言ってる事可笑しいだろ? 姿を見ただけで何で言い切れるんだ?」
実に至極真っ当なティンの疑問がぶつけられる。
「……あんな者は見た事がない。一見ただの魔道士風……なれどアレは普通の人間が放つ気配とは明らかに異質……一瞬で身が凍りつく思いがした」
実に気味が悪いと言いたげに、トレノが身体を少し震わせる。ドラゴンすら眼中にしない男が、ただの人間一人を恐れている光景は、確かに異常だった。
「……お前ほどの男ですらそう思うのか。そいつは確かにヤバそうだな」
言葉とは裏腹に舌舐めずりするティン。俄然ナンバーワンとやらに興味が湧いてきた。
「一応忠告するが変な気は起こさない事だ。アレは俺達の秤に載せられるものではない。何より先ずはこのカノンでどう戦うかだけに集中しろ」
「へいへい、判ってるよ……トレノ殿」
ギロリッと睨んでトレノが告げる。肩を竦めてそれを受け流すティン。これにてこのお喋りは幕を閉じた。
◇
場所は再びフォルテザの砦。カノン攻略戦を明日に控えた状況下でルシアは一人、途轍もないことに気付く。
自室でこれまで経験したことのない奇妙な体調の変化を感じていた。
「こ、こんな日が私に訪れるだなんて……。た、タイミングが悪過ぎるよ……」
本来なら喜ばしいことなのかも知れないが、この状況ではそうとも言い難い。そもそも自分の身体にこんな事実が降りて来ること自体が想定外なのだ。
今の気持ちをどんな感情で表せば良いのか判らず、真っ直ぐな彼女らしくもなく途方に暮れる。
「これを告げようものなら私は戦列から外されるかも知れない……」
ローダの背中を守る役目を果たせなくなる……。それは彼女にとって存在意義の喪失を意味する。
「で、でも……言わなきゃ。あの人にだけは……」
ルシアは自分の身を引きずるように自室を出てゆくのであった。




