第3話 真の導き手が引っ張り上げた母の胸
遂にフォルデノ城下町での争いが幕を開けた。先ずアイリスを発動させた、レイ、ガロウ、ランチア、プリドールの4名が突出してどんな相手が来ようともバッタバッタと薙ぎ払う。
それに隠していた自由の爪を6つフル稼働させて光線で焼き尽くしながらドゥーウェンが続く。
面白いのはサイガンの四輪駆動車だ、車の前に何やら矢尻のような光の幕が出来ており、それに轢かれた敵兵が続々と悲鳴を挙げ、液体となって弾け飛ぶ。
『心の壁』というサイガンの術式らしい、この壁、何人も通ること罷りならぬ………そういったものらしい。
「……全く、これじゃまるで私達が悪者みたいじゃない。ねえローダ」
「フフッ…違いない。戦争が終結したら復興を手伝わないと戦犯だな」
ルシアが半ば呆れた顔で、仲間達の進軍の痕跡を眺めている。敵兵だけでなく街の景色すら道連れにしているのだ。
隣を舞っているローダもこれには苦笑を禁じ得ない、しかもけし掛けたのは他でもない自分なのだ。
次に全く話題に関連のない東の空に浮かぶ明けの明星を見つめて穏やかに微笑んだ。間もなく午前4時、夜明けが近い。
「ルシア……さあ俺達も始めようか」
「え、あっと……は、はいっ………」
不意にローダの方から結婚指輪が輝く左手を、同じルシアの左手に絡ませてきた。その軽い不意撃ちにルシアが少々戸惑うのだが、やるべきことを思い出して握り返した。
「少し長い詠唱………と言うかまじないが必要なんだ。面倒だが付き合ってくれ」
「う、うんっ」
ネロ・カルビノンで既にローダからの説明を聞いているルシアなのだが、正直余り意味が解せなかった。………自分をローダの中継点にするとかどうとか、とにかく信用する以外に選択肢がない。
「最古の月の女神よ、そして反逆の象徴、明けの明星よ………」
(あ、明けの明星………)
いつになくローダが集中していることを感じたルシアは、その大きな緑色の瞳を閉じることにした。此方が見ていては集中力を乱すのではないかと感じたからだ。
確かにローダの口から紡ぎ出されるそれは、呪文というより、聖典を音読しているような独特の雰囲気を醸し出している。
ルシアはローダと共に東の空に輝く金星を見つめながら「俺に取ってのお前はあの道標そのもの………」言って貰えた夢のようなひと時を思い出す。
「我、これより月の始まりと成りて、そしてこれなる者は金星である………」
「…………っ?」
淡々とローダの捧げが続く中、ルシアが目を開きたい衝動に駆られるのを何とか我慢している。ローダが月で私が金星………やっぱり聴いていても要領を得ない。
「我、これより三日月を経て、やがて月を成就させる」
(な、何か眩しくなってきた………?)
夜明けが近いとはいえど、まだまだ日の出の恩恵を得るには程遠い筈だ。けれど閉じた瞼の向こう側にある輝きが徐々に強くなってゆくの感じ取れる。
「満ちた我の真円なる月よ。今こそ反逆の象徴……真の導き手にこの輝きの全てを注がんっ!」
「ちょ、ちょっとこれは一体!?」
もう余りに眩し過ぎて、そしてとにかく気になり過ぎて、とうとうルシアはその瞳を開いてしまう。だがせっかく開いたというのに、目の前のローダが放つ輝きが強過ぎて、直視が出来ない。
どうやらローダの言葉通り、彼は真円の月………即ち満月を背負っている。その白き輝きと金星の輝きが同時にルシアを照らし出し、その場の光量だけが昼間に太陽を直視したかのように明るい。
最早ローダを直視は出来ないので、自分のことを見つめ始めるルシアである。自身も神々《こうごう》しい輝きを帯びている。
やがてローダの背後にあった月は、満月の月齢を通り過ぎ、今度は新月に向かって萎んでゆく。代わりにルシア自身の輝きが続々と増してゆく。
「み、見てお父さん………る、ルシア姉さまが……」
「嗚呼……何と美しく比類のない輝きか、これがローダ、お前の見つけた導きの星………」
余りにも信じ難い、到底人が起こしたとは思えぬ光景にアルベェラータ親娘が見惚れて涙すら浮かべている。
それも仕方のないことだ、神が虚ろな人間を創造した際、背中に残した翼の成れの果て。
