第15話 危険過ぎる演算
ルイスがマーダに囚われた経緯を理解した思念体のローダとルシアが、ルイスの意識の中で再び語り合う。
―エルレアさんなら俺も少しは知っている。取り合えず彼女を自分のものにしたマーダが、それを餌に次は兄さんを捉えた。そして近衛騎士9人を惨殺し行方をくらました……という訳か。
ローダが16歳当時の事を思い出す。実に惨たらしい事件であったが、あの時既に優しき兄は失われていたと知り、溜飲が下がってゆくのを感じた。
―やっぱりそのファルムーン家の始祖って、かつてのマーダだったのよ。
―あっ………。
―しかもファルムーン家に限らず目ぼしい家には、300年前に大体声を掛けていたんだわ。だって扉のマスターが現れる時期を既に知っていたんだから、当然手広く狙うよね。
ルシアの憶測を知りハッとするローダである。ルシア自身これで一つの辻褄があったと判断するが、もっと重要な疑問を解く鍵をさらに告げるのだ。
―だけどマーダは大きなミスを犯した。真のマスターを取り違えた。増してや自ら弟の方が神童と予言めいた事すら言っておきながらね。
―そこが……全く理解に苦しむのだが……。
―それ何だけど、ちょっと頭を冷やせば貴方にだって想像位出来る筈よ。
まるで熱を測ってやる母親のようにルシアは、ローダの額に自分の額を不意にあてる。その行動と言動にローダが思わず息を飲む。
―な、何だって? ルシア、お前それすら判ったって言うのか?
―……考察だけどね、先ず第一にマーダは、誰が本命か迷っていた……これは当然よね。
これはシレッと流すようにルシアは言ってのける。流石に同意出来るので、ローダもウンウンッと頷きを返す。
―それに養子として確かにファルムーン家の次男になった訳だけだけれど……そんなの戸籍上、言わばう・わ・べ。
―……むむっ?
此処で「そんな戸籍……」の件でルシアの口調がゆっくりと、そして低さを帯びる。
けれどローダの方は、良く判らないようで腕組みしながら首を捻ってしまう。
―え、まだ判んない? 300年後に約束された本物の弟なんて、実は存在しなかったってことよ。
悩んでいるローダの思念体の後ろに回り、天使の翼で包み込む悪戯を仕掛けるルシア。ローダは完全に声を失った。
ルシアにしてみれば割と当たり前に浮かんだことなのだ。家でなく血の繋がりで考えただけだ。
言い方を変えるとヒビキをお腹に抱えたルシアと、既にやり終えたローダとでは思考する場所が違うのかも知れない。
―……こうなっちゃうと、もし私がマーダの立場だったら、もう頼れるものは一つだけ。言ってしまえば実力重視。
―………な、成程……。
―ファルムーン家のみならず、向かうところ敵なしの存在であるルイス・ファルムーン。この逸材こそ求めていた神童って判断を下すでしょうね。あくまで考察よ。
ルシアが「考察」と言い続ける内容こそ、ローダにしてみれば真実にしか思えなくなった。
さらにこれを聞いていたこの空間の主もこの女戦士の聡明さに驚き、そして痛く感動したようだ。
―フフッ、凄いじゃないかルシア。僕には君こそが真の扉の守護者に思えてきたよ。
―ルイス義兄さま、お褒めに預かり大変嬉しいわ………それでお義兄さまだって当然その資格があると主張して今に至った訳ですね。
実にあざとく、そしてワザとらしく色目と敬いの言葉でルシアは、その義兄さまとやらの真意に迫る。
まるで何処ぞの女官のような、理智に満ちたルシアの態度。ローダの見知らぬ存在にすら思え、化ける女の怖さを垣間見た。
―し、資格? つ、つまり自分にも未だ真の扉使いの可能性がある! そ、そういうことなのか?
加えてルシアの追及の標的ではない自分が驚きを隠せない。つい先程、自分は暗黒神を説得し半ば成功しつつも少しだけ裏切られた。
どれだけ情報を得られても、そこから本当に欲しいものを引き出せる能力が圧倒的に足りてないと思い知る。
―おおっ……素晴らしい、いや実に惜しい。今からでも僕の側室に欲しい位だよ。
―そ、そくしつぅぅ!?
