第20話 未来を切り拓き繋いだ少年
10数年の思い出が沢山詰まった白猫の縫いぐるみ。泥だらけなのにそれを強く胸に抱く娘を見て、自分の行いの愚かさに気でも振れたかと戸惑うホーリィーンである。
10数年の沢山の思い出……これを年長者が聞くといけない。思わず「たかが10年……」などと言い出しかねない。
けれども生き物の生涯に1日も1000年も関係ない。いずれもそれぞれの深い深い年輪があるというものだ。尊きものなのだ。
もっと言えばリイナが想いを馳せている人物との死別は、精々数ヶ月……然もこの二人が共に轡を並べて戦ったのは数時間。
でも不死鳥の如き永遠なる想いがそこには存在するのだ。二人は今を生きたのだから。求め合った刻が消えることは決してない。
リイナの胸元に緑色の輝きが一斉に集まって来るのだが、リイナ当人は目を瞑って直向きに想いを込め続けているので気づかない。
「く、苦しい……な、何だこれ?」
リイナの胸元から聞き覚えのある可愛げのある少年の声が聴こえてきた。猫の縫いぐるみが確かに喋っている。
小さい身体を捻じって取り合えず何とか抜け出そうとするが、増々谷間に沈んでゆく。
(ん……た、谷間。こ、この感触。え……まさか…)
まだら模様の猫がソーッと視線を上へ上へと移してゆく。そこには死してなお憧れた女の子の姿があった。青い瞳と視線が交錯する。
縫いぐるみの声を聴いたリイナの蒼き瞳がブワッと溢れるもので止まらなくなる。間違いない、間違いようがない!
可愛くてそれでいて凛々しくて、放っておけない存在!
断じて今度は灰色の鬼女が化けた姿の声じゃない!
「じ、ジオ君っ!!」
「あわわ、り、リイナ……さ…ま?」
リイナの抱き締める力が益々増して、膨らみかけた柔らかなものと、憧れだった白い腕に押し潰されそうになる猫ジオーネである。
「……んもぅ、今さら様はないでしょっ!」
文句を言う割には笑い泣きながら決して離そうとしない。
「それを言うならリイナ様こそ、前みたくジオって呼び捨てにして下さいよ!」
「うーん……それは格好良い男子を魅せてくれればかなあ……」
ジオーネの方は一人前の男として扱って欲しいから呼び捨てが嬉しい。一方リイナの方だが、此処はあえて歳上の装いを見せつける。
実の処まさか出て来るとは思わなかった驚きと、ジオって呼称する恥ずかしさを今さらながらに感じてる照れ隠しなのだ。
もっとも恥ずかしさのテンションで言ったら、ジオーネの方が正直しんどい。いきなり呼び出されたと思いきや、猫の姿で胸元に全身を挟まれている形だ。
12歳の多感な少年にこれはキツい……余りにもキツいが過ぎる。
「よいしょっと……ふぅ……」
とにかくこの場所は色んな意味で大変宜しくないと感じたジオーネが一生懸命這いずりながら、ようやくリイナの胸元から抜け出した。
そして肩の上へと勝手に座り込んでフンスッとばかりに短い腕を組む。
「だ、大体不死鳥の力は、一つになった処で大いに渡しているではないですか。態々こんな姿で呼び出して何をさせようと?」
「う、うんっ……考えてない。……って、そんなの自分で考えなさいっ」
「え………」
そう……何も考えなどなかった。とにかく心の声じゃなく、肉声で自分のことを慰めて欲しい。正直それ以上を求めていなかった。
でもこうしているうちリイナの心根に次々と欲が浮かんで来るのを抑えきれない。
(うーん……)
考え込んでしまうジオーネなのだが、悠長なことなどしてはいられない。
二人でこうして好きにしている間にも仲間達には、銃弾の雨霰やマーダの後光の刃が降り掛かっている。
