第13話 神童は悩める兄、平凡な弟は何も知らない
ローダが潜入したルイスの精神世界の話が続く。ルイスはローダという義理の弟を迎え、幸せな兄弟の時間を謳歌していた。
けれども家族全体という意味では残念ながら違っていた。母テローシャが多忙を口実に父から蔑ろにしされていたということを10歳のルイスは理解し始めていた。
テローシャは食も細くなり、体調を崩してベッドの上にいる事が増えていった。
子供達が見舞いに来ると、流石に明るい笑顔で迎えて、一緒に寝たり、本を読んでやったりした。
しかし家を空けている父の事を聞くと、途端に表情を強張らせるのだ。
その話題に触れるのはタブーであるという事を、子供達へあからさまに強要するのであった。
医者が来ても、特に病気という診断はなく、ただの過労と運動不足として扱われた。遂に自らの脚で歩く事すら不自由になり、まだ30前半というのに、杖を使うか、車椅子で移動する様になってしまった。
流石に気になったルイスは、たまに帰宅するラムダに詰め寄る様になってゆく。
だが父は、王宮の勤めが何を差し置いても最優先と言うだけで、テローシャと言葉すら交わさずに、また家を空け続けるである。
ルイス少年は、この状況の変化の起源に気がついた。それは確実にローダが家にやって来てからだ。父は母に愛を語らず、母も父の追及をまるでしない。
最も弟自身は、ただの養子だという意識しかない。この家庭の昔の状況を知らない新参者で、しかも幼い子供だからそんなものかも知れない。
そしてファルムーン家に決定的な出来事が訪れる。
母テローシャが短剣で胸を刺し、自害したのだ。
葬式でルイスは泣きじゃくり、決して母の亡骸から離れようとせず、家中の者達を大いに困らせた。
ラムダは何故か涙一つ見せる事なく、ただ俯いているだけであった。
さらに参列者の最後尾に、子供達が知らない女性がいた。黒い日傘で顔を覆っていたが、母より若く美しき人である事は、誰の目にも明らかであった。
数ヶ月後、その女性は喪服からドレスに変わり、見知らぬ美女からファルムーン家の正式な奥方に差し変わる。父ラムダは早速再婚したのだ。
王より妻がいなくては何かと不自由であろうと、再婚を勧められた。父は家族と使用人にその様に語り、誰も反論はしなかった。
けれどテローシャが死去する前から既に交際があった事。そもそも父が大事なお勤めと言い、家を空け続けた真実。
再婚相手の彼女の元に通っていたのだと、使用人や客人の間で、まことしやかに囁かれた。
加えて嫌でもルイスは理解を強いられる。二人の養母である筈の、この新しい母が特に弟に優しく接する様を。
弟を見る新しい母の目が、優しさが、自分を見る時と絶対的に異なるのだ。
これまで実母テローシャが自分に向けてきた態度、そのものに感じてならないのだ。
もっと気に入らない事は、あれだけ王宮での勤めが忙しいと言っていたラムダの居住時間が長くなった。
夕食時等も雄弁になり、夫婦で仲睦まじくしている機会が増えた。そして父がローダに語りかける時間も増えた。
未だ11歳に満たない少年でも、この女性こそがローダの実母なのではないのか。そんな疑念を抱くには充分過ぎる程の部品が揃っていた。
つまりローダは腹違いだが、実は血縁の弟であった。母が自ら命を絶った要因こそ、この弟の存在なのだ。
夫ラムダが正妻である自分よりも、この女性を愛し新しい子すら育んだ事実を知ってしまった。
しかもテローシャには、その事実を知った上でローダを養子に向かえなければならない理由があった。
第一子であるルイスを生んで以来、子供を授かれる機能を失ったことが判明した。ファルムーン家初代から伝承された神童を孕めない………。
だから夫ラムダが蚊帳の外から連れてきた子供、ローダを受け入れる以外に道は残されていなかったのだ。
