第18話 生転の旅路
散々考慮を重ねた上でホーリィーンが詠唱を始めたのは何と『永遠の旅路』であった。
戦の女神の正式な司祭ですらない彼女が、神に意識を持って行かれる危険性を孕むこの奇跡を扱うこと自体が異常事態だ。
しかもこの術、一体誰を対象としているのであろう。ジェリドが相談した元を辿れば「あのフェネクス化したセインの再生能力を測って欲しい」であった。
寄って自然に考えれば永遠の旅路をかける相手はセインが妥当であろう。
けれど無限に限りなく等しい再生を出来る相手に細胞分裂の超活性化が果たして通用するのであろうか?
「………これまでの軌跡は終焉を告げ、新たなる旅路が始まる」
「………ンンッ?」
此処までの祈りの言葉を聞いたドゥーウェンが怪訝な顔をする。途中から詠唱の内容が変化した気がしてならない。
余りにも急速に肉体を失った魂が行き場を見失い、永久を彷徨うから永遠の旅路であった筈だ。
なのに新たなる旅路とは一体? 自分の記憶違いであったのだろうか……。彼はエドル奪還の戦場には、いなかったのでそう感じるのも止むを得ない。
然しこの後、ホーリィーンが決定的な違いをまざまざと見せつけることになる。あろうことか彼女は、宙に描いた印の光を地面に寝かせた愛娘リイナに載せたのだ。
「な、何をして……!」
「亮一よ、あれで良いのだ」
その途轍もない行動を見て、止めに入ろうとするドゥーウェンの肩をサイガンがガシリッと掴んでそれを制する。
「………生命への階段を登れ! さあ征くのだ未開の道へ! 『生転の旅路』!」
ホーリィーンの女神に捧げる詠唱が終わった。やはり途中から永遠の旅路でなくなっていた。
けれどリイナに降り掛かる光は、全く同一のものに見えた。先ずリイナの腹に植え付けられたフェネクスの細胞らしき黒ずみが消失する。
それは良い、問題は此処からである。これが永遠の旅路と同質の奇跡だとすれば、リイナ当人すら細胞の欠片も残さず消えてゆくのだ。
「うっ……うぅ……ウワァァァッ!!」
苦しみ悶える叫びを上げつつ、リイナが大いに暴れ始める。陸に無理矢理揚げられた魚の様にもんどりを打ち続ける。
セインの黒ずみこそ消えたが、それを遥かに凌駕する黒色の侵攻が止まらない。
このままでは火が燃え移った枯れ葉のように炭すら残さず消えてしまうのではなかろうか。
「堪えろっ、リイナァ!」
「リイナさん、貴女が真なる女神を継し者であるなら、この試練すら超越出来るっ!」
父として娘のこんな姿を見るのは忍びないが、決して目を背けはしない。まるで自分の胸が身体が燃えているかの如く、血が滲む程に鷲掴みする。
ベランドナの応援する声に熱が帯びる、この少女が試練に打ち勝つことは、まるで自身が成し得なかったことを果たしてくれると錯覚する。
やがてリイナの足掻きの声が治まった、同時に微塵も動けなくなる。一応消し炭は残った、だがリイナの生は今此処に潰えたかのように思える絵面だ。
………もう全てが終い……そう思えた次の瞬間、白い炎と青白い炎が空から降って一つとなりてリイナに点火した。
葬送………火葬に思えたその火を浴びせ掛けたのは、紛れもなくローダである。
「不死鳥は死してなおも火中から蘇えり、その翼を羽ばたかせる!」
ローダはそれだけを告げると、兄ルイスと再び壮絶な兄弟喧嘩に還っていった。
完全に黒い死体と化したと思われたリイナが、さらにさらに赤みを増してその中身すらも滾らせる。
どうしようないお人好しのローダ、美麗で何処までも強い憧れのルシアと共に眺めた焚火に潜む炭火最後の静かなる赤みとどこか似ていた。
もう消えかけていたかに見えた炭火に風を送ると、自分はまだ終わっていないとばかりに強い炎を再び生み出す。
