第16話 人をまるで信号みたいに
「な、何と? お前さんの言いたいことは判ったが、おいそれと賛成出来る話ではないぞ。自分の娘の命を賭けるようなものだ」
「俺だって断腸の思いなのだ。だがこのまま静かに待っていても勝ちは巡ってこない。だからせめてほんの僅かでも勝率があるのか調べて欲しいのだ」
戦斧の騎士ジェリドがドゥーウェンとサイガンという二人に願った演算の帰結は、やはり娘リイナを救う手立てに繋がる内容であった。
やり方については、リイナと同じ司祭の力を内に秘めた妻ホーリィーンからの提案があり、既に算段がついている。
ただ余りにも危険が過ぎる方法であり、夫ジェリドも躊躇う内容であったため、正確な情報に基づく裏付けが欲しく、二人へ頭を下げにきた。
「わ、判った、やってみようではないか」
「せ、先生!? 幾ら何でも無茶が過ぎます。私は承服出来ません」
「亮一よ、お前の言うことも尤もだ。だがこのままにしてもリイナは助からん。それにあのセインというフェネクス使いを倒す術すら思いつかん」
頭を下げたままテコでも動きそうにないジェリド夫妻の姿、それに孫という命を迎えるサイガンにとって、これはやってみる意外の選択肢はないと感じた。
成功率は1%を切り、0,00000…………%といったものであるかも知れない。
けれど最早嘘でも良いからこの悩める親に希望の数値を見せてやりたいと思ってしまった。
命のないところからマーダやルシアを造ってみせた昔のサイガンであれば、リイナの魂の情報を他の人形に載せ替える。
そんな血の通っていないやり方を、平気な顔で代替案として提示したかも知れない。「此方の方がより確実だ」などと言いそうである。
「わ、判りました。だけど私は嘘の結果など絶対に出しませんよ、覚悟して下さい」
「うむっ、それでは自由の爪に回しているVer2.1の力さえ此方《処理》に回すのだ。ベランドナよ、守備《代わり》は任せた」
「了解です、マスター・サイガン」
半ばやけくそ気味にドゥーウェンが自分のノートパソコンを開く。加えて自分の脳とリイナの脳、さらにサイガンの脳にすら直結する。
消えてしまった自由の爪の代わりに、防御を任されたベランドナであるが、良い返事をした割に動こうとしない。
これは勿論言うことを聞いていないのではなく、無駄な動きを自分からしなければ周囲の目を惹きつけすらしないという彼女らしい周到なやり方なのだ。
◇
「さて……この争いに手を出したいと言ったものの、どうすれば適うものやら………」
此処はヴァイロの仮想空間となった場所。銀髪で端正な顔だちのヴァイロが、なかった筈の椅子に腰かけ、頬杖をつき、物思いに耽っている。
先程自分本来の姿を取り戻したと思いきや、次は自分の住居にあったテーブルと椅子すら創造したのだ。
―随分と久しいじゃないか、我が従僕の暗黒神よ。
「そ、その声もしやっ!」
「い、一体誰でございますのっ!」
「………って言うかどこの女だぁ!」
「んっ? ど、どっかで聞いたよう、しないような………」
不意に湧いた艶めかしい大人の女性を模した声。人の意識空間に立ち入る不法侵入に驚くヴァイロとその弟子達。
それはヴァイロに取って決して抗えない、いや抗う気すら起きない声《調べ》だ。
ガタッ、と音を立てながら驚き立ち上がりオレンジの大きな瞳で瞬きをするミリア。
椅子の上に登って大きな声でリンネが文句を言って怒り出す。夫ヴァイロの様子が明らかにおかしい。
独りアズールだけが首を捻る、こんな如何にも色気の漂う口調は知らぬが、声のトーンだけは身近に聞き覚えがある位だと感じた。
―おやおや、今日は可愛い女子に可愛い男の子すらいる………。何て選り取り見取りなのかしら。
「ムキーッ! 先ずは名を名乗れぇぇっ! この無礼者っ!」
―あっ、確かに可愛い奥様の言う通りだねぇ………。我が名はファウナ、森の女神と言えば通じるかしら?
