第13話 奪われた麗しの唇
ローダが何やら希望へのきっかけを見つけたらしくたった一人で、はしゃいでいる。
妻のルシアも差し置いているだけでなく、騒ぎを聞きつけ医務室に現れたサイガンとドゥーウェンすら、まるで要領を得ない有り様だ。
ちなみに騒ぎを聞きつけたというのには、少し語弊がある。「何かあっては手遅れになる……」そんな理由をでっち上げて、サイガンが盗聴器を仕掛けていたから気づいたのだ。
この老人のこういった倫理観は、だいぶ欠落してると言っていい。
一方甲板上では月や星空を見上げながら、独り寂しげな表情をした少女がいた。
「リイナ……此処にいたか」
「……お父さん」
ジェリドが探していたようだ、普段明るい我が娘が、夕食時にも姿を見せなかったので心配していたのである。
振り返って「お父さん……」と返す口調すら明らかに曇っていた。またその顔色も三日月という光量として頼りないものが照らしていることを差し引いても暗さが目立つ。
「…………リィンのことを想っているな」
ジェリドは深々と頭を下げる、こうなる事は判っていながらホーリィーンの幻影に頼った。
今さら謝った処でどうにもならないの知りながら他に術を知らない不器用さである。
「ま、待って待って。お父さんは何も悪くないよ。……ただ…余りにも唐突過ぎたから」
「…………」
「び、びっくりしたよ。本当にアレはお母さんだった……」
そして互いに暫くの沈黙、船に当たって跳ね返る波の音とエンジンの音が混じり合う。
リイナに取っては喜びもあった、父が未だに母への愛情を失っていないと改めて気づかせてくれたからだ。
だかそれを伝えられる元気が見つからない。
「あのお母さんと少しで良いから話が出来たら……その手に触れることが許されるのなら。そんな事ばかり考えちゃった」
作り笑いを含みながら甘えたい気持ちを正直に語る。軽く自分の頭を小突いて重苦しい空気を和ませようとするリイナである。
「死んだ者は決して蘇らない……扉の力なら或いは……などと魔が差したのだ」
あいも変わらずこの父は不器用で優しくて情に溢れているとリイナは思う。こんな父だからこそ母も彼を選ぶことに何の迷いもなかっただろう。
此処で再び夜空を見上げるリイナ、死した者は星となって残した者を見守っている。
焚火の時にあのお人好しの兄さまから聞いた話をふと思い出す。
「生き返って欲しい……その気持ちがないと言ったら嘘になる。だけどお母さんは生命を投げても守りたいものがあったのだから……」
「………むぅ」
「だ、だから蘇りを強制するって、その気持ちを裏切ることになる……よね?」
背格好も年齢もまだまだだと思い込んでいた愛娘から、教えを説かれジェリドは目の覚める想いに駆られた。
「………でも、例え影でも良いからまた一緒に戦いたいな。お父さんと三人で……ねっ?」
「う、うむっ! 判った約束しよう……そして次の争いで終わりにする」
リイナに肩をポンッと叩かれこみ上げるものを抑えきれない父が震えながら涙を落とす。
人の世に戦いの終焉は、恐らく永遠にやって来ない、しかしそれでも「終わりにする」と人は誓うのだ。そうでなければ余りにも救いがない。
◇
ドゥーウェンとサイガンが医務室に現れたの良い事に、ローダは自らが描いたやり方をルシアを含め、三人に告げた。
「そ……そんなことが本当に……」
「正に雲を掴むような話だのう、もう此処で確率論を語るつもりはない。だが……」
約1年半、この青年の行動には驚かされっぱなしであった。恐らくあと数時間、夜も明けぬうちにその集大成に辿り着く。
どのみち彼に従う以外に道はないのだ。この青年の歩いた後に出来た道を歩むしかない。
それにどんな想像のすら現実に出来るのが扉の力……未知数な所も多いが、だからこそ期待して良いのかも知れない。
「わ、私にそんなことの手助けが出来るって、本気で思っているの?」
珍しく俯いて皆と視線を合わせようとしないルシアである。それこそ彼女が感じていた自分の力を必要としないやり方だと思っていたのに、引きずり出された感が大きい。
「………不安か?」
「あ、当たり前じゃないっ! 私は武術と精霊の類にちょっと秀でただけの……!?」