「良しっ! 取り合えずあの人を何とかしましょうっ! り、リイ…ナ、僕の宝玉は持っていますか?」
「ああ、それなら……」
とても言い辛そうに呼び捨てを試してみたジオーネである。「僕の宝玉」とは彼が生前、エドルの大司祭だった時に首から下げていたものだ。
リイナが司祭服の懐からジャラッと言われたものを取り出した。それを見たジオーネは思う。
この縫いぐるみといい、自分の宝玉の首飾りといい、よくもまあ収納出来るなと。4次元にでも繋がっているのであろうか。
一方リイナはジオーネの言う「あの人……」にキョトンとする。
指差し……指はないから腕差しはおろか、視線すらジオーネが向けてくれないから一体誰を差しているのやら。
「さあて、じゃあいきますよぉ……『不可視化』!」
「えっ………」
驚く母ホーリィーンを置き去りにして猫の縫いぐるみと娘が忽然と姿を消した。1個だけ崩れ落ちた宝玉だけを残して。
「い、今確かに不可視化って……」
不死鳥化したリイナを見てエドルの民の力を知っていた彼女である。当然、不可視化のことも知っている。
だけどボロボロの縫いぐるみが、声変わりしたばかりの男の子のような声で、それを告げたことに愕きを隠せなかった。
猫ジオーネと共に消えたリイナが現れた先……裏切りのレイの直上である。
「おぅっ、じょ、嬢ちゃんっ!?」
「ちょ、ちょっと、ジオ君!?」
「いっけぇぇっ!!」
ゴツンッ!!
突然のことに慌てふためくレイとリイナ。何故かリイナは身体の自由が効かない。まるで誰かに操縦されているかのように勝手に動く。
威勢の良い猫の声と同時にリイナが自らの頭を容赦なくレイの頭にブチかます。不死鳥の重なった影絵が、ちょうど嘴で突いているように見えた。
勿論リイナに「良い処を見せろ」と言われたジオーネの仕業である。文字通りリイナと一体化した彼なのだから、このぐらいのことは造作もない。
「い、痛ってぇぇッ! 何しやがんだッ!」
不死鳥に頭を突かれ本気で痛がるレイである。頭の中で星が巡った気分だ。これは銃火器を好きに飛ばして暴れていた彼女にとって実に痛打なのだ。
空間転移で銃も弾も自由自在に飛ばす。字面だけなら途轍もない無双状態な訳だが、当然操るには尋常ならぬ集中力が必要だ。
空を自在に駆けていた銃達が一斉に地面に落下してしまった。これがジオーネの狙った「あの人」という訳だ。
(クッ! 頭割れてんじゃねえのかっ!? これじゃ暫く何も出来ねぇッ!)
額が割れて流血しているんじゃないかと頭を擦ることしか出来ないレイである。それは流石に取り越し苦労であった。
そしてやらかしてくれた最年少二人組は、もう既に近隣にはいない。元居た地面の辺りにマジックショーのように戻っていた。
「どうです?」
「……えっ?」
リイナの肩の上で相変わらず腕組みしている猫ジオーネであるが、先程までの仏頂面のそれとは違い、したり顔の様子だ。
「えっ……じゃないですっ! 格好良いトコ見せたかって聞いているんですよ、リ・イ・ナッ!」
「あ………アハ……アハハハッ! うんっ! そうだねっ! 格好良かったぞ、ジ…オ」
今度は威風堂々、「リイナ」と呼び捨てするジオーネである。リイナが驚いた後、顔が緩み、やがて大きな笑いに転じる。
加えて肩に手を回して猫の首根っこを掴み、泥だらけなのに頬擦りした上、キスをする大盤振る舞いで大いに思春期の心を沸かせた。
改めてリイナは思う。
この少年は未来がないのに切り拓いて自分に全てを繋いでくれた。好き? 愛してる?
……うーん、ちょっと違うかも知れないけれど、溜まらなく尊くて、やっぱり自分の幸せを形作る一部なんだ。そう勝手に確信するのであった。