第2話 儚き兄の想いを潰す闇
ルイスが愛する母テローシャを喪失した原因、その原因に憎悪をぶつけた現実。
紅色の蜃気楼に本気の殺意を込めた帰結なのかと思っていた。
だが実際に剣を振るった相手は、既に変わり果てていた。見たこそ普段と変わらぬルイスなのだが、明らかに聞き覚えのある黒の剣士だ。
「フハハハハッ! 待っていたぞこの瞬間をッ! ルイスゥッ! 貴様は弟と戦うことで必ず揺らぐと踏んでいたのだァァッ!!」
これ程曲がるかと思える位にその身を反らし、朝陽が昇り始める空を見上げ、再び己の中に封じたルイスに向かって大いに勝ち誇る。
「あ、アレはっ!?」
「マーダだ、間違いねえっ!」
二人だけで剣を交えていたトレノとガロウも蜃気楼に斬られて、その戦いを中断していた。
無理矢理黄泉から引きづりだされたトレノも、剣を直接交えたのが1年半前のガロウも恐怖に満ちたこの声を間違えようがない。
「くっ……お、お義兄さんは……ルイスは消えてしまったの?」
ルシアが負わされた傷はかなりの重症であった。背中を大きく斬られ、天使の翼も散らしていた。土砂降りで出来た泥の水溜まりの上に倒れている。
「アゥッ、い、癒しの炎……」
左大腿部を斬られたリイナが、その足を引きずりながら必死に癒しの炎を創造しては、直向きに渡し続けている。それも敵味方関係なくだ。
再びあの赤い剣が猛威を奮えば、無駄になってしまうと知りながらだ。
皆が地べたを這うような結果の中で、自分だけ空を独占しているマーダである。偶然にも昇った朝陽が重なり、まるで後光を演出しているかのようだ。
………我の前に平伏すが良い、そんな台詞が似合う状況を陽の光さえ再現しようというのであろうか。
「ローダ・ロットレンッ! まだ息があるうちに教えてやろうぞッ! 貴様の兄は大いに勘違いをしていたのだァッ!」
「…………か、かん、ちが、い?」
「暴走している貴様との戦いの中で、ルイスは間違いなく最初の封印を解いていた。にも拘らず貴様も、そして奴自身も怪しい意識の中だったので完全に一つ目の鍵になれていないと思い込んだ」
実に有頂天な気分でマーダが御丁寧にも秘密を暴露し始める。
最初の封印に於ける出来事をローダは一切覚えていない。
気づいたのはサイガンと初めて接触した時だ、だからローダの方も封印を解いた意識すら皆無であった。
「貴様は封印を解く度にその相手から何を吸収していった。だがルイスから何かを与えられたようには見えなかった。それが自信のなさに繋がっていたらしい。小者が考えそうなことだッ!」
確かにマーダのいう事は的を得ている。サイガン、レイ、ガロウ………と封印を解く度にローダは何かの力を得ていた。
それが彼の成長の度合いを一気に加速させて今に至る。
「そこであの男は、この我に交渉を持ち掛けた………『魂を持たない貴方の代わりにこの僕が扉を開いてあげよう』などと思い上がりも甚だしくなッ!」
マーダの怒りが「思い上がりも………」の件辺りから伝わってくる。血に塗れた剣を真横に振るい、存在しないルイスを斬り裂くような仕草を見せる。
「………我はそれに応じるフリをした。奴はせっせと俺の中に封じた魂と意識を繋げてそれなりの扉を開いてくれた……」
「に、にい、さん……」
ここら辺の解説はローダ達が想像していた通りの結果であった。やはりマーダと交代したルイスがローダに匹敵する程の力を開く原動力になったのだ。
そのローダの意識が本当に危険領域に達しようとしている。朦朧とする最中、何とか兄の真意を紐解きたいのだが、もう目を開けているのがやっとである。