「「…………っ!」」
不安、不満を訴えようとしたルシアの発言が強制停止させられる。義父とドゥーウェンも見てる目前で、突如その唇を奪われたからだ。
目を閉じる暇すら与えて貰えず、緑色の大きな瞳が驚きで増々開かれた。
「ンッ、ンンッ……」
然も逃げることすら許されない、頭を強く両手で握って離してくれないからだ。潤ったルシアの唇を思う存分堪能してからローダは、ようやく解放した。
「んもうっ! いきなり何するのよっ!」
「え……いや、したかったから……」
真っ赤な顔で文句を言うルシアに知れ顔でローダは返す。1年半前はルシアと視線も合わせられなかったシャイが服着て歩いていたような存在が嘘のようだ。
自分のモノになったと思った途端、男とはこうも様変わりするものなのか。
「もぅ! 何が何だか訳判んないけど、とにかく勝手にやんなさいっ!」
もう今日はずっと振り回されっぱなしのルシアである。頬を膨らませ腕組みしてそっぽを向いた。
「ところでドゥーウェン、今は何時であとどれ位でフォルデノに着くんだ?」
「あ、ああ……え、えっとですね、現在は間もなく午後8時。フォルデノに着くのは大体午前5時ってとこでしょうね」
いきなり騒ぐわ、人目の憚らずにキスはするわの直後で、話を振られたのでしどろもどろになったドゥーウェンである。もう身勝手にも程ってものを知って欲しいとこの青年に思う。
現在カノンの宙域もだいぶ南に差し掛かり、西側に突き出した岬を避けているところである。これを超えればアドノス島の南下が終わり、再び東へ進路を取れば目指すフォルデノ城が見えてくる。
「うむっ……これもお前さんの要望通り、何とか夜が明ける前に辿り着けるぞ。然し闇の者相手に夜襲なんぞして本当に大丈夫なのか? 人間同士の戦ではないのだぞ」
「いや、これで良いんだ……皆のお陰で全ての部品が揃いつつある。後は俺が上手く立ち回れるかに掛かっている」
サイガンの言う「人間同士の戦では……」というのは少々疑問が残る。ヴァロウズNo1のノーウェンを人間と呼ぶの違う気がしなくもないが、明らかに人の力を使う存在だ。
それに4番目の魔導士フォウと、全てを束ねるルイス・ファルムーンは人間なのだ。それでも彼等の秘めた闇の力を恐れるのか。
或いは海の上に顔を出さなかった残りの存在を気にしているのであろうか。
とにかく到着まではまだ少し間がある、寝ていたローダとそれに付き添っていたルシアの二人は、今日何も食事を取っていない。
「二人共少しは腹を満たして、襲撃の間までなるべく休むのだ。この船にいる分には安心だ」
ようやく少しは父親らしい穏やかさで二人を促す、これには笑顔で応じるロットレン夫妻であった。
…………そして刻は流れてゆく。言われた通りに食事を取った二人は、部屋に戻って少しの暇を寝て過ごしていた。
「うっ、うわっ!」
「な、何、何? 一体何の騒ぎなの?」
突然激しくネロ・カルビノンの巨大で黒い船体が激しく揺れた。その上、ティン・クェンが死に際に起こした爆発よりも壮絶な音が鳴り響いた。
慌ててブリッジへと駆け上がる二人、既に至る所で船員達が対応に追われ、走り回る足音と怒号が飛び交っている。
「何が………」
ブリッジの扉を無遠慮に開き状況を聞こうとローダは口を開こうした……が止めた。聞くまでもなかったからだ。
船の前方に5,6mはありそうな巨大な穴が開いていた、ノヴァンの鱗を素材に使ったというのに溶解した跡が残っている。
その様子がローダとルシアの視界にも飛び込んできたので質問を止めたのだ。
ズキューーーンッ!!
「ウワァァァ!?」
「キャアァァァ!!」
陸地の方が一瞬赤く光ったかと思った傍から秒も経たずにまたも船に直撃する。今度は甲板でなく左脇を狙われた。
そう……狙い、そして撃たれたのだ。此方も良く知っているやり方で……。
「せ、船首を出来るだけ砲撃の正面に向けるのだッ!! それからレイッ!!」
「判ってらッ! 任せな、物真似の二番煎じに目にもの見せてやんよッ!!」
こんな大きな声が出せるのかと周囲に思わせる程のサイガンの怒号、それが電磁砲の砲手、レイの魂に火を入れた。