第3話 アレで死んだ訳があるものかッ!
殺意を秘めた本物の紅色の蜃気楼によって斬られてしまったローダであったが、兄ルイスの真意を知り、死力を振り絞って立ち上がった。
けれどもその行動を嘲笑い、自分の中に潜むルイスの魂にマーダがトドメを刺した。
揺るぎない決意………の筈であった。だが目前でその絶望を見せられて、ローダは再び膝から崩れ落ちる。
「ローダさんっ!」
此処でリイナが不死鳥の炎を燃やした癒しの治癒をようやく施すことが出来た。これで体力的には起き上がれる、意識も飛んではいない。
だがその目にはまるで生気が感じられない………無理もなかった。
ローダ・ファルムーン改めローダ・ロットレンは、これまでずっと尊敬する兄ルイスを取り戻す。
その目的を果たすためだけに、これまでどんな苦難にも打ち勝ってきたのである。それがたった今、音もなく崩れて消えた。
末期の言葉すら聞けなかったのである、今のローダは精神が崩壊した死人に近しい。
不死鳥化したリイナと司祭級ホーリィーン、二人の超優秀たる癒し手のお陰で取り合えず息を吹き返しつつある仲間達だが、何度も言う通り再びマーダがあの赤い剣を振るだけで再び破綻するだろう。
「扉なんて面倒はものは不要、ヴァイの剣と真なる殺意さえあれば良かった。では何故態々ルイスとやらの口車に乗ったりしたのだ?」
地上の地獄絵図をヴァイロの意識空間から覗いていたアギドの台詞だ。確かにその疑問はもっともである。
「そいつは簡単さ、その真なる殺意というのは魂のある人間でなければ出せない。そもそも俺の親父は魂のない者があの剣を使うことなど考えてもみなかっただろうな」
それに答えたのは元・暗黒神のヴァイロである。涼しい顔で応じているものの、この意識空間を創造出来たのは、地上で絶望に伏しているローダのお陰だ。
このままでは何れこの空間毎、自分達も消えてしまうだろう。
「ヤレヤレ………また魂が条件に出てくるのか。要するにルイス・ファルムーンがほんの一瞬でも構わないから、本気の殺意を出す必要があった」
「そういうことだ。ローダ青年はそれを引き出してしまった。恐らくは『周りの者に耳を貸さない、それが兄貴の弱点……』と言ってしまったことだろう」
アギドは、ほんの僅かだがマーダという存在が憐れに思えてしまった。意識がある、やりたいことがある、だが造り物の意識だから当人の魂がない。
ヴァイロの方は、そんな人形みたいな奴に大事な子供達を全て殺されたのだから、そんなセンチメンタルな感情は生まれない。
だが弟から完膚なきまでに言い負かされて、つい出してはならない感情に一瞬でも支配されたルイスの方には少しだけ同情の余地があった。
「だろうな……そしてさらにルイスの心の揺らぎを呼び、マーダの意識が戻る瞬間を呼んだ……んっ? ではその魂を消されたのであれば………」
「流石俺の一番弟子は頭が回る。その考察は恐らく正しい。後はあの扉使いがそれに気づくかどうか………」
ハッとなって地上の地獄から師の方へ振り返るアギドである。目が合ったヴァイロが少しだけ緩みながらそれに応じた。
「ローダさんっ! お気を確かにっ!」
「ローダっ! 生きている限り希望を捨てちゃ駄目よっ!」
リイナとルシア、森の天使と堕天使に身体を揺すられているが魂の抜け殻のように応答がない。
気持ちは判るし、例え自分を取り戻せたとしても勝ち目があるのかと問われたら、この精神の強い二人ですら口を噤んでしまうだろう。
「さてと無駄話は終わりにしよう。もう我は、こんなチンケな島だけでなく世界を手にしたも同然。新世界の神を現世の隅々まで知らせなくてはならぬっ!」
身動き一つしないローダの方にギロリッと冷たい視線を送るマーダ。それを感じ取ったリイナとルシアが倒れたリーダーの代わりにその視線を一身に浴びる。
冷や汗と鼓動の高鳴りを止めることが出来ない。不死身、必然に通る攻撃、こんな化物をどうやって倒せば良いのか見当もつかない。
だがローダの背中を守り抜く、その意志だけは揺るぐことはない。
「さあ、では消えて貰おうッ!」
マーダが赤い歪な剣を振り上げた、それを見て思わず息を飲む二人。
その余りの圧に押され、針の穴ほどであるが隙が生まれたことに気づけなかった。
ズバッ!
