第1話 紅色の蜃気楼の真実
ローダ・ロットレンとルイス・ファルムーンの世界を巻き込む大変はた迷惑な兄弟喧嘩、言い換えればどちらが本当の扉使いに相応しいかの争いでもある。
未だに終わりが見えない争い、夜の闇を大いに使って戦いを有利にしようとしたルイスであったが、もう間もなく夜が明ける。
ただ黒い曇り空と雨は泣き止むのはいつのことか、どれだけ人の意志を集約出来ようとも知る由もない。
兄ルイスは弟ローダの指摘に珍しく怒りを露わにしている。そして味方である女魔導士フォウと氷狼の刃を握るトレノを未だに振り返ろうとすらしない。
大事な自分の子を宿したフォウを最前線に出したくないのはまだ判るが、死してなおも呼び出されたトレノすら相手にしないのは流石に酷い。
もっともそのトレノ当人が同じ侍であるガロウの相手しか出来ないのだから仕方がないと言えなくもない。
元々人数が少ない陣営なのだが、それぞれが自分勝手に戦っている感が否めない。
対するローダ達は、特に陣形といったようなものこそ在りはしないが、互いが足りない能力を補完し合いながら相手をするように動けている。
ただの人数差による結果が形となっているのは一目瞭然である。
こうなってはルイスが圧倒的強者でなければならないだが、ローダ達にも、もう人間を超越したような連中がいる。
恐らく最強の不死鳥使いとなったリイナ・アルベェラータ、堕天使となって音速すら超える動きが出来るルシア・ロットレン。
そして隙あらば相手の意識に入り込んで来るローダ・ロットレン。
加えてもう一人、勇気の精霊を呼び込んだ戦乙女を用い、恐らくこの中でルシアの次位に速く動ける存在。ハイエルフのレイチである。
「この盤上に於ける黒は本来なら敗色濃厚……孤立した兵、好きに動けない王妃……」
「そして全ての駒を担う必要がある王か……」
ヴァイロの意識空間の中でルイス陣営を自分が好きなチェスに例えて語るアギド。かつて王役をやったヴァイロが続けた。
「ただあの王、恐らく幾ら斬っても死なないよな……」
「全くルール違反も甚だしい、あの王一人に俺達は次々と消された。無駄な努力をさせられたものだ」
悪夢が現実になったことをヴァイロが回想し、今度は呆れ顔のアギドが首を横に振った。冗談じゃないといった体の二人である。
「今でこそルイスと改めているが、本質は何をやっても死ななかったマーダである筈……あの交渉人の彼は判っているのか?」
思わず爪を噛むヴァイロである、確かにルイスとフォウという女は暗黒神の後継者だ。然しだからと言ってあんな結果を観たくはないのだ。
「………神を成そうとする者が下々の力に頼る? 神とは絶対でなければ民も守れない」
「それが傲慢だと言っているっ! 神童の座なんて欲しけりゃくれてやるっ! 俺はこの戦いが終われば扉の力なんて捨てても良いとすら思っている」
「神が神そのものの存在を否定する気かい? それでは増々諦める訳にはいかないなっ!」
互いの王同士が舌戦を続けている。ルイスにとって神とは何者にも頼ることなく絶対的支配者であることが不可欠。それが結果的に弱きを導く。
ローダはそんな神なら不要と斬り捨てる。
此処でルイスは己が剣、紅色の蜃気楼を上段から叩きつける。何の小細工もないただの振り下ろしだ。
当然ローダが竜之牙でそれを受けきる。そこまでは極々自然なやり取りであった。
「グッ!? な、何故? 何故俺は斬られている?」
「勉強不足だよ、これが蜃気楼の本質さ。紅色の蜃気楼は剣で在りながら剣に非ず」
確かにローダは相手の剣を受けきった、誰の目にも明らかであった。それなのにローダの右肩は深く大きく斬られていた。
大量の血が噴き出す、肩を抑えながらローダはその場で片膝を落としてしまった。
「ローダッ!?」
「い、癒しの炎ぉ!」
どう見ても致命打だ、悲鳴を交えて夫の名をルシアが呼ぶ。リイナが不死鳥の癒しを与えんと近寄ろうとする。
「フンッ!」
