第12話 因果の逆転
いき過ぎたトレノの突き。どんな攻撃も通じない以上、本来ならばマーダが皆を紅色の蜃気楼にて斬り裂こうというした処を全力で阻止する。
その役目を充分に果たしていたのだから、それで満足すべきであった。これは明らかなる過剰防衛である。
だが秀逸なるタイミングには違いない、間違いなく心臓を穿つ一打。相手がマーダでさえなければ致命となろう。
そんな最高の処へ白髪の老人が割って入った。トレノは己が剣を退く事なぞ出来る道理がない。
このまま前の老人に一太刀浴びせ、背後にいる敵将すら刺し貫く。それ以外に道はない。
だけどこれで良いのだ……時間が緩やかに動く錯覚を感じながらトレノは、そう確信に至る。
あのお人好しの竜騎士の青年には、義理の父になったらしいこの男を刺し、さらに敵将を繋ぐことなど出来ようもない。
この老人が如何にしてあの幻術地獄を抜けて来たのかは皆目見当も付かない。だがそのような些事はどうでも良いのだ。
遂にこの俺がマーダを打ち負かすのだ。何の迷いもなく突きを繰り出す。下界の連中はさぞ慌てていることだろう。
けれどこの黒い元凶をこれで撃ち払えるのだ。恐らく犠牲に涙することだろうだが、そんなものは束の間の感情で潰えるに決まっている。
そう……サイガン・ロットレンは、この瞬間を狙っていた。
彼は心の壁で怨響現界と恐面幻下の難から逃れたにも拘らず、あえて術に落ちたフリをしていたのだ。
グサッ!!
「…………あっ?」
「な、何だとっ!?」
「フハハハッ、残念だったなァァッ!」
間違いなく、絶対に、天と地が返ろうとも老人と黒の剣士を刺し貫く筈であった氷狼の刃がトレノ自身の左胸を穿っていた。
その余りの異常さ、トレノは暫く受け入れ難しと感じていた。これこそ幻術の成せる業だと。だが間違いなく氷の刃が、彼の背中から顔を覗かせていた。
「…………『因果の逆転』。俺の切り札をまさか貴様へ使うことになろうとはな」
あの自信家が人の形を成しているマーダですら少し感傷に浸っているのか。複雑な顔をしていた。
この最後の一手は、竜之牙で攻め入ってきたローダを殺るものだと決めていた。
因果の逆転………言葉通り、本来の結果を逆転させる切り札である。
然もこの身体の持ち主、ルイス・ファルムーンが編み出した扉の能力である。兄ルイスの台本の終結はこうだ。
ローダと最後の最期まで斬り結び、弟の能力を心底から認め、自分が最後の扉を開いた後、トドメとばかりにローダへ斬りつける最後の一太刀。
これを因果の逆転にて自分を殺害して全てを終わらせる。
共にマーダも消して、このアドノス島に於ける自分の罪滅ぼしに自害するつもりであったのだ。
「くっ………河南士郎これまでか……」
ズルリッと氷の刃が自らの身体から抜け落ちようとしている。夥しい流血が辺りに飛び散る。
屍術士によって召喚された生きた屍……彼が亡者だなんて誰が信じるものか。
死してなお生き様と死に様を見せつけた最期…………………にはまだ続きがあった。
「ぬおおっ!!」
もはや氷狼などという青白い刀を振るう冷静を絵に描いたような侍の姿は何処にもない。
血に塗れ、即死ですらおかしくないこの男に似つかわしくない足掻きの気合い。刃の箇所を何の躊躇いもなく渾身で掴む。
「い、一体何を?」
サイガンには訳が判らない……。トレノの最後の力、それをあろうことか自分を刺し続けるために費やす謎の行動。
日本の侍がやると言われる自害、死に華を咲かせるつもりか? けれどこのトレノという冷静な男がやることだとは思えなかった。
とにかく彼が落ちないように抱えて支える。既にその身体は温かみを失いつつあることが両の手に伝わって来た。
「ろ、ローダ……こ、これってまさか…」