例えそれが他の女性を愛し、産ませた子であったとしても、神童の価値があると押されてはどうにもならない。
そんな実母が生前抱いた黒い影を、ルイス少年が受け継いでしまうのは寧ろ必然だと言えた。
ローダの実母である女性、リィーダはラムダと知り合った当時、大変貧しい家庭にあって、生きるため稼ぐためには何でもやった。
ラムダとリィーダの最初の出会い、もう語るまでないがラムダが女欲しさに金で買ったのが初見という訳だ。
だから妊娠が発覚した当初、リィーダは大変なショックを受けたのだが、ラムダの方は、これ幸いと言うか、最早導きとばかりに狂喜した。
その子は責任を持って、我が家で面倒を見ると約束したばかりか、リィーダの血縁者に至るまで、充分に潤う程の援助を惜しまず与える事を約束した。
大変美しく妻よりも若かったリィーダが、ただの売女から、愛人に《《昇格》》するのは、ラムダにとって、何と思われようとも自然の流れだと感じた。
そして正妻が亡くなった途端に、正式にファルムーン家へ迎えるという実に最低な台本を極々当たり前とし、これをルイスに強要したのだ。
◇
―俺が腹違いの本当の弟……そうか、そういう事だったのか。
ようやく知り得たルイスの心の闇、自分は養子だと言われ続けていた割に、リィーダが自分に対しての愛情が深いと感じたのも、これで辻褄が合う。
―で、でもよ? それで憎まれるのは、お父さんか、或いは貴方のお母さんじゃないの? 弟を憎むのは筋違いじゃなくて?
実のところルシアも、不死化したセインと睨み合うだけで大した戦いが出来なかったことが幸いして、ローダと意識を共有出来ている。
愛する夫のことが心配になり思わず横から口を挟む。兄弟の間にしゃしゃり出る気は全くなかった。
だけどこういう所で卑屈になりやすい弱さを持っていることを妻である彼女は知っていた。
最もルシアのこの意見、此方の理屈だけで言っている。人間とは中に黒い生き物を飼っている事をまだ知らないのか。
或いは愛する夫に気は回せても、所詮は他人である親戚の兄に同情を寄せるつもりは、ないのかも知れない。
また同時に彼女は、まだ言い足りない事があったのだが、これは取り合えず心の奥底に寝かせておく事にした。
"その初代ってひょっとして……"と、思うところがあったらしい。
なかなかの感の鋭さとだけ言っておこう。
―嗚呼っ、判っているさっ! だからこそ僕は、それからも弟を愛し続けたっ!
意識のルイスが突然、余裕のない声を上げる。まるでルシアの指摘を打ち消すかの様に。精一杯やったんだと、言葉はなくても心がそう告げていた。
けれど怒りを帯びたその声、やはり過程はどうあれ、ルイスはローダの存在を本当は、許せなかったのであろう。
『絶望之淵』を受けるまでもなく、彼は既に暗く深い谷底に堕ちて、尚も地獄の罪人の如く抗っていたのだ。
さらに過去のファルムーン家における二人の話は続く。
ルイスは12歳になり、国立の騎士学校に入学した。この国はファルムーン家に限らず、騎士になることを重んじる風潮があった。
これはただの憶測だが、他の家にも同家の様な伝承があったのかも知れない。
ルイスは学校で数多くのライバル達と争うかと思いきや、本来4年かかる課程を2年の飛び級で卒業。
当然の様にその成績はダントツ過ぎて、寧ろライバルに恵まれることがないままに卒業した。
通常この学校を卒業しても、騎士見習いの資格が得られるだけだ。だけど彼は正式な騎士の資格まで勝ち取ってしまった。異例中の異例である。
ルイスは齢僅か14にして聖騎士として王に仕える身分となったのだ。
一方、弟ローダは同じく12歳で入学したが、平凡を絵に描いた様な成績で、4年かかって16歳で卒業するも、通常資格の騎士見習いだけで終わった。
これでもう生まれの順でなく神童は兄ルイスだという結論が出た。ファルムーン家、家中の殆どがこの事実を受け入れたのだ。