第10話 心優しき約束破り
ケンタウロスのゾルドとルシアによる少々異色な一騎打ち。
ルシアが完全に優勢で進めていたが、ゾルドがルシアの炎の爪に貫かれたのを逆手に取って、武器も全て投げ出しようやく捕まえることが出来た。
けれどこの後、何を繰り出してくるのか全く読めない展開となっている。
さて同じ船上での出来事でありながら、違う争いが繰り広げている。
此方はティン・クェンが電撃を帯びた拳で飛び込んで来るを躱さねばならない赤い鯱だ。
後ろに控えているジェリドとアイリスの力で創った幻影のホーリィーン。
彼等はプリドールの後方支援……圧倒的な速度差で突っ込んで来るのを、果たしてどうフォローするのか?
なんとジェリドは何もしない……いや、正確に言えばこのタイミングで出来ることなど何もないが正解である。
相手はもう手が届く位置に迫っている。ほんのコンマの秒で良いから少しだけ速く動けていたなら、またもティンの足元を突く。
或いは手前の甲板を叩き割って侵攻を止められたかも知れない。
「終わらせるッ!」
ティン得意の右からの打ち下ろしが容赦なく飛んでくる。ティンにして見れば相手はやはり鈍重な完全武装の騎士、ジャブなどの牽制パンチは不要。
これまで良いようにやられていた鬱憤を全力で晴らす、ただそれだけだ。
「グッ?」
(かかった……)
だがもう拳一つという距離でティンの拳が見えない何かを捉え、それこそ相手からしたら喉から手が出る程、欲しかったコンマ数秒の時間が搾取される。
拳は完全に止まったわけでは決してない、ただ何かに詰まり、恐らくはそれを破壊して再び相手に迫る形に変わる。
……なれどこの詰まりが形勢を大いに逆転させる。プリドールは敢えて踏み込み、鎧のブーツの先をティンの下半身、もうどこでも良いからとにかく当てにゆく。
ティンはまるでスローモーションのように動く時間の中で、信じ難いといった顔をしていた。この女騎士の蹴りは確実にカウンターと化す。
やられるのが判り切っているのだ。けれど全力で踏み込んで振り下ろした拳を戻すことなど、いよいよ不可能。
鈍い音を立てプリドールのブーツに先が、ティンの踏み込んだ左脚の膝を捉える。一見地味だが鎧に蹴られた生身の膝だ。
しかも自重が相当載った処をやられては、鍛え上げた肉体ですらどうにもならない。明らかに左膝が割れたのをティンは感じ取る。
もう立っていられず前のめりに倒れてゆく中、ティンの顔は凍りついていた。
(何故だっ!? どうしてこうなった?)
赤い髪が映えるティンの頭蓋の中にいる脳は、Ver2.0の恩恵も受けながら正常に作動している。やられてしまったこの瞬間ですらも。
いや、寧ろこの衝撃的な現実を、受け入れがたい認識さえもクッキリと残酷に幾度も幾度も回してくる。
……今この場で倒れたが最期、情熱の赤に染まった女騎士のランスか、はたまた純白の鎧を纏った騎士の戦斧か……。
さらにそれが下されるのは果たして首か、心臓か、必然を帯びた致命打が落ちてくることだろう。
これもまた憐れな程に単純な仕込みであった。プリドールから援護を頼まれた際、真っ先に戦の女神の奇跡『盾』をホーリィーンに依頼していた。
それもどこを叩かれようとも守れるように、プリドールの至る所にである。しかも相手には決して気づかれないよう密やかに……。
盾そのものに大した防御力は望めやしないが構いやしない。こんな小さな積み重ねが必ず勝ちを此方に呼び込むとひたむきに信じて。
そして果実は見事に実った……。ティン・クェン、死してなおローダ等に立ち向かった女に落ちる慈悲なきランスが心臓を一突きにした。
葬送曲、そんな洒落たもの、この女には必要ない。戦場に響き渡る音、音、音。それだけで充分であった。
「強かった……、強かったよこの女。一度死んでいるのに……」
「そうだな、強いて言うなら強過ぎたのがこの女の敗因だ。ほんの少し……恐らくあのトレノと生きていた彼女であれば、命を惜しむ彼女であったなら、俺達はきっと勝てなかったよ」
甲板上で無残な姿を晒した相手を見ながらランスの女と斧の男は、その二度目の死を惜しむような気分に浸っていた。
…………こんな形で出会わなければ大変心強い味方になれたに違いあるまい。そう思わなけば余りにも救いがない。
「ムッ?」
「な、何だこの輝き…………まさかッ!」
ジェリドの身体が脳ではなくて、反射のみで動いたように速い。プリドールを乱暴に突き飛ばし、自身も甲板を全力で踏みしめ1m、50cm、とにかく少しでもその場を離脱しようと試みる。
ズガーンッ!!