一方、兄ルイスの方は全くブレないどころか笑顔で軽口を叩く余裕すら見せる。「側室」という妖しい響きにローダが思わず変な声を上げてしまう。
―ルイス義兄さま……それは幾ら何でも御冗談が過ぎましてよ……。
途端にルシアの顔色と声が入れ替わり、天使のそれではなく本当に堕天使になったのではないかと思えるほどの憎悪が混じる。
少しの沈黙がその場を支配する。
―勿論冗談だよ。ただマーダの力を継いで、やはりこの僕こそが神童に相応しいことを証明する。………そして父ラムダと愚弟の母を地獄に送って後悔させてやる。
ギラついた目でルイスは宣言と同時に精神世界にいる自分の姿を燃やして消えた。
◇
「ハッ!?」
とてもとても長い時間眠って夢でも見ていたかと錯覚しそうになるローダである。いや実際に秒単位にすら届かない気絶をしていたのだ。
然もルイスの紅色の蜃気楼と自身の竜之牙で剣を交えていた最中にである。
人はほんの少し眠りについただけで長時間寝ていたような錯覚を感じることがある。ローダはこれを応用し操ることを可能とした。
これがルイスとの対話に使った仮想空間発現の仕組みなのだ。
「さあ僕の真意を知って何か光は見えたのかい?」
「クッ!」
現実世界のルイスも余裕の笑みで弟を迎える、その弟は兄の目をどうやって覚ませば良いのか未だ見当がつかない。
一旦距離を取ろうと後方に飛ぶのだが、ルイスの振り下ろした赤い刃がまるで鞭のように伸びてきて左腕に巻き付いた。
「これは手加減だよ、拘束じゃなくてそのまま腕を斬り落とすことだって出来たんだ」
(考えろ………考えるんだ。俺は兄さんを殺しに来た訳じゃないっ!)
取り合えずローダは左腕を黒き竜の力を借りて完全燃焼の青い炎で燃やす。伸びて巻き付いていた分の紅色の蜃気楼が蒸発したように消えて難を逃れた。
堕天使ルシアとフェネクス化したセインの一進一退の攻防も続いたままだ。意を決したルシアが燃える拳でセインの頭をただの一撃で吹き飛ばしてみたところで、即時に元に戻ってしまう。
その再生速度たるや、あの屍術師すら優に上回る。これは不死鳥と対を成しながら、能力自体は酷似しているフェネクスによるところが大きいであろう。
「せ、せっかく苦労してNo1を倒したというのにこれでは………」
「…………」
地上からその様子を伺っていたドゥーウェンとサイガンの二人。ドゥーウェンが実に口惜しやといった態度を顕わにする隣で、サイガンは黙って観ている。
「ドゥーウェン、サイガン殿………」
「ジェリドさん!」
「リイナの容態は、どうなのだ?」
そんな悔しさに溢れた二人の元へアルベェラータ家族が揃ってやって来た。ジェリドに抱えられたリイナの様子は、聞くまでもなく深刻そうであり両親の顔にも黒い雲が立ち込めている。
セインに殴られた腹、そこに植え付けられた黒ずみが確実に大きく育ってしまっているのが判る。
「ドゥーウェン、サイガン殿……二人に頼みたい演算があるのだ」
「ジェリドさん? ……わ、私達の力でこれは………」
「いや、是非とも聞かせて貰おう」
専門外だと首を振ろうとしたドゥーウェンを制してサイガンが身を乗り出す。この偉丈夫があろうことか「演算」と口走ったのだから、聞かぬ訳にはいかないと感じたようだ。
「先ず、あのルシアに殴られた後、直ぐに再生した様子を加味して、その速度を数値化して欲しい。理論値さえ判ればそれを超える攻撃さえ用意出来れば倒せるのが道理」
「な、なんじゃと?」
この依頼内容はサイガンにすらも予想だにしていなかった。この現状で頼んでくることは間違いなくリイナの回復に関わる布石だとばかり思い込んでいたからだ。
戦斧の騎士は、その後も二人に演算して欲しいことを続けた。それは頭脳に頼る二人の斜め上をゆく内容であり、余りにも危険過ぎる賭けごとの成功率を導き出す内容だと思えた。