第10話 ガキが見せる地獄とはとんだお笑い草だ……
酷かった雨が降り止む………。
それがさらに過酷なる現実に繋がることをあの少年少女等と既に争ったことのあるベランドナは知っていた。
そして遂にそれらが動き出す。男女一組となって本当に命があるのかすら怪しい白い顔を並べ突貫して来る。
さっきまでの緩慢な行軍は何だったのかと思わせる程に。その華奢な手足をどう動かせばこうも速く動けるのであろう。
信じ難いことに戦乙女を行使しているハイエルフのレイチ程の機敏さがあるように思えた。
「こ、この動きっ! 間違いなくこの子供達は使い捨てですっ!」
計算高いドゥーウェンが解説するまでもなくそれは明らかであった。見た目から察するに12歳位の子供達だ。
それが此処まで人間離れした動きをして保つ訳がない。この戦闘は恐らく残り20分程で終焉を迎えるであろう。
その後は四肢がバラバラになろうが、これで生が終わろうがマーダの知ったことではないのだ。
「く、来るっ!」
この中でベランドナだけが何を仕掛けてくるのか認知している。
他の連中は、少女達がその杖、少年達はレイピアを用い、人間を辞めた動きで襲撃してくると認知していることだろう。
何故ベランドナは他の仲間に伝達をしないのか? 理由は明白……伝えた処で防ぐ術がないからだ。
「ウグッ!?」
「アァァァァッ!?」
皆が耳や目を抑えバタバタと倒れてゆく中、ベランドナは何か備えたものがあったらしく難を逃れることに成功した。
―音の波
「音の波……」
気がつけばローダが右手をルシアの方へ挙げ冷や汗を垂らし、そのように告げていた。
これはヴァイロの意識空間にいるリンネがローダを通して勝手に言わせたのである。
音の波とは、術者と術を掛けた相手の頭上に言葉通りの音の波を創り出す。まるで波紋のように。
これに包まれた者は如何なる状態異常の能力も、その波の力で打ち消すことが出来るのだ。
「ま、間に合った……けど余りに咄嗟だったから二人しか救えなかったっ!」
悔しさを滲ませて、リンネがテーブルを強かに拳で叩く。それを憐れんだミリアが肩を抱いて慰めた。
リンネ・アルベェリア、彼女は『黒い竜牙』の一員でありながら暗黒神の術が一切使えない……いや、正確には必要がない。
彼女の声や彼女が出す音は様々な力を発揮する。これは彼女が生まれ持った扉の力なのだ。
そんな彼女だからこそ、小さな新手のうち、特に少女達の能力を未然に察知し防ぐことに成功出来た。
少女達が使う術も音に端を発している。手にしている杖、実は拡声器の役割を担っている。
相手に立体音響で地獄の音を響かせて大いに錯乱させるのだ。
そういった意味でリンネの能力は少女達の上位互換なのだ。彼女は音で相手を貶めるだけに留まらない。
音や声で人に癒しや勇気も与えることが可能だ。だからこそ気づいてやれなかった自分の怠慢を大いに嘆いた。
そして少年達の方は、レイピアを敵に刺す訳でもなく、空中で様々な形の鏡面を創り出す。
少女達が聞かせるのが地獄なら、この鏡に映るのもまた地獄の絵面だ。
少女達の能力名が『怨響現界』、少年達が見せる地獄が『恐面幻下』という。
これも扉の力である、然もマーダの行き過ぎた改造によって生み出されたものだ。
AYAMEを載せたナノマシンが、兄と妹の身体を取り合えず救うべく無理矢理、宿主の意識と合成した結果らしい。
何れもただ見せると聴かせるという意味では幻術的なものに近しい。
けれど超強力な幻術とは人の心を大いに狂い落とし、そのまま死に追いやることすら起こり得る。
現にこの子供達のオリジナルである兄妹は、この能力で100名以上のフォルデノ兵士を戦闘不能に追いやったのだ。
術に堕ちたリイナが力なく落下してくる。リンネのお陰で術中に落ちなかったローダがこれを宙で受け止めた。
ローダの腕の中で苦しみ呻く小さなリイナの姿が何とも痛々しい。フェネクスの黒き細胞の侵攻から折角逃れられたというのに、余りにも不憫でならない。
後はルシアも音の波のお陰で難こそ逃れたが、翼の力を失ったのか、ゆっくりと落葉するように、右に左に揺れながら地面に落ちた。