黒い剣士が上段まで振り上げたその刹那、もし後の先を取れるとするなら絶好の好機だ。
同じ剣の達人がそれに気づいて割って入った。しかも余りにも意外なる人物である。
「グッ!?」
「雁首揃えて何をしているッ! 隙だらけだったではないかっ!」
それは敵方であった、そしてそこで絶望を振り撒いている者の最強の番犬であった。
氷狼の刃の主、元ヴァロウズ最強の剣士、トレノが胴を薙ぎ払ったのである。
「アトモスフィア・テンペスタ、大気と風の精霊に暗黒神の名において命ず、墜ちよ裁きの雷……」
驚くルシアとリイナの背後から厳かなる暗黒神の詠唱が聞こえてくる。
剣士が造った隙の次に魔道士が攻め入るは、戦略の常套手段。
だがこれまでの彼女なら絶対に手を上げる筈がない。その上、暗黒神をヴァイロと置き換えている。
「貴方達、一体何を呆けている? あれしきのことであのルイスが死ぬ訳がないッ! 墜ちろ外道ッ! 『暗黒の稲妻』ッ!」
未だに広がっている雨雲が雷雲に化け、本物と紛うことなき雷撃をマーダに落とす。
「グァァァッ!?」
突然の雷撃に全身を貫かれ両目をひん剥いてその動きを止めてしまうマーダ。けれどこれ程のことでどうにかなるなら苦労はしない。
フォウ・クワットロ……いや、本来ならばフォウ・ファルムーンと名乗りたい彼女がこの連撃で確認したかったことはただ一つ。
もしあのマーダが自分がお慕いしたマーダであるなら「な、何をするフォウ!?」といった反逆に対する怒りを露わにした筈だ。
やはりあの者はルイスに取って変わる前の自分が知るマーダですらないことが、これで明白となった。
確認のための行為、そして認識は間違っていなかった……にも拘らず少しフォウは曇った顔をするのであった。
さあ、僅かばかりではあるが反撃の狼煙が上がった。それもマーダの元・最強の10人から始まったという皮肉である。
此処で魔導士フォウは、ふとエドナ村での戦闘に想いを馳せる。
あの敵方の侍大将が鎖骨を折られても決して怯まず我がマスターに挑み続け、頬に傷をつけただけで歓喜したことを思い出した。
さっきのトレノの胴薙ぎと自分が今落とした雷撃。そしてエドナ村の際にマーダの頬を掠めたナイフ。
マーダに取っては、あれとそう大差ないのかと思うと少々萎えるものがある。
あの時、敵だった彼等のように|自分の攻勢に信念を持たなければどうにもならないと、改めてフォウは感じた。
(さて………ルイス様の弟、果たしてこのまま腑抜けでいるのか…)
フォウが言った言葉「ルイスが死ぬ訳がない」これは勿論願望ありきのことである。然し同時にこの弟へのメッセージを多分に含んでいた。
正直腹立たしいが、やはりこの青年は、唯一無二の希望に他ならない。
つい今しがた迄、敵のリーダーであった者に期待を掛けねばならぬ…不愉快であるが自分の下腹を撫でながら、それでも譲れないものがあると想う。
(……私は必ずルイス、そしてこの我が子と必ずや添い遂げてみせる。そのためには何だってやってみせる)
失意の涙など流したりしない、フォウ・ファルムーンは夫と子供を守り抜く母親の覚悟をその顔に漲らせていた。
◇
―…………パパ、起きてパパ………。
「だ、誰だ? ……パパっ!?」
真っ白い空間の中でローダが目を覚ます。聞いたことがないのに知っている気がする少女の声に起こされた。
自分のことをパパと呼称しそうな存在………だが当然ながらそこには未だ至っていない筈の存在。声の届いた方へ虚ろな顔を上げてみる。
グレーと金の中間色のような髪色、母譲りの緑の瞳。三日月の髪飾りを付けている。
赤い縁の眼鏡をかけており、胸元だけが白く、あとは紺色を基調としたブレザーのような格好だ。
顔を少し赤らめながら笑顔を此方に向けている………直ぐにローダはこの娘の正体に勘づいた。
「ひ………ヒビキなのか?」
「そうだよパパ、やっと、やっと、お話出来るね………」
まだ胎児である筈のヒビキ・ロットレンが目を潤ませながらそこにいた。