第19話 森の天使の想いが馳せる
サイガンは、独り自分が出した結論に震えあがっている。いよいよ介護が必要そうな老人のようにプルプルと。
齢59歳、然したる持病もなく、実際にはそんなことなど在りえもしない。
「全ての封印を解いたローダ、実は戸籍上だけの問題で約束された弟何て無かった。だから兄ルイスとて、やり方さえ間違えなければローダと同じ資格があった………」
震えながらそんなことをブツブツ言っている。その余りの不審人物ぶりに、ドゥーウェンが声を掛けるのを躊躇っている。
因みに声が小さい上に震えているから、何を言っているのか周囲の者には良く判らない。
もっとも仮に聞こえた処でまるで要領を得ずに「いよいよこの爺、イカれちまったか」と相手にもされないであろう。
「……おぉぉ、な、何ということだ。私はまた途轍もない罪を重ねる処であった」
さらに懺悔のような不審者ぶりが果てなく続くのであった。
(先生……い、一体何が)
こうして一応ドゥーウェンだけは一応気に掛けてはいる。だからと言って構っている余裕がまるでない。
何しろ本気をさらに振り切ったマーダ、神出鬼没な銃撃を浴びせ掛けるレイ。
加えてまだまだ魔道士としての余力を残していそうなフォウの三人が相手である。
つい今し方までは相手がマーダただ一人、これは幾ら何でも余裕が過ぎると正直緩みそうであった。
処で肝心のマーダはどうなったのか? 堕天使ルシアから後頭部への打撃は確実に効いてしまい、たたらを踏む寸前であった。
けれどまさかの敵からの施し……完全に自分を取り戻した。
口が裂けるのではと思える程に口角を上げながら、ローダに向けて紅色の蜃気楼を大いに振るう。
ローダだって負けてはいない、黒き竜の蒼き息を左手から繰り出して、間合いを自身の都合に合わせてゆく。
断続的に使ったり一挙に長く出したりと自由自在だ。ノヴァンの息の吐き方がそうであったように。
ただごく稀にだが竜之牙の動きを止めてその刃をマーダに対し魅せつけるような変化もつける。これは一体何の意図があるというのか。
そんな不審を抱いている内に、おかしな所からルシアの拳を貰ったり、派手な上段蹴りを首の付け根に貰ってしまう。
おかしな所……そう、とにかくマーダに言わせれば奇妙な場所だ。
右にいた筈なのに左から蹴られたり、時には目前だったのに、背後から脇腹に肘を曲げた、曲線的な拳で殴られることすらあるのだ。
此処までされては流石に何かカラクリがあると勘付くというものだ。
思えば先程、ルシアに後頭部をやられた際、躱した筈のものを貰った辺りからいい様にやられていた。
初めのうちは、堕天使ルシアがその速度を存分に発揮していたのだと思っていた。
それに合わせてローダが竜之牙を見せつけるという囮を演じているから厄介なのだと……。
(成程……何とこす狡い真似をする……)
実の処、ルシアが動いていたのではなく、マーダ自身が移動させられていた。自身の黒い姿が鏡面と化した刃に映り込む度に、強制で反転させられていたのだ。
ローダの実に小賢しい扉の力の使い道であったのだ。けれど効果は覿面である。何せ神経伝達が異常に迅速なマーダである。
これ程までに揺さぶりを掛けられては堪ったものではない。そんな状態すら算術に入れているからこそ、こす狡いのである。
「くだらん……が、面白い。なら我の力も見せてくれようォ!」
「…………?」
笑いながら不意にマーダが少しだけ後退する。さらに紅色の蜃気楼の矛先を空へとかざす。
眩しくてローダが空いた手で自分の目を覆う。雨雲が少しづつ晴れている隙間から陽光が漏れているのだ。
それを後光にマーダと赤い歪な剣が光り輝き、反射したものが光の帯と化して降り注いでゆく。