「奴は何故そんな回りくどいことをしたか? もぅ勘の良い貴様なら何となく察しているよなァァ?」
聞き手側の思考力が著しく低下しているのだ。このローダは剣を交えただけで相手の意識に首を突っ込むような真似が出来ない。
だからもういっそのこと、兄からでなくても構わないから判りやすく語って欲しいと願うのにマーダの意地の悪さが顔を出す。
「ルシアという偽物の女を抱き、孕ませすらした。これで10人の筈なのに完全な扉を開けぬ弟に、この愚かな兄は、さらに慌てたッ!」
この「偽物の女を孕ます……」と件にピクリッとルシアが反応する。そうだ自分は99.9%人間の女……ローダに取って世界一の女と豪語した。
だけどそこだけは、如何に考えようとも拭えやしない。悔しさの余り涙を流すが、当人は気づいていない。降り続く雨が成していることだと勘違いした。
一方ローダもこの言葉に反応する、ルシアをどん底に堕としたのと正反対に、憤怒が現れ終わり掛けていた彼の心情に炎を灯す。
彼が大好きな焚火……熾火の中に秘めたる熱い情熱が滾り始める。
「後はこの有り様がッ! 絶望のどん底がこの結果だァッ!! 愚弟は目覚めていない訳ではなかった。ただ最後の扉を開く覚悟がなかっただけだと言うのになァッ!」
「………や、」
……判った、判り過ぎてしまった。
怒りがローダの意識を覚醒させる。目の前に生えていた雑草を強く強く握り締め、自然に花を咲かせ次代を繋ごうとするこの雑草にようで在りたいと想う。
ルイス・ファルムーンはあえて敵になる選択肢を選んだ。そしてローダの前に最強の鍵として現れて今度こそ最後の封印を解くことを誰よりも望んだ。
だがフォルテザを襲撃した折に彼は気づいてしまった。彼は既に弟が10の封印を解いていたことに。
緑色の輝きを散らした威風堂々たる弟、兄をとうに超えた存在がそこにはいた。
……後は兄で在る自分が揺るぎない覚悟を与えよう。そのために創ったネッロ・シグノであるのだから。
「本当に馬鹿だが最高に使える男であったよッ! フハハハハッッ!!」
「や、め………」
これ以上兄を、己が女を、仲間を、いや……この世界を愚弄することは許せない。
例え我が身が引き裂かれようとも、奮い立てずに何が『扉』を開くだ。
その身を震わせながら、未だに血を噴き出したまま、見苦しい姿であっても構いやしない。
ゆっくりと、だが力強く泥と血に塗れたローダが、再び大地を踏みしめ立ち上がった。
「ほぅ………まだ立つか。まるで死に際の虫の足掻きだな」
「な、何とでも言えっ………」
「良かろうっ、ならば貴様に最後の絶望を与えて進ぜよう」
死力を振り絞り立ち上がったローダを見たマーダが紅色の蜃気楼の刃先を何と自分の胸へと向けた。
「な、何の真似だ………」
「我の中に寄生虫の如く未だ宿っているルイス・ファルムーンのた・ま・し・いッ! それを今消してくれようぞォ!」
「や、止めろォォォォッ!!!」
「る、ルイスゥゥッ!!」
ローダの絶叫による静止の声、マーダではなくその中に潜むルイスを初めから愛していたことに気づいたフォウが初めて敬称を付けずに血涙を流しながら愛を叫ぶ。
マーダに取ってはそんな声だからこそ心地良くて堪らない。どんな官能よりも絶頂に導いてくれる。下品にも涎を垂らしてしまいそうだ。
ズブッ!
「嗚呼……良い……この感触、どうにかなってしまいそう………だ」
マーダの胸に赤い歪な剣が突き立てられた。自身に入って来る異物に顔を赤らめ恍惚に酔いしれる。
その光景に皆が声すら失った。本当にルイス・ファルムーンはこれで逝ってしまったのであろうか。