第6話 小さく重なり合う想いと思い
ディオルの町はすっかり陽が落ちていた。町を出歩く者は居ない。各々の家から食卓の香りと団欒の声が聞こえてくる。
ロイドは自宅ではなく友人リイナの食卓でぎこちなく座っていた。ロイドとリイナが町に戻れたのは、夕暮れ時であった。
余りに汚れた自分とリイナに対し、湯に浸かり、身体を清める事を勧めてきたジェリド叔父さん。
そんな事をしているうちに、必然的に陽はその姿をくらませる。
ロイドが慌てて帰宅しようとしたところ、「今夜はもう泊まってゆくが良い」と、叔父さんが言うので……大体そんな流れに身を任せた次第だが、とにかく落ち着かない。
長い付き合いである筈のジェリド邸にて、何故か居所を探しているロイド少年である。
一人リイナは、動き回わって夕食の準備をしている。父にとってはいつもの事だが、ロイドにとっては、いつもの事ではない。
「手伝おうか…」と幼馴染に声をかけたが、「大丈夫だから座ってて」と、あっさり断られやむなく小動物のようにおとなしのロイド。
いや夕飯を馳走になるだけなら、割と日常茶飯事なのだ。
ロイドにとって最大の関心事とは「寝床はリイナと同じ部屋にあるベッドを使えばいい」と、この叔父さんが言い出したことだ。
挙句の果て、娘すらも「うんっ、それでいいよ」と二人で勝手に決めたことに尽きる。
(自分はもう14の男子だぞ。子供の頃とは違うんだ……)
そんな訳で思春期の少年は落ち着きがないのである。
彼にとっては、夕飯の香りよりも、石鹸の香りが混じる幼馴染の銀色の長髪が、フワッとする度に鼻を霞めてゆく。
それはもう堪らなく心地良くもあり、動揺もあり……といったところだ。
全ての皿を並べ終わるとリイナも席についた。食卓に並んでいるのは、パン、芋を煮込んだスープ、葡萄の様な果物である。
芋と果物はリイナが植樹しながら、少しだけ山の実りを頂戴したものである。大体毎日こんな感じだ。
別にこの家が貧しいのではなく、戦争の傷がまだ癒えていないこの町の住民達の食事とは、大抵こんなものである。
「神よ、今日の糧に感謝致します」
リイナが両手を握って祈りを捧げる。ジェリドとロイドもそれに習う。
「さて、いただきましょう」
夕食が始まった。少ない糧を愛おしく感じながら、ゆっくりと口に運ぶ。自然と話題は昼間の出来事になる。
「今日の相手、とても強かったでしょうね」
「嗚呼、強かった。あれほど俊敏に動く剣士を相手にしたのは初めてだったよ」
パンにバターを塗りながらリイナが、話を切り出す。
ジェリドはスープの芋を匙ですくい上げてそれを口へ運ぶ。
返事しながら咀嚼するのは、いかがなものかといった所だが、38年間で培った癖はそうそう直るものではない。
「えっ? でもジェリドさん、傷一つついていないじゃないですか?」
ミルクを飲もうとしたロイドの手が止まった。
「いや、彼は強かったよ。ただ、彼は私の首を刎ねる事に固執し過ぎてからこそ守るのが楽だった。もしあれが先ずは、手や脚を落として、首は最後に。そんな事をされていたら、とても無傷では済まなかっただろうよ」
サラリと恐ろしげな事をジェリドが言いながら、パンをスープに浸し、さらに口へ運んでゆく。
「成程、そうだったんですね………」
本当に感心しているロイド。戦士としての叔父さんは、心から尊敬し勝手に師と慕っているのだ。
「しかしこの間の女戦士といい、今日の剣士といい、本当に奴らは強過ぎる。困ったものだ」
ジェリドがこれまでの戦いを回想しつつ思わず溜息をついたので、皆の団欒が止まってしまった。
「す、スマン……暗い空気にしてしまった。許してくれ」
最年長者が2で割っても足りない少年少女に軽く頭を下げる羽目になる。
「で、でも、あの、確かマーダって言ったかしら? あの一番強いって言われてる人が、この間、負けたんでしょ?」
「えっ……そうなの?」
作り笑いをしながらその場の雰囲気を戻そうとするリイナだが話題が戦いであることに変わりがない。
しかも内容がロイドにとって初耳であり、喰いつかずにいられないものだった。
ジェリドが少し温くなったジョッキのエールを一気に飲み干す。ロイドに言わなければならない事実を語るにはいい機会と感じた。
「嗚呼、あの全く負け知らずだった敵の親玉が脇腹を刺されて敗走したらしい。しかもやったのは、大陸から来た剣士だというのだ。エドナ村での出来事らしい」
此処まで告げるとジェリドは、改まってロイドの方に顔を向ける。
「ロイドよ、私とリイナはその剣士に会うべく明日旅立つ事を決めているんだ。この辺りには、もう仲間も残っていない。それに我々は集結する必要がある。君にはその事を伝えねばならんと思い、今夜この場を設けたのだ」
「ええっ!?」
とても真剣な面持ちのジェリドから語られた内容は、ロイドにとって受け入れ難いものである。