それは人間の死に様として認められるものでなかった。
トドメを刺されてなおも赤い輝きを放ったティンに戦慄を覚えたジェリドが咄嗟に動いたことで辛うじて難を逃れられたのだ。
遂に甲板上で爆発が起こり、大穴が開いた。自ら火葬を済ませた煙が立ち上ってゆく。
「な、何て酷いことを……。化物達だけでなく彼等にすらローダが言ってた爆弾を仕掛けていたとは……」
「これはノーウェンという奴のやり方か、或いはルイスの入れ知恵なのか……ハッ! い、いかんルシアッ!!」
敵とはいえ真っ当に勝負した相手には敬意を表するプリドール、甲板上に倒れたまま後ろを振り返り、煙が上がるのを眺めている。
同じく戦いの余韻に浸りつつあったジェリドだが、大変な事態を即時に認識する。
……元ヴァロウズのティン・クェンですら爆弾にされたのだ、それを運んできたただの馬など、もう考える必要すらない。
慌ててルシアの戦いに視線を送ると、ケンタウロスのゾルドによってルシアが羽交い絞めのようにされているではないか。
しかも全く武器を所有しておらず、赤い輝きをさらに増して、爆発寸前の火薬庫のようにすら見える。
「る、ルシアァァァァッ!!」
「に、逃げろぉぉぉ!!」
そして本当に自爆した、ブリッジ付近で宙に浮かんだ状態だ。ブリッジで勝利を確信していたサイガンの目にも留まる。
絶叫、絶望、煙が晴れるとそこにいた筈の二人の姿は跡形もない。ジェリドとサイガンは悲嘆にくれて床の上に視線を落とす。
「お、おぃ……ジェリド殿、あ、アレを……白いドラゴンの首を見るんだよっ!」
完全に希望を失いくたびれた中年の顔をしていたジェリドの肩を容赦なく揺すり、シグノの辺りを指差すプリドール。
そこにはルシアを両手で抱えているローダの姿があった。
「ローダァァァッ! 良かった、本当に良かったっ!」
プリドールに肩を抱かれながら男泣きに泣くジェリドである。
父サイガンも枯れた筈の涙腺から湧き水のように出そうなものを必死に堪えつつ「遅い、遅すぎるわ……」とただの一言だけ文句を言った。
「ルシア……おぃ、大丈夫か?」
「あ…………貴方、一体どうやって……」
気を失った訳でこそないが、その余りの唐突な結果にルシアがボーッとしている。やがて気分が冴え渡ってくると、自分を抱えているのが夫ローダだと知る。
加えて周囲に例の緑色の輝きが渦巻いていることにも気づく。
「ハハッ……悪い、あれほど皆には使うなと言った俺が使ってしまったよ。レイの空間転移、アレを真似させて貰った。何とかなって良かった」
「ろ、ローダァァァ!」
少しバツの悪そうな笑みを浮かべながらマジックの種を明かすローダである。
ルシアが大粒の涙を流してローダの身体にしがみつく。後ろにいるルチエノをまるで気にせずに。
白い竜に首に乗る二人の男女と美しいハーピー、それを包み込み優しき緑色の輝きと、日の出の時刻すら重なり、何とも幻想的な絵面となった。