「ゆ、雪?」
自分の掌に降って来たもの、ルシアは、また雨が降って来たのかと勘違いした。だけどそれは白く冷たいもので、体温に触れ溶けて流れ落ちた。
それを皮切りに次々と白いものがチラついていた。ローダがトレノの方を仰ぎ見る。
どうやら彼と氷狼の刃が降らせている雪であることが窺い知れた。
「る、ルシア……。ベランドナとレイも聞いてくれ。サッサとこの憐れな子供達を終わらせてマーダに向かうぞ。この士郎の雪が俺達を導く」
ローダには直ぐに判った。この白い雪は伊達や酔狂などではない。勝利どころか延命すら投げ打ち、死を生へ繋ぐ道を示したことを。
「嗚呼、言われるまでもねぇ……。おぃ見えてるか筋肉女? 此奴の死に様をよぉっ!」
勿論レイにも判っている。かつて一応仲間であった不器用な女へ想いを馳せつつも、目の前の小さな兵を撃ち殺すのに全精力を尽くす。
「ま、正にこの雪のように儚き命か……。だからこそ私にはない美しさがある」
寿命……。いつ訪れるのかも知れぬ悠久の刻を生き長らえるハイエルフの彼女に取って、この人間の死に様は儚いからこそ力を感じた。
「………………」
天使と化したルシアに言葉はなかった。かつて愛する男を殺す寸前まで追いやり、不殺を奪った相手だ。
傀儡と化してなおも争いの種を降らせている。だから感謝などない、ただ貰ったものを無駄にはしないと感じただけだ。
瞬殺……レイの自動小銃による銃弾と、ベランドナが雨霰のように飛ばしてくる矢など気にも留めずに炎の爪で全滅させた。
「うっ……うぅん……」
「ゆ、雪? こ、これはどういう……」
リイナやジェリド、次々と苦しそうな顔を振りながら、意識を取り戻してゆく。幻術から覚めたばかりだ。
一体何があったのか、まるで飲み込めずに、ただ白いものを降らせる天を見上げた。
「おのれおのれおのれッ! もぅ全て斬り殺すのみィッ! 喰らえぇ紅色の蜃気楼ッ!」
宙に浮かんだままのマーダが怒りに震え、紅色の蜃気楼を真横に構えて一回転した。
「皆ッ! 今なら見えない刃が映るッ! 目を凝らせッ! あの剣筋を押さえつけろッ!」
皆に大声で指示を飛ばしながら、自身を転移の翼でマーダの目前に飛ばし、ローダが赤い刃の本体と斬り結ぶ。
しかし既に一回転した後、仲間達を斬り裂く見える筈のない刃は飛ばされている。だがそれは確かに皆の目にも見えていた。
トレノと氷狼の刃が降らした雪に、これまで見えなかった紅色の蜃気楼の太刀筋が当たり、散らばる処を。
「こ、これならっ!」
「うむっ!」
不死鳥化したリイナが飛翔しながらそれを躱し、吹雪を起こした太刀筋にジェリドが巨大な二刀をぶつけて地面に押さえつける。
「見えたぞぉぉっ!」
「自由なる爪!」
赤い鯱が馬上槍を雪が渦を巻いてる先に気合と共に叩き込む。
見えても太刀打ち出来そうにない者達をドゥーウェンが、自由なる爪で光の幕を張り、凌いでみせた。
「「転移の翼!」」
マーダとやり合っていたローダの背後にルシアと二刀ダガー使いのレイチが転移で腕組みしながら出現した。
二人共やってやるという自信に満ち溢れた顔をしている。
「まだ何かやりたいのでしょう?」
「交代するわ、……っていうか子供を兵器にするとかもぅ勘弁ならないっ!」
レイチが滑らかな動きで二刀を構える。ルシアが両拳を上げ斜に構え、戦闘態勢に入る。
「任せた、それからルシア。さっきの防御魔法……」
ローダが何かを言い掛けたのが、その唇を人差し指で軽く塞いでみせるルシアである。
「元々言わなくてもやれるって思っていたんでしょ? こんなヤバい力貰ったら加減出来ないよっ!」
自信満々のルシアにローダはすっかり安堵し、遠慮なく転移の翼で交代した。