目にこそ映らぬが、だからこそ余計に人の家で自由気ままに振舞うこの奇妙な存在に、リンネが拳を握った右手を挙げて猛抗議する。
心の声の主が「ファウナ………」と名乗り始めた辺りから、それまでのおふざけが形を潜め、有無を言わせぬ威厳に溢れた力を帯びる。
それを聞いた途端、ミリアの目が驚きで大きく見開かれた。
「ふぁ、ファウナ様ですってぇぇ!?」
「「…………えっ、誰?」」
森の女神と言えば、森の精霊達や、高尚なるエルフ族すら束ねる正真正銘の神である。
ミリアの驚きは尋常でなく、その場で平伏したい位なのだが、震えて身体がいうことを利かない。
ミリアとは対照的にリンネとアズールは顔を突き合わせて「ハァ?」と言わんばかりだ。
この騒ぎに寝ることを諦めたアギドが起き上がり、二人の無知ぶりに頭を抱えて首を振らずにいられない。
「おぃ……アズの馬鹿はともかく、ヴァイロと一緒に住んでいたお前まで知らんとは言わないぞ」
「え…………」
「森の女神は、魔導を授けた代わりにヴァイを従属にした本物の神だ。家に山程の文献があっただろう」
眠気と溜息が混ざり合った声でアギドがリンネに説明すると、彼女も昔の記憶を引っ張り出した。確かにそんな本を散々書棚に片付けたことを思い出す。
まるで一般男性が女性の裸体写真雑誌を見て喜んでいるかのように夢中になっているのを、やらしいと軽蔑したものだ。
「ふぁ、ファウナ、一体どうやって此処へ………」
―それはそれはまた異なこという坊やだ。第一君が私を呼びつけたんじゃないか。"暗黒神の力に暇が欲しい"ってね。
再び気軽な声に戻して回答するファウナである。成程とヴァイロも腑に落ちる。
別にファウナのことを呼びつけた覚えはない、ただ声掛けというか、お願いなら確かにした。
恐らくそれを呼び水に、加えてローダが言っていた「例え現世にいない相手であろうとも、強い想いを秘めた相手であれば具現化出来る」という話が、神にすら当てはまったのであろう。
「成程な……ただその割に立ち姿は、見せてくれないじゃないか」
―冗談じゃない、こっちは一応神様なんだ。姿まで見せたらいよいよ大安売りが過ぎるじゃない? そもそも私のことはどうでも良いのよ。
神が気軽さで押してくるのであるのなら、ヴァイロもニヤつきながら、からかってみる。
森の女神にしてみれば、自身の従属神とその子供達にすらお気楽に話をしたいのだが、自分を晒すというのは逸脱しているらしい。
まるで親戚の叔母さんの如く、自分等の暗黒神とやり取りをしているファウナの口調に、畏まっていたミリアが「え……良いの?」って戸惑いながら席に戻る。
「……では何用で参られた? 俺達と茶会したいという訳ではあるまい」
―それも良いなあ、特にそこの竜の娘がハーブティー。いずれ是非馳走になりたいものだ。それはさておきヴァイロ君、君の後継者のあの二人………ええとルイス、フォウって言ったかな?
ファウナは自分のことをいつも丁寧に扱ってくれた、そこの緑髪の少女を気に入ってらしい。
リンネが夫に淹れていたお茶の品の良い香りを思い出す。流石にそれが目的という訳ではないようだ。
「ええ、まあ後継者っていうか勝手に俺の魔法を使っているだけですがね」
自分もつい先程「後継者……」と認める発言をしたばかりだが、別に手解きをしたつもりはない。暗黒神と呼称されるのはおろか、師匠と偉ぶるつもりすらない。
―真の扉使いとその連れの強さは桁外れだが、その割には随分頑張っているじゃないか。
「……まあ、そうですね」
ファウナにみれば自分の従属神の力を大いに奮い、善戦しているルイスとフォウを称えたいとすら感じている。
それについてのヴァイロの見解は実に冷ややかで、興味がないといった顔をしている。
―ただあの二人が降らせている赤い輝きは何れ止まってしまう力だ。対する相手が使っている緑の方は、際限なく走り続けられる。どちらが勝つか、見るまでもない。
「フフッ、そんな赤は止まれ、緑は走れって人をまるで信号みたいに………」
ファウナの言葉に苦笑するヴァイロなのだが、赤い輝きの力と、誰にも止められない緑色の輝きの表現は、実に言い当て妙だと思った。
因みにその赤い輝きは、日本刀の剣士と鬼女を逸脱したセインも散らしているだが、そちらに興味はないようだ。