その場を全く一歩も動かずローダに向かってゆくリイナに向けてただ剣を振ったルイス。
全く届かない間合いであるのに鞭のように伸びて、そのリイナすら斬り裂いた。
「り、リイナァァ!」
「戦の女神よ、この者にどうぞ貴女の御慈悲を。湧き出よ『生命之泉』!」
ローダに差し出そうとした右腕を痛々しくも切断されてしまったリイナの姿にジェリドが慌てる。
ホーリィーンもそうしたい意識を抑え込み、癒しの奇跡をリイナに施す。リイナの右腕は無事に再生出来た。
「教えてあげよう、君達に見えている紅色の蜃気楼の姿こそ正に蜃気楼が成せる御業さ。持ち主が斬ろうとする者へ必ず届き、そして斬り裂く」
「ゴボッ! そ、そんな馬鹿な……」
正に神を気取った様相で上からモノを言うルイスである。ローダにしてみれば在り得ない、そんな理不尽な力は在り得よう筈がないといった意味での「馬鹿な……」である。
「見えている剣こそ幻、盾だろうが鎧だろうが防げはしない。だから僕はそんな玩具を捨てて神に相応しき一振りを選んだ。前の持ち主は甘い男だったから使いこなせなかっただけだよ」
ルイスが両腕を広げゆっくりを宙へ浮かぶ。弟のみでは飽き足らず、此処にいる皆へまるで神罰を告げるかのように。
「ヴァイッ!」
「嗚呼、奴の言っていることは真実。何せあの剣は俺の親父が錬成したもの。俺ですらシグノの翼に守られたエディウスを斬りつけた」
この異常事態にリンネがヴァイロに問い掛ける。かつてヴァイロは、初めて戦の女神がカノンを単騎で襲撃した際、その力で確かに斬った。
ただ命を取るには至らず、全回復の奇跡を使われたので結果が覆ることはなかった。
「あの赤い歪な剣が真価を発揮するための条件……それは相手を全くの躊躇いもなく殺せると覚悟を決められた時だ。俺は確かにあの時奴を斬ったが、相手を殺す覚悟よりもお前達を守りたい、ただその一心の方が勝った」
「………だからヴァイは殺し損ねたという訳か。ならばあのルイスという男……」
ヴァイロは思う、ルイスが血という絶対的繋がりがあるローダを躊躇せず斬る? 虚ろな目が決して認めたくないと雄弁に物語る。
そこに冷静なアギドが駄目押しを続けようとしたが、彼も未だ17歳の少年だ。
仮に自分が兄弟のように慕っているアズール、ミリア、リンネを完全な殺意を以って果たして斬れるか?
考えたくもない悍ましい行為だと知り、その口を閉ざしてしまった。
「そ、そうだ………あの男には今や揺るぎない殺意があるっ! 幾ら腹違いといえ自らの弟を躊躇いなく殺すっ!?」
ルイス……あの男にはきっと事情があってこんな芝居じみた行為をこれまでしているものとヴァイロは勘ぐっていた。
いや、どちらかと言えば、そんな希望を抱いていた。特に深い理由なぞなしに。
父が錬成し、自分が相伝した剣が絶望の殺戮を繰り広げようとしているのだ。信じたくない光景であった。
「さあ神の一閃を受けるがいいっ!」
空中でルイスがまるで駄々っ子のように滅茶苦茶な剣を振るう。それが切り口の大小こそあれど敵味方双方全てを斬ってみせた。
「や、やめろ……」
出血が酷過ぎる、朦朧とする意識の最中でローダは信じ難い、認めたくない、そんな複雑な顔をしていた。
大きい、威圧的な声を上げたいが出来そうにない。
「フフッ……ローダよ、貴様が今が考えていることを当てて進ぜよう。こんな不退転の力があるのなら何故扉の力……」
(る、ルイス様? く、口調が。あ、あれはもしや……)
「全ての者を認める覚悟を決めたと認められた奴だけが開ける扉ァッ! そんな面倒な力を何故求めたァ? ……確かにィ、実にィ、馬鹿げているよなァァァッ!!」
ルイス……である筈の者の口調が、気分が気持ちが悪くなる程に高揚してゆくのが、彼に心底身を寄せていフォウには直ぐに感じ取れた。
たった今この時に、ローダという男を相手に己を曝け出しているのがルイスでは無くなったことを頭と身体で認識したのだ。