第6話 父の力と娘の想いがもたらす奇跡
ルシアとの戦いに敗北し命を失った筈の拳闘士ティン・クェンが、然もアイリスと思しき赤い輝きを散らしながら現れた。
騎乗してきたケンタウロスすら同じ輝きを帯びて、ドゥーウェンの自由の爪を破壊してみせた。
自由の爪が張っていたシールドが弱まった処へ、なんとケンタウロスが駄目押しとばかりに、暗黒神の上級魔法『紅の爆炎』を唱えた。
そのダメージを少しでも食い止めようと現れたのは、これまた死んだ筈であるジェリドの妻にしてリイナの母『ホーリィーン・アルベェラータ』だったのである。
天使の輪が美しい長い黒髪で、藍色一色のワンピース姿。正直若き娘の魅力こそないが、気品に満ちた大人女性という雰囲気である。
ただ人の姿こそしてはいるが、その背後が何故か透けて見えるのだ。
夫であるジェリドがアイリスに望んだ扉の力………それを具現化した姿が彼女という次第だ。
紅の爆炎を唱えたケンタウロスに対し、ジェリドが「アイリスッ!」と発音しながら、手に握った柄の長い戦斧を相手に届かない位置で真横に振るった。
するとまるで斧がホーリィンを描いたかのように現れ、すぐさま戦の女神の奇跡『レグ・スクード』で、オルディネのシールド代わりに光のカーテンを張ったのだ。
それはまるでオーロラの如き、人が呼んだとは思えぬ美しさを天空へ湛え、超爆発から漆黒の軍艦『ネロ・カルビノン』を救ってみせたのだ。
「ど、どうしてママが……」
「すまないリイナ………。俺が欲した力、というよりも欲しかったそのものは、リィン以外思いつかなんだ。決して蘇った訳ではない、この女々しい男の創造した幻影……だから触れることはおろか意志すら持たぬ」
父はうなだれながら「創造した幻影……」と告げた。けれどその儚き美しさは、リイナが愛した母そのものである。
ところでリイナの「どうしてママが……」には二つの含みが存在する。
死んだ筈……は、無論なのだが司祭ではないホーリィーンが何故という疑問もあるのだ。
確かに彼女の家系には司祭を志す者が多かった。だがホーリィーンはそれを拒み、リイナが司祭に成るべく家を出た際にも、決して快く送り出しはしなかった。
司祭になれば戦場に駆り出される……それはロッギオネに住む従姉妹にあたるエリナ・ガエリオとて例外ではない。
ただの偶然であったのかも知れないが、ディオルの街がヴァロウズ二人の襲撃を受けた時ですら、リイナにはその力を見せなかったのだ。
「成程……いや、実にジェリドらしくて良いじゃねえか。俺だってもし、ほうづきが死していたなら、同じく望んだかも知れねぇ……」
懐かしそうにホーリィーンを眺めるガロウが笑みを浮かべつつ述べる。
しかもガロウの方は、ホーリィーンのとても秀逸な力も知っていた。
戦の女神の司祭になることを拒んだ彼女だが、その能力は司祭に匹敵する。
リイナの天才的な能力とその蒼い瞳、母に寄るところが実に大きいだろう。
リイナだけに頼るところが大きかった後方支援、アイリスの時間制限こそあれど、ホーリィーンが加わったことが実に心強い。
「クッソ! レグ・スクードだとぉ!? 俺の紅の爆炎を止める程の力があるというのかっ!」
ケンタウロスが肩を怒らせ大いに文句吐き散らかす。だが直ぐに切り換え三日月刀を抜き、鋼らしい盾も構える。
暗黒神の魔法をサッサと捨てる潔さ、強者の風格を漂わせるに充分だ。
(ママ………いえ、お母さんっ!)
