第2話 黒い船出・それぞれの思惑
ノヴァンの黒い鱗と工員達の寝る間も惜しんだ努力によって全く違う船に生まれ変わった軍艦『ネロ・カルビノン』の講釈も一通り終わった。
後は一刻も早くフォルデノ王国へ向かい出航したい所である。
「さあ本日0時にいよいよフォルデノへ向けて出航ですよっ! 皆さん準備は良いですね?」
「………駄目です、馬鹿言わないで下さい」
意気揚々と出発時刻を告げるドゥーウェンであったのだが、出撃しない面子から待ったがかかる。
先程文句を言っていたこの船の設計担当責任者である。もう本気で呆れた顔を容赦くなくドゥーウェンに向ける。
頭の良い自覚が強いドゥーウェンにして見れば「馬鹿……」と言われたことに一番腹を立てている。
「最終調整に少なくともあと3日は必須です。貴方も御存知でしょう? この船、造船所から此処までしか動いてないんですよ。そんなもので船出とか言われた日にゃ馬鹿って言いたくもなります」
「クッ……し、しかしですね……」
この責任者の言うことは至極当然……。テスト航行すら終えてない船で大海原に飛び出すと言われたら馬鹿と言い返したくもなるだろう。
ドゥーウェンは今こそ助け船が欲しい所だ。誰でも良いから「駄目だ、今夜だ……」とか「そうよ、駄目よ……」とフォローして欲しい。
(……ん? 何かこんな場面を知ってる気がするな)
かなりどうでも良いことを知覚するドゥーウェンである。
此処で本当に|真っ直ぐにしか動けない《舵をきれない》青年が意外な方向へ動き出す。
「そうか……なら仕方ない。3日、その位待った所で作戦に支障はないだろう……」
「ろ、ローダさんっ!?」
「え………何か不味かったか?」
責任者の出した最低の譲歩案に素直に従うローダである。
実直な彼らしい反応であり「確かに……沈んだら元も子もねえしな……」とか「3日あればゆっくりと準備が出来ますね、ルシアお姉さま……」といった声が方々から湧き出した。
独り、ガックリ肩を落とすのはドゥーウェンだけである。彼だけは勢いそのまま「出航ッ!」と号令を掛けたかった。
けれどサイガンから「お前とて全く検証してないアプリに腹を立てるだろう……」と言われては立つ瀬もなかった。
とはいえたった3日しかない。主砲を扱う気満々のレイは、この間にレクチャーを受ける。他の者達も機銃の操作やこの船の機材について一通りの説明を受けてゆく。
これだけでも1日を要した、如何に3日が短いかが改めて良く判る。航行担当はこの船が元の形を成していた時の連中に一任した。
戦いに関係ない者を巻き込むことに正直抵抗を感じる者もいたが、巨大でかつ特殊な船だ。
それにクルー達は既に覚悟を決めており「俺達だって軍艦を操る以上、フォルテザの戦士のつもりだ。大体素人に任せられるか」と非常に心強い声を聴いてこれは向こうも譲れないものがあるなと思うに至る。
翌朝、そのクルー達に操舵を任せテスト航行を行い、ローダ達や工員達も乗船した。フォルテザの方から東南に向かい、ラオの付近まで航行して戻って来た。
然したる問題もなく皆はホッと胸を撫でおろす。リイナは船に乗ることが自体が初体験。
しかもエンジンで海上を往く船に大興奮、ローダとルシアもロッギオネに向かった時のことを思い出し笑顔を合わせた。
さあ遂に3日目、設計担当責任者は72時間のつもり告げた3日であったが、思いの外、順調に進んだため、今夜0時に出航時刻を繰り上げることに同意した。
………そして時はあっという間に訪れた。
ドゥーウェンが流行る気持ちを抑え「ローダさん、ルシアさん……どうぞお先に」と乗船を促す。
初の本番航行……一番乗りしたいドゥーウェンの気持ちが痛い程判るのだが「判った、行こう皆……」と力強い声でタラップの鎖を握るローダである。
1年前5カ月前……皆の前に姿を現したこの青年は、騎士見習いという情けない身分に甘んじていた。
けれどフォルデノ城……恐らくルイスとの最終決戦を前に、ようやく彼にもリーダーとしての自覚が芽生えつつある。
マーダに変わったルイス、それに従うネッロ・シグノに勝利を収め、アドノスの平和を取り戻す……これは皆の宿願である。
