第16話 何やら楽しそうに御見受けします
不意に少し昔の話をしたいと思う。マーダがエドナ村で、ローダというまだ得体の良く知れてない青年に敗れて、フォルデノ城に帰還した時の事だ。
腹を貫かれるという、深手を負った彼であったが、当時本人も語っていた通り、その再生能力で、城に帰還した時に、傷自体は癒えていた。
だが、乗っ取っていた身体の持ち主、ルイスの意識が、前に出ようとしているを抑えるためには、流石の彼も眠るという人間の様な休息が必要であった。
マーダはこの時からフォウと寝所を共にする事を懇願し、彼女が承諾した事は、既に触れている。
帰還してから約3日程、マーダはひたすらに眠り続け、フォウはその異常さに、心配しつつも何も出来ずに、ただその頭を撫で続け、再び目を開く事を待ち侘びた。
「んっ……こ、此処は?」
「ま、マーダ様ぁ。よ、良かったお目覚めになられて。フォルデノ城の寝所にございます。た、大変、し、失礼ながら……」
「なんだ? 一体どうしたというのだ?」
マーダがようやく意識を回復した事に、ホッとするフォウではあるが、たった今、恐れ多くも一緒に寝ているというこの状況に、彼女は顔を染め慌てふためいている。
一方、頭が回り始めたマーダは、3日前の出来事を思い出しつつあった。
「そうか、お前に城まで送る様に頼み、酷く消耗して……」
「は、はい! 仰せの通りでございます。そ、そして、とっ、共に寝て欲しいと……」
顔から火が出る思いでフォウは主に報告した。思わず目を背けてしまうのだが、礼節を弁えていない行為だったのではないかと思い直す。
けれどとにかく目を合わせる事がどうにも出来ない。
マーダの方は、女の恥じらいなどというものが、まるで理解出来ないので、歯切れの悪いフォウが、不思議でならないのだ。
「どうした、顔を上げよ」
「は、はい……」
フォウが勇気を振り絞って顔を上げる。不思議な顔をした主と視線が交差した。
フォウは思わず息を飲んだ。あの冷徹な主が、少年の様な眼差しで、瞬き一つせず、此方を見つめている。
あの狂戦士との戦い以来、主が見せる様々な態度は、フォウの女性としての意識を引き出すのに絶大な効力があった。魅了の魔法にかかったのではないかと思いたかった。
「ま、マーダ様、あ、あの恐れながら、少し伺っても宜しいでしょうか?」
声を震わせつつ、フォウは勇気を振り絞る。無論、恐怖からの震えではない。
「んっ、別に構わぬがどうした? 先程からずっとおかしいぞ。熱でもあるのではないか?」
「あ……あ、あの、な、何故『共に寝てくれ』などと仰せになられたのですか?」
フォウにしてみれば大変困った状況である。一糸も纏わぬ姿で共に広過ぎるベッドに寝ている。
広いからといって離れてなどいない。今も肌が触れ合い、互いの吐く息が恐れ多くも交換される位置にいる。
本当に今さらの馬鹿みたいな質問であると思われそうだが、これまでは神とそれを敬愛する信者……ただそれだけの関係であった。
◇
「…………ハッ!」
慌てて周囲を見渡す女魔導士フォウ・クワットロ。取り合えず空を見上げて見ると未だローダとマーダの語り合いが続いているようだ。
(……わ、私は寝ていたのか? 何だったのだ今のは……)
戦場……増してや、いつ一触即発の命の取り合いになろうともおかしくない状況下で自分が見ていた愛のひと時。
独り顔を赤らめてしまわずにはいられない。夢か何か、どうやって今の内容を見たのか不明だが、紛れもない過去の事実だ。
あの時のマーダで在りつつも、ルイスの優しさが垣間見えていたあの御方との安らぎ……忘れようがない。心も、そして触れ合った躰も。
◇
