第4話 僕っ子の"響き"に導かれる
ローダが目覚めた真っ白い空間、シグノとノヴァン、二人の竜を探したときの空間と似てはいるが違うようだ。根拠はないがそう感じる。
さらにそこで自分を目覚めさせたのは、絶対に在り得ようがない存在であった。
「ヒビキ………な、何故此処にいる……」
「ひ、ヒビキ? 貴方も此処に?………」
「…………ルシア? 何時の間に?」
ルシアの子宮の中で妊娠3ヶ月目である筈の娘が笑顔を振り撒いている。その声に召喚されたかのようにルシアもフラリッと現れた。
二人共、これまでの人生に於いて、ありとあらゆる信じ難い光景を目の当たりにしてきたが、この状況でそんな全てが上書きされた。
「パパ、ママ、初めましてとは言わないよ。僕の方から、ずっとずぅっと声を掛け続けていたんだから」
「「え………」」
エヘヘッ……少し意地の悪そうな顔でヒビキが告げる。驚いて顔を見合わせるパパとママである。
「パパ………大好きなルイス伯父さんのこと諦めちゃ駄目だよ。パパには判る筈だよ、この僕を通して聞こえる声が」
「…………っ!」
笑顔のまま差し伸べられた右手をゆっくりと、何か触れるのが勿体ないような思いで優しく握ってみる。温かみのある柔らかな手であった。
何故か初めてルシアに触れたときのことをふと思い出す。加えて「ルイス伯父さん」の件で少し吹いてしまった。
「に、にい、さん……」
ローダに聞こえてきたもの、それは声ではなく鼓動であった。それこそヒビキの脈ではないのか?
決してそうではない、先程から可笑しいのだが根拠がないのに断言出来る。
間違いなくあの優しかった兄ルイスの生命の鼓動が伝導してくるのを感じた。
生きていた………何とも忙しいことだが、絶望が希望に入れ替わり、またもローダは泣き崩れ落ちる。
「ほら、ママも………」
「えっ………」
次はルシアの番だ。義理の兄、ルイスの鼓動………仮にそんなものが伝わってきたしても判別出来る訳がない。
ローダと逆の左手、何故か磁石にでも吸い寄せられるように握ってしまった。
「あっ…………」
途端にルシアも泣き崩れる。判った………全て判ってしまった。この間、愛する夫は自分を通して皆の声が聴こえてくる、そう自分に告げた。
それは決して間違いではない、ただ正確にはルシアと繋がっているヒビキを通して聴こえていたのだ。
ヒビキ・ロットレンは生まれながらにして、いや違う………誕生する前からこの能力を持ち合わせていたのだと知る。
「へへっ………驚いた? でもね、これは当たり前のことなんだよ」
「………?」
「えっ……?」
ヒビキがパパとママ、二人の手を寄せて重ねてゆく。ローダ、ルシア、その上に自分の手をそおっと載せる。
その刹那、ヒビキがほんの僅かだけ躊躇した。嫌がった訳ではない、寧ろ嬉しくて仕方がなかった。
パパとママの手にそれぞれ輝いているステンレスの結婚指輪を眺めたのだ。
加えてそれが自然と折り重なるのを見て、幸せを感じて手を載せるのを躊躇ったのだ。
………何て仲の良い両親なの、娘である自分が照れを感じる程の愛情を見せつけられた思いがしたよ。
ヒビキは「コホンッ」とわざとらしい咳払いを一つだけしてから、改めて語り始める。
「お人好しで人の言う事を全部信じちゃうパパと………」
パパのことを底なしの笑顔で見つめる、ママ譲りの上目遣いで。
「真っ直ぐで自信家で、その癖パパだけには甘えん坊さんのママ………」
ママのことも変わりのない顔で見つめる、パパ譲りの真っ直ぐな瞳で。自然に両親のツボを突いてゆく。
「な、何だか………」
「褒められてる気がしないよ? ヒビキ?」
照れながら、ちょっとだけ文句を言うパパとママである。
「…………そんなことないっ! 絶対ないっ! そんな二人から貰った力なんだよ、僕のこ・れ・はっ!」
ちょっとムキになってヒビキが空いている方の人差し指で指しながら強調する。それからケラケラお腹を抱えて笑い転げる。
「ハハハッ! 違いないっ!」
「アハハハッ! そ、そうっ! その通りだわっ!」
そして親子三人一緒になって大いに笑った。この何もない白い空間は、三人の幸せに満ち溢れた笑い声が響きそれだけで埋め尽くされた。
本当に、ほんっとうに、三人は幸福を噛みしめる。他には何も要らないのだと心の底から思い知った。
それから両親は、娘が僕っ子だと生まれる以前に知ることとなった。それも何だか可笑しくて仕方がなかった。一体誰に似たのだろう……それこそ伯父さん?
