第17話 ………やるじゃないか
音速の域に達したと思われるルシアすら置き去りにして、青い鯱目掛けて紅色の蜃気楼を振りかざし襲撃するマーダ。
動きの速度だけでいうなら実の処、流石にルシアを超えてはいないと想像する。ただ虚を突かれたというだけのことだ。
ただ限りなく近い域には達していそうだ。ナノマシンを使った人体改造の成果たるや目を見張るものがある。
一方、暗黒神の新術『疾風の使い手』を付与したローダはこれに追いつけるのであろうか?
それにしてもしつこく語るが紅色の蜃気楼の目に映らない太刀を会得したマーダなのに、敢えてそれを捨てて自ら飛び込むとはどうしたことか。
さて、マーダに対する追撃をローダにより止められたルシアが、取り合えずランチア達の様子を窺う。
いざマズいとなれば直ぐに向かえる準備だけは抜かりがない。
マーダとランチアの距離、10mを切る。音速レベルならもう手が届く位置と同義の筈だ。
「「今だ征けぇぇッ!!」」
此処でランチアと赤い鯱が突如を荒げた声を合わせると泥水の溜った地面から竜にも劣らない程の巨大な泳ぐ哺乳類が跳ね上がる。
それも二頭同時に……青色のシャチと赤色のシャチ。もう語るまでもなかろうが、ランチアとプリドールがVer2.0の力で具現化したあのシャチ達だ。
この二頭をいつの間にやら地面に潜伏させて、今や今やと待ち構えていたのである。
「なっ!?」
左右同時に獰猛な歯を並べたシャチが大口を開いて、マーダを捕食せんと一挙に迫り来る。
遥か昔にドラゴンに喰われかけたことすらある彼であるが、この不意撃ちと圧倒的理不尽には流石に言葉を失った。
マーダは赤い方のシャチから一飲みにされた。
「よっしゃぁぁッ!」
「ちぃッ!?」
当たりを引いたプリドールが歓喜し、空振りと終わり、再び地面に飛び込んで消えた青色のシャチを見たランチアが舌打ちする。
だがマーダを丸飲みした赤い方が、無惨にも瞬時にバラバラに切断され、ただの肉片と化し地面に落ちた。
「クッ!? やはり効かんかっ! だがなッ!」
「………神の裁きよ、我が力となりて敵を屠れっ! 『雷神』!」
マーダがこれしきでやれる訳がない。プリドールには既に次の手が準備されていた。
予め詠唱を途中まで終えていたベランドナの雷神が、立て続けにマーダに迫る。
かつて森に道を切り拓いたという異常な雷撃。しかしマーダは目視した上で右に躱すという異常に異常を重ねてきた。
けれどもさらならコンボまでは予想だにしなかった。同じ第一グループで短剣使いの達人であるレイチが投げ入れたナイフが、避けた筈の側に投げ込まれていた。
「なっ!? 何ィィッ! ウゲェッ!」
ナイフに引き寄せられた雷撃がほんの僅かであるが曲がり、結局躱せず雷撃をまともに受ける羽目になったマーダである。
髪の毛や身体の焦げた匂いが第二グループに控えていたフォウの嗅覚に届いた。
「へッ! どうよどうよっ! 二頭のシャチも雷撃も高飛車な手前を釣る餌って訳よっ!」
これで勝ったと思うほど馬鹿ではないが、実に巧いこと自分が仕掛けた罠に落ちたマーダを見てランチアがドヤる。
相手の裏の裏のそのまた裏をかく彼の真骨頂は、あのマーダにすら通用した。
然も最早意味を成さないと思われたこの陣による1グループとの組合せすら形にしたのだから胸を張るのも頷けよう。
森を焼き尽くす程の稲妻だ、暫くマーダはこれに身動きを封じられてしまう。
「アトモスフィア・テンペスタ、大気と風の精霊に暗黒神の名において命ず、墜ちよ裁きの雷よ『暗黒の稲妻』」
此処で今や暗黒神の魔導士の先陣を直走る黒髪の女がベランドナからマーダに向けて流れ出ている雷神に黒い稲妻を落とした。
「なっ!?」