森の女神が語ったマーダを倒す唯一の方法はマーダを魂のない傀儡などと感じることなく人間として相対すること。
そしてローダがマーダに求めたもの……それも「ただ全力で俺達と戦え」であった。
このローダとファウナ、この二人……片方は神であるので人数として良いか甚だ疑問ではあるものの、お互い違う意識の空間で語ったことである。
繋がりがある訳ではない、ローダがファウナの意識を読み切っていた? それも在り得ない。ファウナは面白そうだったからフラリッと勝手に現れたに過ぎぬのだ。
「良かろうッ! 精々足掻けッ! ではつまらぬ話は終いだァッ!」
マーダの勢い凄まじき発言を皮切りに灰色の意識空間での会話は完了した。
何やら妙に気持ち良さげな面持ちでドゥーウェンが張った光の幕を瞬時に斬り裂く。
ルイスから自分の意識を取り戻した際にも、してやったり感の勢いが物凄かった訳なのだが、水を得た魚のように生き生きとしている感じがまるで異なる。
一体どういう心境の変化なのやら……地上で戦端が開かれるのを待っていた連中は訝しくて仕方がない。
◇
「い、今の奴になら『絶望之淵』で存在を消せるかも知れないッ! 俺にやらせてくれッ!」
「………よすんだ、アギド」
ヴァイロの意識空間の最中では、森の女神の話を聞いたアギドが興奮の早口で捲し立てていた。
150年前の因縁を今こそ両断したい、それをするのは誤認した自分で在りたいと彼は強く願った。
だがそんなアギドの右手首を掴み、ヴァイロは静かに首を横に振るのだ。
「な、何故だっ! 今あのマーダの意識だけを消せれば俺達の無念のみならず、身体を乗っ取られた持ち主も生かせる潜在一遇だと言うのにっ!」
アギドの訴えは至極もっともである。だからこそヴァイロの制止が御し難いのだ。
「………アギド、お気持ちは判りますわ。でも私達は既に死んだ身の上、それに……」
「………?」
ミリアまでもがアギドの意図に反対の意見を告げる。後ろから優しく抱いてアギドの丁度肩の辺りから優しくたしなめた。
加えて彼の左手を握って指を差させる。その先に在るのは今にも消してやりたいルイスの身体をまとったマーダだ。
(……あのマーダという御方、そしてローダさん。何やら楽しそうに御見受けします)
これがミリアが本当に告げたい心の内なのだが、今のアギドに言った処で聞く耳をもつとは到底思えないし、彼女自身もただの感覚に過ぎない。
だから今、確実に言えることに言い換える。
「ヴァイの言う通り、今を生きる方々に後は御任せしましょう。それにあのローダという方、確信を以って動いている気が致しますわ」
「………ミリア、判った」
言い終えるとミリアがアギドの左手を絡め取るように握ってきた。加えて「ねっ?」と上目遣いで言われては、アギドの思念の矛先がそちらに向くのが道理と言えよう。
「ハァァァッ!! 改造した我が身体を全開で回してくれようぞッ! 紅色の蜃気楼の蜃気楼の刃でなく、本物で貴様等全員刻んでくれるッ!」
一直線でマーダが飛ぶ、地面で陣を組んでいた連中目掛け流星の如く流れ落ちる。
速い、恐ろしく速い。音速を超えたとドゥーウェンに言わしめた堕天使ルシアすら置き去りにした。
慌ててマーダが向かおうする相手を見極めるルシアとローダ。どうやら青い鎧の槍使いが標的のようだ。
さっきジャベリンを刺された礼で、最初に血祭りにあげようといった処か。何の捻りもない、いや必要すらない。
圧倒的力で捻り潰すというマーダの傲慢なる意志を感じた。マーダを追尾しようと天使の翼を羽ばたかせようとしたルシアの肩をローダが後ろから掴んだ。
「えっ………」
一刻を争う時に何を……と振り返るルシアに無言で目配せするローダである。
青い鯱と赤い鯱の傍らにいる筈の巨大な二頭が何故か失せていた。