「パパ………もぅ、大丈夫かな?」
「………嗚呼、勿論だ」
絶望で泣いて、笑顔で涙し、忙しかったローダが頼もしい父の顔で娘に応じる。
「ママも…………大丈夫?」
「………うんっ、ありがとね」
不安で泣き虫が顔を覗かせていたルシアも、限りを知らない優しさを湛えた母の顔でそれに応じた。
「良しっ! 行くぞっ!」
父ローダは世界の誰よりも愛しい妻ルシアと娘ヒビキの手を握って決意を新たに現実世界で目を開くのだ。
光り輝く未来に向けて。例えどんな嵐が待ち受けようとも。
◇
現実世界、カッと覚醒するローダにリイナが驚く。まるで死人に魂が還ってきたような……それ程の熱を感じたからだ。
気がつけばローダは向こうの世界と同じようにルシアの手を握っていた。今さらにも程があるのだが、気恥ずかしさで慌てて離す。
その如何にもローダらしい行動を見たリイナとルシアが思わずほくそ笑んだ。
「す、済まない………もぅ大丈夫だ」
この「済まない」、普通に考えれば心配を掛けて済まないなのだが、うっかり手を握ったことを、まるでつき合い初めの子供のように謝った体にも見えた。
こんな夫は珍しい………いや懐かしい。小悪魔ルシアの悪戯心に火が入る。
「……ンッ!?」
ローダの手を強引に引っ張り上げて立ち上がらせると、乱れた黒髪の頭をしっかと両手で掴み、唇すら奪ってしまう。
これを見せつけれているリイナは、色んな意味で恥ずかしくて自分の目を両手掌で覆い隠した。
………この非常時にぃ? 欲しくなるぅ? 百歩譲ってそれでもやるぅ!? 正直余り頭の良いカップルだとは思えない……です。
「お、おぃっ……」
「さあ、やるんでしょ? でも一体どうするつもりぃ?」
力を込めてルシアの両肩を掴み、引き剝がすローダである。顔が真っ赤に染まっているのは言うまでもなかろう。
駄目押しとばかりにニヤケ顔でルシアが詰め寄る、気迫が戻った最初の行動が背を向けるという何とも締まらない形になってしまった。
「舞えっ、シグノッ!」
ヴァサッ! ヴァサッ! ヴァサッ!
ローダが背中の白い翼を三回強くはためかせた。けれど空へ飛び出した訳ではない。白い竜譲りの白い翼の羽が戦場中に飛び散った。
その天使のような、はたまた白鳥の羽ばたきのような光景に目を奪われているうちにローダがその場から消え失せる。
「何ィ! 貴様何時の間に!?」
「応じる義務はない……」
消えたと同時に出現した場所は、独り空から神を気取って油断し切っていたマーダの目前。
竜之牙の射程範囲……いや、ナイフですら届く程の超接近だ。左肩、右肩、右手の三箇所に難なく突きを見舞う。
「おのれ小僧ッ! これしきの……」
「転移の翼……」
負傷など構うことなく怒りの反撃を見舞おうしたマーダであったが、またしてもローダがその場から失せる。
先程、シグノの羽を至る所に散らした理由はそういうことだ。転移の翼で瞬時に移動し攻撃する。
そして相手が剣をどこへ向ければ良いのか判らぬ場所へ、早々に離脱する。
これなら射程が読めない紅色の蜃気楼でも、中々やれるものではない。何しろ目標を見失うのだから。
「実に小賢しいィィッ! ならば貴様以外の相手を斬れば済むだけのことッ!」
「へぇー、これでもそんなことが言えるのかいッ!」
グサッ! ブシュッ!
何と次は全身赤い鎧の女騎士から馬上槍で、腹を一突きにされてしまった。
マーダの返り血が赤い鯱の口に入る、それを唾と共にペッと吐き捨てる挑発。
ローダが今いる場所は、さっきまでこのプリドールの居所であった。要は場所を入れ替えしたのである。
マーダが「玩具」と愚弄した竜之牙の力を、ローダが存分に見せつけたのである。