そこから金色の翼が生えてきているのだ、天空に浮かぶルシアは造られた人を超え、神の御心を言い渡す天使そのものに見えたからだ。
「そうかローダ………我が息子よ。お前さんは自らの傲慢な力で輝く恒星ではなく、他の輝きを伝える月を選んだか………実にらしいわい」
相変わらず目指すフォルデノ城だけを見て、愛車を直向きに走らせるサイガンであるが、ルームミラー、ドアミラーに輝く二人の様子が映り込んでいた。
………やはりローダが最初の扉を開く青年で良かった。自分の生きた59年間……それに加えた約350年の眠りの期間。
およそ400年を超えた行いの愚かしいさ、それを全て洗い流して貰った。実に清々《すがすが》しい気分であった。
「あ、貴方……わ、私は一体どうなってしまったの!?」
金色に輝く天使の翼、他にも肩当てや手首の辺りに金をあしらった装飾品があるのだが、それが決して主張し過ぎてはいない。
あと緑の髪飾りや帯があるのだがこれはローダの趣味か、はたまたロットレン家族の絆を示す緑色の輝きを模したものか。
………とにかくルシア・ロットレンが、神の導き手である天使と酷似した姿で降臨したのだ。
「こ、これが私!? 私が天使!?」
「俺の堕天使の爆誕だ、かなり趣味の世界に走ってしまったけどな………」
「わ、私に導きなんか求められても………こ、困るよ」
顔を赤らめてモジモジする天使が実に愛らしい、確かに「今からお前は天使だ」と言われて困惑しない人間はそうそういやしない。
「大丈夫だ、その姿でいつもの自分を大いに奮え。お前を中継点にするという話は此方で勝手にやらせて貰う」
「そ、そうなんだ………うわあぁぁ!」
そんなことを言ってる傍からルシアを通して、例の緑色の輝きがこれまでと比較にならない速さと濃さを以って拡がりを見せ、あっという間に仲間達に降り注いでゆく。
「おおっ! 成程……これが我等の未熟な赤を緑に染め抜いてくれる力か」
ジェリドがまるで降り積もる雪を喜ぶ少年のように見上げてしまう、それ程までに綺麗であり興奮する想いを抑えきれない。
「そろそろ私達もやるよっ、お父さんっ!」
「うむっ、リィンよ……この力無き我に再びどうか力を貸してくれ。アイリスっ!」
ジェリドが祈る想いでVer2.0と共に戦斧を真横に振るう。赤ではない緑の光の粒が集合して、見知った女性の姿を成す。
「リィンっ!」
「ま、ママっ! お母さんっ!」
再び愛する妻であり、甘えたい母の幻影が形を成したことに感激し、声を掛けずにはいられなかったジェリドとリイナ。
………ただネロ・カルビノンの上で呼んだ時と明らかに違う温かみが返ってくるのだ。
「り、リイナ? あ、貴方なのジェリド?」
「え…………う、嘘。ま、ママ?」
「り………リィン?」
まさかの声が聴こえてくる、相変わらず見た目はホーリィーンそのものなので、幻聴なのかと初めは思った。
ところがこのホーリィーンは、温かな白い手で以って、二人の家族の手を握ってきたのだ。
「え……待って………ママ? ママァァァッ!」
もうリイナは遠慮する気を全く失い、その膨よかな胸に涙雨を降らせながら飛び込んだ。このホーリィーン、向こう側が透けて見える存在ではない。
甘ったれた娘を大いに受け止められる身体を持っていたのだ。リイナが驚く母を他所にその手を、胸を、頬を、腕を………全身を辿ってから母の胸の内を容赦なく濡らしつつ自分の頬を擦り付ける。
「ママッ、ママッ! わ、私、気がついた時にはもう冷たくなっててッ! せめて最期に声を交わしたかったよぉぉ!!」
「ごめんね、ごめんねリイナッ!」
「………り、リィン、良かった………ほ、本当にッ!」
ホーリィーンは色々な意味で驚いたのだが、何よりも一番なのは10歳で家を飛び出した娘がこんなにも甘えてきたことである。
当に独り立ちしたものとばかり勝手に思っていた、例え自分が亡くなろうとも夫のことをしっかりと支えてくれるとものと………。
そんな妻と娘を後ろから震える両腕優しく添えるジェリドである。此方が涙脆いのは、ホーリィーンの思った通りで思わず泣き笑いするのであった。