小さなリイナがこれまで以上の炎の柱を上げて大いに燃え盛り、やがてそれは火の鳥を成した。
「キッシャアァァァァッッ!!」
全身を燃やしてリイナが再び地面を踏みしめ、不死鳥特有の鳴き声をまるで産声のように上げた。
ホーリィンの起こした奇跡、生転の旅路とは実の処、永遠の旅路と効力は余り変わりがない。
先ずはセインの埋めた黒い細胞を消し去ること、だがリイナの細胞すらも巻き込むことを意味している。
残りは娘を想うただの祈りに過ぎない。詠唱にそれを織り込んだだけであり、後は本物の不死鳥化による再生能力が偽物に劣る訳がないと信じ抜いた。
「リイナ、良かった………わ、私、奇跡を、奇跡を起こせた………」
「リイナッ! 信じていたよ、私の妹っ!」
「やはり私の目に狂いはなかった、アルベェラータ……女神の系譜」
「ホゥ………」
小さな勇者の帰還に皆の歓喜が沸き起る。その結果にへたり込むホーリィーン、戦いの力を否定し続けた母の頑固な想いが、遂に結実を生んだ。
ルシアの勘に狂いはなかった、ただ愚直にリイナの力を信じただけだ。
ベランドナが150年前に馳せた想い、母娘の血統は本物であった。父の方は果たしてどうか。
一人ルイスがその姿に少しだけ驚いた顔をして感心する。
「ハァァァッ!!」
そんな周囲の空気を感じられないのか、地面が揺れるのではないかと思える程に蹴って跳び上がる。
狙う相手は同じ不死の鳥を抱くセイン、偽物のジオーネの顔に流れる戦慄の汗。なれどやられるつもりは毛頭ない。
彼女から発せられた3つの小さな火種が大きさを増し、人の形を成してゆく。
「アレは、まさかジオの『操舵』に『模倣』っ!? しかもリイナの想い人に化けるなんてっ!」
セインの前に立ちはだかっていた筈のルシアが驚きの声を上げる。セイン自身はジオーネの秘技『不可視化』を真似て、ルシアの前から姿を消した。
加えてルシアの後方、リイナとの距離がより近い位置に再び出現する。今のセインにとって倒すべきはリイナの方、そう誇示してるかのように。
小さな火種は、ジェリド、ホーリィーン、そしてローダに化けていた。もしセインがラファンの首都ディオルに住むリイナの幼馴染を知っていたら間違いなくローダではなく、ロイドを出したことだろう。
「おっと待ったあぁぁっ! 露払い位させて貰うぜッ!」
「新たなる不死鳥、進撃の邪魔はさせないッ!」
偽ジェリドの前に青い鯱ことランチア、偽ホーリィンには赤い鯱プリドールの二人組が、待ち侘びた出番とばかりに突貫する。
ただの黒い火種で模した偽物でこそあるが、あの凄まじき再生能力を秘めた細胞の欠片である。
油断は禁物………かに思われたが巨大な青シャチと赤シャチが獰猛な口を開いて相手の全てを咀嚼した。
「ジェリド……おっさんはなあ、この俺とタメ張って戦い抜いたズバ抜けた戦士ッ! それに化けるなんざァ許せねえんだよッ!」
「ホーリィーン・アルベェラータ、あの勇気の塊が選んだ女を侮辱するなど万死に値するっ!」
ランチアはラファン砦奪還の折、共に生死の境界線を奔ったことを告げている。
プリドールが酷く軽蔑した眼差しを鬼女に向ける。巨人はおろかドラゴンにすら折れずに立ち向かった勇敢なる者。
それに少しだけ想うところがある男だ、それの妻に化けるなど決して許せる訳がない。
奇しくも自分の背後に現れた夫の偽物、これを裏拳一撃で屠る女は、天使というより豪傑のソレであった。
「よりにもよってアタシの男へ化けるなんて………。もし、今のリイナがいなかったらアンタ、永久に殴り続けたよ」
ルシアの目は、堕天使から悪魔王へ転生を遂げていた