思わず驚いて立ち上がり、リイナの方を見ると彼女は黙ったまま、コクッと静かに頷いた。
「叔父さんだけじゃなくて、リイナも一緒に……」
リイナとロイド、二人は今までずっとこの町で苦楽を共にした親友なのだ。さらに近頃、互いに男女を意識し始めていた。
「明日、急にお別れだなんて、そんな…」
ロイドの顔が暗く淀む、力なく椅子に腰を落とす。少しの間、沈黙が支配した。
「……ごめん、言い出せなくて」
重苦しい口調でリイナが沈黙を破り、ロイドに詫びを入れるが、その焦点は定まらない。
「父さんには残ることを勧められた、でも私もまだこれからもっと戦わなければならないの。それには修練を積んで、他の民衆軍と力を合わせられる様に………。だから……ゴメンッ」
ロイドへの申し訳なさの表れか、リイナの声は少し小さかった。
けれどもその目には覚悟が宿っていることをロイドは理解した。
「そうか……判った……」
ロイドはそう呟くとそのまま黙ってしまった。これで夕食の団欒は終わった。
食事が終わるとロイドはそのまま、リイナの部屋に引っ込んでしまった。
今は亡きホーリィーンのベッドでうつ伏せになる。枕に顔を埋めて動かなくなった。
好意を寄せる女子の部屋で一緒に寝る。そんな期待と不安はもうどこにもない。
それから数刻が過ぎた。目を覚ましたロイド、いつの間にか寝ていた事を理解する。
すると階段を登ってくる足音、夕食の片付けや旅の準備を終わらせたリイナであろう。
慌てて壁側を向いて横になりロイドは、寝たフリをする。
リイナはそんな幼馴染を見つけ毛布をかけると、暫く彼の様子を伺ってからランプの灯りを消した。
彼女も自分のベッドで眠るのであろうと思っていた少年は、まさかの不意を突かれた。
なんとリイナは、自分の毛布に潜り込みロイドと同じ向きで横になると、腹の辺りから腕を通して、抱きしめてきたのである。
「お、お、おぃ、何してんだよっ!?」
「やっぱり、起きてたっ」
仰天して身をよじるロイド。
構わずリイナは抱き締める手にさらに力を込める。加えて脇に手を伸ばすと、これでもかって位にくすぐりを入れる。
「ちょ、ちょっとっ、バカ、やめろ、やめてくれっ」
ロイドは陸に上がった魚の様にのたうった。吹き出さないよう下唇をギュッと噛む。自然、引き笑いになり腹筋が辛くて顔に出る。
「うわぁ、なんか気持ち悪いぞ」
「だって、お、お前が…」
悪いんだろと言いかけたが、再び抱きしめられてしまう。ロイドはもう完全に言葉を失った。
「………馬鹿」
「え?」
リイナの声が小さ過ぎてロイドの耳は、これを聞き取れなかった。
「こんのバッカ野郎っ!」
今度は構う事なく耳元で怒鳴り散らす。その突然の変調に心臓が飛び出るのでないかと自分の身を案じるロイド。
「私が、私が寂しくないとでも思ってるのっ! 怖くないとでも思っているのっ!」
容赦なくリイナは、さらに畳みかける。喧嘩だって幾度となくしてきたが、ロイドはこの幼馴染みの声量について、認識を改めざるを得ない。
さらにハッとさせられるロイド。自分の背中が濡れているのを感じたからだ。
背中の幼馴染は強かに泣いているのだ。
「全く、自分だけやられたみたいにガッカリして、男なら……」
「リイナ……」
抱き締めるその手を決して緩めないリイナ。
ロイドは自分の愚かさを理解した。彼の顔もこみ上げるもので歪む。
「男なら、気の利いた事の一つや二つ、やってみなさいよ」
そこまで言うと彼女は嗚咽して、もう言葉にならなくなった。
ロイドは自分は泣くまいと、暫く黙って心と言葉の整理に全力を尽くす。
「ごめんっ」
「……」
「ごめんよ。俺…リイナの強い所に頼ってばかりでさ、だってお前って、強いし、優しいし! だから俺……ずっと甘えてた、本当にゴメンッ!」
これが自分には何もないと感じる少年の本心なのだ。相手は司祭で街で天使と呼ばれている強い人。
比べて自分には何も誇れるものがない、自分が彼女の力になれる方法? 誰か教えて欲しいものだ。
「……」
「リイナ!?」
ロイドの背中から寝息が聞こえてきた。天使は全てを言い尽くすと、すっかり寝てしまったのである。
「何なんだよ…」
ロイドはリイナを起こさない様に、そおっと身体を向きを変えると、彼女の頭を優しく撫でた。
暫くの間、愛しい天使の寝顔を見つめてから、自分も目をつぶった。
下の階のソファの上で横になっていたジェリド叔父さん。上の二人のやり取りは、殆ど筒抜けだった。
「全く…リィン、本当に君とそっくりだよ。リイナは」
そしてロイドの朴念仁ぶりは、自分にそっくりだと少し彼の事を気の毒に思い苦笑する。
「大事な我が子を戦いに巻き込んで、本当に私は酷い父親だ。だが、あの子の事は私自身が守ってやりたいのだ。どうか許して欲しい」
そして次に帰ってきた時には、三人で暮らすのも悪くないなと思うのであった。