「て、テメェッ! 裏切んのかっ!」
これで雷神は相殺されてしまった。驚いたベランドナとランチアが2グループの後方に向かって振り返る。
然も彼女は確かに告げた、暗黒神のことをマーダと。
「グラビィディア・カテナレルータ、暗黒神の名において命ず。解放せよっ、我等を縛る星の鎖よ『重力解放』」
素知らぬ顔で重力解放の呪文を唱え、マーダの後方へ移動するフォウであった。
「な、何だ女? 貴様、我の味方をするというのかっ?」
余計な世話……と言わんばかりの顔でマーダが訊ねる。この言葉から察するに、このマーダはフォウが愛していた男どころか、未だフォウのことを知ってすらいない。
「私は暗黒神マーダの最強の布陣、ヴァロウズの最後の一人。それ以外の答えは要らない」
穏やかに……けれども迷いのない声でフォウは告げた。そこに愛情の欠片は感じ取れない。
ただ敬愛する神に付き従うという至極当然な信者の行いのようであった。
「いんや、一つ間違ってるぜ……。ヴァロウズなら此処にもいる。それもとびきりに最恐なのがなッ!」
自動小銃、電子銃、在りとあらゆる銃火器達が、身勝手に空に現れてローダ達を取り囲むように銃撃を浴びせてゆく。
何時、何処から狙われているとも判らない。これでは身動きが取りづらくて仕方がない。
その上、当人も空間転移で離脱し、やはりマーダの後方に勝手に陣取った。
「……レイっ!?」
「おっと、まさかとは思うが『裏切る気か?』とでも言う気かい? 言った筈だ『俺は楽しそうな方に付く』ってな……これじゃ余りにも不公平だからよ」
ヴァロウズのレイがニタァッと笑いながらローダに返答する。
レイにして見ればただの一人と化したマーダ、それに従うは全力を出せない孕んだ女魔導士。
自分もローダ達と共に集中攻撃にするのは、楽しそうだとは到底思えなかった。
「………勝手にしろ、精々足を引っ張らないで欲しいものだなァッ!」
「ケッ、良く喋る……さっき雷落とされたくせによっ」
正直このマーダに取って、こんな二人の手助けなぞどうでも良い。レイの毒づきなどモノともせず、次に狙うは如何にも重そうな中年の騎士だ。
戦斧でも剣とも言い難い、何かやたらと馬鹿でかい一応二刀を成している体の武器を握る頭の悪そうな奴をサッサと片づけてしまおうという腹づもりだ。
「フンッ!」
ところがその頭の悪そうな武器を持った騎士が、紅色の蜃気楼の進撃を受け止める。
最早刃がないただの鋼の成れの果てだ。剣同士が交わった時のような流麗な音は奏でない。
然もこの武器、何やら赤い霧状のものに包まれており、紅色の蜃気楼が秘めた見えない刃すらも防いでみせた。
此処でマーダが脳裏の片隅に追いやった記憶が浮いて来る。そう言えばこのフザけた武器を扱う相手に苦戦を強いられた面白くない思い出だ。
「………此処に示せアルゲ……」
「させねえよッ! いつぞやのようになッ!」
フォウが斬り裂く爪達を詠唱し切るギリギリの手前で、ランチアは火薬仕込みのジャベリンを飛ばして強制停止させた。
ランチアの言う「いつぞや」とは、フォウと彼が初めて対戦したフォルテザの砦での戦いであろう。
ワイヤー仕込みのジャベリンとドゥーウェンのハッキングに辛酸を舐めさせられたことを思い出し恐い顔をするフォウであった。
「………やるじゃないか」
このマーダの言葉には様々な意味合いが込められている。
無論、自身の剣を受けきったこの騎士に対してもだが、即時に援護しようとした女とそれを防いだ男に対してもであった。
要はこの戦場にいる者達への力量を素直に認めた上での発言であった。
いよいよ本当にらしくない、ルイス・ファルムーンであった頃の彼よりも人間じみたマーダがそこにはいた。