「キシャァァァア!!!」
此処でリイナが突如、人の声とは思えない鳴き声を響かせる。不死鳥の鳴き声をリイナの姿で発したのだ。
仲間達の意識が瞬時に高ぶり、自分達の身体すら燃え上がる様な錯覚すら感じる。
その上、先程ベランドナが投じた戦乙女の効果も持続中、この相乗効果は凄まじい。
「クッ!?」
「こ、この身体を蝕む鳴き声は何だっ!」
赤い輝きを帯びているケンタウロスとティンが耳を塞ぎ、呻き混じりの疑問を上げる。
ルチエノの仲間ではない闇の眷属達は、さらに顕著だ。悶え苦しみ、中には何も出来なくなった者すらいる。
悪意ある者には絶望と恐怖を与える不死鳥の鳴き声による効果は、人に取り込まれた状態ですら健在であった。
「お母さんッ!」
ただの幻影であるホーリィーンに鋭い口調で訴えるリイナ。
すると何故かその影がコクリッと頷いたではないか、リイナの意志が通じたかのように。
「「戦の女神よ、アン・モンド・プリート! この者等の魂を在るべき世界へ『救世』!」」
「り、リイナ? リィン? こんなことが……」
加えてリイナとホーリィーンの奇跡の祈りが、互いに勇ましい気持ちを込めて混ざり合う。
この在り得ない事態にジェリドは思わず泣きそうになる。幻影にこそ違いないが、ジェリドの妻を想う気持ちが生んだ影だ。
それに愛娘の必死な意志が通じたのかも知れない。
救世とは彷徨える魂を葬送する奇跡だ。先程の鳴き声と相まって、弱り果てていた敵は、光と共に消滅してゆく。
けれどもティン・クェンやケンタウロス、それにまだ数多くの敵がこれに耐えきる。
だがさらに弱体化したようだ。味方の士気は|極限まで高め、相手の方は削れるだけ削り取った。
「おおっ! これならアイリスの代わり……底上げとして充分かも知れんぞっ!」
これには黙って座っていたサイガンですら、身を乗り出して興奮する。
ベランドナ、リイナ、そしてこれは想定の外にいたジェリドが呼んだホーリィーンの思わぬ能力。
これらが渾然一体となり、アイリスを出来る限り温存したい此方側への多大な後押しとなった。
「お前の相手はこの私よっ!」
「扉の女か……ティン・クェンを倒したという手並み、見せて貰おう」
かなり辛い目にあったケンタウロスの目前に颯爽と現れたのはルシアである。
これ迄余り出番がなかったのを晴らそうと、不敵な笑みを零して構える。
「俺の剣に無手とは………随分と舐められたものだ。大体貴様なら、あの蘇った女を相手にすると思っていたぞっ!」
言った傍から盾を突き出しつつ猛然と距離を詰め、三日月刀でルシアの脚を払いにいくケンタウロス。
脚力だけならスピード違反のルシアとて敵わないであろう。
しかし今のルシアは、そのスピードで避ける必要すらなかった。知れ顔でその三日月刀を右上腕部で受け止める。
カシャンッ! 明らかに生身でない音がした。
「ムッ? その腕、何か仕込んでるな?」
「あぁ……あの拳闘バカね、今さら赤く輝いてみた処で一度殺った相手に興味はないのよ」
台詞の最後辺りで力を込めて、腕に装備した仕込みの盾で相手の剣を払い退ける。
剣ごと右手を払って直ぐに、次は右の飛び膝蹴りを見舞う。ルシアの思惑通りに膝が相手の腹に入り悶絶させる。
駄目押しとばかりに左脚で頭を蹴り飛ばしにかかるが、これは振りが大き過ぎたか、盾で防がれてしまった。
「へぇ………やるじゃない、名くらい名乗らせてあげるわ」
「クッ! ゾルドだっ!」
「あぁっ、ゾルドン? 嗚呼……如何にも雑魚らしい名前ね、ウフフッ……」
名乗れと言った傍からワザと間違え小馬鹿にするルシア。相手の冷静さを奪う作戦が大いに功を奏す。
「もう女だからとて容赦せんッ!」
既に怒りに堕ちているゾルド、伸びきったルシアの白い脚の斬り捨てを狙う。