「あ、危なかった……」
ベランドナが思わず冷や汗を垂らす。彼女は自分の周囲に風の精霊で大気の幕を創り出した。
少年等が造った鏡の方は、ただひたすらにレイピアで破砕し続け、これも防いだ。だが自分を守るだけで精一杯であった。
後は皆、白目を剥いて泥水の上で転げ回りながら藻掻き苦しむ。ベランドナは恐怖した。
ラファン奪還の折には、たった二人が創り出した世界で、生きたまま地獄に叩き堕とされた気がしたものだ。
足元の仲間達がおよそ50人が創り出す地獄を見て、聴かされているのかと思うとゾッとしたのだ。
せめて豪雨が続いていたらとベランドナらしくもない無駄な思考を止められない。雨音は怨響現界を掻き乱す。
さらに鏡面に落ちた雨粒が恐面幻下の映り込みを悪くしてくれるのだ。
マーダはこの地上に描いた地獄絵図を実に優雅に眺めて愉悦に浸っている。
今ならその気さえあれば紅色の蜃気楼で全員を刻んで本物の地獄へ招待出来るのだが、あえてやらずに様子を楽しんでいる。
「ハァァァッ!」
そんな余裕を広げているマーダの元へ氷の刃を握った男が襲い、鋭い突きを見舞う。
本来であれば気合の声なぞ上げることなく刀を振るう処なのだが、地獄の幻覚を振り払うために気合がどうしても不可欠だった。
「フフッ……何だトレノ、貴様は地獄へ堕ちなかったのか」
「俺は一度死んだ身の上、地獄なら本物をとうに見たッ!」
普段から小柄な身体を逆に活かした鋭い動きを得意としたトレノであるが、これまでよりさらに増している。
ベランドナの『戦乙女』の効果、刀を振るう当人が存分に感じていた。
「貴様等ッ! 何をしているッ! その憐れな餓鬼共を一刻も早く消さねば仲間達が先に冥府へ旅立つっ!」
マーダの握る紅色の蜃気楼と大立ち回りを演じながら、地上で絶望に伏せているローダとルシアに激を飛ばす。
何処までも心優しき竜騎士の青年が子供を斬るという無慈悲な行為に中々移れず戸惑いを隠せない。
さらにこれまでどんな敵であろうとその強靭な拳と蹴りで蹂躙していたルシアとて、泥まみれになりながら、子供達を失意の目で追うだけで何も出来ない。
ヒビキという我が子を抱く彼女に取ってこれらの敵は、他の誰よりも強大に見え、身体がいう事を利きやしないのだ。
ローダが出来るだけ汚れていない地面を選びつつ、リイナを静かに下ろす。隣で涙を流し絶望に扮している妻の状況を顧みる。
(殺るしかない……俺が。仲間達のために)
歯を食い縛りゆっくりとだが、決意した目で立ち上がるローダである。その脇を霞めるように数本の矢が飛んで行く。
ベランドナが放った弓矢だ。幻術地獄に堕ちてすらいないのに動けないこの夫婦へ襲い掛かろうとした子供二人の左胸と眉間を正確に射抜く。
「………転移の翼」
振り絞るようなローダの声だ。
シグノの翼を事前に散らしておいたのは正解であった。死に体の身体を飛ばし、まるでど素人……この島に渡って来たばかりのような剣を振るう。
そんな剣では強化された子供達に防がれてしまうのだが、今はとにかくがむしゃらでも身体を動かすのだと自分に言い聞かせる。
何れ身体が覚えた剣を振るえるように至れるであろう。一人でも多く相手を斬り伏せて術中にある仲間を救わなくてはならないのだ。
ズキューンッ!!
不意に聞き覚えのある銃声が木霊した。硝煙が漂い、火薬の匂いと銃殺した血の匂いがローダの枯れそうであった勇気の泉を湧き立たせる。
相棒を1つだけ構えたレイがユラリッと糸に吊るされたように立ち上がる。両耳と両目からは血を流していた。
「二人共、だらしがねえな……まるでなっちゃいねぇ」
「れ、レイ……だ、大丈夫なのか?」
レイの様子にローダがゴクリッと唾を飲む。その姿はどう見繕っても未だ地獄の最中にいるように思えたからだ。
「アアッ? ガキが見せる地獄とはとんだお笑い草だ……。旦那をこの手で殺して手前のガキすら死産したんだ。俺に取っちゃ現実の方が余程地獄なのさ」
幻術が解けぬまま立ち上がったレイに群がろうとした子供の口に硝煙の味を喰わせてニヒルに笑う。いつ間にやら煙草すら吹かしてる。
血塗れの正義による断罪の時間が始まる。