何てことはないただの自分に酔いしれている姿に思えた。
「グッ!?」
「アァァッ!?」
その光の帯がローダとルシアに届いた刹那、深々と右膝の肉が割けて血を噴き出すローダ。
さらに堕天使の翼に当たり、叫びながら白い翼を散らしてしまうルシアの姿があった。
「フハハッ! 我が『後光の刃』だァッ! これぞ正に神の一撃ィッ!」
マーダの独善的に振舞いに磨きが掛かる。たった今、名付けられたばかり。マーダが創りし扉の力だ。
然もそれだけに終わらず、光の帯による刃は継続し続けているようだ。長く長くユラユラ伸びる光の刃だ。
下手をすれば自身を斬ってしまいそうだが、そんな愚は犯さないであろう。
「ま、マーダが自分で扉の力を?」
それを地上から見上げたリイナが絶望的な顔をする。魂を持たない彼がルイスに頼らずに独創を以って扉を開いた。
加えて先程、リイナ自身が与えた不死鳥の嘶きによる能力向上も持続中なのだ。リイナが頭を抱えたまま泥水にそれを叩きつけた。
「しっかりなさいっ! みっともないっ!」
此処で母ホーリィーンが激を飛ばし、リイナの肩を鷲掴みにして大いに揺らす。元々思念を具現化しただけなのに相変わらず温もりを感じる手だ。
余りに母が強く自分を揺らすものだから、背負っていた小さなリュックの蓋が開き、中身が飛び出してしまう。
その中には、とてもとてもくたびれた猫の縫いぐるみがあった。それを見つけたホーリィンが「まぁ!」と言いつつ拾い上げる。
途轍もない懐かしさに想いを馳せる母。それは娘リイナが幼少の頃からずっと何処に行く時も持ち歩いていたものだ。
元々は白いフワフワの猫であったのだが、その体色が不幸の始まりであった。在りとあらゆる染みを造り、今やまだら模様の猫であった。
リイナはガロウの傷を縫って治癒した程、裁縫にそれなりの心得がある。だからこの縫いぐるみは此処まで生き長らえている。
それにしたって15歳になった今日ですら、持ち歩いているとは母ホーリィーンですら知らなかった。
緩んでいる場合ではないのだが、これには大人の階段を上がろうとしている娘の子供心を知って、母性を擽らずにはいられない。
「ま、ママ……?」
「…………?」
泥まみれになった顔を上げるリイナ、その青く大きな瞳がさらに丸みを帯びる。その様子を不審に感じるホーリィーン。
娘がまるで憑りつかれたようにその縫いぐるみを取り上げてジッと見つめる。
父ジェリドが扉の力で具現化した母ホーリィーンが、ただの投影した存在から、どうしてこうも人のように振る舞えるのか。
リイナは考える暇すらなく戦いに明け暮れていたので思考が走らなかったが、今になって何故だろうと思い返す。
先ずは勿論ローダの影響が大きい。死した者すら呼び出して会話を成立させた。
東洋にはイタコと呼称される魂と会話する巫女がいると聴くが、リイナはそれとは大きく異なると考察している。
増してや屍術士の魂の召喚とも断じて違うと言い切れる。
全てはこの世に生きている者の思い込みが呼びこんだ者。死した者に強く想いを馳せてる内に会話が出来たと、独りよがりな思い込みが成したことだと考える。
司祭という神に仕えし者で在りながら、世の理には必ず裏付けがあるという冷静なものの見方をするのがこのリイナだ。
このホーリィーンと触れ合いすら出来ているのは、父が創造した影に、自分達のまた逢いたいという強い意志が投影されたのであろう。
「こ、この緑色の輝きが降り注ぐ間……だけで……」
「り、リイナ?」
リイナが想う、今だけでいいから力を貸して欲しい亡き人物。
(………もし、この想いが届き、そして拠り処さえあれば、ママのようにっ!)
泥塗れの縫いぐるみを、泥だらけの少女が想いを込めて抱き締めた。