だが兄としてのルイスを生きたまま取り戻すとなると別の話だ。此方はローダだけの私的な目的、これに皆を従わせるのだ。
だからこの戦いだけは自分が精神的主軸となるのが当然だ。今の彼なら実力的にも差し支えない。
タラップを1段上がった所で振り向き、ルシアに向かって手を差し伸べる。穏やかだが凛々しさも混じった顔だ。
無言で頷きその手を取るルシアの目にも頼もしさが宿っている。「君の背中は私が守り抜く……」その気持ちに揺らぎはない。
そんな二人を列の最後尾から見守る父サイガン。充足、満足、満ち足りたものを感じつつも「どうか無事で……」という親心も覗かせる。
それから皆、それぞれの想いを胸に秘め、続々とネロ・カルビノンに乗り込んでゆく。
ふとサイガンは、幕末の日本を席巻したペリー艦隊……通称『黒船』とこの船を重ねた。
当時の列強諸国のようにフォルデノ王国を恐怖で支配するつもりはない。しかし自身が蒔いた種……マーダをこの世から消す。
或る意味黒船以上の過激さを以って船上の人と化した。
◇
その目的地であるフォルデノ城では、王の間にてルイス、屍術師兼暗黒神のノーウェン、女魔導士フォウ・クワットロが控えていた。
既に戦場へ赴く装備を身に纏っている。ルイスの脳裏に何か痺れのようなものが奔る。
「むっ……そうか、遂に来るか、弟達……」
「マーダ様? 見えたのでございますね?」
ルイスの前に駆け寄るフォウ……彼女の子供も順調のようだ。もっとも此方は普通の女性、色々なものを圧して今此処にいる。
ノーウェンの方は揺るがない、窓の外を何気ない顔で眺めているが真夜中のこと……映えるものは皆無だ。
「…………期待してるよノーウェン、君の子供達に」
「…………」
玉座で肘をつき楽し気な笑みをノーウェンに向けるルイス。まるで観劇でもするかのような余裕を見せる。
対するノーウェンは無言を貫く。貴様に言われるまでもないといった処か……。
◇
出航して凡そ2時間……航海は順調で海も穏やか、これ程静かだと逆に不気味、不吉の前触れといった感じにも取れなくはない。
「しかしこの船、随分と速くなった気がしないか?」
「やっぱり貴方もそう思う? 真夜中とはいえ雲や月の流れる速さがロッギオネの時とは全然違うのよ」
ブリッジの窓から外を眺めているローダとルシア。ルシアの「貴方…」が新婚夫婦らしい初々しさをのぞかせる。
「黒き竜の鱗はただ強靭なだけでなく、非常に軽い素材でした。流石にエンジンまで手を入れる余裕はありませんでしたが、軽さは正義なのです!」
二人の言葉を耳にしたドゥーウェンが拳を握りしめつつ満足気に語る。まるで自分の成果であるかの如く。
改装前も軽巡洋艦クラスの戦艦だったので足は速い方であったが、軽量化の恩恵を受け、さらに速度を増していた。
この船はフォルテザ港を出てから先ず進路を西へ向けた。エディンの領海……そんな区切りこそないがエディン西端、エドナ村を過ぎてカノン領海に侵攻。
アドノス島、西の端にて進路を南へ。外が明るければカノンの渓谷が見渡せる位置。さらに1時間半を経過……時刻は3時半。
…………至って順調と思われた航海に突然の緊張が駆け抜ける。
「レーダーに反応っ! も、物凄い勢いで増えていますっ!」
クルー唯一の女性が言い放つ驚きの声。海上の空に出現した多数の反応が続々と増えてゆく。
「そ、空だけじゃないっ! 海上、海中にもさらに増大っ!」
別のソナーを監視していたクルーも騒ぎ立てる。一気に船内が慌ただしくなる。
「来たか…………」
「レーダーの反応が一番多い方角を割り出して下さいっ!」
「りょ、了解っ! ええと……北西ですっ!」
両手を組んで一言だけ呟くサイガン。ドゥーウェンが女性クルーの報告に驚きを隠せない。
この軍艦の主砲を後方へ回すことは出来やしない、その後ろにはブリッジが控えているので当然だ。
「………やってくれる。だが所詮お互いに小細工、未だ牽制のし合い処だ」
サイガンの方は未だに落ち着いたまま、微動だにしない。遂に戦端は開かれた。